自分ができないと思っている範囲では、「言ったことが現実化する」ということは、ない……と思っているのだ。AさんとBさんがいたとする。Aさんは、「言えば、言ったことが現実化する」と、普段、言っているけど、瞬間移動ができるとは思ってないない。だから、瞬間移動できると言えば、瞬間移動できるようになると思っていないのだ。しかし、「言えば、言ったことが現実化する」いう文は、瞬間移動するということまで、含んでいる。なんで、瞬間移動することを除外するのか? 瞬間移動だって、瞬間移動できると言ってしまえば、言ったことのなかに含まれるのである。しかも、法則性について語っているのである。Aさんにかぎらず、言霊主義者は、宇宙をつらぬく法則性について語っているのである。なんで、「自分」が「できない」と思うことは、除外するのだ? 「自分」が「できない」と思うことも、言えば、言ったことのなかに、含まれる。除外できない。
Bさんは、ボロボロにつかれはてて、元気だと言っても元気にならないとする。しかし、Aさんは、Bさんがボロボロにつかれはてているということを、認めないのである。Aさんにとっては、Bさんも、「元気だと言えば」元気になる人なのである。どうしてかというと、言霊が成り立っているからだ。Aさんは「言ったことが現実化する」と思っていて、なおかつ「言葉には言霊が宿っていて、言霊の神秘的な力によって、言ったことが現実化する」と思っているからだ。 言えば、現実化するのである。どれだけつかれていても、「元気だ元気だ」と言えば、元気になるのである。元気だ元気だと言ったのに、元気にならないことはないのである。楽しい楽しいと言えば、楽しくなるのである。楽しい楽しいと言ったのに、楽しくならないということはないのだ。ようするに、「できる」と思っていることについて、語っているのだ。無意識的に?できないことは、無視している。だから、「瞬間移動なんてできるわけがない」「瞬間移動のことなんて言ってない」と言い出すのだ。しかし、Bさんにとっては、つかれはてているとき、元気だ元気だと言うことで、元気になるということは、瞬間移動ができないのとおなじぐらいに、できないことなのだ。「できないこと」として想定されている範囲がちがうだけのことなのである。これは、Aさんが思っている「できること」の範囲と、Bさんが思っている「できること」の範囲がちがうということを意味している。Aさんは、勝手に、「元気だ元気だと言えば、言霊の力によって、元気になる」と思っているだけなのだ。しかし、そんなAさんも「瞬間移動できると言えば、言霊の力によって、瞬間移動できるようになる」とは思ってないのだ。だから、Aさんは、ほんとうは「言えば、言ったことが現実化する」とは思ってないのだ。しかし、Aさんが、じつは自分ができることの範囲を事前に決めていて、「言えば、言ったことが現実化する」とは思ってないということに、気がついてない。自分のことなのに、ぜんぜんわかってない。自分の考えなのに、前提となる範囲について、誤解をしているのである。ようするに、「言ったことが現実する」と言っているときは、それは、どんなことにも成り立つと思っているのである。けど、「瞬間移動」という具体的な例をあげられると、Aさんも、「瞬間移動なんてできるわけがない」と考えてしまうのである。Aさんも……じつは、「瞬間移動できると言っても、瞬間移動なんてできるわけがないだろ」と思っているのである。ようするに、意識はしないけど、無意識的には「言えば、言ったことかが現実化する」とは考えていないのだ。すべてのことに成り立つことだと、意識的には考えているけど、無意識的には、すべてのことに成り立つわけではないと考えているのだ。Aさんは、考えている。
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手短に言うと、「できること」の範囲がちがうのである。手短に言うと「できないこと」の範囲がちがうのである。頭のなかで考えている「できること」の範囲がちがうのである。そして、Aさんのような言霊主義者は、無意識的には「できない範囲」についてわりと、現実的に考えているのだけど、意識的には「できない範囲」について、現実的に考えていないのである。意識的には「言えば、現実化する」と思っているのである。もちろん、「おカネがわきだす」とか「自分の銀行口座に、一億円、振り込まれる」というようなことは、含まれていない。けど、文としては、含まれているのである。だから、Aさんにかぎらす、言霊主義者は、自分が頭なかで思っている「できる範囲」と「できない範囲」が、その都度ちがうということになる。そして、ちがうのだということに、まったく気がついていない。
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他人のことについては、自分のことではないので、できない理由がわからないのである。他人には、できない理由がある場合がある。けど、他人のことなら、無視できる人は、他人の理由を無視して、「できると言えばできる」ということを言ってしまう。ほんとうは、法則性がないのに、法則性があるようなことを言ってしまう。「これが真理だ」と言ってしまう。「これが、宇宙をつらぬく真理だ」と言ってしまう。けど、そんなことを言っている本人が、「言ったって、できないことはできない」と思っているのだ。 本人が、自分の矛盾に気がついていないから「これが真理だ」「これが、宇宙をつらぬく真理だ」と思っているだけだ。いいかげん、気がつけ。