2023年3月10日金曜日

「不幸な人は、親切にしてこなかったから不幸なのだ」という考え方について

 たとえば、成功した人じゃないと、成功法則について語れないということがある。成功してない人が、成功法則について語ったとしても、耳を傾ける人は、あんまりいない。

やっぱり、成功した人が語る成功法則でないと、意味がない……と、普通の人は思っているところがある。おなじように「不幸な人が語る、しあわせになる方法」にも、耳を傾ける人はあんまりいない。

しあわせな人が語る、しあわせになる方法でなければならないわけだ。

もちろん、「なければならない」と言っても、ほんとうに「そうでなければならない」というわけでもない。不幸せな人だって、しあわせになる方法について語ることができる。書くこともできる。できるけど、それは、あんまり、信用されないと思う。

では、どうして、しあわせな人はしあわせなのかというと、めぐまれた家に生まれたから、しあわせなのだ。まず、これが土台として成り立ってないとだめなのだ。

けど、しあわせな人は、自分の努力でしあわせになったと勘違いしてしまう。これは、勘違いだ。

めぐまれた家に生まれた人にかぎって「生まれの格差なんて関係がない」「コツコツと努力すれば成功する」なんてことを言う。ほんとうは、「生まれの格差(親)上」で「生まれの格差(カネ)上」だから、しあわせな生活を送ることができているのだ。

もちろん、本人なりに努力したとは思うけど、「生まれの格差・上」の人は、それがあたりまえだと思ってしまうところがある。たとえば、親が人格者で、医者だったとする。本人が、医者になることを希望して、医学部に入って、医師免許をとったとする。して、病院を経営したとする。もちろん、本人も努力した。

けど、きちがい的な親にたたられていたわけでもないし、きちがい的な兄が、常に毎日、きちがい的な音を鳴らして、勉強を邪魔をしたわけでもない。自分の子供を医学部に入れることができる親というのは、悪いけど、普通の親じゃない。けど、まわりがみんな医者の子供であるような学校に通うと、それが普通だと思ってしまうのだ。まわりのみんながそうだから「みんなの親もそのくらいできるでしょ」と思っているのだ。そういう思い込みがある。

たいていの場合、医学部に進学するということは「生まれの格差(カネ)上」だからできることだ。「まわりの人間」も医学部に進学できるような「うち」に生まれた人だから、これがあたりまえだと思ってしまう。

こういう人は、いちおう、「リア充」の生活をしている。結婚して、子どもをつくったりしている。そういう経済基盤がある。自分がしあわせになれたのは、自分がほかの人に親切だからだ……と思っているのである。

けど、ほんとうは、その人がしあわせなのは「生まれの格差(親)上」で「生まれの格差(カネ)上」で、なおかつ、才能があり、本人が努力をしたからだ。なので、そういう部分をすべて無視して、「親切にするかどうか」に注目してしまうのは、どうかと思う。

人に親切にしない人は、ふしあわせだということになってしまうのである。ふしあわせな人は、人に親切にしない人だということになってしまうのである。

「人に親切にすれば、しあわせになれる」ということは「おまえがふしあわせなのは、人に親切にしてこなかったからなんだぞ」と言っているのとおなじだ。このふたつは、意味的に等価なのである。あるいは、「人に親切にすれば、しあわせになれる」ということは「不幸な人は、いままで人に親切にしたことがないから不幸なのだ」と言っているのとおなじだ。このふたつは、意味的に等価なのである。

けど、人に親切にしているにもかかわらず、不幸な人はたくさんいる。

「人に親切にすれば、しあわせな生活ができる」というのは、まちがった考え方なのである。当然、法則性もない。一時的に「しあわせな感じがする」ということと、継続的に「しあわせな生活をする」ということは、ちがうことだ。混同してはいけない。

むしろ、ぼくの感覚で言うと、多くの、親切な人は、くるしんでいると思う。親切な人、全員ではないけど、多くの、親切な人は、くるしんでいるような感じがする。生まれの格差(親)下で、生まれの格差(カネ)下の人が、もともと、親切なこころをもっていると、くるしんでしまう傾向が強いと思う。 

こういう人は、悪魔が支配するこの世で、もっと傷つきやすい人だと思う。ぼろ雑巾のように、使われて、へとへとになっているよ。ボロボロになってふしあわせな生活をしているよ……。もちろん、全員とは言わない。そういう傾向があると思う。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。