2014年11月5日水曜日

「わかってない」のはどっちか?

なんかさ、俺が、あることをわかってないから、ダメなんだというような考え方があるんだよ。あることというのは、たとえば、このまま、ひきこもっていてもしかたがないということだったり、あるいは、ヘビメタ騒音のことをどれだけせめてもしたがないということだったりする。で、「わかってないから」ダメなんだ。こだわっているからダメなんだというようなもの考え方がある。で、俺の立場からすると、どれだけいっても無駄だろうけど、そんなの一日目から知っている。で、僕は、知っていて、なおかつ、それを乗り越えて暮らしてきたんだって言いたい。乗り越えて暮らしてきた、あとの状態が、これなんだよ。

憂鬱に対する対処とか、人生の失敗に対する対処と言うとが問題になると、こだわっているひとは「わかってないひとだ」と言われる。しかし、本当にそれはそうなのかというと、そうではない。受け止め方の問題だというのもあるかもしれないけど、それもちょっと違う気がする。たとえば、同じヘビメタの音でも、きちがい兄貴にとっては、快感をもたらすもので、俺にとっては、不愉快なものだ。100デシベルでヘビメタが鳴っていたとして、その音のでかさに対する、感じ方が違う。だから、それと同じように、感じ方の問題であって、きちがい兄貴のヘビメタ騒音のことを「そんなに気にすることはない」というような方便というか、説明のしかたがある。けど、それも違うと思う。きちがい兄貴は、平気だったけど、普通の人は平気じゃない。俺の部屋に、一〇〇人きたら、一〇〇人が、「うるさい音で鳴っている」と感じると思う。あの音で鳴っていて、「これはいいね」と思う人間は、よっぽど、ヘビメタが好きな人間で、自分でも鳴らしている人間だと思う。

物理的な刺激に対して、普通の人の、普通の反応があるから、それを、好き嫌いで、「すべて」相対化することはできないと思う。あとは、条件によって違うと思う。たとえば、ヘビメタ騒音と同じ音量で鳴らすけど、それが実験であって、実際の生活を脅かさないということがはっきりしていれば、違う感情が生じる。たとえば、一〇〇デシベルのヘビメタの音のなかで、実験的に一〇分間、だけ、計算問題を解いてもらうということをした場合、それは、実験であって、自分の生活を脅かすものではないので、頑張って、一〇分間、なるべく計算に集中して、問題を解くと思う。その時の「感情」は、いつ鳴り止むとも知れない、きちがいヘビメタ騒音がずっと鳴っているときに感じる感情とは違うと思う。さらに、たとえば、注意したのに、鳴らしている人間が鳴らしている一〇〇デシベルと、一回、注意したら、その時は、やめてくれた人が鳴らしている一〇〇デシベルでは、感じ方が違うと思う。俺の場合、きちがい兄貴に対する「怒り」が生じていた。そりゃ、何回言ってもやめてくれないからな。端的に言えば、恨みがたまっているにくい奴が鳴らしている音と、特に恨みがない人が鳴らしている音では、音のでかさが同じであったとしても、感じ方が違う。

自分の生活をおかされない状態で、実験室で一〇分間、騒音にさらされる……そういうことであれば、「うるさいな」とは思うけど、その音で「生活自体がめちゃくちゃに鳴っている」わけではないので、それほど気にせず、あるいは、逆に頑張って、計算問題を解けると思う。けど、それは、実際に自分の生活がその騒音によって、おかされている場合とは、ぜんぜん違う感情が支配している空間だ。状態が違えば感じたが違う。それじゃ、たとえば、実際に、きちがいヘビメタが自分の生活を妨害しているのに、これは、実験室の計算と同じなんだと思うことができるかというと、それはできないと思う。どうしてかというと、実際に、生活がおかされているからだ。

ヘビメタ騒音で、次の日の朝起きるのがつらいのである。ヘビメタ騒音で、勉強することができないのである。実験室の場合は、一〇分で終わるということが、約束されている。だから、いい。けど、きちがいヘビメタは一〇分では終わらない。だからだめだ。かりに、きちがい兄貴が、午後四時から、午後四時一〇分までは、絶対に鳴らすけど、それ以外は、絶対に鳴らさないということであれば、その時間、外に出て、ヘビメタ騒音を避けるということで対処可能だったはずだから、ヘビメタ騒音は、僕の生活を脅かすものではなかったと思う。

最初の話なんだけど……最初の話は、あんまり、二番目の話と関係がないのだけど……最初の話は、よくあることだと思う。実際に経験してない人が正論を吐く。頭にくる。実際に、一一歳から二五歳まで、週に四五時間以上、容赦なく鳴っている、きちがい騒音を経験してから、俺にものを言えと言いたくなる。「わかっている」とか「わかってないな」という問題ではないのである。それこそ、きちがいヘビメタが連続している時間について、そういう毎日が続く時間の長さについて、わかってないんじゃないのと言いたくなる。




わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。