ヘビメタ騒音で、常に追いつめられている状態だ。楽しいわけがない。きちがい兄貴が、きちがい兄貴ではなく、最初の日、一〇分間で、やめてくれたなら、なにも問題じゃなかった。きちがいが、きちがい感覚でやりまくるから、俺が、「言い訳している」とか「できると言えばできる」とかと言われることになる。そういうことを言うやつらには、きちがい兄貴がいない。もう、でかいちがいだ。それなのに、こいつらは「俺だって、つらいことがあった」「俺だって、朝がつらい」「俺だって、騒音ぐらいあった」と言う。ぜんぜんちがうと言っている多わる。けど、こいつらは、認めない。ある種、きちがい兄貴やきちがい親父とおなじような壁を感じるね。
ほんとうに、宿題も勉強もできなくなるのに、「できないと言うから、できないんだ」と言われるようになる。「できないと言うから」ではなくて、きちがいヘビメタが鳴っているから」なんだよ。 ほんとうに、こいつらも、頭がわるいなぁ!!
勉強は、ほんとうに、できなくなる。勉強する時間がない。ヘビメタ騒音が鳴っているときだけではなくて、ヘビメタ騒音が鳴っているときも、勉強することができなくなる。ほんとうに、異常な音で鳴っている。非常識な音で鳴っている。あの音のなかで、勉強することはむりなんだよ。頭が、ヘビメタで破壊されている状態で、なにも考えられない。そして、七時間なり、一三時間、やられたあとは、鳴っていないにもかかわらず、勉強がまったくできない状態になる。風邪をひいて、くるしい状態鳴ったときよりも、くるしい。風邪をひいてだるい状態になったときよりも、だるい。しんどい。めちゃくちゃにしんどい。そんな日が、毎日何年間も続いていいわけがないだろ。毎日勉強することができない状態で、学生時代の日々がずっと、ずっと続いていいわけがないだろ。きちがい兄貴は、きちがい親父とおなじだから、自分がずっと鳴らしたいなら、ずっと鳴らせなくなるようなことは、発狂して、頑固に認めない。しかも、「やっている」のに、「やってないつもり」なんだよ。言われたときだけ、発狂して、認めないという態度になって、そのあとは、ずっと「言われなかった」状態で、まったく気にしないで、鳴らし続ける。きちがいだからできることなんだぞ。普通の人だったら、どれだけそうしようと思ってもできない。普通の人が、やった場合、自分が、芝居でやったということを、知っている。けど、きちがいだから、ほんとうにやってないつもりなのである。「おまえ、やってるだろ」と言ったって、「やめろ」と言われたときと同じように、真っ赤な顔で、発狂しておしまいだ。本人が発狂したら、本人のなかでは、終わっているのである。もちろん、相手の言うとおりに、ちゃんと鳴らさないで、一分間しずかにしてやるなんてことはない。ちゃんと鳴らさないで、一〇分間しずかにしてやるということなんてない。一〇分間ですら、やめた時間をつくらずに、鳴らし続ける。けど、きちがいだから、「やめろ」と言われたあと、鳴らし続けたという気持がない。
* * *
「どれだけうるさくたって勉強ぐらいできる」「勉強したくないから、騒音がうるさいと言っているだけなんだ」と言われる。そんなこと、きちがい兄貴が、きちがい兄貴の態度で鳴らし続けなかったら、言われなくてもすむことなんだぞ。
常に追い込まれているということが、きちがい家族がおらず、きちがい家族に、きちがい騒音を鳴らされ続けたことがない人はわからない。想像で「どれだけうるさくたって勉強ぐらいできる」と言う。ほんとうに腹がたつ。
* * *
なんかほんとうに、しんどくて?不動産屋に行くというようなことを思い浮かべただけで、もう、だめなんだよ。無理をして、無理やり、からだを動かしていたことを思い出す。やらなければならないことは、やらなければならない状態なのだけど、きちがいヘビメタ騒音で、ダメなんだよ。もちろん、きちがい親父のネズミ騒動はでかい。けど、それも、きちがいヘビメタ騒音の上に成り立っているんだよね。
きちがいヘビメタ騒音で、ネズミが出る状態より、ずっとはりつめた状態で暮らしているんだよ。毎日そんな状態でいいわけがない。ヘビメタをあびると、普通なら、普通に眠れる時間に、まったく眠れなくなる。あんなものを何時間もあびて、睡眠回路がくるわないわけがないだろ。何時間も何時間も、あのきちがいの音を至近距離で浴びたので、気がたって、眠れない状態になっているんだよ。「眠れると言えば眠れる」……。そんなことはない。言っておくけど、めちゃくちゃに眠たい状態だ。けど、眠たい状態でからだが動かないのだけど、それでも、眠れないのである。ヘビメタ騒音というのはそういう騒音なんだよ。あんなの、どかすか、ずっと、聞かされ続けて、毎日眠っていた時間になったら、眠れるかというと、眠れない。けど、これが、ようするに、ぼくの側の、問題だと思われてしまうのだ。きちがい兄貴がいない人たちにとっては、そういう経験がないわけだから、普通の騒音を思い浮かべて、鳴り終わったら眠れるはずだと思ってしまう。
* * *
行きたくないとか、動きたくないとかというのは、ヘビメタ騒音の影響なんだよね。だから、俺とおなじ期間の長さ、きちがいヘビメタ騒音が続いた人じゃないとわからない。毎日、寝不足で、起きて、動いていた。どれだけ、つらい状態か、みんな、わかってない。俺だって騒音ぐらいあった」という人だってわかってない。「俺だって朝はつらい」という人だってわかってない。その人たちは、ヘビメタ騒音相当の騒音を経験してない。俺にとってのヘビメタ騒音。その人たちは、その人たちにとって、この世で一番きらいな騒音が鳴っていると考えてくれる。そりゃ、ヘビメタが好きな人と、俺とでは、ヘビメタ騒音に対する感じ方がちがうだろ。ぜーんぜん、ちがう。きちがい家族に、長期間、毎日、やられてない人が、「俺だって」「わたしだって」と言うな。
きちがい兄貴のきちがい的な騒音がはじまるまえとは、「朝のつらさ」がちがうんだよ。「眠れない状態」がちがうんだよ。ぜんぜん、ちがうんだよ。ずっと毎日つみかさなったときの、朝のつらさと、眠れな状態は、きちがい兄貴がヘビメタ騒音をやるまえの、朝つのらさや眠れない状態とはちがうんだよ。きちがい兄貴がヘビメタ騒音やるまえというのは、きちがい兄貴が、ヘビメタ騒音鳴らしてなかった期間のことだ。その期間中だって、騒音はあったわけ。つらい朝はあったわけ。つかれたと思う状態はあったわけ。けど、それらと、ヘビメタ騒音以降のそれらは、ちがう。ちがうんだよ。けど、きちがいヘビメタ騒音相当の騒音経験がない人は、それがわからない。
* * *
きちがいヘビメタが鳴っていると、ぼくの人間関係がばらばらになっていく。友人関係が、全部、トラブルとともに、消える。どうしてもどうしても、いやな出来事が発生する。これだって、「誰だっていやなことはある」と言える。きちがい親父にやられていたぼくですら、きちがいヘビメタ騒音前の『いやな出来事』はある。きちがい親父にやられていた分、ほかの人よりも『いやな出来事』の回数が多いのである。けど、そういうこととは、くらべものにならないほど、ヘビメタ騒音というのは影響をあたえる。ほんとうに、毎日、数時間か、十数時間続くわけで、くるしい。
どれだけ、ヘビメタ騒音のなかで、がんばって、暮らしても、どうしてもどうしても、影響をうけるのである。日中の友達とのやり取りにも影響が出る。友だちと高校入試のまえに願書をもらいに行ったときの気分や身体状態も影響をうける。どれだけ、気にしないようにしてがんばっても、どれだけ、ほかの人にさとられないように頑張ってみても、やっぱり、影響があるんだよね。けど、実際に、きちがい家族による、長期間のきちがい騒音を毎日経験した人じゃないと、どれだけがんばっても、影響が出る……人間関係に影響が出るということが、わからない。あるいは、ほかの人との出来事に影響がでるということがわからない。
「できると言えばできるとか「どれだ騒音が鳴ってたって勉強はできる」とか「眠れると言えば眠れる」とか「みんな、騒音ぐらいある」とか「みんな、つらい思いをして生きている」とかと言ってしまう人が、理解できることではないのだ。この人たちの理解というのは、この人たちの経験の範囲での、理解だ。けど、きちがい家族によるきちがい行為は、その人たちの経験の範囲外のことなのである。だから、範囲外の影響が出るのだけど、範囲外の影響は、この人たちにはまったくわからないから、自分の範囲内の影響と(おなじような影響だと)勘違いしてしまう。
* * *
ヘビメタ騒音の感覚が、ぬけない。これ、ヘビメタ騒音の朝だ。これ、ヘビメタ騒音の朝とおなじ朝だ。