たとえば、言霊おじさんだって、としをとって、もう自分のからだが思うように動かなくなったので、この仕事はできないと思うことができる。自分の場合は、理由がはっきりしているので、妄想思考が出てくる余地がない。ところが、ひとごとだと「できないと言うからできない。できると言えばできる。やればいい」と言うわけ。「できないと言うからできない」と判断しているわけ。自分のことなら、としをとって、もう昔のようには動かないからできなくなったということを感じるわけ。感じていれば、まちがわないわけ。けど、ひとごとだと「としをとったということにこだわるからダメなんだ。こだわりをすてればできる。やればいい」と言うわけ。
たとえば、たとえば、言霊おじさんだって、腰がいたくなる病気になったら、もう腰がいたいから、この仕事をするのはむりだと思うわけ。自分の場合は、理由がはっきりしているので、まちがった理由を想定してものを言わない。「腰がいたくてできないと言うからできない」のか? ちがう。腰がいたいからできない。「腰がいたい」ということにこだわっているから、できないのか? ちがう。腰がいたいから、できない。いちいち、まちがった理由を想定してものを言うのは、相手に失礼だからやめたほうがいい。
「腰痛は、あまえ」「あまえたことを言うな」
「老化は、あまえ」「あまえたことを言うな」