ほんとうに、きちがい兄貴が一日目にしずかにしてくれたら、サカマの問題だって、九号室の問題だって、発生しなかった。
ほかのやつは、きちがい兄貴が一日目にしずかにしてくれた場合と、きちがい兄貴が一〇年間、しずかにしなかった場合の区別がついてない。
どっちだって、そいつには、関係がないことだから、区別しない。
おなじことなのである。
けど、きちがい兄貴が一日目にしずかにしてくれと、そのままずっとしずかだった場合の一〇年後と、きちがい兄貴が一日目に静かにしてくれず、そのあと、ずっとうるさかった場合の一〇年後は、ぜんぜんちがうんだよ。
精神、体力、実際に発生した出来事……すべてがちがいすぎるほどちがうんだよ。
一〇年と一日目に、ぼくが、だれかにあったとしよう。一〇年間やられたぼくと、一〇年間やられなかったぼくは、立場も経歴もちがうんだよ。
学歴もちがうんだよ。精神も、体力もちがうんだよ。
けど、一〇年と一日目にあったやつにとっては、そんなのはまったく関係がないことなんだよ。たとえ、ぼくがヘビメタ騒音のことを説明したとしても、ぜんぜん関係がないことなんだよ。
なので、実際の、一〇年間毎日の、影響を無視する。ヘビメタ騒音が俺にあたえた影響を、そいつは、説明を聞いたあとも、無視する。
そいつらには関係がないけど、一日の「不快」が毎日、一〇年間、つみかさなっている。無視できる量じゃない。不快と書いたけど、これ、不快なんて、単純に表現できるものじゃないのである。これ、病気みたいなもので、身体がくるしいのである。「その時間」勉強ができないのである。ものすごく腹がたった状態なのである。ヘビメタ騒音を浴びせられると、睡眠にも、ものすごくでかい影響がでる。そういう一日なのである。発狂的な一日なのである。普通なら勉強ができる時間に、まったく勉強が出ない一日なのである。勉強してないのに、発狂的に、ものすごく、つかれまくる一日なのである。こんなの毎日続いていいわけがないだろ。
どうして、「過去は関係がない」「そんなの鳴り終わったら関係がない」と言うのだ?
こいつら、これで、はげましているつもりなんだよな。正しいことを言っているつもりだ。けど、これは、言霊理論のように、大きく、大きく、大きく、まちがっている。きちがい妄想のレベルだ。けど、このきちがい妄想が「常識」なのである。他の個体の「普通の判断」なのである。
きちがい兄貴には、きちがいの壁を感じる。強く感じる。きちがい親父にも、きちがいの壁を感じる。強く感じる。「そんなの鳴り終わったら関係がない」と言った個体には、バカの壁を感じる。強く感じる。
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「わかってない」というのが、暴力になるときがあるんだよ。「そんなの鳴り終わったら関係がない」と言った個体のことじゃない。きちがい兄貴ときちがい親父のことだ。あいつらの「わからなさ」は暴力。殺したくなる。殺すの我慢すると、こっちの感情が、おかしくなる。たとえば、「楽しさ」を感じなくなる。「気力」がなくなる。「憂鬱」になる。まるで、病原体のような「親」や「兄」がいる。