認知症だけど、自分が認知症だと思っていない人について考えてみよう。
まず、認知症になったのは、認知症になると思ったから、認知症になったのか?
ちがう。
自分が認知症だという認識がないのだから、認知症になると思ってないことがわかる。もちろん、過去において、「認知症になる」と思って、現在、過去において認知症になると自分が思ったことを忘れてしまっている場合はある。
けど、認知症になると思ったから、認知症になったのではなくて、脳の機能が阻害されたから、認知症になったのだ。
認知症になるメカニズムは、ひとつではない。「症」と言っているように、ただたんに、そういう症状を呈しているということにすぎない。理由は、いくつかあり、別々の理由で、そのような症状を呈しているだけだ。
思霊にチカラがあって、そのチカラによって、認知症という症状が出ているわけではない。ほかにちゃんと理由がある。理由のプロセスがある。ここで言う、プロセスというのは、時間的な経過のことだ。
思霊思考ではなくて言霊思考なら、「認知症になる」と言ったから、認知症になったという説明になる。言霊はない。言霊の不思議な力によって、認知症ではない人が認知症になったわけではない。
あとは、「認知症だとこだわっているから、認知症になる」という言い方や「認知症にこだわっているから、仕事ができないままなのだ」という言い方について考えてみよう。
病識がない人は、「認知症にこだわってない」なのに、認知症になっている。こだわっているから認知症になるわけではない。病識がない人は、認知症にこだわっていない。
けど、認知症だ。
「認知症にこだわっているから、仕事ができないままなのだ」ということは成り立たない。
「認知症にこだわっているから仕事ができないのであり、認知症に対するこだわりをすてれば、仕事ができるようになる」という考えたはまちがっている。
こだわりをすてたって、認知症なら、仕事ができない。程度によるので、だましだまし、仕事を続ける場合があるかもしれない。けど、程度による。認知症だとできない複雑な仕事は、認知症だとできない。
別に、認知症だということに「こだわっている」から、複雑な仕事ができないわけではない。認知症だということにこだわっているからできないのであれば、認知症だということに対するこだわりをすてれば、認知症でも、複雑な仕事ができることになる。しかし、認知症だというこだわりをすてても、認知症であれば、複雑な仕事は、できない。
矛盾している。
その人がこまっている、その状態を、「こだわっている」と評して、こだわっているからダメなんだというやつがいるけど、こいつは、自分でインチキをしていることがわかってない。思考的なトリックがある。
たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんが「こだわっているからダメな人たちがいる」と考えているとする。Bさんが認知症だとする。Aさんは「Bさんが認知症だということにこだわっているから、ダメなんだ」と言うのだ。Aさんの主張にしたがえは、Bさんが、(自分が)認知症であるというこだわりをすてれば、だめじゃなくなるのである。たとえば、認知症であるというこだわりをすてれば、仕事ができるようになるのである。
ところが、Bさんが、認知症であるというこだわりをすてたって、認知症である以上は、仕事ができない。
だから、認知症だということにこだわっていることが問題なのではなくて、認知症だということが問題なのだ。認知症であるということが、問題を引き起こしている。Bさんが問題を引き起こしてこまるのは、Bさんと、Bさんの仕事にかかわった人たちやBさんの相手をしていた人たちなのだけど、Aさんは、こういう問題が「こだわり」によって引き起こされると勘違いしているのだ。だから、Bさんが「こだわり」をすてれば、問題が解決するはずなのである……。Aさんの主張にしたがえば、そういうことになる。
世の中には、自分が認知症であるという自覚をもってないけど、認知症である人がいる。その人は、最初から、当然「こだわり」なんてもってない。「自分が認知症である」と思ってないのだから「自分が認知症であるということにこだわり」をもてるはずがない。こういうケースがあるのだから、「こだわり」が問題を引き起こしているわけではないということがわかるはずだ。
けど、たとえば、認知症ではなくて、バカの場合はどうか? 本人が「俺はバカだ」と思てっいるとする。そして、「バカだからできない」と思っているとする。Aさんのような思考スタイルをもった人は、「バカだからできない」ということにこだわりわっているからダメなんだと言い出す。「自分はバカだ」という「こだわりをすてれば」バカだということに悩まずにすみ、バカだというこだわりからしょうじる(とAさんが見なしている)問題が発生しなくなるのだ。けど、実際には、「バカだからできない」といっている人が、バカであるというこだわりをすてても、状態がかわらない。「バカだからできない」といっている人は、なにかができないと思って悩んでいる。たとえば、じゃあ、仕事でいいや。自分はバカだから仕事ができないということで、悩んでいるとする。Aさんのような人は「バカだというこだわりをすてれば、仕事ができるようになる」ということを言うのだ。とりあえず、バカだ思っている人をCさんだとする。Aさんが、Cさんの状態を見て、Cさんが「自分がバカだということにこだわっているから、ダメなんだ」と思っただけなのである。Aさんは、評価する側。Cさんは、評価される側だ。Aさんが、「こだわりに問題がある」と思っただけなのだ。Cさんがこまっていることは、そういうことではない。Cさんは、現実世界において、自分の理解力がたりなくて、こまっていることで、こまっているのだ。この場合、Cさんが実際にそのように感じているということが重要なのだ。そして、その認識は、Aさんの認識よりは、あっていることが多い。Aさんが勝手に、Cさんのこまった状態の根源は、「Cさんが自分がバカだということにこだわっていることだ」と思っただけなのである。けど、これが、勘違いなのである。Cさんが「こだわり」をすてても、Cさんの状態というのは、かわらない。
たとえば、Dさんが慢性疲労症候群だとする。Dさんは、自分が慢性疲労症候群であるから、仕事ができないと思っている。けど、それを、Aさんが「Dさんは、慢性疲労症候群だということにこだわっているからダメなんだ」と評価するのである。Aさんのなかでは、「こだわり」がだめなのだから、「こだわり」をすてれば、Dさんの問題は解決するということになる。たとえば、Dさんが「慢性疲労症候群でこまっている。慢性疲労症候群だから、仕事ができない」ということを、何回か言っていたとする。その様子をAさんが見て、Dさんは、自分が慢性疲労症候群だということに「こだわっている」と評価しただけなのである。「自分が慢性疲労症候群だということにこだわっているからダメなんだ」とAさんが勝手に思っただけなのである。Aさんから見て、Dさんが「こだわりをすてた状態」というのが、どういう状態なのかはっきりしないけど、たぶん、Dさんが「慢性疲労症候群でこまっている。慢性疲労症候群だから、仕事ができない」ということを口にしない状態なのだろう。「慢性疲労症候群でこまっている。慢性疲労症候群だから、仕事ができない」と言わなくなっても、慢性疲労症候群で仕事ができないなら、慢性疲労症候群で仕事ができないという(デーさんの)状態はかわらない。だから、問題は解決しない。Aさんという勘違い野郎が、勝手に、「Dさんは、慢性疲労症候群にこだわっている」と評価して、勝手に「こだわりをすてれば、問題が解決する」と思っているだけなのだ。