ヘビメタ騒音の切羽詰まった状態というのが、並じゃないんだよな。破裂しそうな気持をもって、歩いていた。学校に向かっていた。学校に向かって歩いているとき、もちろん、ヘビメタ騒音が鳴っているわけではない。きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、前の日の夜になり終わった。あるいは、その日の朝、家を出る時まで鳴っていたけど、家から離れたので、聞こえない状態だ。けど、じゃあ、鳴り終わったから関係がないかというと、そうではないのである。これ……「鳴り終わったら関係、ない」と言ったやつを、ぶっ殺してやりたい気分になる。そんなもんじゃないのである。そんなもんじゃないということがわかってないということは、ぼくとおなじようなレベルの騒音を経験したことがないということなのである。きちがい家族が鳴らす、きちがい的なレベルの騒音を経験したことがないということなのである。けど、こういうやつだって……口を開けば「俺だって騒音ぐらいあった」と言う。「俺だって苦労した」と言う。「俺だって憂鬱なときはある」と言う。けど、ちがうんだよね。おなじことを経験した人が、そんなことを言うはずがない。「鳴り終わったら関係がない」と言ったあとに「俺だって騒音ぐらいあった」「俺だって苦労した」「俺だって憂鬱なときはある」と言うのだ。そんなことは、ありえない。レベルがちがうんだよ。経験したことがちがうんだよ。おなしレベルをことを経験した人が「鳴り終わったら関係、ない」なんて、絶対に言わない。きちがい家族の、ものすごい騒音を毎日聞かされたことがない人だけ「鳴り終わったら関係、ない」と言う。もう、それでバレバレなんだよ。ぜんぜんちがうことを経験したんだよ。絶対に、「鳴り終わったら関係、ない」なんて、言わない。
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しかし、絶対に、「鳴り終わったら関係、ない」と言ったやつが、認識を改めたとしても、ぼくの側の崩壊は、とまらない。どれだけ切羽詰まった気持ちで、歩いていたか。学校の椅子に座っていたか。切羽詰まった気きもちと書いたけど、ほんとうに、並じゃないのである。それは、きちがい兄貴のヘビメタ騒音でつくられたもなのである。ほかのことで、そうなっているわけじゃないのである。
ともかく、やられちゃったので、不可避的にこういう状態になった。切羽詰まった気持ち、怒り、憂鬱、不安……。ほんとうに、並じゃないのである。ギリギリ限界なのである。そりゃ、普通の気持ちは死んで、異常な気持が生まれるだろう。憂鬱の憂鬱が、並じゃない。会社に行くときは憂鬱で憂鬱でしかたがないけど、旅行に行くときは楽しくて楽しくてしかたがない……そんなやつが言う、憂鬱とはちがうのだ。ところが、そういうやつだって「憂鬱で死にたい気持ちになった」と言うのだ。「自分だって、憂鬱な気持で電車に乗っていた」と言うのだ。そりゃ、そうなんだろうけど、ちがうよ。