2021年2月11日木曜日

ずれが生じなくなったら、やめなければならなくなる

 どれだけ、でかい音で鳴らしていても、自分がでかい音で鳴らしたいなら、最初っから、でかい音じゃないということになっているのである。だから、でかい音で鳴らしていても、でかい音で鳴らしているというとを認めない。

兄貴も親父も同じ。でかい音で鳴らしているということ……を……認めることが、自分にとって不都合なことなら、言い換えてしまう。もう、決まっているから、どれだけ言われても、認めない。

 

兄貴のヘビメタはおやじのハンダゴテだと言ったけど、おやじの場合は、最初っから「使えるハンダゴテだ」ということが決まっているのである。どれだけ相手が、「エレクトロニクス工作には使えないハンダゴテだ」ということを言っても、認めない。最初から、「使えるハンダゴテだ」ということが決まっている。おやじが、判断してそういうふうに言っているのかというと、それはちがう。相手が使えないといったから、使える。自分が金を払いたくないから、使えるハンダゴテだということになっている。最初に決めてしまう。新しいハンダゴテを買うために、金を出してやるのがいやだというのが、きちがいおやじの(無意識の内容)なのである。だから、その無意識の内容に反することは、どれだけ何を言われても認めない。兄貴の場合は、「自分が思いっきりでかい音で、鳴らしたい」ということが無意識の内容だ。だから、どれだけ、でかい音で鳴らしても、でかい音で鳴らしているということを認めない。あれは、言ってみれば後出しだ。最初に内容が決まっているから、その内容に反した内容は、一切合切、認めないのである。けど、これが、一切合切、認めないようにしようと(意識的に思って)やっていることじゃないのである。ここが、肝なんだよ。肝なの。

こういうことが、佐藤のようなやつにはわからない。普通に言えば、やめてくれると思っている。でかい音で鳴らしているのなら、でかい音で鳴らしているということは、当然認知していると思っている。けど、きちがい兄貴は、本人が満足できるようなものすごくでかい音で鳴らしているのだけど、ものすごくでかい音で鳴らしているという認知がない。こういうのが、普通に、「誤解を招く」。そのひとつが、音に対する俺の耐性だ。あるいは、音に対する俺の側の敏感さについて、佐藤のようなやつが誤解する。要するに、きちがい兄貴は、たいしてでかくない音で鳴らしていたのに、エイリさんが音に敏感だから大きく聞こえたのではないかという、的外れな、まちがった、感想を持ってしまうのである。

 

そういうことで、俺が、どれだけ不愉快な思いをしてきたか?

いまのは兄貴の話だけど、兄貴は、きちがいおやじのコピーなので、きちがいおやじにもそういうことをいっぱいされてきた。ヨソの人が、誤解してしまうようなことを平気でする。というか、常にそうなってしまうのである。頭がおかしいから、そうなる。ヨソの人は普通の人だから、そういうことがわからない。頭の構造が、今さっき説明したような頭の構造なのだから、その人の行動や認知は、常に、ずれているのである。自分の無意識的な欲求が関係しているところでは常に、ありえない範囲で……普通の人が想像できないレベルで……認知がずれているのである。それは、そういうきっかけがあれば、常にそうなるということなのである。きっかけ……無意識てな欲求があるのに……そうならないということがないのである。文句を言われたら、常に、無意識的な欲求に従って、現実を認知しないのである。自分が(本当は、意地になって意地になって)やっていることを、認知しないのである。無意識てな欲求に従った形で、書き換えられる。書き換えられた認知しかしない。だから、問題がしょうじる。けど、問題がしょうじるのは、「やられている」ほうだ。「やっている」ほうは、やれるので、満足なのだ。実際には、満足感を得てないのだけど、それなら、相手の言うことを認めて、自分がやっていることをやめられるかというと、やめられないのである。自分の無意識的欲求が、極端に大切だから、現実を無視して(ゆがめた形で)認知しているのである。だから、そういう方法を手放さない。どうしてかと言うと、やりたいから、認知にずれが生じるからだ。ずれが生じなくなったら、やめなければならなくなる。相手が言っていることを認めなければならなくなる。それは、死んでも、いやなのである。命がけなのである。これ、大げさな表現じゃない。大げさな表現だと思う人は、そういうきちがいがどういうものかまってくわかってない。まったくわかってないとなると、これまた、つたわらないということになる。これは、おやじや兄貴のケースとはちがう。けど、そういうことも含めて、おやじがやっていること、おやじがやっていることだし、兄貴がやっていることは兄貴がやっていることなんだよ。これが現実なのに、ヨソの人は、俺が言っていることがまちがっていると仮定して、現実世界の認知をたもとうとする。そういう、構造になっている。そういうしくみができあがっている。だから、きちがい家族にやられた人は、ヨソの人にも、自動的に誤解を受けるということになっている。そういうことを含めて、きちがい家族は、きちがい家族以外の家族の構成メンバーに、いろいろなことを押しつける。

押しつけられた家族のメンバーは、けっきょく、だれにも理解されない。

 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。