「きちがい兄貴が、きちがい感覚で、ものすごい音で鳴らしてなかったら、こんとなことになってない」と思うことが、多すぎる。ほんとうにいろいろなバージョンがある。これ、ほんとうに、完全に誤解される。相手は、理解しているようで理解してない。ぜんぜんちがうことを思い浮かべて、自分の正解を言っている。ちがうんだよ。そして、いろいろな立場というのがあるのだけど、きちがい騒音にやられた人間の立場というのは、ほんとうに、弱い立場なのである。普通の人が経験してない、きちがい的な騒音をずっと経験してきたということが、弱い立場をつくりだしてしまう。そりゃそうだろ。遅刻だって、宿題だって、偏差値レベルだって、体力レベルだって、弱い立場に追い込まれてしまう。そして、浪人すれば、浪人という弱い立場がしょうじる。そして、職歴がないとか、アルバイト歴しかないということになれば、弱い立場がしょうじる。「あのひと、なにやってんの」という話だ。そういうふうに見えてしまう。けど、きちがいヘビメタが、あの至近距離で、あの時間の長さ、毎日、小学六年生のときから鳴っていると、どれだけがんばっても、だめになっていくのだ。弱い立場に追い込まれる。
これ、必然なんだけど、ほかの人には、必然である部分……必然性が見えないんだよね。「ただ、うるさかったんだろ」「そんなの、(お兄さんに)(やめてと)言えばいいだろ」というレベルの理解しかしない。ヘビメタが鳴り終わったあと、病気で高熱が出て、だるような状態になってしまうのだ。そして、ほとんど眠れずに朝になってしまう。そして、がんばってがんばって、普通の状態で動いているように見えるように動く。だから、ほんとうは、その時点でがんばっている。発狂的なレベルでがんばっている。ストレス対抗でがんばっている。けど、ほかの人は、それがわからない。どうしてかというと、きちがい兄貴のような家族がいないからだ。普通の家族は、そんなことしない。きちがい兄貴の騒音のレベルで、一日に一〇分間だけ、鳴らすということもしない。きちがい兄貴のように、無意識のレベルで感覚器を書き換えて、きちがい的な意地ならし続ける家族なんて、いない。普通人にはそんな家族がない。だから、実際に、自分のきらいな音を、爆音で、家族に鳴らされ続ける毎日を経験したことがないのだ。だって、いないわけだから。それで、鳴っているときだけ、うるさい状態について考えてしまう。ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、どれだけつらいか、みんなわかってない。ヘビメタ騒音を、前日、数時間から十数時間、鳴らされたときの、次の日の体調がわかってない。どれだけはりつめた状態で、がんばって、普通に動こうとしているのか、ほかの人にはわからない。けど、たとえば、宿題を忘れてきたとか、遅刻をしたということはほかの人にも見える。だから、さぼっているように見えるのだ。これがつらいんだよ。