ヘビメタ騒音の効果がまったくわかってない人は、ヘビメタ騒音の効果を無視してしまうのである。『そんなのは関係がない』と思うわけだ。いっぽう、きちがい兄貴も、ヘビメタ騒音の効果を無視して、きちがいヘビメタを絶対の意地で、鳴らしてしまう。普通の人は体験したことがないかわらないと思うけど、あのレベルの音が、ずっと鳴ってるということは、自殺につながることだ。しかも、「かよっている」。このヘビメタ騒音が鳴っているにもかかわらず、学校に通っていた時期が問題なのだ。ヘビメタ騒音効果がまったくわかってない人は、自分の身にこういうことがしょうじなかったので、ヘビメタ騒音の効果がまったくわかってないまま、ぼくを「さぼり魔」だと思っているのだ。そして、『そんなのは関係がない』『ヘビメタ騒音の効果なんてない』という前提で、説教をしてきたり、なめたたいどをとることになる。たとえば、ぼくが、引きこもりの定義にあてはまるので引きこもりだと言ったとしよう。その人だって、おなじぶんだけ、自分がきらいな音を聞かされ続ければ、やがて、通学・通勤できなくなって、引きこもりの定義にあてはまるようになる。長いからね。ヘビメタ騒音が鳴っていた期間が長すぎる。中学時代の友達や高校時代の友達と「きれる」とそんなには、他人にあわなくなるようになる。だいたい、通勤してカネを稼ぐしかない時代なら、通勤してカネをかせぐことができなくなると、カネがないから、人づきあいがあんまりできなくなるということが発生する。これも、カネがないうちに生まれて小学六年生のときから、自分の嫌いな音が、生活と能力を破壊するていど鳴っていた場合であってなおかつ、通勤してカネを稼ぐしかない場合は、だれにでも、発生することだ。これは、「性格が引きこもり」というような問題ではない。条件が同じなら、だれにでも発生することだ。しかし、俺の条件が成り立っている人が、ほとんどまったくいないのである。ようするに、きちがい的な頑固さで、きちがい的な音を鳴らす、家族がいない場合は、そういうことにはならないのである。そして、性格の問題で引きこもっている人もいる。性格というのも、条件のひとつだ。けど、条件のひとつでしかない。けどけど、普通の人は、引きこもっている人は、性格の問題で引きこもっていると、一括して考えてしまうのだ。そして、ちがう条件によって、発生した「引きこもり」に関しても、引きこもりなのだから「性格に問題がある」と考えてしまうのだ。「引きこもり」うんぬんに関しては、基本的なことを言うと、本人が満足しているならまったく問題がない。問題なのは、本人が満足してない場合なのである。そして、一般的なことを言うのであれば、社会が、社会不適応な人につめたいので問題があるのである。
ともかく、ぼくの場合、きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、ヘビメタを鳴らすから、ぼくがほかの人になめられるのである。しかし、なめてくるほかの人にとっては「ヘビメタ騒音なんてどうでもいいこと」なのである。そして、ヘビメタ騒音が鳴ってない場合のぼくについて知らないので、勝手に、「あまえている」「引きこもりだ」「ダメ人間だ」と思って、頭がおかしいことを言ってくるのである。これは、自分がそういう音を経験した場合どういうことになるのだろうかということを考える能力が不足しているから、起こることだ。基本的に「うぬぼれがつよく」「他人の状況についてうまく考えることができない」人たちなのだ。