2024年9月24日火曜日

別に、認知症だということに「こだわっている」から、できないわけではない

 認知症だけど、自分が認知症だと思っていない人について考えてみよう。

まず、認知症になったのは、認知症になると思ったから、認知症になったのか?

ちがう。

自分が認知症だという認識がないのだから、認知症になると思ってないことがわかる。もちろん、過去において、「認知症になる」と思って、現在、過去において認知症になると自分が思ったことを忘れてしまっている場合はある。

けど、認知症になると思ったから、認知症になったのではなくて、脳の機能が阻害されたから、認知症になったのだ。

認知症になるメカニズムは、ひとつではない。「症」と言っているように、ただたんに、そういう症状を呈しているということにすぎない。理由は、いくつかあり、別々の理由で、そのような症状を呈しているだけだ。

思霊にチカラがあって、そのチカラによって、認知症という症状が出ているわけではない。ほかにちゃんと理由がある。理由のプロセスがある。ここで言う、プロセスというのは、時間的な経過のことだ。

思霊思考ではなくて言霊思考なら、「認知症になる」と言ったから、認知症になったという説明になる。言霊はない。言霊の不思議な力によって、認知症ではない人が認知症になったわけではない。

あとは、「認知症だとこだわっているから、認知症になる」という言い方や「認知症にこだわっているから、仕事ができないままなのだ」という言い方について考えてみよう。

病識がない人は、「認知症にこだわってない」なのに、認知症になっている。こだわっているから認知症になるわけではない。病識がない人は、認知症にこだわっていない。

けど、認知症だ。

「認知症にこだわっているから、仕事ができないままなのだ」ということは成り立たない。

「認知症にこだわっているから仕事ができないのであり、認知症に対するこだわりをすてれば、仕事ができるようになる」という考えたはまちがっている。

こだわりをすてたって、認知症なら、仕事ができない。程度によるので、だましだまし、仕事を続ける場合があるかもしれない。けど、程度による。認知症だとできない複雑な仕事は、認知症だとできない。

別に、認知症だということに「こだわっている」から、複雑な仕事ができないわけではない。認知症だということにこだわっているからできないのであれば、認知症だということに対するこだわりをすてれば、認知症でも、複雑な仕事ができることになる。しかし、認知症だというこだわりをすてても、認知症であれば、複雑な仕事は、できない。

矛盾している。

その人がこまっている、その状態を、「こだわっている」と評して、こだわっているからダメなんだというやつがいるけど、こいつは、自分でインチキをしていることがわかってない。思考的なトリックがある。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんが「こだわっているからダメな人たちがいる」と考えているとする。Bさんが認知症だとする。Aさんは「Bさんが認知症だということにこだわっているから、ダメなんだ」と言うのだ。Aさんの主張にしたがえは、Bさんが、(自分が)認知症であるというこだわりをすてれば、だめじゃなくなるのである。たとえば、認知症であるというこだわりをすてれば、仕事ができるようになるのである。

ところが、Bさんが、認知症であるというこだわりをすてたって、認知症である以上は、仕事ができない。

だから、認知症だということにこだわっていることが問題なのではなくて、認知症だということが問題なのだ。認知症であるということが、問題を引き起こしている。Bさんが問題を引き起こしてこまるのは、Bさんと、Bさんの仕事にかかわった人たちやBさんの相手をしていた人たちなのだけど、Aさんは、こういう問題が「こだわり」によって引き起こされると勘違いしているのだ。だから、Bさんが「こだわり」をすてれば、問題が解決するはずなのである……。Aさんの主張にしたがえば、そういうことになる。

世の中には、自分が認知症であるという自覚をもってないけど、認知症である人がいる。その人は、最初から、当然「こだわり」なんてもってない。「自分が認知症である」と思ってないのだから「自分が認知症であるということにこだわり」をもてるはずがない。こういうケースがあるのだから、「こだわり」が問題を引き起こしているわけではないということがわかるはずだ。

けど、たとえば、認知症ではなくて、バカの場合はどうか? 本人が「俺はバカだ」と思てっいるとする。そして、「バカだからできない」と思っているとする。Aさんのような思考スタイルをもった人は、「バカだからできない」ということにこだわりわっているからダメなんだと言い出す。「自分はバカだ」という「こだわりをすてれば」バカだということに悩まずにすみ、バカだというこだわりからしょうじる(とAさんが見なしている)問題が発生しなくなるのだ。けど、実際には、「バカだからできない」といっている人が、バカであるというこだわりをすてても、状態がかわらない。「バカだからできない」といっている人は、なにかができないと思って悩んでいる。たとえば、じゃあ、仕事でいいや。自分はバカだから仕事ができないということで、悩んでいるとする。Aさんのような人は「バカだというこだわりをすてれば、仕事ができるようになる」ということを言うのだ。とりあえず、バカだ思っている人をCさんだとする。Aさんが、Cさんの状態を見て、Cさんが「自分がバカだということにこだわっているから、ダメなんだ」と思っただけなのである。Aさんは、評価する側。Cさんは、評価される側だ。Aさんが、「こだわりに問題がある」と思っただけなのだ。Cさんがこまっていることは、そういうことではない。Cさんは、現実世界において、自分の理解力がたりなくて、こまっていることで、こまっているのだ。この場合、Cさんが実際にそのように感じているということが重要なのだ。そして、その認識は、Aさんの認識よりは、あっていることが多い。Aさんが勝手に、Cさんのこまった状態の根源は、「Cさんが自分がバカだということにこだわっていることだ」と思っただけなのである。けど、これが、勘違いなのである。Cさんが「こだわり」をすてても、Cさんの状態というのは、かわらない。

たとえば、Dさんが慢性疲労症候群だとする。Dさんは、自分が慢性疲労症候群であるから、仕事ができないと思っている。けど、それを、Aさんが「Dさんは、慢性疲労症候群だということにこだわっているからダメなんだ」と評価するのである。Aさんのなかでは、「こだわり」がだめなのだから、「こだわり」をすてれば、Dさんの問題は解決するということになる。たとえば、Dさんが「慢性疲労症候群でこまっている。慢性疲労症候群だから、仕事ができない」ということを、何回か言っていたとする。その様子をAさんが見て、Dさんは、自分が慢性疲労症候群だということに「こだわっている」と評価しただけなのである。「自分が慢性疲労症候群だということにこだわっているからダメなんだ」とAさんが勝手に思っただけなのである。Aさんから見て、Dさんが「こだわりをすてた状態」というのが、どういう状態なのかはっきりしないけど、たぶん、Dさんが「慢性疲労症候群でこまっている。慢性疲労症候群だから、仕事ができない」ということを口にしない状態なのだろう。「慢性疲労症候群でこまっている。慢性疲労症候群だから、仕事ができない」と言わなくなっても、慢性疲労症候群で仕事ができないなら、慢性疲労症候群で仕事ができないという(デーさんの)状態はかわらない。だから、問題は解決しない。Aさんという勘違い野郎が、勝手に、「Dさんは、慢性疲労症候群にこだわっている」と評価して、勝手に「こだわりをすてれば、問題が解決する」と思っているだけなのだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。