2021年2月23日火曜日

「元気を出せばいいじゃないか」というのが、これまた、ろくでもない、助言なのである

しかし、つまんない。すべて、つまんない。

うーん。これ、どれだけ書いてもしかたがないのだけど、ほんとう、生きているのが不思議なぐらいだからなぁ。あーあ。これで、いろいろなことに興味を持っている状態を維持するのは、むずかしい。どんだけのことがつみかさなったか。これ、ほんとうに、他人にはわからないクレパスに落ち込んでいる状態なんだよな。他人にはわからない。けど、同じ経験をすれば、どんなばかなやつでもわかる……ようになると思う。けど、そいつの人生の中でおなじことが生じなかったのだから、絶対的なレベルで、わからない。わからないものは、ないのと同じだ。

やりなおすとなると、すべてが……。けど、ほんとうに、この世の感覚が、これ、なのだから、やりなおせるわけがない。もう、転生するしかないということになってしまう。それほどまでに、こたえている。こたえているんだよ。ほかの人にはまったくわからないけど。繰り返しになるけど、わからないなら、ないのと同じだ。だから、ほかの人には、ぼくが、たいした理由もないのに落ち込んでいるように見えてしまうのである。そして、落ち込んでいる人といるのは、いやだという感覚がある。人間にはある。これは、ぼくでさえも、わかる。じゃあ、元気なふりをすればいいじゃないかということになるかというと、ならない。それは、もう、さんざんやった、破滅の道だからだ。そんなことをやってきたから、だめになった。まあ、最初に、騒音でだめになっているのだけど。感覚が……。言いようがない。あの生活の感覚は言いようがないよ。けど、ほかの人にはこんなことを言っても、さっぱりわからないだろうと思う。「それでも、元気を出せばいい」ということになってしまう。

「元気なふりをすればいいじゃないか」とか「元気を出せばいいじゃないか」というのが、これまた、ろくでもない、助言なのである。これは、ほんとうに、死に至る考え方なのである。俺は、実践してわかったけど、これは、死に至る考え方なのである。助言している人にとっては、どうでもいいことかもしれないけど、助言されたほうにとっては、どうでもいいことじゃない。助言されるまでもなく、最初はそういうふうにがんばって、生きていたのである。きちがい騒音生活は、そういう生活なのである。 「元気を出せばいいじゃないか」とがんばってきた生活なのである。「元気なふりをすればいいじゃないか」とがんばってきた生活なのである。何年間も何年間も、毎日毎日、きちがい的な騒音にさらされながら、そうやってがんばってきたのである。それで、だめになった。「それで」だめになった。これ、わかってないんだよな。考えているだけのやつらはわかってない。実際に、ああいうレベルの騒音生活をしたことがない人には、わからない。どれだけ現実的ではない助言か、根本のところからわからない。

「元気なふりをすればいいじゃないか」とか「元気を出せばいいじゃないか」というのが、これまた、ろくでもない、助言なのである……と書いたけど、これ、絶対にうけない。うけないのがわかる。「元気なふりをしていれば、元気になる」というような話のほうがうける。けど、ちがう。絶対的にちがう。ちがうということがわからないのは、きちがい家族に毎日やられたことがない人たちだ。そいつらは、たしかに、しあわせなんだよ。きちがい家族にやられなかったのだから。きちがい家族の有害さがわかってない。きちがい家族の、頭の構造がわかってない。きちがい家族の態度がわかってない。ほんとうに、つねに、毎日、「死ぬか殺すか」を突き付けられる状態でくらして、ぶっこわれる。こっちが、ぶっこわれる。あっちは、きちがい頭の構造を維持したまま、なにもしてないつもりで、普通に生きている。こんなの、ない。

他者との間に、ものすごい乖離が生じてしまうだろ。他者と俺との間に、ものすごく深いクレパスができてしまうだろ。こんなの、ない。

 

 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。