ともかく、頭がおかしいレベルで「こだわりつくして」鳴らした。きちがい兄貴が、鳴らした。容赦なく、鳴らした。絶対にゆずらないで、鳴らした。ゆずってくれなかった。一日に、一分だろうがちゃんとゆずってくれなかった。……これが事実だ。そして、そういう具合に、「自分がこの世で一番嫌いな音」を聞かさされづけていると、どれだけ、こころを強くもって、からだが影響をうけるのである。受けるから受ける。「受け止めようの問題だ」と言うけど、そいつは、やられてないから、そういうふうに言えるだけだ。実際に、自分がこの世で一番嫌いな音を、あの至近距離で、振動込みで、聞かされ続けたら、睡眠回路も、基本的な体力もなくなる。基本的な体力がなくなって、からだを動かすことが、非常にむずかしい状態で、がんばって、からだを動かして生きているのである。みんなに、あわせて、ヘビメタ祖オウンが鳴ってないように、生活しているのである。こんなに負荷がかかった、生活をずっと毎日毎日続けて、いいわけがない。感情がこわれないわけがない。「楽しさを感じる回路」がこわれないわけがない。こいつら……やられてないやつらは、「無理難題」を言うのだけど、「無理難題」だとは思ってないのだ。どうしてかというと、実際に自分がやられてないからだ。実際に自分がそういう生活をつづけたわけではないからだ。けど、一丁前に、「俺だって苦労した」「俺だって騒音ぐらいあった」と言うのだ。ぜんぜんちがう。もし、ほんとうに、同等の騒音を経験したことがあるなら、こんなことは言ってない。そして、もし、ほんとうに、同等の騒音を経験したなら、その人も通勤して働ける体ではなくなっているはずだ。ようするに、普通意味で職歴がない状態で、生きているはずだ。そうではない状態で生きているなら、それは、同等の騒音ではなかったということだ。同等の騒音を経験したことがないということだ。同等の苦労ではなかったということだ。
「楽しさを感じる回路」がこわれてないやつが、「俺だって苦労した」と言う。その苦労は、楽しさを感じる回路をこわすほどの苦労じゃないということだ。通勤ができ、楽しさを感じる回路がこわれないやつが経験した苦労なんて、たいした苦労じゃない。同等の苦労を経験したら、「楽しさを感じる回路」がこわれているので、「ほんとうにつまらないやつは、つまらないつまらないといっているやつだ」というようなことを言えるはずがない。「楽しさを感じる回路」がこわれてない状態で、「俺だって苦労した」と言ったって、まったく意味がない。本人は、エイリよりすぐれていると思ってるかもしれないけど、ただ単に、経験したことがちがうだけだ。