2018年12月31日月曜日

俺はこのまま終わるのか?


俺はこのまま終わるのか?
こんなところで、終わるのか?
これ、しあわせじゃない。

   *   *   *

ほんとう、気違い兄貴、おまえが横でヘビメタを鳴らすから、俺がどれだけさみしい思をして生きていると思っているんだ?? ヘビメタ騒音でズタボロで社会に適応できなくなってしまっただろ。気違い兄貴が、意地になって、夢中になってヘビメタを鳴らすから、俺がどれだけ他のやつからから軽蔑されてきたと思っているだ? ゆるせない。こんなのはゆるせない。兄貴がヘビメタ鳴らしていたからだ。他のことじゃない。兄貴が鳴らしていたヘビメタが原因で、俺はこまっていた。いまもこまっている。どれだけ言っても、親父のような態度で、やめてくれなかった。それがすべてだ。それで、『静かにしてやった』『ゆずってやった』と思っているんだからな。それも、親父とまったくおなじだよ。親父、そっくり。親父の態度で親父の意地で、気違いヘビメタを、他所じゃ絶対にあり得ないようなデカイ音で、毎日毎日、ずっと、午後一一時一一分まで鳴らしていた。だから、ヘビメタ騒音が原因で、鳴り終わったあと、眠れなくてこまった。これ、鳴り終わったあとに眠れなくなるって……他の人は、無視しがちなことだ。軽視しがちなことだ。けど、重要なことだからな。しかも、鳴り終わっているなら、ヘビメタ騒音のせいではない……と考えるやつがいたとしてもおかしくはない。そいつからすれば、「ヘビメタ騒音のせいにしている」のだろう。けど、そいつだって、起きているあいだずっと至近距離でヘビメタを鳴らされ続ければわかると思うけど、気が立って眠れない。何時間も何時間も、ああいう音を、どでかい音で鳴らされ続けると、人間は眠れなくなる。眠るべき時間に眠れなくなる。そりゃ、鳴らしたくて鳴らしているやつはすっきりして、ぐっすり眠れるのだろうけど、鳴らされたくないやつは、絶対に眠れなくなる。これも、『受けとめ方のちがいだ』と言えば、言えなくもない。けど、だからと言って、非常識なデカイ音でヘビメタを何時間も何時間も、鳴らし続けていいという理由にはならないのである。どっちが悪いことをしているのかまるでわかってないやつらがいる。そういうやつらだって、ほんとうは、あの音で五分間鳴らされたら「うるさいうるさい」と言ってカンカンに怒るね。七時間とか一〇時間とかならされたら、夜眠るはずの時間になっても眠れないということを経験するだろう。しかも、それは、意識では制御できないのである。これも、やられてみればわかるよ。経験してみればわかる。なんでも、意識で制御できるようなことをいいやがって……。そういう前提でものを言いやがって……。実際に経験してないからわからないだけの話だろ。そういう発言をするのは、人間として善いことなのか悪いことなのか? 悪いことだ。

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2018年12月28日金曜日

言霊の真実 形態素と音素と偶然

ちょっとだけ言霊について書いておく。言霊というのは、暗示と形態素と音素にわかれる。



たいていの場合は、ただ単に暗示について言っているだけだ。『騒音サイコパス』に出てくる「親父」や「兄貴」のように、都合が悪いことは反対の言葉で否定して、自分がやりたいことをやってしまうという場合、「そんなんじゃない」とか「やってない」とか「やってやった」というのは、自己暗示として働くのである。



また、「顔色が悪いですよ」「病気なんじゃないですか」というような他者からの暗示は、そのまま、暗示として働く。暗示に弱い人は、たしかに気分が悪くなる。しかし、これは、気分が悪くなっただけで、なんらかの病気になったということを意味してない。



一方、書き言葉が模様として力を発するという考え方がある。これは、暗示ではなくて、文字がもつ形態がそのまま力を発しているという考え方だ。しかし、文字自体が持っているはずの力は、文字を読める人にしか伝わらないという場合が多い。もし、文字が読める人にだけに効力を発揮するのであれば、それは、暗示の一種だと言うことができる。



文字が読めない人にはなんとなくとがった感じがするとか、なんとなくまるい感じがするとかそういう感じしか与えない。模様としてきれいとか、模様としてきたないという印象は与えられるだろうけど、それは、●を見て「なんかまるい感じがする」とか▲を見て「なんかとがっている感じがする」といったものとおなじだ。



音自体が力(ちから)を持っているということも考えられる。それは、たいていの人間にとって心地いい音と心地悪い音が存在するというようなことを言っているだけだ。これは、認める。不快な音と好ましい音がある。



しかし、言霊における音素というのは、言葉そのものがもつ音自体ではなくて、全体としての意味が関係している場合が多い。つまり、その音を聞いて、意味がわかる人にしか効力を発揮しない場合が多い。



その場合は、書き言葉とおなじように、暗示が関係している。「言ったら、その通りになった」というのは、他者に対する暗示、自分に対する暗示、偶然のいずれかだ。



だいたい、言葉に対応した音自体ということを問題にするならば、固有の音というのは、ないと考えるのが適切だ。これは、どういう意味かというと、おなじ文字列を読むにしろ、人が違えば、音自体を構成する要素が違ってしまうということを意味している。



おなじ文字列を読み上げた場合、おなじ文字列として聞こえるのは、実は、ゲシュタルト(質)が関係している。ようするに、全体性のなかで、違う音素(音自体)をおなじ音素(音自体)だと感じているにすぎない。



「ありがとう」と言っても、人の声が違えば、その「ありがとう」は、違った音素(音自体)で成り立っているのである。たとえば、身長一九〇センチ、体重一二〇キロの男性が言う「ありがとう」と身長一四〇センチ、体重四〇キロの女性が言う「ありがとう」は、おなじように「ありがとう」と聞こえるのだけど、「ありがとう」という音自体は、違うのである。



人間の頭がゲシュタルト(質)に対応しているので、あたかもおなじ音として感じることができるものなのである。つまり、言葉に対応した音というのは、言う人によって違う。



よく「波動」というとをいうけど、波動自体が違うのである。おなじように「ありがとう」と発音しても、人が違えば、「ありがとう」という音自体は違った波動をもつものなのである。この場合、波形といってもいい。



なので、音自体に力(ちから)があると言っても、そういうふうに言っている人が考える音は実際には、発音する人によって違うという現実を受け入れなければならない。なので、音自体に予言としての意味はない。



ただ単に「いやな音」とか「好ましい音」といったような意味で、人間に影響を与えるだろうけど、それ以上の意味はない。言葉としての意味は、音自体にはないのである。なんでなら、読み上げる人が違えば、音自体が違ってしまうから。



もうひとつの「偶然」というのは、偶然に当たるということだ。たとえば、「明日は晴れる」と言ったとしよう。そして、次の日晴れたとしよう。この場合は、偶然に当たったということになる。偶然にあたっただけなのだけど、あたかも、その人が言ったことが現実化したととらえることができる。



この場合、言葉には本当は、意味がないのだけど、言葉の意味と事象の時系列的な関係が人の考えに影響を与えてしまうのである。



ようするに、当たった以上、「言葉に力がない」と言うことはできない。これは、本当に力を持っているということではなくて、その時点で否定することばできないということだ。つまり、その時点ではいちおう仮説として成り立つのである。



ようするに、当たった場合だけが成り立っているのであれば、「言葉には力がある」「晴れると言ったから晴れた」と考えたとしても、間違っているとは言えない。



しかし、それは、実際に言葉が天気に影響を与えているということを意味しているのではない。あくまでも「推論」として間違ってはいないということだ。これは、あくまでも、その時点では、ひとつの仮説として否定できないということを言っているにすぎない。



「言ったことが当たった場合」は「当たった」というとだけに注目して、あたかも言葉に力(ちから)があるという仮説を信じてしまう人がいるけど、それは、仮説でしかない。なので、「言ったことが当たらなかった場合」についても、おなじように考えなければならないのである。また、違う仮説が真である偽であるかについても考えなければならない。



しかし、「言葉には力がある」ということを信じたい人は、偶然の結果を必然の結果だと勘違いしてしまう。これは、ただ単に、勘違いだ。間違いだ。



「言葉には力がある」と信じたい人は、常に、現実の事象を見るときに「言葉には力がある」というバイアスがかかっているのである。



なので、一回でも当たれば、「言葉には力がある」と信じてしまう。本当は、すべの事象に成り立つ法則ではないのだけど、あたかも、すべての事象に成り立つ法則のように感じてしまう。ただ、それだけだ。これは、推論の方法が間違っているだけなのである。



以上、自己暗示、他者からの暗示(ただたんに暗示)、偶然ということについて考えてきた。言霊の正体は、自己暗示、他者からの暗示(ただたんに暗示)、偶然だけだ。

2018年12月27日木曜日

ビメタ騒音なしの一一歳、一二歳、一三歳、一四歳、一五歳、一六歳、一七歳、一八歳、一九歳、二〇歳、二一歳、二二歳、二三歳、二四歳、二五歳の時間

もう、つかれた。
起きて買い物に行って、帰ってきただけだけど、
もう一度、寝るよ~~

来年は、金を使うつもりだ。
やりたいことはやっておくかなぁ。

しかし、本当につかれた。そして、わかい時間がなかったので、ぼくはくるしい。気分的にくるしい。
本当にヘビメタ騒音なしの人生が欲しかった。ヘビメタ騒音なしの一一歳、一二歳、一三歳、一四歳、一五歳、一六歳、一七歳、一八歳、一九歳、二〇歳、二一歳、二二歳、二三歳、二四歳、二五歳の経験が欲しかった。ヘビメタ騒音なしの一一歳、一二歳、一三歳、一四歳、一五歳、一六歳、一七歳、一八歳、一九歳、二〇歳、二一歳、二二歳、二三歳、二四歳、二五歳の時間がほしかった。全部ない。全部、ヘビメタ騒音に汚染されている。どうしても、気分が晴れない。どうしても憂鬱。どうしても、不愉快。どうしても腹立たしい。

どれだけ休んでも回復しない 認知と現象


いやー、ほんとうにつらいことになった……。
まあ、なんとか復活。昨日の夜は、なんかやばかった。
あんまり体調がいいとは言えないな。

体調だけではなくて、ネットの調子もよくなくて、こまっているよ。
ネットが頻繁にだめになる。

ここ五日間ぐらい、外に出れない状態になっていた。外出ができない。けど、なんとなく、復活したので、これからなにか食べてこようかなと思っている。が、しかし、体調が完全に戻ったわけではなくて、かなりだるい。

ぼくの日々は、ヘビメタ騒音に汚された日々なんですよ。
いまも。汚染除去がすすんでない。汚染除去、できない。
五〇〇〇日つもったまま、生きている。

汚染が少なければ、体力復活の魔法によって……つまり、普通の快復力で、回復するのだろうけど、一四年五ヶ月と、あまりにも長い間汚染され続けたので、もう、回復できない。気違いヘビメタに、五〇〇〇日やられたときの体力のまま生きている。

五〇〇〇日やられたときの回復力のまま生きている。普通の人間……五〇〇〇日やられてない人間になにがわかるか? 五〇〇〇日以上やられていない人間が、「休めば回復する」と思っていたとしても、そうではない人間がいるんだよ。

五〇〇〇日以上やられていない人間は、自分の常識で、休めば回復すると思っているので、「どれだけ休んでも回復しない」ということを聞くと、「こだわっているからだめなんだ」と思うわけだよ。

これは、こだわるとこだわらずに関係なく続く不調だ。たとえば、パンチドランカーになった人は、パンチドランカーになってしまったことにこだわり続けているからパンチドランカーになったわけではない。こだわっているから、本来は(人間にそなえつけの回復力で回復するはずなのに)回復しないというわけではない。

もっとはっきり言えば、水俣病の人は、水銀にこだわっているから、回復しないのではない。水俣病の人が、本人の中に蓄積された水銀にこだわろうが、こだわるまいが、本人の中に蓄積された水銀は、その効果を現す。

常に、ヘビメタ騒音に汚された空間でいいわけがないだろ。これ、一二月二七日の午後二時二一分……ヘビメタが鳴っていた。ものすごい音でヘビメタが鳴っていた。一〇年以上、一二月二七日の午後二時二一分はヘビメタが鳴っていた。気違いヘビメタを聞いたことがない人が、経験したことがない音でヘビメタがガンガン鳴ってた。

鳴ってたら、俺がどれだけ兄貴の部屋に怒鳴り込もうが、鳴っている状態が続く。気違い兄貴を殺してしまわないと、気違い兄貴が気違いなので、気違い的な意地で「こだわって」「こだわりの音で」鳴らし続けるからだ。

これ、やめさせるとしたら、殺さなきゃならない。そういう意地なんだよ。兄貴も親父も「そういう意地」でこだわりつくした迷惑行為をやる。

けど、本人にとっては、……どれだけ相手が説明しても……迷惑行為じゃないんだよ。自分が被害者だと思っている。「やめろ」と言われたら、(自分が)なにもしてないのに、相手が攻撃をしてきた! と思うのだ。ようするに、相手をクレーマーだと思うわけだ。

やめるはずがない。「なんだ!そんなの!!」と怒り狂って、やめない。

本人してみれば、相手の都合はすべて「なんだ!そんなの!!」と思えることなんだよ。ともかく、自分がやりたいように、やりたいわけで、やりたいことを、さまたげるような情報は、すべて、理解する前に却下だ。

まあ、怒った時点で……いちおうは理解しているのだけど、普通の理解じゃないのである。

予感? 感じ? としての理解だ。……認めてしまったら、自分が思い通りにできない「予感」があるのである。だから、正反対のことを言ったり、「なんだそんなの」と言って認めない。却下と言ったけど、正反対のことを言ったり、「なんだ!そんなの」と言うことで、相手が言ったことを、無効化するのである。

一旦、無効化したら、「言われたって言われてない」状態になる。「知らなかった」ということになる。「知らなかった」というようなことを言い出すのは、完全にさってからだ。相手が、言っていることを認めとしても、自分がいま「ゆずらなくてもいい状態」になったあと、「知らなかった」と言うようになる。

そりゃ、何十万回言われたって、「やりたいうちは」知らないんだよ。言われたことにならない。こういう気違いなんだけど、普通の人は、こういう気違いがいるとは思ってない。

だから、「家族で話し合えばいい」というようなことを言うけど、そういう気違い構造が成り立っているから、話しあいはできない。これも、俺が「怒って言った」「やめてくれと怒鳴った」と言えば、「怒って言うからだめなんだ」「ちゃんと静かにいわなきゃだめだ」あるいは「やめてくれと怒鳴ったからだめなんだ」「ちゃんと静かにいわなきゃだめだ」と言うわけだよ。そいつは! 事情を知らないそいつは、そういうことを言う。

俺が「静かに言った」と言えば、「そういうことは、怒鳴って言わないとつたわらないだろ」「そういうことは、強く何回も言わないとだめだろ」というようなことを言う。そいつは! 気違い兄貴や気違い親父の認知構造を知らないそいつは、そういうことを言う。

ようは、言うやつの言い方が悪かったから、言われたやつがわからなかったのだと思っているのだ。それは、言われたやつには落ち度がなく、言ったやつが(へたくそだから)悪いのだと言っているのである。

ようは、言ったやつの落ち度をせめている。そのわりには、そういう人間は、「人をせめてはいけない」とか「人のせいにしてはいけない」というようなことを言う。

ヘビメタ騒音問題について、俺の言い方のせいにしているではないか。

「お兄さんに伝わらなかったのは、おまえ(エイリ)の言い方が悪かったからだと、俺のことをせめている」ではないか。

こういうやつが常識的な人なのだ。

親父や兄貴みたいな気違いだと……認知がズレた人だと……やられた方が、ヨソの人から悪く言われるのである。ヨソの人は、親父や兄貴の「認知のズレ」が理解できない。常識の範囲外なのである。

「そういう反応をする人はいない」ということになっているのである。その常識的な人のなかでは!! だから、言い方が悪かったから、つたわらなかったのだ……というような補足的な説明をしだす。これは、現象を補足的な説明で理解しようとするこころみだ。

こうだったから、そういうことが起こったのではないかと、言うわけだ。けど、その補足的な説明が現実に合致してないのである。

もっと正確に言うと、現実の現象に合致してない。現実の現象をうまく説明していない。これは、親父や兄貴のように「認知がズレた人がいる」という前提で全体の現象を理解しなければ理解できない。

2018年12月25日火曜日

「どーにか」と言ってもな……。


あーー、つまんない。
ぼく、つまんない。
つーまんない。
つーまんない。

あーー、この先どうしようかな?
くるしいな。
この繰り返しはくるしい。
どーにしかないと……。
「どーにか」と言ってもな……。

2018年12月24日月曜日

普通の人間の無視じゃなくて、『言われた』ということも、無視して、なくなくっちゃっている状態


世間は、クリスマスイブらしい。他の人のブログを見て、気がついた。あーー、ぜんぜん気がつかなかったよ。

ぼくの頭にはヘビメタ騒音の悪夢が色濃く残っていて、ずっと、それとたたかっている。たたかっている状態だ。ヘビメタ騒音のクリスマスなんて、めちゃくちゃに決まっているだろ。

あしかけ一五年ヘビメタ騒音以降のクリスマスなんて、ひえひえで、さみしくて、憂鬱で死にそうな気持ちになってすごしているに決まっているだろ。

どれだけ、気持ちを盛り上げようとしても無理なんだよ。

ヘビメタ騒音以降、他人は「トゲトゲ」だ。これがわかるか? この意味がわかるか? 気違い兄貴のやつ自分が夢中になってやっているだけで、やっているあいだどれだけ、「やめてくれ」ということを言われても、わからないんだよな。

言われたことになってない。

一日に一四時間こだわりつくして、絶対にゆずらないで、頑固に、自分が満足できるデカイ音で鳴らしていても、本人は、一四時間、ずっと静かにしてやったのとおなじ気持ちでいる。あるいは、最初から、鳴らしてないのとおなじつもりでいる。最初から鳴らしてないので、ヘビメタ騒音がなんなのかわからないといった気持ちとおなじ気持ちでいる。そりゃ、たとえば、自分がヘビメタを一日に一分も鳴らしてないのに、「ヘビメタ騒音を鳴らすな」と言われたって、頭にクエスチョンマークが浮かんだ状態になるだけだろ。

一四時間鳴らしてないのに、「兄貴が一日に一四時間も鳴らすからつらかった」と言われたって、『なにを言っているんだ?』と思うだけだろ。それとおなじなんだよ。

それとおなじぐらいに、関心がない。

『関係がない』と思っている。

気違い親父とおなじように、気持ちがくっついてないんだよね。

やりたいときは、自分がやれればいいわけで、それ以外のことは一切合切、関係ないわけ。「やめろ」と言われたら、それは、やりたい自分にとって不都合なことだから、無視しておしまい。

この無視が、普通の人間の無視じゃなくて、『言われた』ということも、無視して、なくなくっちゃっている状態なんだよな。だから、次に『兄貴が一四時間鳴らしてたから、うるさくてこまった』と言われたら、「自分の行為と関係があること」を言われているように思えない。思うことに失敗する。

『自分に関係がないことを言われている』『自分が、自分に関係がないことで文句を言われている』という気持ちになり、胸くそ悪い不愉快な気分になる。で、胸くそ悪い不愉快な気分になったら、無視しておしまいなんだよ。だから、永久これが繰り返される。

何万回言ってもおなじだ。自分に関係がないことで文句を言われているような気にしかならない。で、もうひとつの自分は、やりたいことは絶対の意地で自分が思ったとおりにやりたいわけだから、まったく無視して、自分がやりたいように、思った通りに夢中になってやる。

それが、九〇デシベル付近、九五デシベル付近の音で、ヘビメタを鳴らすということであれば、絶対の意地でそうする。

だから、そうしているのだけど……「そうしている」というつもりが、※いつも※ない。物理的にはやっているのだけど、そして、やっているというつもりがあるのだけど、「相手との関係」や「相手が自分のやっていることでこまっている」ということが徹底的にわからないのである。これは無視すれば、「やったってやってない」ことになってしまう。相手の存在や自分に「やめてくれ」と言ってきたということを無視してしまうので、相手にとって、やったってやらなくたってどうでもいいことだと、考えるまでもなく決めつてしまうのである。……相手の気持ちは完全に無視して、自分の気持ちだけになるから。無視すると言うことも無視するかたちで、完全に無視する。「ないこと」になっている。言われた瞬間、怒るということは、気違い兄貴が瞬間的には相手が言っていることを理解したということなのである。けど、怒ったら、その瞬間、本人のなかでは終わっている。完全に関係がないことになっている。自分がやっていることと、相手の気持ちが完全に関係がないことになってしまう。強制的に、どれだけやったって相手はこまらないと言うことに、してしまうのである。瞬間的にそうする。そうなると、ずっとそのあと、そういう『認知』を引きずって、やり続ける。相手が気にしてないという認知のまま、ずっとやり続ける。何万回言われても、言われた途端にそうなるから……もっと正確に言えば、怒った途端にそうなるから、怒った瞬間をのぞけば、まったく気にしないでやり続けることになる。そもそも、言われなかったのとおなじ気持ちで、やり続けることができる。まったく気にしないでやり続けることができる。

気違い兄貴は、たぶんだけど、自分がエレキギターを弾いているとき、自分がエレキギターを弾いているということは理解していると思う。ただ、相手がどれだけ『エレキギターの音がうるさいからヘッドホンをしてくれ』と言ったとしても、相手と自分の行為が結びつかないのである。相手の気持ちと自分のやっていることが結びつかない。だから、関係なくやる。

やっていることはわかっているけど、「やめろ」ということを言われると、怒って無視する。それは、親父が怒って無視したのとおなじなのである。

兄貴に、『ハンダゴテが使えなかった』という都合が悪いこと……その時!の親父にとって都合が悪いこと……を言われて、怒っている親父とおなじなのである。

で、自分が怒ってしまえば、それでおしまいだ。考えるまでもなく、終わっているのである。感情が切れている。自分が怒って無視すれば「あったってないこと」になってしまうのである。「やったって、やってないこと」になってしまうのである。

だから、まったく気にしないで、その行為を続けることができる。その行為を続けているのだから、続けているわけで、また、言われる可能性があるのだけど、言われるまでは、まったく言われなかったのとおなじ気分でやりきることができる。

で、つぎ言われたときもまったくおなじ反応で切り返す。……おなじ反応しかしないので、何万回「やめろ」と言われても、まったく関係がないつもりで「やりきる」ことができるのである。「やりきったら」それがどれだけ長い期間でも、やってないのとおなじなのである。

一五年間こだわりつくして毎日やったことでも、「やった」と言われたら「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!」と親父のようにいいきることができるのである。兄貴は……。兄貴は親父とおなじだから、その時不都合なことを言われたら、その時!! 「否定しておしまい」なのである。まったくなにも残らない。反省なんてするわけがない。なんてたって、「やってない」と思っていることなのだから、反省できるわけがない。「そんなんじゃない」のだから。

2018年12月21日金曜日

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2018年12月20日木曜日

派遣社員のボーナスがない……そりゃ、あたりまえ  …共同体のうちとそと

派遣社員のボーナスがない……そりゃ、あたりまえ。あたりまえだけど、日本人の働き方、労働意識にものすごい悪影響を与えると思う。

派遣にも、いろいろなタイプがある。派遣社員?が派遣会社の従業員(正社員)になっている場合と、派遣社員が派遣会社と個別に契約を結んでいる場合がある。派遣社員が派遣会社と個別に契約を結んでいる場合、派遣社員は個別に請負業をやっているようなもので派遣会社に所属しているわけではない。

で、あんまりこれは、意識されていない。

けど、派遣会社の従業員は、派遣会社の正社員だ。この場合、派遣会社の従業員(正社員)が、ボーナスを要求する先は、派遣会社そのものだということになる。

しかし、派遣されている人は、派遣先の会社に所属しているような錯覚があるので、派遣先の会社にボーナスを要求したくなる。あくまでも、ボーナスをもらうとしたら、自分が所属している派遣会社からもらうべきで、派遣先の会社は本当にまったく関係がない。

理論的に考えるとそうなのだけど、感情的に考えると、その会社の正社員がボーナスをもらっているのに、自分たちはボーナスがもらえないのは、ケシカランと思っても不思議ではない。

これは、派遣先の会社では、事実上、正社員とおなじ業務をしていて、その会社(派遣先会社の社員)のような気持ちがあるからだ。それは、しかたがない部分がある。

どうしてかというと、普通は、その会社で働いている以上、その会社に所属しているような気分になるからだ。実際には、派遣会社に所属しているわけで、その会社(派遣先会社)には所属してないというのは、頭では理解できるけど、こころでは、※げせない※ものになる。

これは、あたかも、占有権と所有権のちがいが、区別できなくなっているような状態とおなじだ。その人がもっていると、その人の持ち物で※あるかのように※、外からは見える。

使っているうちに、その人も、その人の持ち物であるかのように思ってしまう。さらに、あまりにも長い間使い続けると、いつのまにか所有権がしょうじてしまうものもある。しかし、所有権は所有権だから、他に所有権者がいるのであれば、その持ち物は、その所有権者のものだということになる。いくら、占有していても、その持ち物は所有権者のものだということになる。

けど、普通は、使っている人が所有権者であるかのように誤解してしまう。こういう誤解と同じような感覚が成り立っているのではないかと思う。

正社員にはあるボーナスが自分たちにはない……こういうことに不満を感じる派遣社員はたくさんいるだろう。いるだろうけど、派遣先会社にどれだけ文句を言ってもしたがない。「ボーナスをくれ」という相手は、派遣先会社ではなくて、派遣会社(派遣元の会社)だ。派遣会社にボーナスを要求するべきなのである。

しかし、個別に契約をしている場合は、当然、派遣会社にもボーナスを要求でないというとこになる。だって、その会社の正社員(従業員)じゃないから。

で、まあ、理屈はそうなんだけど、これは、禍根を残す。本当はやっちゃいけないことをやっている。本当はやっちゃいけないことを国が推し進めている。これはまずい。基本的にまずい。

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正社員という法律用語はないので、単に従業員と言いたいのだけど、いちおう、慣例に従って正社員という言葉を使うとする。

正社員にはあるボーナスが自分たちにはない……こういうことに不満を感じる派遣社員はたくさんいるだろう。いるだろうけど、派遣先会社にどれだけ文句を言ってもしたがない。「ボーナスをくれ」という相手は、派遣先会社ではなくて、派遣会社(派遣元の会社)だ。派遣会社にボーナスを要求するべきなのである。

しかし、個別に契約をしている場合は、当然、派遣会社にもボーナスを要求でないというとこになる。だって、その会社の正社員(従業員)じゃないから。

で、まあ、理屈はそうなんだけど、これは、禍根を残す。本当はやっちゃいけないことをやっている。本当はやっちゃいけないことを国が推し進めている。これはまずい。基本的にまずい。

おなじところでおなじように仕事をしているために、その会社共同体の一員であるかのように感じてしまうのだけど、会社共同体の一員ではないということを突きつけられたとき、人は、自分が差別されていると感じてしまうのではないだろうか。ボーナスしかり、休憩所(レストルーム)しかり。

おなじところでおなじように仕事をしている(ともに働く)とあたかもその共同体の一員であるかのように感じてしまうということは、占有しているとあたかも所有権が発生したように感じてしまう感覚とおなじなのではないかと思う。

片手でつかまえて、外に出したかった



蚊を殺してしまった。はぁーー。なるべく殺生はしないようしているんだけど、反射的に殺してしまった。顔の前にひゅっと出てきたので、思わずパチンとやってしまった。これは、片手でつかまえて、外に出したかった。実際、このあいだからずっと、そうしてきた。四連続ぐらいそうしているのだけど、今朝、片手でやってつかまらなかったんだよな。両手で空間ができるようにつかまえた場合、逃がしてやるときに、窓を開けるのがたいへんなんだよ。うまくあけられない。しかし、冬だというのに、蚊が多い。どっこから入ってきてるんだよ?
多い。なるべく片手でつかまえて、手のひらを刺されないように、手を振りながら窓のところまで行って、それで、窓を開けて、外に放つのだ。ちなみに、手を振ると刺されないかどうかはわからない。手を振って窓のところまでもっていって刺されたことはない。
なんか、ぽとっと落ちた蚊を見ると、むなしい。片手に薄手の手袋をしていた。これは、100円ショップで100円ぐらいで買ったやつなんだけど、いちおう、手袋をしたままキーボードが打てる。

2018年12月18日火曜日

どーすっかな。兄貴のヘビメタで人生全部がズタボロだよ

眠っていたけど、起きた。

腹がへったので、セブンイレブンの豚汁をご飯にかけて、レンジでチンして食べた。

そのあと、もものゼリーを食べた。

いま、ファンタ・メロン味をちょっとだけ飲んでいるところ。全部飲むつもりは毛頭ない。



なんだか知らないけどこころぼそいので、すぐに、ぐっすり眠りたいけど、どうかな?



どーすっかな。兄貴のヘビメタで人生全部がズタボロだよ。



   *   *   *



そう言えば、ご飯がなくなったので、ご飯を炊かないとだめだなぁ。ああああ。

ひとり、ひとりーー。



眠れないとしたら、ちょっとやばいな。

横になっていたとき、兄貴の態度について考えていた。ゆるせない。ゆるせないという気持ちが繰り返しおそってくる。ほんとうにゆるせない。





この世の普通の雰囲気があるかぎり


寝た。寝た。ずっと眠ってた。冬眠のごとく寝ていた。ずっと寝て曜日だ。
昨日、しょうべんに起きて、ご飯を食べたり、ネットを見たりした以外はずっと寝ていた。医者にもらった薬よりも、市販の蕁麻疹の薬が眠たくなる。ほぼ同じ成分だと思うのだけど。
まあ、ともかく、昨日は、なんか、小便と栄養補給のために起きた以外はほとんど寝ていたということだ。

なんか、今日起きたときも、また寝るのかなと思っていたけど、セブンイレブンに買い物に行ったので、なんとなく目が覚めた。セブンイレブンの冷凍スパゲッティーを食べたくなったので買ってきた。

で、風呂に入って、コーラを飲んだ。(湯船につかってコーラを飲んだ。うまい。)

しかし、冬。このあいだ夏だったのに、もう冬。
まじで、寒い。昨日の朝なんか、本当に冷たい雨が降ってた。この時期の冷たい雨の中、通学していたとき、本当につらかった。冷たい雨の中歩くのはだれにとってもつらいことだと思うけど、ぼくの場合は、ヘビメタ騒音が積み重なる。ヘビメタ騒音でつらいのに、冷たい雨の中を歩かなければならないのだ。昨日の夜まで、ずっとヘビメタにやられていて、眠れない真夜中と早朝をすごし、ボロボロの状態で、冷たい雨の中に出ていくつらさはない。寝不足で、体力がない状態で、冷たい雨の中を歩くつらさといったらない。

コンビニに行くときもコンビニから帰ってくるときも、ヘビメタ騒音の道を通らざるを得ないので、くるしい気持ちになる。俺が動いても、俺が自分の脳みそを抱えて動いている以上、気違いヘビメタにやられていた頃の感覚というのが、消えない。ようするに、どこを歩いていても、この世の普通の雰囲気があるかぎり、ヘビメタのこの世の雰囲気があるのだ。

(だれにとってもつらいことだと思うけどと書いたけど、一部の例外はいるだろう。だれにとってもではなくて、ほとんどのひとにとってつらいことだろうと思う。)




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騒音サイコパス18: 兄のヘビメタ騒音で人生がない
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2018年12月16日日曜日

起きてから寝るまで、作業中もヘビメタ騒音のことばかりだ

外壁修理をした。

その時、目にほこりが入った。



いちおう作業終了。



いま、風呂から出たところ。



なんか目がごろごろする。



   *   *   *



今日は、エアコンつけっぱなし。

いちおう、屋根とエアコンはある。

   *   *   *

目がごろごろするけど、寝る。あーあ。
まだちょっと余力があるけど、このまま起きていると腹がへってまたご飯を食べて歯磨きをしなければならなくなる。


しまったな。防塵サングラスをかけてやればよかった。完全なやつがどこかにいってない。隙間がある防塵サングラスしかない。

にしても、本当に、ヘビメタが鳴ってたな。この時間。日曜日はずっとうるさかったなぁ。

この世の感じが、こういう感じなんだよ。これは、きつい。起きてから寝るまで、作業中もヘビメタ騒音のことばかりだ。『あんなにこだわってやったのに、やってないとか言って……』『あれだけゆずらないで頑固にやったのに、ゆずったとか言って……』というようなことが頭の中をまわってる。

2018年12月13日木曜日

気違い兄貴がヘビメタ道具を買ったときから人生がかわってしまった


俺はふたたび、いいことを考えて眠る。

至近距離で実行可能ないいことを考えるよ。



正直言ってつかれたよ~~

つかれた~~

今日もつかれた。



ヘビメタ騒音がなかった人生が欲しい。

ヘビメタ騒音がなかった人生が、どーーしても、欲しい。

気違い兄貴がヘビメタ道具を買ったときから人生がかわってしまった。これ、本当にデカイ。他の人にはまったくわからないのだろうけど。






2018年12月12日水曜日

そういう精神主義的なことは、おなじ条件でおなじことをやられた人じゃないと、ダメだ


紅茶がうまい。
紅茶はいいね。このあいだ言ってた砂糖代用品を買うかどうかまよっている。あれで、麦茶を飲むというのは、いい感じがする。麦茶はものすごく安いからな。コスパが高い。

ここにも書くべきではないのかもしれないけど、ヘビメタ騒音のことで、けっこう頭がいっぱいだ。で、夢もそれに関連したいやな夢だった。生活のすべてがそうなるんだよ。ともかく、俺は今日、悪夢を四回ぐらい見た。それぞれ別の話だけど、不愉快な話しだ。寝過ぎもダメなんだけど、つかれているんだよな。その疲れというのが、いまではすべてがヘビメタ騒音に関連している?つかれなんだよ。

ともかく、ぼくはなにをやるにしても普通のスタートラインには立ってないのである。

まあ、エアコンがつけられる部屋にいて、好きなときに紅茶を飲めるのだから、それは、いいことなんだけどさ……。

そう言えば、アレルギー系の飲み薬をアマゾンで買うかどうかまよっている。たぶん医者でもらったやつとおなじ成分(の一部)が入っていると思うやつを見つけた。

寝る前に『いいことを考えて寝よう』みたいなことを書いたけど、結果は悪夢四個だった。悲惨な結果だ。まあ、これに関しては、「特に悲惨だと思わない」という考え方もできる。こういう小さいことに関しては『受けとめ方の問題』ということになるけど、『ヘビメタ騒音』に関しては受けとめ方の問題ではないという部分がある。あれを『受けとめ方の問題』だと言われると腹が立つなぁ。だって、そういうふうに言っているやつだって、たとえば、午後四時から午後一一時一一分まで、気違いヘビメタをあの至近距離で、あの音のでかさでやられれば、眠れなくなって、次の日に影響が出る。やられているあいだも、受けとめ方の問題だ』などとこころでどれだけ強く思っても、「くっそうさるなぁ!!」という基本的な感じ方は変えられないのであり、くるしい思いをすると思う。これが、かえられると思っている人は、どれだけぶたれたって、痛いと思わないというような人間だ。痛さだって、受けとめ方の違いなのだから。で、そういう精神主義的なことは、おなじ条件でおなじことをやられた人じゃないと、ダメだと思う。本当におなじことを経験した人じゃないとダメだと思う。実際におなじように、おなじ期間、やられた人じゃないと、『言う権利がない』。そもそも、言う権利がないんだよ。同じ体験をした人が言うならいいけど、同じ体験ではなければならない。『同じような体験』とか『似たような体験』じゃダメだ。

それから、ヘビメタ騒音問題というのが、親父のハンダゴテ問題以上に、『ダメ問題』なんだよ。これは、どういう意味かというと、ヘビメタ騒音であらわれる症状がすべて『だめ人間』に関連しているということだ。これがデカイんだよな。もちろん、学力的な意味で能力を下げられるけど、他のところでも、能力を強制的に下げられる。そうなると、まわりの人が、能力の低い人に対する態度で俺に対処してくるということになるので、俺にしてみれば言い様のないようのない不愉快な気持ちを感じるということになる。




2018年12月10日月曜日

「普通にだるい状態」に出世したい


「特別にだるい状態」から「普通にだるい状態」に出世したい。気違いヘビメタでからだがボロボロ。満身創痍のからだで、外に出てもいいことがないんだよ。常日頃から、常に「ヘビメタ騒音の時間」がある。本当にヘビメタで、他の人にはまったくわからないかたちでダメージがある。『鳴り終わったら関係がない』なんて到底言えない状態なのに、●がおかしい、想像力がないやつらがそういうことを言いやがる。

本当、腹立つ。


   *   *   *

やっぱり、ヘビメタでくるしい。ダメだ。こりゃ。
これ、どれだけ言っても、他の人にはわからないことなんだよな。デカイテレビの音ぐらいの騒音が一日に一時間ぐらい鳴っていたと思う人がいるんだけど、そういうことじゃない。

俺が騒音時間と騒音音量について説明したあとですら、そういう感覚しかないんだよな。しかも、『相手』は強く言えば、やめてくれる相手だと思っている。俺が兄貴のことを説明したあともそう思っているんだよな。

そんな、ちょっとデカイ騒音が一時間鳴っている……ぐらいの騒音じゃないから。本当にくるしい。すべてがズタボロになる。気違い兄貴が、あんなデカイ音で……普通の人が想像できないような音で鳴らさなければならないという法律はないのだから、鳴らさなきゃいいんだよ。

けど、気違い兄貴のなかには、すべての時間、ヨソの家では絶対にあり得ないようなデカイ音で、鳴らさなければならないという気違い的な法律が成り立っていて、つねにその法律に従って鳴らしまくる。

どんな、細かい時間も使って鳴らしまくる。もちろん、長く使える時間は、ずっと使って鳴らしまくる。鳴らすとしたら絶対に『よその家では一分だって鳴らせないようなデカイ音で』鳴らすのである。

で、自分が気違い的にデカイ音で鳴らしているという感覚が、『親父のように』ないんだよね。現実否定。普通なら、一目でわかることを、否定する。正反対のことを言って否定する。頭がおかしいレベルで否定する。ずっと否定する。生きているかぎりずっと否定する。

気違い兄貴が鳴らしている音がデカすぎる音だというのは、幼稚園生だってわかることなんだよ。気違い兄貴だって、ヘビメタでなければ、一秒でわかることなんだよ。それが、何十年間もわからない。

わからなければ!!!

どれだけ、血相を変えて、すべての時間鳴らしてたって、鳴らしたことにならないんだよ。そういう音で鳴らしたことにならない。本人のなかでは、『普通の音で鳴らしてた』ということになっているのだろう。

ぜんぜん違うのに、頭がおかしいからわからない。

芝居をしているのではなくて、『ハンダゴテが使えない』ということをどれだけ言われてもわからない親父のように、わからない。あれ、兄貴は、(やっている当時)芝居でやっているのかと俺は思ってたけど……そうじゃなかったんだな本当に耳が普通に聞こえるなら、あの音が、普通の音に聞こえるというのはおかしい。明らかにデカイ音として聞こえなければならない。

これ、本当に、親父とおなじなんだよな。

頭の物理的構造が親父とおなじだったんだな。……感覚器からして「いいかえる」。見えたって見えない、聞こえたって聞こえない、くさくたってくさくない……全部おなじ。やったってやってない……全部おなじ。

そうやって気違い的な意地でずっと、『ヨソの家では一分だってあり得ないようなデカイ音で』鳴らしたから、俺がどれだけひどい目に遭っていると思っているんだ。気違い兄貴がハンダゴテで恥をかいたなんてことは、俺がヘビメタ騒音で恥をかいたことにくらべたらなんでもない。

回数だって、俺の方が四〇万回ぐらい多い。いま更新中だからな。あんまりにもはずかしくて書けないことが頭の中をまわっている。ゆるせない。これ、本当、普通の人もやられてみればわかるけど『鳴っているときだけうるさい』というような問題じゃないのである。

全部がめちゃくちゃになる。

『全部がめちゃくちゃになる』ということがからだでわかってないだけだろ。『過去のことはどうでもいい。過去のことは現在に影響を与えない』なんて言うやつはからだでわかってないだけなんだよ。

そりゃ、ヒトゴトだったら、自分のからだではないのだから、なんとだって言える。で、その言葉が俺を傷つける。はっきり言って、どれだけいい人でも、腹が立つよ。どれだけ世話になった人でも腹が立つよ。親友でもなんでも腹が立つよ。そういうことを言うやつには激しい怒りを感じる。いまもだ。

けど、そういう人たちは、単に自分の感想を言ったにすぎないという考え方に立つこともできる。しかし、それにしては、侮辱している。こんな侮辱あるのかな? これ、「(そのように言われたことでエイリが)侮辱されたと感じるのはおかしい」と感じるやつもいるんだろうけど、違う。やられてみればわかるよ。何千日も、何年も何年も、毎日積み重なればわかるよ。

気違いがやりまくる……やっている気違いはまったくやっているつもりがない。デカイデカイ音で鳴らしているという現実を無視する。(こっちが)どれだけ言っても、無視する。こういう空白。気違いの頭のなかにだけ成り立つ、こういう現実否定の空白。現実否定の空白にもしづいて、気違い的な意地で一〇〇%やっているのに、本人は一〇〇%やってないと思っている。

全部の時間、デカイデカイ音で鳴らしているのに、全部の時間、デカイデカイ音で鳴らしてないと思っている。こういう空白。意識の空白。認知の空白。こんなのない。

全部、やりがちじゃん。影響を受けないようにしようとしても、うけた。これも、実際に『やられてない人』はわかってないんだよな。受けないようにしようとしても受けるんだよ。これも、本当に頭にくる。

で、ただ単に感想を述べたのに、俺が怒ると、その人にとっては、俺が発達障害に見えるんだよな。そういう言い方をするのであれば、発達障害はどっちか? そういう言い方をするのであれば、想像力がなくて、あるいは、常識に従いすぎて、俺が言っている基本的な情報を無視しているのはどっちかということになる。俺が言っていることを無視するな。発達障害じゃないんだろ。

一日に一時間ぐらい、ちょっとデカイ音で鳴らされたぐらいの問題じゃないとずっと言ってるだろ。実際に会った人には、ちゃんと、時間の長さと音のでかさと期間の長さについて言っているだろ。(このサイトの読者に関しては、このサイトに俺が書いた部分を読んでない人もいるだろうから、そういうことは言わないけど。小説に収録した分は削除しているからね。)

ともかく、俺がちゃんと、時間の長さと音のでかさと期間の長さについて言ったにもかかわらず、それを過小評価したり、嘘だと思う人は、俺を侮辱している。言いたいことは、『俺が腹を立ててあたりまえなんだ』といこうとだ。

特に、俺とおなじ時代を生きて、俺のことをよく知っているのにもかかわらず、……俺がされたこと、俺が経験したことを(自分の体験ではないけど)知っているのにもかかわらず、そういうことを言う人からは……そりゃ、気持ちがはなれるよね。そういうことを言う人から、俺の気持ちがはなれる。

で、気違い兄貴に言っておくけど、そういうことになっちゃうんだよ。気違い兄貴にわかるように言っておく。ハンダゴテの問題は、親父が『金を出したくない』という気持ちで、金を出さないことにこだわりつくしたから発生している問題なんだよ。

兄貴がコミュニーション障害みたいに言われたり、説明がへたくそすぎる人みたいに言われたり、そのハンダゴテが使えないハンダゴテだと判断できないバカな人みたいに言われるのは、親父がこだわったからだ。親父側の問題なのである。

けど、ヨソの人から見ると、兄貴側の問題であるように見える。兄貴の能力が劣っているから、そういうことになるとヨソの人は(勝手に)見なして、そういうふう見なした上で(自分なりの)感想を言ってくる。それは、そう見えてしまうのだからしょうがない。

けど、これは、ヨソの人の……間違いなんだよ。兄貴のヘビメタ騒音問題も、兄貴が気違い的デカイ音で、すべての時間鳴らすことにこだわりつくしたから生じていることなんだよ。兄貴が『ヨソの家』で静かにするように、一日中ヘッドホンして静かにしてくれたら、こんな問題は生じてない。俺のヘビメタ騒音問題は、兄貴が自分が満足できるデカイ音でヘビメタを鳴らすということにこだわったから生じていることなんだよ。

これは、親父のハンダゴテ事件とおなじだ。親父が、普通ならこだわらないことに、こだわってこだわってゆずらなかったから、ヨソの人から兄貴が劣った人間のように言われるという問題が生じている。

まさに、気違いヘビメタ騒音問題もそうなんだよ。気違い兄貴が、よその家で静かにするように、普通にヘッドホンをして静かにしてくれたら、生じなかった問題なんだよ。俺とヨソの人の対立は、生じなかったことなんだよ。

   *   *   *

俺がまるで「こわいひと」のように思われるんだぞ。ここに、ずっと書いているだけで、そう思われる。一部の人はそう思う。この一部の人たちとは、性格が悪い人たちだと思うので、つきあいたくはない。

けど、これも不幸なことで、気違い兄貴が『自分の音にこだわりつくして、すべての時間その音で鳴らす』ということを一四年間にわたって毎日しなければ、生じなかったことなんだよ。少なめに言って一四年間って、どういう期間の長さだと思っているんだよ。親父のようにやったそばから、忘れて、やったそばから『ぜんぜん関係がない人』になっているから、ぜんぜんわかってないんだよ。

こだわりつくして、意地に鳴ってやっている本人がまったくわかってないという、気違い空間。こんなの、普通の家に育った人に、わかるはずがない。片鱗でもわかるはずがない。実際に、七時間から一三時間、あの至近距離で、あの音のでかさでやられたことがない人は、一日の中で七時間、ヘビメタが鳴っているということの意味がわからない。

あの音のでかさで、一日に七時間ヘビメタが鳴っているということの意味が、本当にわからない。本当に『鳴っているときだけ、うるさくてこまる』というような問題だと勘違いしている。そんなんじゃない。

『そんなのお兄さんに言えばいい』というようなことを言う人は、こういうことに関しても、軽めに考える傾向がある。これだと、本当はお兄さんはタイして鳴らしてなかったんだけど、エイリが小さな音に異常にこだわる人だからそういうふうにいつまでもこだわって言っている……と思っているように思える。

全部、違う。

『エイリが小さな音に異常にこだわる人で』というところを、エイリが『「普通のよくある騒音」に異常にこだわる人で』と言い換えてもおなじだ。全部違う。普通のよくある騒音じゃない。

この人たちは、せいぜい、隣の部屋でテレビが大きめの音で鳴っているぐらいの騒音しか体験してないのではないかと思う。しかも、鳴らしている人は『音をさげてくれ』と言われれば、音をさげたのだと思う。ぜんぜん違う。

そういうレベルの騒音じゃないからこまっているんだろ。
そういう人じゃないからこまっているんだろ。

俺は、何度も言うけど、気違い兄貴がフォークギターをずっと練習していたときは、なにも言わなかった。三味線でもたぶんなにも言わない。あんな漆喰壁の和室で、あんなデカイアンプ付きスピーカーを使ってエレキギターを鳴らしていたから文句を言っている、わけだ。これ、ぜんぜん違う。六畳間にあんなデカイスピーカーを三つも持ち込んでガンガン鳴らしている。テレビについているスピーカーとは、ぜんぜん違うんだよ。

別次元。

出せる音がそもそも違う。そういうことも、わからないまま、俺の言っていることを否定するやつというのは、どういう頭の持ち主なんだ? 『そんなんデカイ音で鳴らす人はいない』『デカイ音で鳴らしてたら絶対に家族が文句を言う。言わないなんておかしい。(エイリの話しは)嘘に違いがない』こういう、常識的な思考をする人たちは、間違っている。現実がわかってない。

けど、現実がわかってないのにもかかわらず、俺に対して判断を下す。それは、親父の性格を理解せずに、『ちゃんと説明すれば、お父さんはわかったはずだ。おまえ(兄貴)の説明のしかたが悪いからわからなかったんだろ』と思った人の判断とおなじだ。根本が間違っている。

まあ、間違っているということは、認めたくないから、認めないと思うけど。そういう傾向は一般の人にもある。別に、親父や兄貴のように認知システムがおかしい人だけにしょうじることじゃない。

ともかく、『鳴ってたとしても、たいしたことないだろう』と思う人はみんな、間違っている。ものすごく基本的なところで間違いを犯している。そういうことじゃないんだ。そういうふうに言っている人だって、実際におなじ態度でおなじことをおなじ期間やられたら、わかる。

『過去なんて関係がない』『過去は現在に影響を与えない』と言っている人だって、働けないからだになる。なので、無職歴がつもるようになる。鳴っていなければよゆうで合格した大学にも受からなくなる。からだがだるくて睡眠回路がこわれて、引きこもりになる。『俺だったら、静かにさせることができる』『いっくらなんでもそんなに長い間やられてない』と言っている人だって、やられる。

これ、相手が気違いなのかどうかわかってない。

法律だって、相手が未成年でこっちが未成年で、親が『気違い』であれば、味方をしてくれない。騒音に関する法律というのは、たいへんに弱い。『家族で話し合ってください』なんてことになる。親が気違いだけど、その気違いのしくみがわからないんだよな。兄貴のヘビメタ騒音は、親父のすべてのことに対することのコピーだ。

問題の発信源……諸悪の根元である親父が……是正できるわけがないでしょ。家族で話し合えって言われても……。お母さんは、こまっているだけで、強制力がない。おまけに、最近になって気がついたことだけど、お母さんには、うちの問題を隠したがる傾向がある。するっとこれも、かわしちゃうところがある。

お母さんは、兄貴に注意してくれるけど、兄貴が無視すればそれでおしまいだ。親父も兄貴もお母さんがどれだけ注意しても、きかない。やりたいことは絶対の意地でやる。注意されたから、「やらないでゆずる」なんてことは、絶対にあり得ない。一分だってあり得ない。

そういう構造が、できあがっている。

気違い兄貴が鳴らす前から、実はできあがっている。親父が気違い的な意地でやり始めたことを、家族はとめられない。どれだけ注意しても、気違い親父が絶対の意地でやりきる。

しかも、親父のなかでは「やった」ことになってないのである。こんなのは、信じられない。信じられないという気持ちもわかる。けど、うちではそうなんだよ。本当にヨソの人にはわからない問題を抱えて、本当にこまったよ。

2018年12月9日日曜日

もっとちゃんと自分の頭で考えた方がいいんじゃないかと思う


起きた~~
ちょ~~つまんない~~

けど、丁寧な人が米を届けてくれた。米一〇キロ買っちゃったよ。『重いのありがとうございます』と言ったら『いえ、とんでもない』と言っていたなぁ。まあ、運ぶ人や出荷する人に配慮すると五キロなのだが、一〇キロ買ってしまった。

まあ、一〇キロなら、どうにかなるだろう。

これが、九州のお米で、うまいんだよ。ブレンドなんだけどね。安めでうまい。水が水道水で、あの日に汚染されて飲めなくなったみずがめの水なんだよね。活性炭をいっぱいみずがめに放り込んで、放射線量が下がったんだけど、あんまり信用してない。

けど、ずっと飲んでいる。水道水なんだよな。むかしはペットボトルで買ってたけど、いまは、水道水だ。九州あたりに引っ越した方がいいんだけどな。ここから、九州に引っ越すとなると、ものすごく金がかかりそうなんだよな。家の修理とか引っ越し代は、長年の節約を吹き飛ばすような効果があるから、金銭的にはなるべくしたくないことだ。

しかし、みんなどうなんだろうね。
まあ、ぼくの場合一五年毎日ヘビメタ騒音があるので、すべての基準で他の人とは違ってしまったんだよ。で、また、こういうことを、書くと、アクセスが減るんだよ。けど、俺は書くよ。書きたいから書くのだ。

本当にくるしいんだよ。

理屈では書かないほうがいいと言う人たちや離れていく人たちの気持ちはわかる。わかるよ。わかるけど、いちおう書いておきたい。自分が人生の中で本当に思ったことを書いておきたいんだよ。

まあ、普通の人と普通に交わるには、このとは隠しておいた方がいいことだ。このことというのはヘビメタ騒音のことだ。俺がやった悪いことじゃなくて兄貴がやった悪いことなのに、なぜか、誤解する人たちがいる。

その人たちは、無職や引きこもりというものに偏見がある。その偏見が強すぎるから、『だれだってあれだけ長い期間、あれだけでかいヘビメタ騒音を鳴らされたら、無職引きこもりになる』ということがわからないだけだ。

引きこもりに関してはいつでも解消できる。英会話学校や料理学校に通えばいい。おカネのことを考えてやらないけど、それだけで、引きこもりの定義からは、はずれる。

旅行だって、行こうと思えば行ける。ただ、旅行中ずっと、ヘビメタ騒音の雰囲気にさいなまれるから、暗い顔にならざるを得ないが……。そして、もし誰かと旅行に行ったとして、僕がずっと暗い顔をしていると、その人があんまり言い思いをしないだろうということを考えて、誰かといっしょに行くというのは、なしにしているわけだ。

実際、むかしぼくのことを少しでも元気づけようと、いろいろと連れて行ってくれた友達がいたんだけどね……。まあ、あんまり俺は、元気ではないわけ。気を遣わせるのもなんだし、俺がむりやり気を遣って明るいふりをするのもこころが破けそうになるので、いまも、これからもするつもりはない。

   *   *   *

『そんな音、鳴らされたら働けなくなるよな』と一発でわかる人と、『過去のことは関係がない』と頭がおかしい誤解をするやつと、どう違うんだろうな。過去のことでも関係があるんだよ。本当に頭にくるやつらだ。

ぼくは別に引きこもっている人やもと引きこもりをバカにしてない。ぼくは別に底辺の人をバカにしてない。ただ、引きこもりを甘えだというもと引きこもりは問題だと思うし、「鬱病は甘えだ」というようなこと言うもと鬱病患者のことも問題だと思う。

あくまでも、そういう発言をした人たちだけだから。別に、もと引きこもりでも、そういう発言をしなければいいわけ。「自分の場合は甘えだった」……これならいいわけ。けど、そのあとに「だから、引きこもりは甘えだ」と言うのであれば、問題があると思う。引きこもり出ない引きこもりはいないので「引きこもり」と言った場合は、「引きこもり全体」を指すということがわかってない。

いたしかたがない状態で引きこもっている人もいる。その人の場合は、甘えじゃない。けど、一緒くたにして『引きこもりは甘えだ』と言う人はそういうことが、完全にわかってない。だから、いちおう批判したわけで、言いたいことはそれだけだ。

引きこもりじゃなくて、もと鬱病患者が『鬱病は甘え』といった場合でもおなじだ。あるいは、無職全般に対する激しい偏見もおなじだ。働いているかどうかで人の善し悪しは決まらない。

しかし、常識にとらわれている人の頭には『働いてない人は悪い人だ』という根拠のない妄想が浮かんでしまう。

これも、『すべては思考』にとらわれているからで、現在無職である人にもいろいろな人がいるのだから、一概には言えないということがわかってないのだ。無職ではない無職はいないのだから、「無職」と言ったらすべての「無職」を指すことになる。これがわかってないんだよね。

一括思考。
すべては思考。

どういう事情があっていま現在無職なのかということを、考えなければならない。それを全部一緒くたにして、『働いてない人は悪い人だ』と決めつけてしまう。これが善いことか悪いことかと言うと、これは悪いことだ。そういうごく普通の当然の意見が封殺されている。もっとちゃんと自分の頭で考えた方がいいんじゃないかと思う。

この日差しのなかでくるしかった。


そろそろ眠たくなったので、布団の中にはいる。

眠たくなったとは言え、たぶん、午前一一時ぐらいまでは眠れない。



いまから、作業できるかな?

できないな。



それにしても、ヘビメタでくるしかった。

この日差しのなかでくるしかった。



「あれ、本当にあれだこだわってやって、やったつもりがないのかよ」というような言葉が浮かんでくる。道を歩いているときもめしを食っているときも作業しているときも浮かんでくる。



自分が歩いているシーンが浮かんでくる。その時考えていることはやはり「ヘビメタ騒音のなかでくるしかった」「あいつは、こだわりきってガンガン、デカイ音で鳴らしていたのに、デカイ音で鳴らしていたつもりがないのかよ?」「俺がどれだけ、『やめてくれ』『静かにしてくれ』と言ったと思っているんだよ??」「本当に細かい時間まで使って気違いヘビメタを、デカイデカイ音で鳴らしやがって」というようなことだ。



気違いヘビメタで弱ったからだでずっと生きてきた。ゆるせない。こういう日差しのとき、残留ヘビメタ騒音で、くるしかった。からだがつらくてつらくて、たまらなかった。こういうからだをむりやり動かして、他の人に遅れて!ついていって、いやだった。気違いヘビメタを前日、前々日、一〇〇日前、二〇〇日前とやられなかったら、俺だって元気に先頭をつっぱしっているんだよ。どんだけ……。本当に、何千日もやられて、からだが弱くなった。すべての時間、つらい状態になった。これ、本当に、『騒音の問題』と言うと、鳴っているときだけうるさくてこまるんだと思う人が多いけど、ぜんぜん違う。平均八時間ぐらい鳴っている騒音はすべてをぶちこわす。能力、機会、人間関係、すべてをぶちこわす。どうしたって、低位に甘んじなければならなくなる。しかも、からだがくるしい状態で無理してがんばって、低位だ。(実際には、学力的には常に平均以上だったけど)。常に不利なんだよな。常にハンディがある状態で、のろのろやっている。



だれだって、俺とおなじように、家族に気違いがいて、そいつがめちゃくちゃな意地で騒音を鳴らし続けたら、愚痴を言うのに、俺が愚痴っぽい人間だと思われるわけだよ。気違い兄貴よ! 気違い兄貴は親父とおなじだ。親父が怒ったあとまったく気にしてないのとおなじだ。兄貴が怒ったあとまったく気にしないでヘビメタをめちゃくちゃにデカイ音で鳴らしたけど、親父のように『それに気がつていない』のだよ。これ、ズッとやっているのに、ズッとやってない気持ちになってしまう。そんなのは知らない』というのは、やってないという意味なんだよね。じゃあ、一分でもヘッドホンをつけてくれるのかというとそれは、絶対にない。気違い親父が、ハンダゴテの金を出さないように、絶対にない。で、やっているのに、本人は『気にしてないから』やってないつもりになっている。気にせずに……相手が言ったことは気にせずに、自分の都合を押し通して、一〇〇%自分がやりたいようにやれば、それで、「やってない」つもりになってしまう。そういうところがあるんだよ。一〇〇%やりきっているのに……続けてやっているにもかかわらず……一〇〇%やってないつもりになっている。まったく知らないつもりになっている。こんなのあるか?って。あるんだよ。うちだとある。毎日普通に、そういうことが成り立ってしまうのが、うちだ。だから、普通の家に育った人には絶対にわからない。感覚としてわからない。だから、『言えばいい』とか『家族で話し合えばいい』というような助言を俺にする。けど、その助言は無意味だ。で、無意味だということを説明しても、その人はその人で、認めない。自分の助言が無碍にされたような気分になって、不愉快になる。そうすると、俺とその人とのあいだ亀裂が走る。気違い兄貴の性格を巡って、意見が対立するというわけだ。これは、『親父にちゃんと言った』という兄貴と、『ちゃんと言えばつたわるはずだ』という第三者のあいだに亀裂が入るのとおなじだ。当の本人は、まったくシランプリなんだよ。「どれだけこういうことがあった」ということをこっちが言っても、「なんだ!そんなのぉ!!」と口を立てて目を三角にして怒った途端に、忘れてしまう。ぜんぜん関係がな人になってしまう。そのあとずっと、それを押し通したとしても、まったくやってないことになってしまう。それというのは、当の問題行為だ。押しつけている毎日がずっと続く。押しつけられている毎日が続く。どれだけこまっても、気違いが異常な意地でやり通す。異常な感覚で「やってない」と思ってしまう。やっているのにぜんぜん関係がないつもりで」気違いが自分の意地を毎時間毎時間、押し通す。気違いだから、是分自分が好きなようにやりきれたら!!やってないのとおなじなんだよ。「やってない」『そんなことは知らない』と思ってしまう。その都度、『やっているじゃないか』と言っても、本人が怒っちゃったらおしまいなんだよ。で、本人が怒るのは決まっている。それは、『自分』がやりたいことを、相手が「やめろ」「やめてくれ」と言うからだ。最初から、怒ることが決まっている。で、怒ったら、一瞬で忘れる。そういうことを、何万回、何十万回繰り返しても、本人は『まったく知らない状態』を維持できる。主観的には『まったく知らない状態』なんだよ。あるいは、主観的には『まったく関係がない状態』なんだよ。



当の行為を意地を張ってやっている気違い兄貴に言っても、気違い兄貴は、気違い親父のように否定しておしまいだ。「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」という感覚さえ成り立っている。「おまえの行為だからだ」と言っても、そういうのは、『すり抜けて』わからない。



兄貴にわかるように言っておくと、親父は、親父が押しつけたハンダゴテについて、兄貴が『これこれこういう理由で恥をかいた』ということを言っても、「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」という気持ちになっていたんだよ。俺が兄貴に、兄貴のヘビメタ騒音のことについて、文句を言っているのに、兄貴には「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」というような気持ちが……親父とおなじように……成り立ってしまう。そのくらいに「つもり」がないんだよ。じゃあ、ちょっとでも本当にゆずってくれるかというと、それは絶対にない。ゆずるなら、自分がゆずりたいようにゆずるわけで、これは、『うちにあるハンダゴテを用意してやった親父』とおなじ状態だ。「うちにハンダゴテがあるのだからそれを持っていけ」と言っている親父は、最大限に譲歩して、ハンダゴテを持ってきてやったつもりなのである。だから、最大限譲歩してハンダゴテを持ってきてやっているのに、『使えない』と文句を言ってくる兄貴の方が悪いと本気で思っているんだよ。なにも、意地悪でそうしているつもりはないんだよ。気違い親父の感覚で行動すると、どこからスタートしても、そういうもめごとがしょうじる。で、本人は意地悪でそういうことをしたというわけではないというのが問題の深さを物語っている。こんなのは、本当は、悪意があって、(本当は使えないと知っていたけど)わざと知らないふりをして、恥をかかせてやろうというようなプランを立てなければできないことなんだけど、ごく普通にそうなる。だれもが使えないとわかるようなハンダゴテを物置から出してきて、相手がどれだけ『使えない』と言っても、『使える使える』と言って押しつける。それで、兄貴が学校で恥をかいても、シランプリだ。それは、説明されなかったからわからないのではなくて、説明されても、わからない。現実を否定して受けとめない。だから、言われたあとも、言われてないのとおなじ状態を維持することができるのである。どれだけ『使えなかった』と言われても、使えないという現実は絶対に認めないままだから、気持ちに変化がない。認知・認識に変化がない。親父にとってはどれだけなにを言われても『使えるハンダゴテ』のままだ。そして、兄貴がそのハンダゴテで……自分が押しつけたハンダゴテで笑いものになったということも認めない。要するに、自分が押しつけたハンダゴテで長男が恥をかいたということも、認めない。認めなければ、それは、親父にとって「ないこと」なんだよ。現実ではないことなんだよ。あるいは、「なんだ!そんなの」という言葉を発して、相手にとっての『意味』を否定すればそれでおしまいだ。相手の気持ちということにかかわるけど、これも、現実否定の一種だ。認めたくないこと、認知したくないことは、「なんだ!そんなの!」と言って認めないのである。本人戸って都合が悪いことを言われたら、「なんだ!そんなの!!」と怒って、おしまいだ。本人が怒ったら、それで、おしまいなんだよ。気違い親父には、どうして兄貴がハンダゴテのことで親父に文句を言ってくるのか、まったくわからない状態を維持することができる。言われたあとも、本当にわからない。実際には二回しかもめてないけど、何百回、何千回もめても、わからないままだ。こういう人間がいるということが、ヨソの人にはわからない。



2018年12月8日土曜日

「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」について


ああ、それと! ぼくはそのうち、貧乏生活をやめる!
わりとリッチな生活に移行するつもりだ。
そのうち、「あのころは貧乏生活?をしてたなぁ」と思うようになるだろう。いちおう、宣言しておく。
で、言いたいのは宣言をしておけば現実が追いつく(現実になる)というような考え方は、別にきらいじゃない。本人がそう思っていることは別にいいわけ。けど、それが宇宙をつらぬく絶対法則だとか、どんな人間にも成り立つというような話になってくると違うんだよね。どうしてかというと、人を責めることになるから。これ、他の人に向かっていっている人たちはわからないのだろうけど、案外人を責めている。たとえば、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」というようなことを言ったりする。『言えば……、現実が言ったとおりになる』という考え方なんだよ。そうなると、実際に病気である人は、好きで病気になっているということになってしまう。好きで病気を治そうとしないということになってしまう。「言えば……治るのに、どうして言わないんだ」というような責めがしょうじる。「言った」と言う人には、「本当に思って言ってない」とか「もっともっと、たくさん言わなきゃダメだ」というようなことを、アトダシで言うようになる。どうして、アトダシかというと、最初に言った言葉は「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」という意味であるわけで、『言い方』とか『本当にそう思っていったかどうか』ということが、問題になってないからだ。言えば……ただ、言っただけで……どんな言い方でも!ただ言っただけで……絶対に病気は治るのだから、そもそも、言い方が問題になるわけがない。アトダシで、ぜんぜん違うことを言い出す。それに、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言っている人だって病気で死んでしまったりしている。それから「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」とか普段人に対して言っている人だって、虫歯になって歯が痛くなれば、歯医者に行く。虫歯も一種の病気なので、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」という言葉は虫歯の場合でも成り立つ。虫歯だけダメだとかそういうことはない。「虫歯が治ると言えば、絶対に虫歯は治る」のである。しかし、実際には『虫歯が治る』『虫歯が治る』『虫歯が治る』『虫歯が治る』と言っても、虫歯が治らない場合がある。というか、ほぼ一〇〇%『虫歯が治る』と言うことでは、虫歯は治らない。「言ったら治った」と言っている人は、なにか他のことをしている。言ったことと、なにか他のことをやった時期が近接しているので、『言ったから治った』と本人が思っているだけだ。ともかく、宇宙をつらぬく絶対法則として「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言っている人は、現在病気である人を責めている。本人がいい気分になって気がついてないだけだ。けど、自分が病気なら一回目は!!!「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言われても悪い気はしないだろう。なんと言っても自分の病気が治ると他人が言っているわけだから、不愉快ではない。けど、治らない状態が続いて、ずっと言われ続けたらどうか? 言われ続けた人は「ふざけるな」と言いたくなるだろ。言われ続けた人は「すでに何回も言った」と言いたくなるだろ。そうすると「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と本気で信じている人は「言い方が悪い」「本当に心をこめて言ってないからダメなんだ」と間違った前提に立って、人を責めることになる。なので、他人に対して宇宙をつらぬく絶対法則として「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」というようなことは言わなほうがいい。自分のなかで自分に対して言っていればいいことで、他人にいうべき言葉ではない。特に、宇宙をつらぬく絶対法則としては言うべきではない。

というわけで、本人が「病気が治る」とか言うことは別に悪いことではないわけ。「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と本人が信じていて、本人が本人に対して「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言うのはべつにいいわけ。どんどんやって欲しいわけ。けど、他の人に言うのはどうかな? 特に宇宙をつらぬく絶対法則としていうのはどうかなと思う。

2018年12月7日金曜日

『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識が、現在進行形で成り立っている


まあ、いろいろなサイトを読んで、思うところがあるよ。
にしても、午前四時台は、最悪だな。ヘビメタ騒音で眠れないまま、午前四時になってしまったときのなんとも言えないあせりがある。眠らなきゃというあせりだ。そして、三時間後には、地獄がはじまっている。寝不足のまま、体を動かさなきゃならない。世間の要求にこたえなければならない。『ヘビメタ騒音で眠れない』……こういううったえかけは、あんまり意味をなさない。『そんなのは、お兄さんにいえばいい』『家族で相談すればいい』と言われておしまいだからだ。気違い兄貴の性格なんて、気違い親父の性格のように、『ヨソの人』は理解しない。まあ、ヘビメタが鳴っていると言うことはわかるのだけど、兄貴が『そんなに意地になって』鳴らしているとは思わない。そして、そうやって、気違い的にでかい音にこだわって、気違い的な意地で鳴らしているにもかかわらず、本人は「デカイ音で鳴らしているつもりがない」というのは、まったくわからない。俺だってわからない。わからなかった。気違い兄貴自身はは、デカイ音で鳴らしているつもりがないのだから、わかるわけがない。これが、気違い的な人間の利点なんだよな。「自分の意地を通す」ということに特化している。本当は正常な認知・認識を、自分の意地を通すために、まげてしまう。デカイデカイ音で鳴らしたいから、『こんなのはデカイ音ではない』と思ってしまう。感覚器のレベルでそう思ってしまう。そうしたら、もう、どれだけなにを言っても聞かない。自分がやりたいことは、自分の感覚器をずらしてまでもやってしまう。自分の感覚器をずらすのは、無意識のレベルでしているので、本人はわからない。客観的に言えば、本人だって『デカイ音で鳴らしている』にもかかわらず、そういうデカイ音で鳴らしているということ自体を認めてしまうと、デカイ音で鳴らすことができなくなる場合は、『デカイ音で鳴らしてない』と思ってしまう。そうたら、親父のように聞かない。どれだけ言っても、『こんなのは普通の音だ』『だからどれだけ鳴らしてもいい』という理屈と感情で鳴らしてしまう。
毎日どれだけ言っても、毎日おなじようにそうする。そういう感覚でやっているので、どれだけ長い時間鳴らしても本人は、まったく悪いことをしたと思わない。どれだけ長い時間、どれだけデカイ音で、何回「やめろ」と言われても、ずっとやり通して、まったくなにもやってないつもりで暮らすことができる。毎日暮らすことができる。なので、本人は、『本当に』やってないつもりで、ずっと鳴らすことができる…デカイ音で。
そういう毎日なのだけど、ともかく俺の方は、「きれいごと」はどうであれ、からだが悲鳴を上げているような状態で暮らすしかないということになる。これは、『言えば静かにしてくれるはずだ』と思っている普通の人にはまったく、伝わらない。これも、こまる。けど、俺がやって欲しいことは、気違い兄貴が普通に『ヘッドホンをして』静かにすることだ。毎日、鳴らすときはかならず、ヘッドホンをして鳴らすようにすることだ……。……これだけのことが、一四年間数ヶ月……あしかけ一五年間毎日、通らなかった。気違い兄貴は、一五年間毎日鳴らしていたけど、ヘッドホンをしてくれたときは、一日だけだ。それも、一〇分。他の日は、気違い的な意地で、すべての時間ヘッドホンしないで鳴らしていた。俺が入学試験を受ける前日だって、二日前だって、三日前だって、一ヶ月前だって、二ヶ月前だって、ずっとそうした。で、それが、本当に精神的にこたえるのである。「あんなのはない」……。いまでも「あんなのはない」と思う。特に、午前四時台、午前五時台に起きているときは、眠れないまま、入学試験に行ったときのことを思い出す。入学試験日じゃなくても、俺がどれだけ……。俺がどれだけ、午前四時台、五時台を眠れずにすごして、学校に行ってたと思っているんだよ? 破滅破綻なんだよ。限界なんだよ。そして、午後四時に帰ってくれば、ヘビメタが破滅的なデカイ音で鳴っている。どれだけ『静かにしろ」と言っても、絶対にやめない。そして、本人が風呂に入る時間と夜ご飯を食べる時間を抜かして、ずっと、午後一一時一一分ぐらいまで鳴らす。鳴らし続ける。「(弟は)明日中間テストがあるから、午後一〇時台はヘッドホンをしてやろう」なんて思わない。午後一〇時台だって、一分だって、絶対にヘッドホンをしないで、鳴らし続けた。弟にどれだけ『明日も中間テストだから静かにしてくれ』と言われても、腹を立てて鳴らしてたんだよ。腹を立ててな!! これは、親父が「このハンダゴテは使えない」「技術科の先生もそう言った」と兄貴に言われたときの反応とおなじだ。自分にとって不都合なことを言われたので、腹が立つという反応だ。怒って無視しなければ、相手の言うことを聞かなければならなくなってしまう。そんなのは、どれだけ小さなことだって絶対にいやだという意地がある。この意地が気違い的な意地で、本当にものすごい意地なんだよ。認知・認識をねじ曲げて、「そんなんじゃない」「がたがた、言ってくるな」と言って怒って、やり続ける。やり続けたのだから、やり続けたのに、やり終わった瞬間に、言われもしなかったし、やりもしなかったということになってしまう。そういう、自分にとって都合がいい『気違い頭』なんだよ。で、それでこまっているということは、家でやられている人にしかわからない。ヨソの人にもやっている本人にもわからない。まったく迷惑をかけてないつもりでそういう反応を返して、かならず、気違い的な意地で一分も一秒もゆずらないで、やりきる。そして、三六五日中三六五日、あたりまえのようにやっても、本人は、まったく一日もやってないと思ってしまう。これも、自動的にそう思ってしまうわけで、そう思ってしまったら……本人がそう思ってしまったら、他の人が……特にやられている人が……そういう人(やっている人)の認知・認識をかえることはできない。どれだけ言っても、現実を無視して、そういう認知・認識にとどまる。反対方向の意地と、やっていることに対する関心のなさというのが同居している状態だ。一切合切関係がない状態でやりきっているという認知が成り立っていて、関係があるのだということを認知できない。騒音のことで言うなら、『自分はまったく騒音を出してないので、自分はそのことには一切合切関係がない』という意識が成り立っている。一方では成り立っている。気違い的な意地で、デカイ音で鳴らすことにこだわってこだわって、デカイ音で鳴らすのだけど、一方では、『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識が、現在進行形で成り立っている。デカイ音で鳴らしているあいだじゅう『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識や認知が成り立っている。だから、やり終わったときには、『本当にまったく関係がない』つもりでいられる。時間が経った後『そんなの知らなかった』『そんなのやってない』と真顔でいうことができる。あれだけ、こだわりつくして、意地になってやったことなのに……。現実世界で、自分自身が意地になってやったことなのに、やってないつもりでいられる。頭がおかしい。そういう『無関心』がある。そういう『無関心ぶり』がある。その無関心ぶりにも本人は無関心で、「自分がそんなことをしてなんて信じられない」みたいなことを言いやがるんだよ。「そんなのまったく知らなかった。なんだなんだ」……やりたいことを押し通していた当時みたいに……怒って言うことができる。「(どれだけ言われても)関心がない状態でやっていた」と言われると、不愉快になる。これは、自分が鳴らしたいときに「静かにしろ」「ヘッドホンをしてくれ」と言われたときとおなじ反応だ。

この世というのが、ヘビメタ騒音に四六時中やられているこの世


2018年12月07日00時00分27秒
うんむーー。つかれた。
どうするかな??
俺はどうすればいいんだ??
俺はどうすればいいんだ??
もう、ずっと、さっきから、俺はどうすればいいんだ?って考えっぱなし。俺は、どうすれば……。

ヘビメタ騒音で来る日も来る日もくるしかったな。ともかく、くるしかった。この世に存在するというとだけで、たいへんだった。この世というのが、ヘビメタ騒音に四六時中やられているこの世なのだから。

2018年12月3日月曜日

すべての努力が無駄になる騒音

2018年12月03日01時37分50秒
つまんね。どうかんがえてもつまんない。気違いヘビメタで人生がない。どうしても、気違いヘビメタでくるしい。あれが毎日続いて本当にすべてがだめになった。そうじゃない人生というのがない。そして、たぶんだけど、あれだけ毎日ヘビメタ騒音を経験したのは、人類のなかでぼくだけだ。ということは、ぼくがどれだけ言っても、体験としては他の人類にはわからないということになる。そして、他の人類は、自分の人生の中にあった「騒音体験」をもとにして、ぼくの騒音体験について考える。類推。推量。そりゃ、つらい」というのはわかるかもしれないけど、体験としてはわからない。類推しているだけだから、想像に頼っている部分がある。その部分が大きい。大きいと全体の認知にゆがみが生じる。ともかく、あのヘビメタ騒音にやられたのはぼくだけで、あのヘビメタ騒音のおそろしさを知っているのはぼくだけだ。すべての努力が無駄になる騒音。それがヘビメタ騒音だ。ヘビメタ騒音生活で、全部ない。ヘビメタ騒音がなければ、ぼくが普通に勝ち得たことは、すべて、ない。気違いヘビメタ騒音にやられたからだで這いつくばって生きてきただけだ。もちろん、不効率。

2018年11月29日木曜日

つーまーらなーーい。

つーまーらなーーい。
つまらない~~~。
本当、つまんないな。
つまらなくなってきた。
どうするかな?

うーーん。
外壁の補修について考えるか。
うーん。金がかかるなぁ。

ここには書いてないけど、やっぱり、あそこらへんの道はヘビメタ騒音の思い出がいっぱいにつまっているから、どーーしても、精神的にはおかしくなる。

勝手に「やってやりたいこと」を思いついて、それしかしない

親父は本人のなかでやってやりたいことをやってやれば、それで、本当に一〇〇%やってやったことになってしまうというような性格傾向がある。ようするに、勝手に「やってやりたいこと」を思いついて、それしかしない。

相手が「やってくれ」と真剣に頼み込んでいることは絶対にやってやらないのだ。相手が「やってくれ」と言っていることを、気違い的な解釈で誤解して、「自分が思いついたことを」やってやるということになる。

相手にしてみれば、「それを」やられると、もっともっとこまるわけで、ぜんぜん解決にならない。むしろ、やっかい事が増えた状態だ。こまった状態なのに、さらにこまった状態になる。こういうことが、おこってしまう。

ハンダゴテ事件の場合、親父の「やってやりたいこと」が、「自分の物置からハンダゴテを出してやる」ということだった。で、ハンダゴテを出してやったら、それで、終わりなのだ。

もし、「これじゃない」「これは使えない」と言ってくる相手がいるとしたら、その相手が悪いということになる。「使えない」ということを絶対の意地で認めない。自分がよくわかっていないことでも、絶対の意地で認めない。事実とは関係なく、親父のなかでは、使えるハンダゴテだと決まっているのである。で、それを、相手がくつがえすことはできない。

「ちゃんとやってやったのに」→「相手ががたがた文句を言ってくる」……ということで怒る。やってやりたいことは、うちにあるハンダゴテを持ってきてやるということであって、それ以外ではない。気違い兄貴は、当時、中学一年生で金を儲けるわけにはいかなかった。※親父に頼むしかない※のである。

だから、親父が首を縦に振らなければ、「ちゃんとした」ハンダゴテを学校に持っていくのは不可能だということになる。そして、兄貴が学校にちゃんとしたハンダゴテを持っていけない状態を、親父は作り出していた。そういう状態を頑固に押しつけていた。

もちろん、発狂して頑固に、「使えないハンダゴテだ」ということを認めないとしても、「自分が使えないハンダゴテをこどもに押しつけている」とは思ってない。これも、言われればわかることではなくて、※その場では※どれだけ、「親父がそういう態度で、使えないハンダゴテを押しつけてくると、こまる」ということを相手が言ったとしても、認めない。相手というのはここでは、兄貴のことだ。

この「認めなさ」は「いのちがかかった認めなさ」だから、普通の人が考えるような「認めなさ」ではない。全力で、いのちをかけて否定するわけで、本当に、殺人的な心的エネルギーが投入されている。なので、そういうことを、認めるか認めないかについても、殺人的な「意地」がかかっていることになる。

兄貴が親父にやって欲しかったことは、「金を渡してくれ」ということだった。要するに、金をもらったら、それで、自分でエレクトロニクス用のハンダゴテを買ってくるから、金をくれというのが兄貴が要求したことだった。

で、気違い親父が出してきたハンダゴテがちゃんとエレクトロニクス工作に使えるものであればよかったんだけど、そうじゃない。

で、その場合、ちゃんと兄貴が説明しているのだから、『このハンダゴテではだめだ』ということを親父が認めればいいわけだ。普通の親だったら、……あるいは、普通の大人だったら絶対にわかる話しなのである。学校に持っていくハンダゴテを買うのだから、悪いことに金を使うわけじゃない。

……ヘビメタ道具を買うという悪いことに金を使うわけじゃない。ヘビメタ道具を買うのは悪いことである。その道具を使って、他の家では絶対にあり得ない騒音を出し続けるという前提で買うのだから、人を刺すためにナイフを買うのとおなじで、悪いことだ。

まあ、この話は抜きにして、元の話を続けると……使えるハンダゴテか使えないハンダゴテかということを見わけるのは本当は、簡単なことなんだよ。三角と丸を見分けるのとおなじぐらいに簡単なことなんだよ。それに、(エレクトロニクス工作用に使うハンダゴテを)知らないのであれば、知らないのだから、『絶対に使える』『だいじょうぶだだいじょうぶだ』と主張しなければいい。

現実は、絶対に使えないハンダゴテなんだけど、※親父の妄想のなかでは※、※絶対に使えるハンダゴテ※なのだ。で、そういうところで、スイッチが入ってしまうと絶対にゆずらない。

相手が何万回言っても、絶対に認めないということになる。そういうことが、ヨソの人にはわからないから、ヨソの人は「ちゃんと説明しなかったおまえが悪い」と言うことになる。おまえというのは、ここでは兄貴のことだ。

親父の頭のなかでは、「使えるハンダゴテ」でなければならないので、相手がどれだけ説明しても、頭の中で、最初に決めた答えが、かわらない。相手の説得によって、最初に決めた答えがかわるということが、ない。けど、そういう頭の構造を持っているということは、家族以外の他人にはわからない。あとは、親父自身がわかってないところがある。

で、兄貴もまったく親父とおなじで、自分がやってやりたいことしかしない。そして、それが、相手にとってどれだけ意味がないことであったとしても、相手にとって意味がないことだということを、認めない。

相手が、必死になって、どれだけ、説明しても、親父のように怒るだけで、認めない。兄貴は、親父のように、相手(俺)が言っていることを認めない。

本人が認めなければ、どれだけ言われても、言われたことにならないのである。本人が認めなければ、どれだけ「事実」であったとしても、本人のなかでは、「事実ではない」ということになる。

こういうしくみも、親父とウリフタツ。

まったくおなじなんだよ。兄貴は、ハンダゴテ事件や他の事件で、おやじこそういうことを、何万回もやられて、そういうことをやられたときの悔しさやいらだちがわかっているはずなのに、俺には、そういうことを、親父の態度で何万回もやった。

やるわけだよ……。

自動的にそうなる。

親父が兄貴にやってきたそういう、きちがい行為の回数を一〇〇だとすると、兄貴がヘビメタ騒音だけで鬼になってやったきちがい行為の回数は、一不可思議ぐらいの値になる。

自分がやられて、頭にきたことを、俺にそのままのかたちでやり返す。やりまくる。もちろん、そのままのかたちなので、本人のなかでは、何万回、何不可思議回繰り返しても、一回もやったことにならないのである。親父と頭の構造がおなじなので、自分がやりたいことを(自分が相手にやってやりたいことを)やってやったら、それでおしまいなのである。

で、その「自分が相手にやってやりたいこと」というのが、相手にとっては、許しがたいことなのである。「自分が相手にやってやりたいこと」というのは、相手の話を聞いて「勝手に自分が思いついたこと」なのである。

で、その「勝手に自分が思いついたこと」というのは、相手にとっては、かならず、意味がないことなのである。相手にとっては、かならず、屈辱的なことなのである。それは、どうしてかというと、相手が本当に要求していることは、俄然無視して、逆にこまることを押しつけてくるということになるからだ。

で、これが最初から「きまっている」のである。親父のハンダゴテのように、決まっている。親父は、ハンダゴテを買うお金を出したくなかった。だから、親父が物置からハンダゴテを出してきたときには、そのハンダゴテは現実を無視して、使えるハンダゴテだということになっていた。(親父なかでは、なっていた)。

で、どれだけ言っても、それは、くつがえらない。親父がやってやりたいことは、家にあるハンダゴテを出してやるということであって、新しいハンダゴテを買うために金をやるということではないから。新しいハンダゴテを買うために金をやるというのは、死んでもいやなことなのである。

最初から、死んでもいやなことなのである。

だから、現実には関係なく、家にあるハンダゴテは絶対に使えるものでなければならないのである。現実には関係がないので、どれだけ相手が説明しても無駄なのである。

兄貴がやりたいことは、「思いっきりヘビメタを鳴らしたい」ということなのである。だから、それに反することは、絶対にできないのである。

親父とおなじで、現実を無視してやることに決めていることだから、相手が言っているように「ちゃんと静かにしてやる」ということは、絶対にできないことなのである。

だから、相手がどれだけ、「本当に静かにするというのはどういうことか」ということを説明しても、認めない。親父の態度で親父とおなじように認めない。「そんな譲歩じゃ、静かにしたことにならないから、ちゃんと静かにしてくれ」と言われた兄貴は、「そんなハンダゴテじゃだめだから、新しいハンダゴテを買うための金をくれ」と言われた親父のように、「そんな譲歩じゃ、静かにしたことにならない」ということを絶対の意地で認めないのである。兄貴の場合も、認めないことに、いのちがかかっているのである。いのちがかかっている状態で絶対に認めない。

絶対の意地で認めなかった期間は、一四年と五ヶ月だ。あしかけ、一五年間だ。一五年間毎日、どれだけなにを言われても、こういう基本的なことを、絶対に認めなかった。

いのちがけで認めなかった。認めてしまったら、「本当に静かにしなければならなくなる」からだ。それは、死んでも、いやなのである。だから、発狂して、はねのける。ハンダゴテの金を出したくなかった親父のようにはねのける。

親父が兄貴の要求をはねのけたように、兄貴は俺の要求をはねのける。

親父は何回繰り返しても、実は、兄貴の要求をはねのけたという基本的な事実を認めなかったのだけど、兄貴も、弟の要求をはねのけたということは、一五年間、認めてない。

毎日頑固にやっていることなのに……一五年間にわたって、気違い的な意地で繰り返し繰り返しやっていることなのに……兄貴のなかでは……一回もそんなことをしたつもりはないということになっている。兄貴の認知としては、一回もそんなことはしたことがないという認知なのだ。

で、これも、絶対に認めない。

いまだに、何十年経っても認めてないよ。「自分が親父みたいだったなんて、そんなことはあり得ない」「静かにしてやった」と思っているわけだよ。あんな態度で、一五年間、毎日鳴らし切って、そういう認知なんだよ。こんなやつが、「やっているとき」に認めるわけがない。

「やっているとき」というのは、「やりたいとき」なんだよ。「やりたいとき」に「自分の行為で相手が困っていると言うことを認めてしまったら」できなくなってしまうだろ。そんなことは、最初から認めないことになっているから、認めない。

そして、認めなかったということも、認めない。認めなかったというとを認めるということは、あり得ない。そういうふうに、時間階層的に、時間入れ子構造的に認めない。これは、兄貴も親父もおなじだ。まったくおなじ。

本当に全部おなじ構造でやっている。

脳みその構造がおなじでやったことがまったくおなじなんだよ。
ハンダゴテとヘビメタのちがいはあるけどやったことはおなじ。

自分が思いついた「やってやりたいこと」しかやってやらない。けど、そういうことでも、やってやったら、すごいことなんだよ。ものすごく恩着せがましく、まったく役に立たないことを「やってやる」ということになる。

まったく役に立たないどころか、こまるんだよ。相手がこまる。兄貴も親父も相手がこまることしか思いつかないし、相手がこまることしかやってやらない。


けど、自分がやってやりさえすれば、それで問題が片付いたと思ってしまうのである。で、「問題が片付いたわけじゃない」ということを、(相手)がどれだけ説明しても、発狂して認めない。

そして、認めないということも、認めなかったということも、認めないということになる。やりっぱなし。ごり押しで、やりっぱなし。やり続ける。気違い的な意地で発狂してやり続ける。

だから、実際には、やり続けたのに、今度は、やり続けたということを、発狂的な意地で認めないということになる。一度そうなったら、相手が、その考えを修正するということは、できない。

それは、他の人が、統合失調症患者の妄想を修正できないのとおなじだ。

けど、それが、他の人にはわからない。(うちにいる人以外はわからない)。なので、他の人は「家族で話しあえばいい」などという無茶なことを言う。

「ちゃんと説明すれば絶対にわかるはずだ」というようなことを言う。「ちゃんと説明しないからだめなんだ」というようなことを言う。ヨソの人の基準で、うちのなかのことを説明しようとするから、ヨソの人は、常に間違った判断をするということになる。けど、ヨソの人にとっては、自分が間違った判断をしたということは、どうでもよいことなのである。どうしてなら、他人の家のことだからだ。

説得して、言うことを聞かせるというのは、絶対、うちでは絶対に無理なことなんだよ。けど、それが、ヨソの人にはわからない。

兄貴は本当に、ハンダゴテで親父にやられたことを、ヘビメタ騒音で俺にやり返している。親父にやり返せばいいのに! ヘビメタ騒音を鳴らしている時間、親父は、家にない。こういうことばっかりだよ。親父は親父で、今度は『兄貴に注意する』というとがやりたくないことになるから、どれだけ俺に頼まれても、絶対の意地で無視して注意しないということになる。

けど、それだって、ヨソの人からみれば「そんなにデカイ音で鳴らしているのに、親が注意しないのはおかしい」と思えるようなことなんだよ。そうやって、へんな態度で常に、ヨソの人が勘違いをするようなことをする。もちろん、そういうふうに世間の人を誤解させて、(相手を)追い込んでやろうなんてことは考えてないんだよ。けど、ごく自然にそうなる。兄貴もおなじだ。気違い兄貴の態度は、普通の人にとってみれば、おかしな態度なのである。だから、普通の人は「本当にそんなデカイ音で鳴らしてたのかな」などと思ったりする。気違い兄貴は、気違い親父的なしくみを持っているので、ヘンなところで相手を追い込む。

2018年11月27日火曜日

『ぼくの人生はどうなってしまうのだろう』と冷たい気持ちで思っていた



なぜか、コロッケが食いたくなった。
なぜ? コロッケ。あぶらものはなるべく食べないようにしているんだけど、まあ、ときどきならいいだろう。

コロッケを買いに行くしかないか。コロッケだとスーパーだな。

小説のほうの文章の校正をした。あー、これもけっこうくたびれるんだよ。

もう本当に寒い冬だもんな。
もうすぐ、12月だもんな。
1年が早い。こんなのは、ない。

早すぎる。

寒いので、ストアに行く気がしない。

また、さみしい思をして、ひとりでテクテク歩くのか?
ヘビメタ騒音がなければ、別にひとりでテクテク歩くのは問題があることじゃない。そういうことだって、楽しめる。ただ、俺の場合ほんとうにヘビメタ騒音で人生が破壊されたので、ヘビメタ騒音の雰囲気がしてしまうんだよ。ヘビメタ騒音にやられていたときに、外を歩いていたときの感情が、外を歩いているとよみがえる。それが問題なんだよ。だから、俺以外のひとにはこのことはわからない。

じゃあ、友達と歩いていたとき、さみしくなかったかというとそうじゃなかったんだよな。やはり、ヘビメタ騒音できゅーーっとするところがあった。『ぼくの人生はどうなってしまうのだろう』と冷たい気持ちで思っていた。

2018年11月25日日曜日

そんなキレイゴトが成り立つなら、苦労しない


2018年11月25日14時27分46秒
いろいろと考えてたんだが、けっきょく、やってることがかわらない。
追い詰められているんだよね。いつからかというと、小六の時から……。ずっと。思う存分勉強ができなかったというのがいたい。あとは、生活の基盤を崩されたというのがでかい。まあ、こういうことも、ここには書くべきではないのだが、書いてしまおう。
いろいろとあるんだよな。

さて、健康年齢を65歳までとして、65歳までいきられればいいということにすると、お金の使い方がちがってくるんだよ。しかし、お金のことはでかい。健康年齢を65歳までと考えると、自殺したくなるので、考えない方がいいかも。いろいろな思いがこみ上げてくるだろ。気違いヘビメタ騒音で自分の若い時間が全部なかったわけだから。普通に働けるからだではなくなってしまったのだから。

まあ、ともかく、もう若い頃の願望は叶わないということになると、それはそれで、絶望なのではないかと思う。(ブログなので、あんまり詳しく書かないけど)。

どうすっかな。動くとなると、いろいろと細かいことが気になるんだよ。気にしないやつは本当に気にしない。どれだけ言われても病的に気にしない。で、そういうひとにやられてひどい目に遭っていると、『気にしない人』になるのがいやだという気持ちがめばえる。たぶん、無意識的な気持ちだろうから、なんとなく、間接的に関知するしかないのだけど、たぶん、そういう気持ちがあるのではないかなと、思う。これは、間接的にしかわからない。『気にしないひとになるのがいやだという無意識がある』ということを前提にして物事を考えると、説明できることがあるということだ。
まあ、気にするのは、たぶん、普通のまったく問題がない状態で、気違い親父に逆上されていたということが影響しているんだけどな。常に、気違い的な攻撃を受けていたからな。
親父みたいのは、相手が幼稚園児だから手加減するとかそういうことはない。相手が幼稚園児なら、安心して、いちゃもんをつけられるから、気違い的な理由でいちゃもんをつける。相手が小さければ小さいほど、過激に、いちゃもんをつけて怒り狂う。小さい相手にしかそういうことができない。まあ、気違い親父側で、逆上する理由がある場合はそうではないのだけど……。ともかく、小さい自分のこどもというのは、感情のサンドバックとして適切なのだ。自分の負の感情をぶつけてくる。もちろん、ぶつけるつもりなんかない。暴発するボイラーなんだよ。だから、理由なんてないんだよ。怒りがマグマだとすると、気違い親父のなかに、怒りのマグマがいっぱいたまっているわけ。だから、自分の家族という、怒ってもいい人に囲まれると、どんな小さな理由でも、噴火することができる。小さな理由どころか、理由なんかないのに逆上できる。噴火できる。本当に、妄想的な頭がおかしい理由を勝手につくって、逆上してしまうような状態だ。相手に』逆上するわけで、やられた相手はたまったものじゃないのだけど、親父は、気にしない。あたりまえだと思っている。『あたりまえかどうか』ということを、考えることすらしない。

気違い兄貴のヘビメタ騒音もそういうところがあるんだよな。あたりまえだと思って、気違い的な意地でやる。あたりまえかどうかということにかんして考えもしない。たとえば、この音がでかい大人のかどうかということについて考えることもしない。「やってあたりまえ」なのである。どれだけ、「こまるからやめろ」「異常な行為だからやめろ」と言われたって、相手がこまるということは考えないし、自分の行為が異常なのかどうかということについて疑問を持たない。『あたりまえ』だと思ってずっとやる。異常な行為をあたりまえだと思ってずっとやる。気違い兄貴なんて、たぶん無意識のレベルで『これはやっていい音だ』と言い換えたら、最後の最後までうちではその音で鳴らし続けた。俺だけじゃなくて、兄貴の友達に「異常にデカイ音だ」「家族の人がかわいそうだ」と言われても、そんなことはまったく思わない。「あたりまえだ」と思ってやりまくる。こっちがどれだけ「こまる」ということを言っても、そんなことは、気にしない。気にならない。

ヨソの人はこういう気違いにやられたことがないから、わからない。こういう気違いがどういう状態でやりきるかわかってない。『言えばわかる』と(ヨソの人たちは)思っている。もう、そこからして、前提がちがうんだよな。そんなキレイゴトが成り立つなら、苦労しない。そういうキレイゴトでは、「うち」の現実を説明することができない。そういうキレイゴトの体系をもちいて、うちの現象を説明することができないのだ。だったら、おかしいということになる。

世間の常識(ヨソの人たちが持っているキレイゴトの体系)にうまく適応できない人は、そういう背景を持っている場合がある。
(ここで、拡張して説明するべきではないけど、認知療法の説明の体系を用いて親父の状態を説明することができないのである。兄貴の状態を説明することができないのである。親父の状態だけではなく、親父の認知や親父の行動も説明できない。兄貴の状態だけではなく、兄貴の認知や兄貴の行動も説明できない。認知療法家は「おかしなひとはいます」と言い出す。そして、「おかしなひとの影響を受けていいのですか」と続ける。これがまた、やっかいな問題なんだよ。この問題は『騒音サイコパス』でとりあげたので、どこかに書いてある。



2018年11月24日土曜日

兄貴の「ゆずってやった」は、親父の「ちゃんとやってやった」とおなじなんだよ


さっきもそうだけど、動けなくなっちゃうんだよな。ヘビメタ騒音のときの憂鬱が襲ってくる。

なんかいろいろやりようがあるように思うかもしれないけど、実際に、あの頻度で、ずっと鳴らされていると鳴ると、手の打ちようがない。どれも、ふさがれてしまう。戦略戦術ともに、最低になる。からだが動かないときの憂鬱な気持ちといったらない。しかも、本当に、鳴らされている生活だと、どうにもならない。糸口さえない。糸口さえつかめない。それが、あの頻度で、ずっと鳴らされるということだ。これ、本当に、気違い兄貴が、一日に三時間でもちゃんとヘッドホンをして静かにしてくれたらだいぶちがうんだけどな。それから、緊急のときには、一〇分間でも、ちゃんと静かにしてくれたらちがう。一〇分間も静かにしてくれなかった。こっちが、どれだけあせって、「これこれを探すから、静かにしてくれ」とか言っても、ちゃんとヘッドホンをして、探しているあいだ静かにしてくれると言うことがなかった。融通が利かない。気違い親父おなじなんだよな。気違い兄貴は気違い親父とおなじで、融通が気ない。もう、頑固に一秒だってゆずらない状態で鳴らしている。で、そういう融通が利かない状態でずっと、相手が言うことを無視して鳴らしてきたということが、まるで!!!!!!わかってないんだよな!!! これも、親父とおなじなんだよ。『そんなの知らない』『そんなことはやってない』と怒ったら、もう、それでおしまい。まったく関係がないひとになってしまう。こっちがピンチでこまっているとき、『ピンチでこまっているからやめてくれ』と言っても、一秒だって静かにしない態度と……『静かにしてくれなかった』と言われて『そんなのは知らない』と怒っている時の態度がおなじなんだよ。まったくおなじ。時間入れ籠(入れ子)構造。どうしてピンチかというと、気違い兄貴のヘビメタ騒音が前の日も、前の日も、三〇日前も、三〇〇日前も鳴ってたから、ピンチになっているんだよ。そういうことがまったくわかってないんだよな。親父とおなじでぇ!!! 親父とおなじでぇ!!! 本当に!!!まったく!!!!なにもわかってないんだよな!!! そういう毎日だ。そういうことが、普通に成り立つ毎日だ。いつもいつもそういうことが普通に成り立つ毎日だ。そうではない日がない。そうでない状態がない。かならず、融通が利かない。かならず、融通が利かない状態で、気違い兄貴が夢中になってヘビメタを鳴らしている。鳴らしていたら、途中で中断して、一秒でも我慢してやるつもりと言うのは、ないんだよ。だから、一秒だって中断して、ちゃんとヘッドホンをして静かにしてくれると行こうとがない。だから、ずっと鳴らしているのに、気違い兄貴は気違いだから? あるいは、気違い兄貴は気違い親父とおなじだから、ずっと、そうしているのにもかかわらず、自分がそうしているというつもりが一切合切わかない。やりきれるかぎりは、ずっとそうなんだけど、ずっとそうである限りは絶対にずっとそうであるということを、認めない。そりゃ、ずっと認めないんだよ。一年、三六五日中三六五日認めない。二四時間中二四時間、絶対の意地で認めない。そして、一日、二四時間中、二四時間、融通を利かせて、一分間我慢して静かにしてくれるということがない。たとえ、一分間でも自分が、本当に我慢するのは、絶対やってやりたくないのである。だからやってやらない。「だからやってやらない」のに、「やってやらなかった」という気持ちや認知がしょうじない。しょうじるのは「やってやった」という気持ちや認知ばかりなのである。これは、親父とおなじだから!そうなっているだけだ。気違い兄貴は実際に「やってやった」から「やってやった」という認識を持っていると……自分で思っているかもしれないけど、そういう認識自体が、問題なんだよ。それは、親父とおなじ認識システムの問題を持っているからできることなんだ。これを「やってやったからやってやった」と思っているんだよ。気違い兄貴は、事実やってやったから……「やってやったのになんだ」という気持ちがしょうじたんだと思っているわけだよ。そんなことが成り立つなら、気違い親父だって、『ちゃんとハンダゴテを出してやった』ということになる。親父の「ちゃんとやってやった」という認知が正しいということになる。けど、「やられた」気違い兄貴はそう思ってないだろう。「やってくれなかった」と思っているわけだろ。おなじなんだよ。兄貴にわかるように言っておくと、おなじ。気違い親父とおなじように、「やってやった」と思っているだけなんだよ。「ゆずってやった」「譲歩してやった」というのは、客観的には全部嘘なんだよ。こっちは、強烈にこまることしかおしつけられていない。『譲歩』じゃなくて『強烈にこまること』なんだよ。兄貴の譲歩は、親父のハンダゴテとおなじなんだよ。兄貴の「ゆずってやった」は、親父の「ちゃんとやってやった」とおなじなんだよ。

   *   *   *

兄貴の譲歩は、トラブルを引き起こすことでしかない。実際、客観的にはまったく静かにしてない。気違い兄貴は、親父とおなじなので、入学試験の前の日に一二時間、めちゃくちゃにデカイ音で鳴らしても『譲歩してやった』と思える性格なんだよ。だから、まったく気にしないで、入学試験前日も、二日前も、三日前も、三〇〇日前も、九〇〇日前も、鳴らしていたよ。一日に一秒もゆずってくれなかった。これが真の姿だ。気違い兄貴は、親父のように自分の真の姿がわかってない。正反対の姿を思い浮かべている。どうして、正反対の姿を思い浮かべることができるかというと、親父とおなじ脳みそだからだ。親父とおなじ認知システムだからだ。客観的には正反対のことを……意地になってやっているのに……『譲歩してやった』『ゆずってやった』と思える気違い認知システム。現在進行形でそうだからな。あんなにデカイ音で鳴らしているのに、『普通の音だ』と客観的な事実を無視して言うのは、使えないハンダゴテを『使える使える』と客観的な事実を無視して言うのとおなじことなんだよ。それも、あしかけ一五年毎日、通している。親父だって、ハンダゴテに関しては二日しか通してないのに、兄貴は、あしかけ一五年間通している。『通している』というのは、ここでは、おなじ態度でずっとやり続けることだ。

2018年11月23日金曜日

『空白』を巡って、ヨソの人が的外れなことを言うことによってしょうじる関係


俺の場合どうしてもヘビメタが影響してしまうんだよな。そして、他の人には、わからない。影響の大きさも、影響が不可避的だということもわからない。影響が不可避的だ』ということに関しても、文句を言いたい人は文句を言うだろう。『不可避的ということはない』とね。けど、不可避的な部分がある。その人がどれだけ認めなくても、不可避的な部分というのがある。その不可避的な部分で、ぼくがどれだけのことを経験してきたか、そういうことを言う人はわかってない。もちろん、そういうことを言う人は、本人が、俺とおなじぶんだけヘビメタを浴びたわけではない。ようするに、俺とおなじ経験をして……少なくても、音量と時間、期間レベルではおなじ経験をして、ものを言っているわけではない。だから、最初から、見えてないものがある。これは、経験してないのだから、見えなくて当然だ。見えてないものに関して、自分の尺度でものを言っているにしかすぎないのである。なので、間違ったことを言っている可能性がものすごく高い。けど、そいつはそいつで、ヘビメタ騒音を浴びなかったわけだから、そんなことは、どうでもよいのである。

気違い兄貴よ。おまえ、もしかりに、気違い親父が、ハンダゴテ事件の一週間後に「そんなことしてない」と言ったら、どう思うんだよ? 気違い兄貴が俺にしていることはそういうことだ。もしかりに、気違い親父がハンダゴテ事件の一週間後に「そんなの、言えばよかったのに」と言ったら、気違い兄貴はどう思うんだよ。気違い兄貴が俺にしていることはそういうことだ。もしかりに、気違い親父が、ハンダゴテ事件の一週間後に、「どうしてそんなことでこまっているんだ?」「どうして、そんなことで友達からバカにされているんだ?」と言ったら、気違い兄貴はどう思うんだよ? 気違い兄貴が俺にしていることはそういうことだ。気違い親父とおなじ頭の構造だから、何十年間もそういうことを「言って」わかってないだけだろ。おなじだから、わかってないんだよ。おまえ、ただがハンダゴテのことだって、どんだけ、くやしい思いをしたと思っているんだよ。ただの二日間のことだって、どんだけ、くやしい思いをしたと思っているんだよ。ヘビメタ騒音は、そういこうとが、五〇〇〇日、六〇〇〇日、つもっているんだよ。そのあとの人生だって、『ヘビメタ騒音で働けなくなった』『ヘビメタ騒音で通勤ができなくなった』ということで、どれだけ、他の人と、そういう関係になるかわからない。そういう関係というのは、気違い親父のことがわかってない友達に、兄貴がとやかく言われる関係だ。そういう関係というのは、『空白』を巡って、ヨソの人が的外れなことを言うことによってしょうじる関係だ。親父の空白。兄貴の空白。気違い的な意地で、頑固に頑固にやったことは、全部やってないことになっている。まったく自分が関係ないことになっている。どれだけの意地でやったと思っているんだよ! 「どれだけの意地でやったと思っているんだよ!」なんてどれだけ言ったって、それも、『そんなのは言われなかった』ということになってしまうのだ。『そんなのは、知らなかった』ということになってしまうのだ。時間がたてばそうだ。時間がたてば。これ、直後でもおなじだからな。直後でもおなじなんだよ。言われた直後でも、言われなかったつもりになっている。そんなの、普通の人は信じない。そんな人が、普通に日常生活をしているなんて信じられない。そんな人は、精神病院に隔離されていると思っている。けど、うちでは、まごうことなく、そうなんだよ。『空白』なんだよな。自分にとって都合が悪いことは全部空白なんだよ。で、強情にやり通す。で、「やったつもりがない」。

2018年11月21日水曜日

他の人にとってはどうでもいいことだけどさ。


やっと、どうにか、普通の状態になった。
ふーー。これ、きついなぁ。人間付き合いが(人づきあい)がヘビメタ騒音以降ずっと、ぼくにとってくるしいものになってしまったのである。どういう機制が働いているのかというのは、『騒音サイコパス』でずっと書いてきたことだし、これからも書くことだけど、これは、説明するのがむずかしい。
ずっと、あの態度でやられ続けると、一〇年後ぐらいには、なるべくしてなるのだ。この、『あの態度』というのが、他の人にはわからない。だから、気違い兄貴の『空白』じゃないけど、他の人の『空白』になる。『あの態度』が根本的にわからない。『あの態度』でずっとやられるとどういうことになるのか、経験を通してわからない。なので、ぼくの状態と状況を理解することはできない。
本当に、常に溝がある。他人の認知とぼくの認知のあいだにつねに溝がある。そういうことなんだよね。「ほねがらみ」のことなんだよ。気違い兄貴の気違い騒音だって「ほねがらみ」のことなんだよ。他の人にとってはどうでもいいことだけどさ。

2018年11月19日月曜日

ちゃんと用意をしたかったという気持ちがある

だいぶ、文章を書いたのだけど、まとまらなくなった。

うわわわわうわわわわわ~~~

と叫びたくなった。



なので、叫んだ。



どうしたらいいんだ!どうしたらいいんだ!どうしたらいいんだ!まよう!!まよう!!まよう!!



この雰囲気!!!!



足を引っぱられる感じ。毎日勉強を邪魔されているのに、その体で、試験を受けに行く雰囲気。旅行に行く雰囲気。



足、引っぱられ感が並みじゃない。

毎日やられて、準備ができてないのに、「行かなきゃいけない」という感じ!! 毎日やられて、つらかった。ものすごくつらかった。いつもいつも、ヘビメタ騒音で感情がめちゃくちゃになった状態で外に出る……出てた。友達と会うときだってそうだ。家を出るときもヘビメタが鳴っていた。後ろ髪を引かれるような状態……。気違い兄貴の、気違い親父的な態度!!! あの、腹立つ!!態度!! あの、腹立つ認知!!! ゼンブガゼンブボロボロの状態で、修学旅行にも行ったわけだし、試験を受けにいったわけだし、毎日学校に通っていた。そのときに、全部狂っている。この「全部」というのは、本当に「全部」で、行きすぎた一般化じゃない。「全部」といっても問題がない「全部」なんだよ。どうしてかというと、すべてのイベントが始まる前の日、ヘビメタが鳴っていたから。前日までの、積み重なったヘビメタ騒音で、身も心も、大きくやられている。こんな状態で、行くのはいやだ……という気持ちがある。ちゃんと用意をしたかったという気持ちがある。ちゃんと寝たかったという気持ちがある。眠りたかったという気持ちがある……けど、前の日も、前の前の日も、三〇〇日前も、四〇〇日前も、たえず、気違いヘビメタが鳴っているという状態だ。どんな重要な日の前も気違いヘビメタが鳴っているという状態だ。休みの日や、平日の午後四時以降は、どんなところに行くときも、ヘビメタ騒音の中から出ていくという状態だ。その時の、腹が立つ、……腹わたが煮えくりかえった状態というのは、ない。頭が怒りと心配で、ゴッチャになっている状態といったらない。ヘビメタ騒音がなかった人……人生の中で毎日続かなかった人にどれだけ説明しても無駄だけど……あの感覚はない。この感覚がずっと残っている。

2018年11月15日木曜日

体験を通さないと絶対に理解できない

紅茶を飲んだ。
めぞん一刻を見ている。うーん。

俺の人生はなんだったのか?
ヘビメタ騒音生活でなくした力(ちから)のうち、けっこう大きな力(ちから)が、ものごとを楽しむ力(ちから)だ。どうしても楽しくない。もっとも、こういうことだって、「楽しまないやつが悪い」ということになる。そういうふうに言われる。そいつにとってはそうなのだろう。なんてたって、ヘビメタ騒音生活を五〇〇〇日も送ってないからな、そいつは。土台がちがう。まあ、人とくらべてもしかたがないけどね。圧倒的少数だから、ぼくの言っていることは普通の人には通じない。普通の人は……ヘビメタ騒音生活を体験してない人は……その人の基準で「よしあし」を考える。そして、「ようは、こころのもちようで、ポジティブに考えないやつが悪い」と判断する。

けど、ともかく、楽しくない。別の個体だとこういうことに関しては、体験がちがうので意見が一致しないことのほうが多い。体験がちがうと、言うことがちがう。

ぼくにとっても、「楽しめない」というのが切実な問題だということだ。もちろん、「意見する」そいつらは、「楽しめない」という問題を抱えてない。抱えていたとしても、程度が小さい問題だ。威力が小さい問題で、一時的に「楽しめない」と本人が「感じる」状態になっているだけだ。ヘビメタ騒音生活は、長すぎる。

理想像として、なにかに没頭すればいいとか、一生懸命に仕事をすればよいということは言われる。「俺なんて、いそがしすぎて、悩んでいるひまなんてないよ」などといいたくなる人は、それなりによい状態なのだろうと思う。けど、その人たちは経験してないからわからないだろうけど、ヘビメタ騒音プラス日常生活(一定の時刻に通うことが必要な生活)というのは、その人たちが想定しているようないそがしさではない。ちがう。ヘビメタ騒音によって押し出される、いそがしい生活は、「一所懸命に作業をしていると」ヘビメタ騒音のことを忘れてしまうような生活ではない。そもそも、ヘビメタ騒音……の連続で……「一所懸命に作業している」ときも、頭の三割ぐらいは、ヘビメタ騒音のつかれと悪寒にむしばまれている状態だ。つかれて、帰るところが、ヘビメタ騒音が鳴っている場所だというのも、頭がいたい問題だ。本当に、追い詰められる。何千日も続いた場合、本当に追い詰められるのだけど、追い詰められているときの(日常の状態)が他の人にわかるような状態ではないんだよな。だから、常に、「まとはずれ」なことを言われる。この、他人に的外れなことを言われるというのも、兄貴によるヘビメタ騒音問題の一つだ。それは、気違い親父によるハンダゴテ事件が、他の人には理解しがたい問題を含んでいるというのとおなじだ。他の人には理解しがたいというか、根本的にまったくわからない。根本的にまったくわからない人は、間違った推論をする。間違った前提で間違った推論をする。けど、「体験」にかかわることなので、その人たちは、体験を通さないと絶対に理解できない。その人たちは、事実を告げられたあとも、事実を認めずに、不可解な気持ちでいる。自分が持っている間違った認識をあらためることができない。

ともかく、ヘビメタ騒音の「いやな感じ」は、どんなにいそがしいときも、減らない。逆に、つかれたあと、増える。それは、体験から出てきたことだから、体験してない人には、根本的にわからない。わからないひとがわからないレベルで適当なことを言っているにすぎないのだけど、そのひとにとっては、「真実」と言えるものなんだよな。なので、こまる。どうしてかというと、溝があるから。そういうことを巡って、意見に対立ができる。ヘビメタ騒音を経験した圧倒的少数はの俺と、ヘビメタ騒音を経験してない圧倒的多数の他人とでは、圧倒的多数の他人の方が、人数が多いので、圧倒的多数の方が正しいことを言っているように思われる。そりゃ、多数の人(自分の感覚に基づいて)が、どちらが正しいか判断するわけだからそうなる。

   *   *   *

問題なのは、理由はどうであれ「問題を抱えているのは俺だ」ということだ。俺が、くるしい。俺が楽しくなくてくるしい。「つらいなんて感じる間もないほどいそがしければそんな問題は吹っ飛ぶ」とか「楽しい気持ちになろうと努力しないからいけないんだ」というようなことを言う人たちじゃない。その人たちは、楽しんでいるのだろう。ヘビメタ騒音に一四年間もやられなかったから、ものごとを「楽しく思う」機能が破壊されていない。なので、努力や意志の力で「楽しくなる」ことが可能だ。
けど、根本から壊されていると……あるいは、機能不全になっていると……それが無理なのだということになる。そして、機能不全になってこまっているのは「俺」であって、他の人たちではないという問題がある。

長いこと、かけて、ぼくの人生をうばった。あいかわらず、午前七時の雰囲気は最悪

とりあえず、こういう文章を書ける状態になった。こっちにはあまり書きたくないけど、朝は、きつい。ヘビメタ騒音の朝、そのものだから。特に、部屋が明るいときがきつい。午前七時とか、強烈にきついなぁ。午前八時もおなじ。

いままでやったことは、とりあえず、他の人のブログを見て、読んで、具なし味噌汁を作って飲んで、紅茶を飲んだだけだ。あとは、風呂の用意をした。用意と言っても、ボタンを押すだけだから。まあ、バスタブにちょっと水をかけて流したけど。

どうしたもんだ? さみしいから風の谷に行くということをちょっと考えたけど、憂鬱でどうにもならない。憂鬱。さみしい。風の谷に行くところを想像すると、さみしさがこみあげる。ぜんぜん楽しくない。むなしい。

この朝の雰囲気は、やばい。いま、冷凍スパゲッティーを解凍しているさいちゅうだ。(まあ、海外旅行に行ったって、この雰囲気は、かわらない。ずーっとやられて、朝の光景が、くるしい光景とむすびついている。本当に、気違い的な意地で「がめて」やったのに、本人はまったく悪いと思ってないんだよな。まったく、やってないと思っている。

本当にあいつがぼくの人間関係を全部うばった。長いこと、かけて、ぼくの人生をうばった。

2018年11月14日水曜日

ゲームの試合から逃げて仕事に現実逃避する?

現実逃避というのは、本人がたいせつだと思っている現実から逃避することなのだ。だから、人によっては「仕事に逃避する」ということもありえる。現実世界で、現実に仕事をしているのに、さらに、仕事に逃避するなんてことがありえるか? ありえる。本人がたいせつだと思っていることから逃避するわけだから、仕事に逃避するということはありえる。たとえば、サラリーマンで、子供がぐれているのだけど、ぐれている子供のことには対処せずに、仕事に逃げるということがある。ようするに、「本人が」なにかたいせつだと思っていることから逃げることが現実逃避なのである。なので、たとえば、ゲームの試合から、逃げることも現実逃避だ。ゲームの試合がたいせつだと思っているのであれば、ゲームの試合から逃げることは、現実逃避なのである。他人にしてみれば、ゲームの試合は大切なことではないかもしれない。けど、「本人にとって」大切なことであれば、ゲームの試合から逃げることは、現実逃避なのである。だから、ゲームの試合から逃げるために、仕事に没頭している人は、仕事に現実逃避しているということになる。客観的な目で見れば、ゲームをやらずに仕事に没頭しているのだから、現実に没頭しているように見える。どう見ても、外からは、現実逃避しているのか、それとも、単純に仕事に没頭しているのかわからない。普通は、仕事が現実で、ゲームなどの趣味?が逃避先に選ばれることだ。しかし、ゲームが現実で、仕事が逃避先に選ばれることもある。どうしてなら、ゲームより仕事がたいせつといった世間的な価値観ではなくて、本人の価値観が重要だからだ。本人の中でゲームが大切なことであれば、ゲームから逃げて、仕事に没頭したいと思うことがある。それは、やはり、仕事に現実逃避しているということになるのである。なので、世間的な価値観とは関係なく、本人がなにかしら重要だと本当は考えていることから、逃げることが現実逃避なのである。AさんとBさんがいるとしよう。AさんもBさんも、客観的にはものすごく熱心に仕事をしているとしよう。Aさんが、仕事が大切なことだと考えて、仕事に没頭しているなら、Aさんは現実逃避していることにならない。Bさんが、仕事よりも大切なものがあると考えているのにもかかわらず、その大切なものに直接対峙することがいやなので、仕事に没頭している場合は、仕事に現実逃避しているということになる。問題なのは、現実逃避先よりも、たいせつなものがある(ことがある)と感じてしまっているこころだ。「たいせつなもの」は人によってちがうので、世間的な価値観が通用しない場合がある。あくまでも「本人のなかで」どちらがたいせつかということなのだ。本人のなかで、なんとなくだが、重要だと思っていることから逃げた?場合、本人が「現実逃避している」と感じてしまうわけだ。



仕事に没頭しているサラリーマンは、他人から見れば、じゅうぶんに現実に対応しているように見えるのだけど、本人にとってなにか重要なことが他にあるのであれば、その重要なことから逃げて現実逃避しているということになる。問題なのは、ゲームに現実逃避しているのとおなじ問題がしょうじるということだ。もちろん、お金が入るぶんだけ、問題が少ないと言っていい。普通に考えれば、仕事をすればお金が入り、ゲームをすればお金が出ていくということになる。しかし、心的な過程では、仕事に逃避した場合も、ゲームに逃避した場合とおなじことがしょうじる。なので、本人は、焦燥感や虚無感を感じるようになる。

2018年11月12日月曜日

くさくてきたないのがヘビメタ騒音だ


2018年11月12日16時13分16秒
意識を失うように眠りたい。
ヘビメタのことで頭が重い。
あのときのまんまなんだよな。
外に出ても、ヘビメタ騒音にやられて入学試験に落ちていて、くるしかったときとおなじ気持ちのままだ。歩いているときのかんしがそういう感じだ。だれもわからない。近くで見ていたお母さんですらわからない。近くで見ていた親友ですらわからない。本気で心配してくれたけど……自分のことのように心配してくれたけど……ヘビメタ騒音で無理だ。期待にこたえられない。
ヘビメタ騒音とヘビメタ騒音当時の女の子のことを思い出す。あの二人は、本当にきれいだった。気違いヘビメタで、薄い氷のうえを歩いているような気分だ。冷たい水の中に落ちてもがいているような気分だ。

言いようがないんだけど、ともかく、無理だ。普通の気持ちなんて保てるはずがない。一〇年間やられれば、みんなこういう精神状態になる。一〇年間やられたあとは、どれだけ時間が経っても、まったくつかれがとれない状態になる。やられたときのままの冷たい風がふいている。冷たい水の中でもがいている。それも、きれいな水じゃなくて、くさくてきたない水なんだからな。くさくてきたないのがヘビメタ騒音だ。

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ひととつきあう体力も、仕事をする体力もなくなった。

いやー、まじ、つまんねぇわ。

買い物でも行くかな。

昨日買いそこねた、冷凍スパゲッティーでも買ってくるか。

さすがに二日続けて、外食はまずい。うまいけどまずい。金銭的にまずい。



ちっと、横になるか、紅茶を飲むか、ココアを飲むか、まーよーうー。



起きてから何時間たったのかよくわからないけど、けっこうつかれているなぁ。これは、やばい。



もっとばりばりといろいろな作業をするつもりだったのに、そーーーとーーにつかれている。しかも、なんか、さみしい。SNSはまわった。文章によるたわいもない会話。まあ、本当に人に会った方がいいんだろうな。そういうことに関しては。けど、ヘビメタ騒音一四年目以降、人づきあいがくるしい。まあ、ここらへんもヘビメタ騒音を一四年以上やられてひきこもっていると、ヘビメタ騒音を一四年以上やられないでひきこもっているひととでは、感覚がちがうんだろうなぁと思う。



ほんとう、ヘビメタ騒音をやられて、ひととつきあう体力も、仕事をする体力もなくなった。

2018年11月11日日曜日

この日曜日の感覚! ヘビメタ騒音の感覚!

あーーっ、やっぱりだめだ。
この日曜日の感覚!
ヘビメタ騒音の感覚!

ぜんぜん、かわりがない。
どれだけ俺がヘビメタ騒音で無駄でくるしい時間をすごしたか??
どれだけ……
本当、どれだけ……

   *   *   *

あーーあ、つまんない。
これ、どうするか?
人とはちがうんだよな。
精神病質的な家族の騒音で……こだわりの爆音騒音で、ぼくの人生は、こなごなになってしまった。どんだけ長く続いたか?
気違い兄貴がどれだけ長く鳴らしたか?

こだわりの音で! 気違い兄貴が静かな音や、普通の音で聞くわけがないだろ。気違い兄貴がヘビメタを鳴らすなら、かならず、ヨソではあり得ないようなどでかい音で鳴らしてたんだよ。

気違い兄貴! おまえ、親父とおなじで、うちの人にどれだけ言われても、まったく認めないのな。そして、兄貴の友達であるカオ君に「こんなデカイ音で鳴らして、家族の人だいじょうぶなの」「弟さん、かわいそうだよ」と言われても、まったくなにも感じないんだよな。こんなの、親父以上! 親父以上に頭がおかしい。

だから、『まったくなにも気にしないで』鳴らし続けることができたんだぞ。普通の人だったら絶対に気になる。気にして、静かにする。それがあたりまえだ。一日中、ヘッドホンをしてあたりまえだ。入学試験など特別な日の前だけではなくて、毎日、ヘッドホンをしてあたりまえだ。そのあたりまえがずっとない。

で、他の人たちは、そういう意地で(あにきが)鳴らしているということがわからない。『ヘッドホンをしてくれ』と言われれば、ずっとヘッドホンをしてくれるものだと思っている。こういうズレが俺をどれだけ追い詰めたと思っているんだ? こんなの、何十年もつもって良いわけがないだろ。ずっと、つもっているよ。

宣言をしておけば、現実が追いついてそうなる


宣言をしておけば、現実が追いついてそうなる。
↑にかんして言っておくと、ぼくは別にそういう考えを否定したわけではありません。『おまん、否定しとっちゃじゃないか』と思う人もいるかもしれないけど、『本人がそう思うぶんにはまったくかまわない』という意見なので、否定はしてないんです! 否定したと思っている人は、読み取り力(読解力)がないのだと思います。

俺がいやなのは

「宣言をしておけば、現実が追いついてそうなる」という命題は正しい(真である)のに、どうして、そうしないのだ? と責めてくる人たちなんです。

実験してみればわかるけど、『言えば現実になる』とか『書けば現実になる』ということは、100%成り立つことではありません。

なかには、言ったら現実化した(現実になった)と思う人がいるけど、言っても現実化しなかった(現実にならなかった)と思う人もいるわけです。

この現実化したかどうかというのは、主観的な思いこみで、客観的な事実とはちがいます。客観的な事実として現実化したかどうかということを問題にするのであれば、現実可能性が低いことに関しては、「現実化しなかった」と思う人が多くなります。

たとえば、50歳の日本人が、「俺はアメリカの大統領になる」と言ったとします。国籍は、50歳の時点で、日本です。彼は日本語は流暢に話すことができますが、英語は話せません。……こういう場合は、現実化する可能性は低いと言えます。

たとえば、50歳の日本人、10000人が「俺はアメリカの大統領になる」と言った場合、アメリカの大統領になれるのは、せいぜいひとりでしょう。そして、たとえば、ひとりの「50歳の日本人」が実際にアメリカの大統領になったとします。それですら、ほぼ確率がないことだけど、客観的事実としてアメリカの大統領になったとします

その場合、ひとりのひとは『言えば、現実化する』ということを言うことができる地位を手に入れるわけです。実際、言ったことが現実化したわけですから。

しかし、9999人のひとは『言えば、現実化する』ということを言うことができる地位を手に入れることはできません。『言っても、現実化しなかった』ということを言うことができる地位を手に入れるわけです。

だれにでも100%成り立つわけではないわけです。

しかし、そういうことを無視して、これは宇宙の法則だから、『言ったら、かならず、どんなことがあっても現実化する』というようなことを、言ってしまうわけです。

この『言ったら現実化する』というような言い方をする人は、100%、そういう意味で言ってるんです。そういう意味というのは、『言ったら、かならず、どんなことがあっても現実化する』という意味です。ところが、ひとり、大統領になれただけで、『これは事実だ』とまた、断言してしまう。そういう、病気みたいなものなんだよね。

いまの前提ですら、なれたのは、ひとりで、他の9999人はなれなかったわけです。架空の話しですけどね。その場合、9999人は、事実なれなかったということなります。『言ったことが現実化しなかった』わけです。

けど、ひとつの例で、それが、くつがえされてしまう。『現実化したじゃないか』と言い張る。結果が出る前と、結果が出たあとで言っていることが異なるということがわかりますか?

結果が出る前の『言えば現実になる』は『言ったら、かならず、どんなことがあっても現実化する』という意味であり、結果が出たあとの『言えば現実になる』は『言えば現実化することはあり得る』ということなんです。それは、同時に『言っても現実化しないことはあり得る』ということを暗示してます。ぜんぜん内容がちがう。

この内容のちがいを無視して、ゴッチャにしている。(本当は『言えば』というよりも、『言ったことが』と言ったほうが正確なんだけど、まあ、『言えば』という言い方をする人もいるので、今回はそれで、いいでしょう。)

で、ぼくの場合はどうかというと、
 宣言をしておけば、現実が追いついてそうなるんです。

   *   *   *

まあ、他の人にはない、ヘビメタ騒音のハンディがでかすぎるけど……。でかいんだよな……。他の人には、まったく関係がないので、そんなのたいしたハンディじゃないと思うかもしれないけど、うまれかわって?ヘビメタ騒音のハンディを経験してみればそれがどれだけデカイハンディかわかりますよ。

   *   *   *

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   *   *   *

本とは関係がないけど、リッチになることに決めました!!!

2018年11月10日土曜日

俺の、いまの症状は、そういう地道な努力の結果なんだよ

(省略)

だから、おなじ製造ラインでつくったものにしても、差があるのは事実だ。けど、霊の差はないんじゃないか。結論としては、中古ならわかるけど、新品だとわからない。中古の場合なら、「霊」とかそういうことにこだわる人がいるというのはわかるけど、新品だとなぁ~~。新品なら、その人の「霊」やその人の精神状態の方が影響を与えそうだけどなぁ。

つかれて、注意力散漫な状態で買ったものがあるとする。その場合、注意力散漫な状態が一ヶ月以上続いているのであれば、その日に注意力散漫な状態で蒔いてしまった、トラブルのタネが開花するときもあるだろう。問題なのは、疲れ果てて注意力散漫になっているという状態だ。(買ったもののせいじゃない)。俺は、ヘビメタ騒音で注意力散漫な状態で暮らしていたから、よくこまっていたよ。

そして、ヘビメタ騒音で疲れ果てて注意力散漫な状態になっているわけだから、その注意力散漫な状態で、トラブルが発生すると、とてつもなくこまったよ。トラブルが発生してしたあと、家に帰って、そのトラブルの原因になったヘビメタをまた、聞かされてしまうので、際限なくこまったよ。ものすごくこまった。こまった。

どうしてなら、ヘビメタ騒音が一日に何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も続く状態というのが続いているからだ。そういう状態で、発生したトラブルに対応しなければならなくなる。こういうことが、一四年も、一五年も続いたらどうなるよ? 学生時代を通して続いたらどうなるよ? 二〇歳の時、すでに、九年間そういう状態が毎日続いてたらどうなるよ?

「ヘビメタ騒音のせいにするな」と他人から言われる……言われやすい状態だ。けど、本当に、ヘビメタ騒音が原因なんだよ。ヘビメタ騒音が鳴っていて、鳴っているあいだ、怒って疲れる。どれだけ、怒らないようにしても、責め立てるように、がんがんがんがんがん、ヨソの家では絶対に一分だってあり得ないようなばかでかい音でヘビメタが鳴っている。これが、どういうことだかわかるか? わからないと思う。

そりゃ、そういう一日を「実際に」経験した人じゃないとわからない。それから、そういう一日が、五〇〇〇日(以上)続いた人じゃないとわからない。これ、「そういう話しを話しとして聞いた人」と「実際に経験した人」ではちがうんだよ。量がちがう。体験がちがう。聞いてわかった人の理解というのは、聞いてわかっただけの理解だから、理解の質がちがう。話しとして理解しただけだから……。

この体験の差が、どこまでもどこまでも、俺と他人の人間関係に影響を与える。ヘビメタ騒音はそういう呪いなんだよ。誠におそろしいのは、ものについている「霊」じゃなくて、現実の人間(兄貴)がやったことだ。気違い兄貴にしたって、よその家じゃ一分だって鳴らせない、ヘビメタ騒音を、うちでは、すべての可能な時間鳴らしてたんだからな。こんなのゆるせるか? やられて、影響を受けないなんてことはないんだよ。影響を受けないように、あるいは、ヘビメタ騒音にうち勝つように、どれだけの努力をしたと思っているだ?


他の人は、そういうことがまったくわかってない。聞いて理解しただけの人はそういう、俺の地道な努力がまったくわかってない。俺の、いまの症状は、そういう地道な努力の結果なんだよ。

それでも、「気にしないように努力すればいい」「過去のことは現在のことに影響を与えない」などと言いやがる。これが、どれだけ、失礼なことかわかってない。ああっ! そういうところも、溝があるよ。でっかいでっかい溝があるよ。ふっかいふっかい溝があるよ。ヘビメタ騒音一時間で、他の人が一生のなかで経験する「いやなこと」をすべて経験しているような状態だ。いてもたってもいられない。

だれもが、おなじ経験をしたら、ヘビメタ騒音が原因で、いろいろなトラブルに見舞われることになるだろう。それは、「俺だから」ではないのである。けど、おなじ経験をしてない人にはわからない。本当にヘビメタ騒音が原因でこまっているのに、他の人は、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する。どうして過小評価するかというと、経験してないからだ。経験すればわかる。

親友に「エイリがどんな目に遭ったか知っているけど……」と前置きされて、「どうにかならない?」と言われたときの気分がわかるか? 知っている人に言われたということがデカイ。デカすぎる。デカすぎるんだよ。「なにも言えなくなってしまうだろ」と言ってたけど、「ヘビメタ騒音にやられても立ち直ってくれ」ということ以外の話しはいくらだってできるだろ。

本当に気違い兄貴。気違い兄貴がこだわりきって、鳴らした騒音のせいでひどい目に遭っているよ。親父がこだわったハンダゴテのせいで、…『見分けがつかないバカ』のように言われたり、『ちゃんと説明ができないバカ』のように言われて、腹が立って傷ついただろ。(兄貴が、友達から、「これが使えると思っているなんておかしい。そんなこともわからないなんておかしい」と言われたということ。兄貴が、先生や友達から「お父さんにちゃんとハンダゴテのことについて説明することができないバカだ」と思われたということ。)

当の親父は、まったくそんなの知らないだろ。どれだけ言ったって「言われなかった」と思っているよ。

まさしく、それが、気違い兄貴の状態なんだよ。気違い兄貴の態度なんだよ。あれだけ昂然と、やっていることを無視してやりやがって。なにもやったつもりがないんだからな。どれだけ意地に鳴って相手が言っていることを否定したか、本人がまったくわかってない。これ、本当、言われなかったわけじゃなくて、言われたけど、本人が(相手の言っていることの意味を)よく認識する前に、頑固にはねのけたから、本人の主観としては(言われた内容について認知してない)状態なのである。

けど、無意識的にはもちろん、認知しているんだよ。どうしてなら、「怒った」からだ。怒るという反応があるということは、相手が言っていることが一時的な意味では?わかったということだ。わかったから、「なんだ!そんなのぉ!!」と興奮して、否定するのである。

わかってなかったらそういう反応があるはずがない。

「そんなの、なんだぁ」と怒り狂っているときは、自分がやったことが原因で、相手が(他人から)悪く言われたということがわかっているはずなのである。一瞬はわかったはずなのである。

で、一瞬はわかったのだけど、……これは、意味がわかったというわけで、自分が本当にその原因になっているということは、認めたわけじゃない……ただ単に、相手が言っていることの意味がわかったということだけだ。けど、「自分が不都合なことを言われた」というのは、わかるのである。もし、相手が困ったということを認めると、自分の行動に制限ができてしまうのである。兄貴なら実際に音を落とさなければならなくなる。あるいは、ヘッドホンをしなければならなくなる。……そんなのはいやだ!!! という、気違い的な、発狂的な、第一優先の無意識があるんだよ。

だから、はねのけてしまえば、そのあとのことについては一切合切考える必要がなくなるのである。これは、意地を通してやり続けるためには必要な行為なのである。「そんなの、なんだぁ」と叫んだ瞬間に言われたことを忘れてしまう……言われなかったことにしてしまう……というのも、意地を通してやり続けるためには必要な行為なのである。

問題なのは、それが意識の過程にのっているわけではないということだ。要するに、本人はまったくそのつもりがないまま、ひたすらそうするということになってしまう。

「なんだぁ!!そんなのぉ!!!」と叫んだあとは、なにも言われなかったことになってしまうで、本人は、夢中になってその問題行為をすることができるのである。

これは、叫ぶことが「なんだぁ!!そんなのぉ!!!」じゃなくて、「やってないやってない」でもおなじだ。

「やってないやってない」と叫んだあとは、その当の行為(やってないと言った行為)を夢中でやり続けることができる。それでも、「言われたことになってない」ので、相手を傷つけているつもりはまったくないのである。ようするに、相手が「こまるからやめてくれ」といったことを、そのまま続けても、まったく心が痛まない。相手が「こまるからやめてくれ」と言ってきたという記憶がなくなっている。相手は、なにも言わなかった……言ってこなかったという記憶のまま、その当の行為をやり続ける。

夢中になって、もちろん、「自分が思ったとおりのやりかたで」やり続けるのである。そりゃ、「自分が思ったとおりのやりかたでやる」ということに、気違い的なこだわりがあるので、ほんのちょっとでもゆずらない。

気違い的なこだわりを維持して、それでも、ゆずってやったという体裁を整える? ために、まったく無意味な譲歩をする。その譲歩だって、気違い側は、ものすごくやってやったと思っているのだけど、相手にとっては「ふざけるな!!」と言いたくなるような行為なのである。

気違い兄貴だって、気違い親父にやられて、怒ってたのに、自分が弟にやりつけるときは、気違い親父以上にこだわって、気違い親父以上に相手の状態を無視してやりきる。

だから、やっているのだけど……夢中になってやっているのだけど、本人はまったくつもりがない状態なのである。これは、一日に何十回言われたって、一回も言われなかった状態とおなじ状態で夢中になってやりきるということなのである。だから、気違い兄貴は夢中になって、「ヨソじゃ絶対にあり得ないようなばかでかい音で」ヘビメタを鳴らし続けるのだけど、鳴らし続けているあいだ、あたかも「ぜんぜんヘビメタを鳴らしてない」と思っているような状態が続いているのである。

で、一日に一三時間鳴らせるなら、絶対の意地で、一三時間鳴らすし、一三時間のうち一三時間かならず、「ヨソじゃ絶対にあり得ないようなデカイ音で鳴らすのだけど、「鳴らしたたつもりもない」し「そんなにデカイ音で鳴らしたつもりもない」という気違い認知が成り立ってしまうのである。

ああ~~、ちなみに、その日に何十回「やめてくれ」と言われても、まったくなにも言われなかったという認知も成り立っている。一日の終わりは、まったく、迷惑行為をしなかったという認知になってしまうのである。それが毎日繰り返されれば、五一〇〇日繰り返したとしても、一日もそんなことはしなかった。一回もそんなことは言われなかったということになってしまうのである。

そういう、他の人が考えられない気違い的な状態が……気違い的な状態でやる行為が、どれだけ他の人と俺の縁(えん)をさくと思っているだよ? これは、ほんとうにわからないよな。気違い親父が、兄貴のことを心配できなかったのとおなじで、兄貴は俺のことを心配することができない。他の人にくるしめられているならそれでいいけど、俺は、俺は兄貴にくるしめられているんだよ。

兄貴が夢中になって、一日中執着してやっている行為で、こまっているんだよ。兄貴が執着して、デカイ音でヘビメタ騒音を鳴らしているからこまっているんだよ。俺はさんざん言ったぞ。気違い兄貴は、ハンダゴテのときの親父の状態で、否定してわからなかっただけだ。

言わなかったわけじゃないのである。「言わなかったわけじゃない」ということが、(気違い兄貴は)根本からわからないだろ。それは、兄貴の頭が親父の頭とおなじだからだよ。

やってるんだよ!! 意地になってやっているんだよ!! 何回も何回も「やめてくれ」と言われているんだよ!! 現在進行形でやっているとき……現在進行形でやっていた期間……毎日ずっと、そういうかたちで、やりきったことなんだよ。「知らない」わけないだろ。

知らないわけがないのに、へーーきで「そんなの知らなかった」とか言い出すんだよ。それは、当時のそういう態度とおなじなんだよ!!!

当時からそういう態度で、ずっと鳴らしてた。ずっとデカイ音で鳴らしてた。

   *   *   *

俺が働けなくなったのは、ヘビメタ騒音時代に繰り返した、地道な努力の結果なんだよ。俺が一定の時間に通勤することができなくなったのはヘビメタ騒音時代に繰り返した、地道な努力の結果なんだよ。それなのに、俺がちょっと努力すれば働けるようになると思っている人たちがいる。俺がちょっと努力すれば一定の時間に通勤することができるようになると思っている人たちがいる。逆。真逆。どんだけのことが、繰り返されたか。どんだけのことが繰り返されたか、その人たちは、わかってないだけ。自分の体験を通して、わかってないだけ。見立てが最初から間違っている。けど、『他人』であれば……つまり、他の個体であれば、簡単に間違う。そして、その間違いを認めない。その人なかでは、(俺)は『ちょっと努力すれば働けるようになるのに、働こうとしない悪い人間(サボっている人間)』なのだ。こういう、(その人の)自我に根ざした勘ちがい。意見のちがい。見立てのちがい。

2018年11月9日金曜日

どれだけ言われても、相手がこまるということは、絶対に認めない……認めずにやりきる……やりきるけどやってないと思っている

気違い兄貴にわかりやすいように言っておく。

親父が、『ハンダゴテが使えないんじゃ、兄貴がかわいそうだ』と思わなかったのとおなじなんだよ。兄貴が『ヘビメタ騒音がデカくて、勉強ができないんじゃ弟がかわいそうだ』と思わなかったのと、親父が『ハンダゴテが使えないんじゃ、兄貴がかわいそうだ』と思わなかったことは、おなじことなんだよ。

まったくおなじ。

本人が、そう思わなかっただけ。

で、どれだけ言っても、通じない。通じなかっただけなのに、『まったく言われなかった』と思うところまで、そっくりだ。

自分がおしつけている……ということが、わからない。で、自分にとって不都合なことを言われたので、怒るという反応をまず返して、そのあとは、まったく言われなかったのとおなじ態度で、やり続ける。兄貴のハンダゴテ場合、まず、親父が物置から出してきたハンダゴテがエレクトロニクス工作に使えるのかどうかの議論があった。これは、議論と言うよりも言い合いだ。言い合いというよりも、喧嘩だ。で、親父は最後の最後まで、親父が親父が物置から出してきたハンダゴテがエレクトロニクス工作に使えないということを認めなかった。

これは、気違い兄貴が、ヘビメタ騒音がデカい音で鳴っている(ヘビメタノ音がデカイ)ということを認めなかったこととおなじだ。そのまま押しつけていたら、相手がこまるということが、まったくわからないのである。気違い兄貴も気違い親父も。気違い兄貴の方が程度がひどい。自分がやってることと、自分がやっていることで相手が文句を言ってきた(相手が困っているということが)どうやっても、結びつかないのである。言われた後、一秒で忘れる。言われた後、「怒ったら」一秒で忘れる。「言われたって言われてない」状態が成り立ってしまうのである。

だから、入試の二日前だろうが、一日前だろうが、自分がその日一三時間鳴らせるなら、どれだけ(弟が)「デカイ音で鳴らさないでくれ。デカイ音で鳴らされると入試でこまるからやめてくれ」と言われても、気違い親父が、「ハンダゴテは使えない」と言われたときの態度とおなじ態度で否定して、忘れてしまうのである。自分がそういう状態を「おしつけている」ということがわからない。自分が続けたら、相手がこまっている……その状態……が続くということが、とことん、わからない。

これは、どれだけ言われたってわからないわけで、「自分が不快なことを言われた」という感触しかない。相手のことは、どうだっていいのである。これも、いちおうは、相手のことを考えて、そのあと「どうでもいい」という結論を出したというわけではなくて、なんて言うのかな? そういう思考がはじまる以前の段階で、どうでもいいからどうでもいいという結論を出したというような状態なのだ。これ、本当に、思考がかかわってない。自分が不愉快なことを言われたから、「めっちかち」になって、否定しているだけなのである。

親父は「使える使える。だいじょうぶだだいじょうぶだ」で、兄貴は「こんなのたいした音じゃない。だいじょうぶだだいじょうぶだ」なのである。両方とも、認めてしまったら、自分がこまることは、即座に、否定して、それで、怒ったら、忘れてしまうのである。自分がこまることを言われたら、怒るのである。一〇〇%怒りという感情がしょうじる。不愉快なのである。

親父にしてみれば、自分が出してやったハンダゴテが「使えない」と言われるのが、ものすごく腹が立つことで「使える使える」とわめきちらしたら、それでおしまいなのである。兄貴にしてみれば自分が本当に静かにしてやらなければならないのは、絶対にいやなので、「本当にちゃんと静かにしてくれ」と言われたら、「静かにしてやったのになんだ」と怒り狂ったら、それでおしまいなのである。兄貴は親父よりも気違いで、無言で鳴らしたりする場合の方が多い。顔真っ赤にして、目を三角にして、ともかく無視して鳴らしやがるのである。

で、本当は、「ちゃんと静かにしてない」にもかかわらず、自分がほんのちょっと音を落としてやれば、それで、ゆずってやったつもりになってしまう。その譲歩が譲歩ではない譲歩でこまる。そんなことをやられても、こまるというような譲歩だ。

気違い兄貴の譲歩というのは、まったく意味がない譲歩で、「よその家じゃ絶対にあり得ないようなどでかい音」で鳴らし続けている。気違い兄貴がゆずってやった(つもりになっている)わずかな時間も、「よその家じゃ絶対にあり得ないようなどでかい音」で鳴らし続けている。

だから、本当は、ゆずってやったわけじゃないのに、自分がやってやりたいやり方で、相手の感情を無視してゆずってやれば、本人のなかでは、ものすごくゆずってやったことになってしまうのである。

たとえば、入試の前日でも、その日が日曜日で本人が、ずっとうちにいて鳴らせる状態なら、俺が、どれだけ「明日、入試だからやめてくれ。ヘッドホンをしてくれ」と怒鳴り込んでも、気違い的な意地で鳴らし続ける。一三時間鳴らせるなら、ぴったり、一三時間鳴らして、一秒もゆずらない。気違い兄貴が、五分間、「静かにしてやったつもり」で、「気違い的にでかい音で」鳴らす。そうしたら、気違い兄貴のなかでは、一日中静かにしてやったのとおなじことになってしまう。親父のハンダゴテとおなじなのである。「やってやったんだからもういい」ということになってしまう。

だから、五分間、気違い兄貴が、ゆずったつもりで、「よその家じゃ絶対にあり得ないような」デカイ音で鳴らしたあと、六分目からは一二時間五五分、ずっと、「よその家じゃ絶対にあり得ないような」デカイ音で鳴らし続けるのである。一三時間鳴らせるなら一三時間「自分が思ったとおりの音で」鳴らすことに命がかかっているんだよ。だから、ものすごくこだわってこだわって、こだわって、絶対にゆずらないで鳴らす。鳴らし切る。

それなのに、本人は、「一日中ゆずってやった」という気持ちになっている。「明日、入試なのに、こんな音でずっと鳴らしていたらかわいそうだ」なんて、一切合切考えないんだよ。五分間、本当は、デカイ音で鳴らしているけど、気違い兄貴のなかでは、最大限ゆずってやった気持ちで鳴らしてしまえば、あとは、もう、「静かにしてやったんだからいい」というきちがい的な理由で、頑固に鳴らしてゆずらない。一秒だってゆずらない。

入試の前日ですらこういう状態だ。俺がどれだけ「騒音でこまる。ヘッドホンをしてくれ」と言っても、ハンダゴテの気違い親父状態で、絶対に認めないで鳴らし切るんだよ。気違い兄貴は鳴らし切るんだよ。鳴らし切ったということは鳴らし切ったということなんだよ。ところが、そうやってやったことは、全部やってないことなのである。本人にとっては、まったくやってないこと……とおなじこと……なのである。

これも、親父とおなじだ。何万回、何十万回、数千日にわたってやったことでも、「そんなんぜんぜんやってない」という主観を持ってしまう。やっているときからそうなんだよ。

本当は、「うるさいからこまる。勉強ができないから、静かにしてくれ」と一日に何十回も言われているのに、そういう数千日が続いているのに、トータルでは一〇万回以上言われているのに、「そんなのぜんぜん知らなかった」という主観を持ってしまう。気違い的な認知が成り立っている。本人がそう感じていたら、本人のなかではそうなんだよ。だから、いまでも、気違い兄貴のなかでは「言われなかったから、気づかずにやってしまった」というようないいわけが成り立つ。

知らないわけがないんだ!!!

けど、本人はそうなんだよ。「知らなかった」とか言ってられる構造が、当時、(何十万回も言われたのに、無視して)やり続ける構造とおなじなんだよ。そういうことができる構造とおなじ。そういうことができる認知とおなじ。

(注解)「めっかち」はぼくがつくった造語で、目を真っ赤にして、目を三角にして、つんのめるように夢中になって」という意味。


気違い兄貴は気違い親父と頭の構造がおなじだから、どれだけ言ってもわからないと思うけど、「やってない」わけじゃなくて「やりつづけた」。それから、俺(弟)は、ずっと言い続けたわけで、気違い兄貴はずっと言われ続けた。「言われてないから知らなかった」なんてことはないんだよ。怒って鳴らしてただろ。怒って、鳴らし続けていただろ。俺が「宿題をするからヘッドホンをしてくれ」と言ったとき、そのあとずっとヘッドホンをしてヘビメタを聞いた日は、いったい何日あるんだ? ゼロ日だろ。俺が「宿題をするからヘッドホンをしてくれ」と言ったあと、兄貴は、「ヨソじゃ絶対にあり得ないような」爆音でずっとヘビメタ鳴らし続けた。鳴らしているとき「このまま鳴らしたら、弟は宿題ができなくてこまるだろう」なんてことは、考えないんだよ。それは、親父が、使えないハンダゴテを押しつけて「あのハンダゴテじゃ、授業を受けらなくてこまるだろう」なんてことを考えないとおなじなんだよ。まったく気にならないのとおなじなんだよ。自分のことしか考えてないから、気にならない。「気にする」ということに失敗する。それとおなじで、本当は、ものすごく迷惑な音でヘビメタを鳴らしてたんだけど、「こんなデカイ音でヘビメタを鳴らしたら、勉強ができなくてこまるだろう」ということを考えなかったのとおなじだ。自分がヘビメタを鳴らしたいという気持ちがあるから、それでこまる人のことは考えることができない。気にするということに失敗する。どれだけ言われても、本当に「気にならない」のである。「こまるからやめてくれ」と言われても、本当にまったく気にならない。それは、親父が、兄貴がハンダゴテでこまるというのを気にしなかったのとおなじなんだよ。兄貴はちゃんと言ったけど、親父は気にならなかった。同様に、俺はちゃんと言ったけど、兄貴は気にならなかった。気にすることができなかった。俺が言っていることを、気にすることがまったくできなかった。だから、鳴らした。気がつかないつもりのまま鳴らした。俺はちゃんと説明した。気違い兄貴が親父に説明したのは、二回だ。俺が兄貴に説明したのは、二〇万回だ。ぜんぜんちがう。どれだけ言われても、「親父の態度で」気にしなかった。気にならなかった。気にすることができなかった。どれだけ、言われても、気にすることができなかった。それが、一五年間の、事実だ。毎日おなじだ。気違い親父の頭とおなじ構造の頭を持つ兄貴が、ある日突然気にしてくれて、そのあとずっと気にしてくれたなんてことはないんだよ!! 最後までやりやがった。途中で頭が「かわる」わけがないだろ。親父は親父の頭を持っているし、兄貴は兄貴の頭を持っている。兄貴の頭である以上、かわらないんだよ。うちでやるかぎりかわらないんだよ。どれだけこっちが言ったって、親父のようにかわらないんだよ。親父のようにかわらずに、親父のように、頑固に気違いヘビメタ騒音を押しつけて、まったく、押しつけたつもりがない。つもりがないだけで、四六時中!!押しつけている。すべての可能な時間を使って、ヘビメタ騒音を鳴らしていた。気違い兄貴がうちでヘビメタ騒音を鳴らすなら、気違い兄貴が静かにしてやったつもりの時間も含めて、かならず、気違い的にデカい音で鳴らしたんだよ。兄貴がうちでヘビメタを鳴らすのに、小さい音で鳴らしたなんてことはないんだよ。普通の音で鳴らしたということも、一五年間で一分も、ないんだよ。一日に一分じゃなくて、一五年間で一分もない。ヘビメタを鳴らすなら、かならず、ヨソじゃあり得ないようなデカイ音で鳴らしていた。

「そんなつもりはない」のは、気違い兄貴が気違い親父とおなじ頭を持っている可視、わからないだけなんだよ。本当は、気違い的な意地で一秒だってゆずらないでやったことを、今度は、気違い的な意地で否定する。「やってないやってない」と言い出す。そう言い出したら、もう、聞かない。これは、矛盾してない。そういうやつだから、そういうことを言い出す。


2018年11月8日木曜日

自分が思いついた「やってやりたいこと」しかやってやらない


本人のなかでやってやりたいことをやってやれば、それで、本当に一〇〇%やってやったことになってしまうというような性格傾向がある……親父と兄貴には。ようするに、勝手に「やってやりたいこと」を思いついて、それしかしない。

相手が「やってくれ」と真剣に頼み込んでいることは絶対にやってやらないのだ。相手が「やってくれ」と言っていることを、気違い的な解釈で誤解して、「自分が思いついたことを」やってやるということになる。

相手にしてみれば、「それを」やられると、もっともっとこまるわけで、ぜんぜん解決にならない。むしろ、やっかい事が増えた状態だ。こまった状態なのに、さらにこまった状態になる。こういうことが、おこってしまう。

ハンダゴテ事件の場合、親父の「やってやりたいこと」が、「自分の物置からハンダゴテを出してやる」ということだった。で、ハンダゴテを出してやったら、それで、終わりなのだ。もし、「これじゃない」「これは使えない」と言ってくる相手がいるとしたら、その相手が悪いということになる。「使えない」ということを絶対の意地で認めない。自分がよくわかってなくても、絶対の意地で認めない。最初から!!事実とは関係なく、親父のなかでは、使えるハンダゴテだと決まっているのである。で、それを、相手がくつがえすことはできない。

「ちゃんとやってやったのに」→「相手ががたがた文句を言ってくる」……ということで怒る。やってやりたいことは、物置にあるハンダゴテを持ってきてやるということであって、それ以外ではない。気違い兄貴は、当時、中学一年生で金を儲けるわけにはいかなかった。※親父に頼むしかない※のである。

だから、親父が首を縦に振らなければ、「ちゃんとした」ハンダゴテを学校に持っていくのは不可能だということになる。そして、親父は、(兄貴が)学校にちゃんとしたハンダゴテを持っていけない状態を、作り出している。そういう状態を頑固に押しつけている。

もちろん、発狂して頑固に、「使えないハンダゴテだ」ということを認めなくても、「押しつけている」とは(親父は)思ってない。これも、言われればわかることではなくて、※その場では※どれだけ、「親父がそういう態度で使えないハンダゴテを押しつけるのでこまる」ということを相手(ここでは兄貴)が言ったとしても、「そういう態度で使えないハンダゴテを押しつけて、相手をこまらせているということ」は……「使えないハンダゴテだということを認めない」のと同様に認めない。

この「みとめなさ」は「いのちがかかったみとめなさ」だから、普通の人が考えるような「みとめなさ」ではない。全力で、命をかけて否定するわけで、本当に、殺人的な心的エネルギーが投入されている。なので、そういうことを、認めるか認めないかについても、殺人的な「いじ」がかかっている。

兄貴がやって欲しかったことは、「金を渡してくれ」ということだった。要するに、金をもらったら、それで、自分でエレクトロニクス用のハンダゴテを買ってくるから、金をくれというのが兄貴が要求したことだった。

で、気違い親父が出してきたハンダゴテがちゃんとエレクトロニクス工作に使えるものであればよかったんだけど、そうじゃない。で、その場合、ちゃんと兄貴が説明しているのだから、『このハンダゴテではだめだ』ということを親父が認めればいいだけの話だ。普通の親だったら、……あるいは、普通の大人だったら絶対にわかる話しなのである。学校に持っていくハンダゴテを買うのだから、悪いことに金を使うわけじゃない。

……ヘビメタ道具を買うという悪いことに金を使うわけじゃない。ヘビメタ道具を買うのは悪いことである。その道具を使って、他の家では絶対にあり得ない騒音を出し続けるという前提で買うのだから、人を刺すためにナイフを買うのとおなじで、悪いことだ。

まあ、この話は抜きにして、元の話を続けると……使えるハンダゴテか使えないハンダゴテかということを見わけるのは本当は、簡単なことなんだよ。三角と丸を見分けるのとおなじぐらいに簡単なことなんだよ。それに、(エレクトロニクス工作用に使うハンダゴテを)知らないのであれば、知らないのだから、『絶対に使える』『だいじょうぶだだいじょうぶだ』と主張しなければいい。

現実は、絶対に使えないハンダゴテなんだけど、※親父の妄想のなかでは※、※絶対に使えるハンダゴテ※なのだ。で、そういうところで、スイッチが入ってしまうと絶対にゆずらない。何万回言っても、絶対に認めないということになる。そういうことが、他の人にはわからないから『ちゃんと説明しなかったおまえ(兄貴)が悪い』ということになる。

親父の頭のなかでは、「使えるハンダゴテ」でなければならないので、他人(相手が)どれだけ説明しても、頭の中で、最初に決めた答えが、かわらない。相手の説得によって、最初に決めた答えがかわるということが、ない。けど、そういう頭の構造を持っているということは、家族以外の他人にはわからない。あとは、親父自身がわかってないところがある。

で、兄貴もまったく親父とおなじで、自分がやってやりたいことしかしない。そして、それが、相手にとってどれだけ意味がないことであったとしても、相手にとって意味がないことだということを、認めない。相手が、必死になって、どれだけ、説明しても、(親父のように)怒るだけで、認めない。本人が認めなければ、どれだけ言われても、言われたことにならないのである。本人が認めなければ、どれだけ「事実」であったとしても、本人のなかでは、「事実ではない」ということになる。

こういうしくみも、親父と瓜二つ。まったくおなじなんだよ。兄貴は、ハンダゴテ事件や他の事件で、おやじこそういうことを、何万回もやられて、そういうことをやられたときの悔しさやいらだちがわかっているはずなのに、俺には、そういうことを、親父の態度で何十万回もやった。何十万回もやるわけだよ。

自動的にそうなる。

毎日、自動的にそうなる。
毎日、自動的にそうしている。

親父が兄貴にやってきたそういう、きちがい行為の回数を一〇〇だとすると、兄貴がヘビメタ騒音だけで俺にやったきちがい行為の回数は、一不可思議ぐらいの値になる。自分がやられて、頭にきたことを、俺にそのままのかたちでやり返す。やりまくる。

もちろん、そのままのかたちなので、本人のなかでは、何万回、何不可思議回繰り返しても、一回もやったことにならないのである。親父と頭の構造がおなじなので、自分がやりたいことを(自分が相手にやってやりたいことを)やってやったら、それでおしまいなのである。

で、その「自分が相手にやってやりたいこと」というのが、相手にとっては、許しがたいことなのである。「自分が相手にやってやりたいこと」というのは、相手の話を聞いて「勝手に自分が思いついたこと」なのである。で、その「勝手に自分が思いついたこと」というのは、相手にとっては、かならず、意味がないことなのである。相手にとっては、かならず、屈辱的なことなのである。

それは、どうしてかというと、相手が本当に要求していることは、がぜん無視して、逆にこまることを押しつけてくるということになるからだ。

で、これが最初から「きまっている」のである。

親父のハンダゴテのように、決まっている。親父は、ハンダゴテを買うお金を出したくなかった。だから、親父が物置からハンダゴテを出してきたときには、そのハンダゴテは現実を無視して、使えるハンダゴテだということになっていた。(親父なかでは、なっていた)。

で、どれだけ言っても、それは、くつがえらない。親父がやってやりたいことは、家にあるハンダゴテを出してやるということであって、新しいハンダゴテを買うために金をやるということではないから!! 新しいハンダゴテを買うために金をやるというのは、死んでもいやなことなのである。最初から、死んでもいやなことなのである。

だから、現実には関係なく、家にあるハンダゴテは絶対に使えるものでなければならないのである。現実には関係がないので、どれだけ相手が説明しても無駄なのである。兄貴がやりたいことは、「どデカイ音で思いっきりヘビメタを鳴らしたい」ということなのである。

だから、それに反することは、絶対にできないのである。親父とおなじで、現実を無視してやることに決めていることだから、相手が言っているように「ちゃんと静かにしてやる」ということは、絶対にできないことなのである。だから、相手がどれだけ、「本当に静かにするというのはどういうことか」ということを説明しても、認めない。

親父の態度で親父とおなじように認めない。

「そんな譲歩じゃ、静かにしたことにならないから、ちゃんと静かにしてくれ」と言われた兄貴は、「そんなハンダゴテじゃだめだから、新しいハンダゴテを買うための金をくれ」と言われた親父のように、「そんな譲歩じゃ、静かにしたことにならない」ということを絶対の意地で認めないのである。絶対の意地で認めなかった期間は、一四年と五ヶ月だ。あしかけ、一五年間だ。一五年間毎日、どれだけなにを言われても、こういう基本的なことを、絶対に認めなかった。

命がけで認めなかった。

認めてしまったら、本当に静かにしなければならなくなる。それは、死んでも、いやなのである。だから、発狂して、はねのける。親父のようにはねのける。親父が兄貴の要求をはねのけたように、兄貴は俺の要求をはねのける。親父は何回繰り返しても、実は、兄貴の要求を(自分が)はねのけたという基本的な事実を認めなかったのだけど、兄貴も、(弟の要求)を自分がはねのけたということは、一五年間、認めてない。

毎日頑固にやっていることなのに……一五年間にわたって、気違い的な意地で繰り返し繰り返しやっていることなのに……一回もそんなことをしたつもりはないということになっている。兄貴の認知としては、一回もそんなことはしたことがないという認知なのだ。

で、これも、絶対に認めない。いまだに、何十年経っても認めてないよ。「自分が親父みたいだったなんて、そんなことはあり得ない」「静かにしてやった」と思っているわけだよ。あんな態度で、一五年間、毎日鳴らし切って、そういう認知なんだよ。

こんなやつが、「やっているとき」に認めるわけがない。「やっているとき」というのは、「やりたいとき」なんだよ。「やりたいとき」に「自分の行為で相手が困っているということを認めてしまったら」できなくなってしまうだろ。そんなことは、最初から認めないことになっているから、認めない。

そして、認めなかったということも、認めない。認めなかったというとを認めるということは、あり得ない。そういうふうに、時間階層的に、時間入れ子構造的に認めない。これは、兄貴も親父もおなじだ。まったくおなじ。本当に全部おなじ構造でやっている。脳みその構造がおなじでやったことがまったくおなじなんだよ。ハンダゴテとヘビメタのちがいはあるけどやったことはおなじ。

自分が思いついた「やってやりたいこと」しかやってやらない。けど、そういうことでも、やってやったら、すごいことなんだよ。ものすごく恩着せがましく、まったく役に立たないことを「やってやる」ということになる。まったく役に立たないどころか、こまるんだよ。相手がこまる。兄貴も親父も相手がこまることしか思いつかないし、相手がこまることしかやってやらない。

けど、自分がやってやりさえすれば、それで問題が片付いたと思ってしまうのである。で、「問題が片付いたわけじゃない」ということを、(相手)がどれだけ説明しても、発狂して認めない。そして、認めないということも、認めなかったということも、認めないということになる。やりっぱなし。ごり押しで、やりっぱなし。やり続ける。気違い的な意地で発狂してやり続ける。

だから、実際には、やり続けたのに、今度は、やり続けたということを、発狂的な意地で認めないということになる。一度そうなったら、相手が、その考えを修正するということは、できない。

それは、他の人が、統合失調症患者の妄想を修正できないのとおなじだ。けど、それが、他の人にはわからない。(うちにいる人以外はわからない)。なので、他の人は「家族で話し合えばいい」などという無茶なことを言う。「ちゃんと説明すれば絶対にわかるはずだ」というようなことを言う。「ちゃんと説明しないからだめなんだ」というようなことを言う。けど、それでは、「うちのなか」の現実を説明できない。


「あれを、まったくやってないつもりで、やったのか」みたいな気持ちにはなる


2018年11月08日02時17分36秒
起きた。実際には20分ぐらい前に起きて、いろいろやっていた。
水分補給、ブラウジングなどいつもの定番。
まだ、ごはんは食べてない。フルーツゼリーをひとつ食べておしまいにしようかなと思っている。味噌汁は、冷えたのを飲んだ。これは、寝る前につくって、一口飲んだんだけど、そのあと歯磨きをする気になったので残しておいたものだ。まあ、電子レンジであたためればいいわけだけど、それも、めんどうくさい。たまには、冷えたのもいいだろうと思って飲んだ。
まあ、具なしなので、あたたかい具なし味噌汁と、大差ない。

また、喉がかわいたので、お湯か紅茶でも飲む。

いま、さみしくてむなしい気分だが、希死念慮などはない……。
むなしく、くやしい気分です。
あれ、やっぱり、大きいんだよな。「あれを、まったくやってないつもりで、やったのか」みたいな気持ちにはなる。

隣の部屋の電灯をつける。これは、無駄なんだけど、なんとなく、さみしくなくなる。蛍光灯の電球色という、かわったものを使っている。黄色っぽい電気が横からプラスされると、なんとなく安心感を感じる。

2018年11月7日水曜日

本当にろくでもない「ちゃちゃ」でしかない


いま、俺が考えていることは、こっちにも書けないことだ。ヘビメタ騒音でむなしい。
犬、いまは吠えるな!
ヘビメタ騒音のことが頭にあるとき、吠えられると頭にくる。
ところで、俺はやっぱり、しあわせがない。このまま、ヘビメタ騒音のことを一生抱えていくしかないような感じがする。まあ、そういうことを言うと、「一生抱えていくしかない」一生が現実化するとか、言霊信仰者が言い出しそうな感じもする。けど、ね。あなたはやられてないかもしれないけど、俺はずっと長い間やられた。あなたにはずっと問題ではなかったことかもしないけど、そして、いまですらまったく問題じゃないことかもしないけど、俺にとってはずっと問題であったことだ。そういう「ちゃちゃ」を入れるのはやめろ。こんなの、本当にろくでもない「ちゃちゃ」でしかない。ああいう態度で、学生時代をふくんで、毎日、一四年と四ヶ月にわたってやられて、いいわけがない。人生に影響を与えないわけがないだろ。

2018年11月6日火曜日

ヘビメタがぁ。至近距離でずっと、ガンガン鳴ってた


外壁用パティを買うかどうかまよっている。まだ、穴がふさがってなかった。昨日の夜、内側のあそこの部分をやった。(いちおう記録なので、あそこでいい。洗濯機の下の部分だ。)

今日はもう、洗濯をしたのでそういう作業はやらない。雨が降ってきそうだし、晴れた日にやらないと意味がない。

で、まあ、階段掃除をしたのだけど、やっぱり、むせるんだよな。ほこりアレルギー。むせるような気分がする。階段掃除に関しては、なんかもっといいやりかたを考えるしかない。足でやるのはいいアイディアなんだけど、今日は、手でやってしまった。どういう順番でやればいいのかわからない。

ともかく、外側の壁?の穴がふさがってないことを確認したので、気分が落ちている。まだ、たりなかった。

外壁用パティは、時間指定ができないので、問題児なんだよ。チャイムがふたつあって、まるまる用は下のチャイムをおすように、但し書きをしてあるのだけど、みんな無視して、上のチャイムをおしてしまうんだよな。
再配達の場合は、時間指定便になる。事実上。けど、これは、あんまりよくない。眠っている場合、上のチャイムをおされると、気がつかない。起きていれば別なんだけどな。

ともかく、ネットが再開したら、あれをやってこれをやって、と思っていたけど、たいしたこと、やってない。実は、整理ボックスを注文しておいた。これは、時間指定できるので、時間指定した。時間指定があれば問題はないんだけどな。

あっ、そうそう。今日は、松屋で牛丼・並と漬け物を食べた。ミニサラダより漬け物の方がいいかと思って……。うまかった。基本、うまかったな。あとは、ローソン100で、『ショコラケーキ』というの買ってしまった。これもけっこううまい。柿のタネも買ったので、柿のタネも食べた。これも、ナイス。

さらに、ドクターペッパー(ペットボトル)を買って、飲んでしまった。いま、炭酸水(ペットボトル)を半分まで飲んでいる。

あっ、そうそう、行くときになって『帽子がない』ということに気がついて、探していた。その探していたときに、ある程度、ちらかった。もう、すでに(服が)ちらかっている。整理ボックスは、服を入れるために買った。夏物を入れるボックスにしようかなと思っている。けど、ちょっと、よく考えないと……。帽子は見つけたんだよね。けど、かぶらないで出た。帽子の所定位置は、三畳間の方だから。(隣の部屋のことを三畳間と呼ぶことにする)。モデムだけ出して工事をしてもらった部屋。WiFiがついちゃうから、電磁波のことが気になったけど、心配する必要はないようだ。まあ、まだ、WiFiを使ってないけど。使わなければだいじょうぶかなと思ったけど、電源が入っているだけで、電磁波は出ているだろうからな。まあ、モニターの方が強い電磁波が出ているから、問題はないな。問題なのは、ヘビメタ騒音だったんだよ。いまでも、それでだるいんだよ。電磁波の問題じゃないんだよ。

どうするかなぁ。いろいろ……。WiFiがついているなら、スマホはいらないかな? 追加料金はなしだって……。

幼稚園の子供たちがきーーきーー、さわいでいる。本当に、複数で同時にさわいでいる。まあ、それは、いい。本当に、幼児?こども?ってきーーって、意味もなく、さわぐなぁと思ってさ。ずっと、奇声をあげて、走っているような感じだ。子供の奇声は問題はない。距離の問題だ。本当に一〇メートルでも離れているとだいぶちがう。一五メートルならさらにちがう。外壁と打ち壁を隔てて一五メートル離れていたら、ヘビメタ騒音もどうにかなってたんだけどなぁ……。

ヘビメタがぁ。至近距離でずっと、ガンガン鳴ってた。どうしてもそれで、引きこもり無職にならざるを得ないような状態が続いた。いまだって、通勤する仕事はできない。どんだけのハンディか?

体験してわかっている俺と、体験してない一般の人とで、感情が異なる


言いたくないけど、ねずみが出た。外壁対策が無意味だったということになる。ちょっと内側を見なおして、内側のある部分にもパティをつけておいた。

パティをつけているとき、ヘビメタ騒音の雰囲気がしたので、俺はむなしくなった。『俺はいったい、こんなところでなにをしているんだ』という気持ちになった。あとは、二〇歳頃の気分を思い出した。どれだけ言っても、静かにしてくれなかった。『あれで、静かにしたつもりなのかよ』という文句が俺の頭の中で、まわっていた。ダイヤのことにしたって、U君のことにしたって、S君のことにしたって、W君のことにしたって……全部、気違いヘビメタでめちゃくちゃだ。

他の人にはわからないだろうけど、めちゃくちゃになっていく。全部がめちゃくちゃになっていく。これは、やられればわかるけど、やらなければ、体験としてはわからない。なので、体験してわかっている俺と、体験してない一般の人とで、感情が異なる。本当に何万時間も自分のこととして体験しないと、わからない部分がある。たとえば、他人がなんかすごい病気になっていたとしよう。そして、その病気のことを聞いたとしよう。『たいへんそうだな』と思う。けど、自分がその病気を経験していなければ、知識として知っているという段階にとどまる。で、自分もおなじ病気になったとしても、また、症状や程度が違うので、けっきょくは、……他人の病気に関しては……知識として知っているという段階にとどまる。同じ体験ではないから。おなじ病気になったって、そりゃ、ちがう。ぜんぜんちがうと言ってもいい。わかったらなんなんだ?という問題もある……。
で、なんて言うのかな? AさんとBさんがいたとしよう。Bさんがものすごい病気にかかったとしよう。で、Bさんが「こういう病気にかかって、くるしかった」と言ったとしよう。で、Aさんは「Bさんはこういう病気にかかってくるしかったんだな」ということをBさんにかかわる知識として理解したとしよう。で、Aさんにとって、Bさんのことは、Aさんが蚊に刺されたことよりも小さいことなんだよ。どれだけ、AさんがBさんのことを親身になって心配したとしても、他人の人生上の問題より、いま、自分が蚊に刺されてかゆいという問題の方が、感覚的にはデカイ。それは、Aさんの感覚だからしかたがない。一匹の蚊に一カ所刺されて、かゆいという問題の方が、Bさんの人生上の問題よりも、デカイのだ。Aさんにとっては。『心配』というのはある。『気にする』というのもある。AさんにとってBさんがどの程度重要なひとかということは、『心配』の度合いに影響を与える。

今回、言いたいことがまとまらないけど、その人のことをあんまり知らなければ、自分が蚊に刺されてかゆいという感覚の方が、その人の重要な病気に関する知識よりも優先される。

うちはちがうけど、家族がなんかひどい病気になったら、普通の人は気にする。蚊にいくら刺されてたって、家族の病気の方が気になるだろう。(けど、何カ所も刺されてパニックになっているときは、家族の病気の心配は一時的に、後退する)。うちの家族なんて、本当に、本人が張本人で、本人が(別の)家族をくるしめているのに、ぜんぜん、関係がない人のつもりでいるんだよな。「おまえが、犯人だろ!!」って言いたくなる。これ、どれだけ注意されても、注意されたあとその行為をやり続けて、まったくなにも感じないんだよ。これは、親父と兄貴で、おなじ。完全に、親父の感覚を譲り受けている。兄貴は、完全に、親父の感覚を譲り受けている。兄貴が兄貴でいる限り、「そうでしかない」んだよ。そういう状態でしかない。どれだけ言っても、なにもかわらない。その構造がかわらない。その構造が相手の説得や説明によってかわることがない。だから、どれだけ説得されても説明されても、わからないまま、ずっとやり続ける。普通はやってたら、やっているということがわかりそうなものなのに、まったくなにもやってないという感覚でやり続ける。夢遊病とかじゃなくて、起きている人が、意地になってやっていることについて、そういう感覚しか持てないというのは、やはりおかしい。おかしいけど、そうだ。

病気に対して、なんか言う場合、その人が持っているその病気のイメージが重要な役割を果たす。ようは、その人が持っているその病気に関する知識が重要な役割を果たす。その知識に応じた、ティピカルな言葉を返すと思う。ひどそうな病気に関しては「それは、たいへんですね」と言うだろう。軽そうな病気に関しては「すぐになおるといいですね」と言うだろう。まあ、他にもいろいろとあるだろうけど。病気の病名と、たいへんさの度合いがだいたい対応していると思う。

   *   *   *
たぶん、ヘビメタ騒音のつらさは、自分が蚊に刺されたときのつらさの、一兆分の一ぐらいのつらさだと感覚されていると思う。いや、一〇兆? 一京? 一不可思議?

   *   *   *
何万時間やられようが、それが過去のことなら、そんなのは一切合切関係がない。(だから、働いた方がいい。働けないというのは甘えだ。)

そんなのは、お兄さんに言えばいい。言えば解決するのだから、そんなのは一切合切関係がない。(だから、遅刻するな。だから、忘れ物をするな。だから、ちゃんと宿題をやってこい。)

まあ、普通の人にこういうことを言われる『立場』に追い込まれる。これは、ポジションなんだよね。説教されるポジション。けど、そういうことを言う人たちは、ヘビメタ騒音を俺とおなじ分量、経験してない。見立てがちがっているだけなんだよ。その人たちにとって「ヘビメタ騒音病」は軽い病気か、あるいは、病気ですらない。

   *   *   *

気違い兄貴よ! 気違い兄貴のヘビメタ騒音のせいで、こういうことを言われるポジションに立った。ヘビメタ騒音がなければ……気違い兄貴が、ヘビメタを聞くときはかならずヘッドホンをして聞いてくれれば……こんなことにはならなかった。こういうことを言われたくなかったので、俺は必死にがんばったが、気違い兄貴の気違いヘビメタの影響のほうがでかかった。どれだけ死にものぐるいでがんばっても、そういうポジションに、立たされた。

   *   *   *

注解。「働く」というのは、普通に通勤して「働く」ということを意味するとする。一定の職場に、一定の時刻までに出勤し、一定の時刻まで働くということを意味しているとする。家で働くとか、好きな時間に働くということは、意味してないとする。

2018年10月29日月曜日

本当に「やってない」つもりでいられる


自分の精神状態と体力状態をあらわす指標として、精神ハザードレベルというのを考えたんだけど、精神状態と体力状態はわけたほうがいいのかな? と思い始めた。
まあ、たとえば、精神ハザードレベル4は、やる気がゼロ、頭を使う文章を書くのは無理、デザイン系統の作業は無理、さみしさは10、……。
まあ、10段階評価なんだよね。全部、10段階評価で、しんどさ、やる気、さみしさ、ヘビメタ騒音に対する怒りをあらわそうかな。
「なにか」をやったあと、どういう気持ちになったかということを記録するという心理療法(の一種)があるんだけど、つねに、ヘビメタ騒音で怒っているか、悔やんでいるか、破綻的な気持ちになっているので、意味がないんだよね。

ヘビメタ騒音の『説明できない効果』というのがあって、これが、本当に説明しがたい。おとされていく。まわりの人というか普通の人が理解できな態度で、きちがい行為をし続ける家族がいると、やられた人が「へんなひと」だと思われるんだよな。そして、おちていく。「あいさつ」運動は、デコレーションして書いた架空の話しだけど、あれに似たようなことが、いっぱい、いっぱい、積み重なっていく。それから、「さそいをことわる系」があるんだよ。ヘビメタ騒音が帰ってからずっと鳴っているから、いっぱいいっぱいになって、誘いをことわらざるを得ない。俺がヘビメタ騒音でどんな状態で暮らしているか、普通のクラスメイトには言ってないので、普通のクラスメイトは知らない。まあ、言ってもわからないところはあるんだけどね……。「そんなの、お兄さんに相談すればいい」というような気持ちになるわけだからさ……言われたほうは。
あとは、普通ならできることができなくなって、他の人に迷惑をかけるというのがあるんだけど、これが、なんとなく、うわついた状態なんだよ。ヘビメタ騒音がずっと鳴っている生活というのは、普通の人で言えば、まるで、つねに酔っぱらっているような生活で、注意力が欠けてしまうところがある。この『ヘビメタ騒音がずっと鳴っている生活』という言葉だって、人によっては、たいした問題だとは思わないわけで、そういう人の認知と、ぼくの認知はたいへんに異なるので、それがすでに、一種のトラブルを内包している。

いろいろなことがあるんだけど、こころの壁があって書けない。ともかく、気違い兄貴がずっとヘビメタを鳴らしていた。どれだけ『鳴らすな』と怒鳴り込んでも、静かに『鳴らさないでくれ』と頼み込んでも、一秒もゆずらないで、頑固に鳴らしていた。(けど、気違い兄貴は、気違いなので、『鳴らしたつもり』も『デカイ音で鳴らし続けたつもり』もない状態なのである。『ない状態で』がんこに鳴らし続ける。気違い親父のように、相手が困るとかそういうことは、一切合切考えられない状態になっている。本人が、『やり続けることができれば』いいわけで、本人が『やり続けることができる』以上は相手に対してなにもやってないことに鳴っているのである。まずいことをしているという気持ちがわかない。本人は、悪いことをしているという主観的な気持ちがまったくない。「やっていいいことをしている」つもりしかない。しかし、やっていることが悪いことだという文脈で「やっていた」と言われると「やってない。やってない」ってはじまるんだよな。それは、親父とおなじわけ。で、「やってないやってない」と言って怒って、二階に行って、その行為をやり始めた場合も、まるで悪いと思わないんだよな。「その当の行為をやっている」という気持ちがない。けど、認知症とか統合失調症という(広い意味で)病気ではない。認知に問題があるのはたしかなんだけど、また、ちがうんだよな。どちらかと言えば、やはり『無意識』の方の問題なんだよ。『無意識』の場合はハードウエアの故障はない。脳の機能障害ではない。けど、『無意識』を可能にするハードウエアのしくみは、他の人はちがうのではないかと思っている。無意識はだれにでもあるけど、こういう無意識を可能にする脳のしくみというのは、他の人とちがっていると思う。あまりにも、自分勝手なんだよ。あまりにも、現実を無視しているんだよ。けど、認知自体はあるんだよ。けど、その認知自体が本人にとって「どうでもいいこと」であり、『認める』という行為から、遠く離れている状態なんだよな。もちろん、相手の状態に対する無視というのが、ある。これが頑固で、器質的な部分(脳のハードウエア)の問題もあるんじゃないかなと思っている。ともかく、問題のある無意識で、普通の人じゃないのである。脳の帰納的な障害(器質的な障害)なのか、それとも、純粋にソフトウエアの問題(無意識)の問題なのか、はっきりしないけど、ともかく、普通の人じゃない。普通の人は、ああいう無視はできない。普通の人の場合、どうしても、『頑固に相手の言っていることを無視して、当の行為をしている』という認識がしょうじてしまう。親父と兄貴の場合は、『やるけど、そんなの関係、ない』だからな。そして、「やるけど」の部分がとれてしまう。過去のことになれば、やるけど」の部分がとれてしまう。だから、終わったときには、やってないつもりになれる。そういうところがちょっとちがう。だいぶちがう。『なんだろうがやりたい気持ち』というのが異常に強いんだよ。本当は、絶対にビタイチモンまけられない、こだわりがあること(もの)であるわけ。けど、相手の言い分を無視して「やった」という気持ちがないんだよね。それは、気持ちがないのと同時に『記憶もない』という状態になっている。だから、本当に「やってない」つもりでいられる。なんて言うのかな? 普通の人だとああいうかたちで『無視して』やった場合、『やった』という気持ちが残るんだよ。だから、やったということを『認めない』ときも、意識して、意地になって認めないわけで、本当は『やった』ということを知っている。けど、気違い兄貴と気違い親父は、『やった』ということを知らない状態で『やってないやってない』と激しく主張するところがある。本当に、本人は『知らない』のである。だから、常に、矛盾しているんだよ。

この『知らない』というのは、『まったく関心がないから(知らない)』という意味と『不都合なことを認めたくないから、知らない気分になっている』という意味がある。『不都合なことを認めたくない』というのは「やめろ」と言われたときも成り立っている。「やめたくない」のである。だから、おなじ状態で、現実を無視する。だから、「やったってやってない」という状態になってしまう。

2018年10月25日木曜日

家のなかのことは、他の人にはわからない



本当にヘビメタ騒音の感じが他の人にはわからないんだよな。他の人にとっては、たとえば、一日、午後四時から午後一一時までヘビメタをものすごい音で聞かされ続けたという話しと、一四年間毎日、午後四時から午後一一時までヘビメタ騒音を聞かされ続けたという話しのちがいがわからない。どっちも同じような感じにしか思えない。「だから、騒音でうるさかったんでしょ」という程度の理解だ。休みの日は、朝の九時一五分からドカスカ鳴っていたけど、そういう休みの日のことをのぞいて考えても、一日と、一四年間毎日ではぜんぜん話がちがう。そのちがいは、ぼくのからだにはつもっている。ぼくの認知にはつもってる。ぼくの記憶にはつもっている。けど、他の人の記憶には、つもってない。どっちも、「騒音でうるさかったんでしょ」という話しだ。

そして、気違い兄貴の態度がわからないのである。うちの気違い兄貴の態度と感覚が、まったくわからない。それは、ヨソの人が、うちの親父の態度がわからないというのとおなじだ。似たようなことを経験したことがまったくないのである。気違いの家族にたたられたことがないのである。ヨソの人にとっては、まったく未経験で会ったことがない人なので……人生の経験のなかでそういう感覚を持っている人と会ったことがないので、わからないのである。「それはおかしい」「そんな人はいない」「言えば、ちゃんと伝わる」「言われたあとやっているなら、知っているはずだ」と思ってしまう。けど、そうじゃないんだよ。家にいるときの気違い兄貴の感覚と態度が、他の人にはまったくわからない。経験としてまったくわかってない。だから、その人の経験(ヨソの人の経験)に基づいて、騒音の質や、気違い兄貴の態度、気違い兄貴の感覚について考えるわけだけど、それが、全部、はずれている」のである。だから、そういう人たちにとっては、「俺が、なんかへんなことを言う人」だということになる。へんなことを信じるのは、自我にとって不愉快なことなので、エイリさんの言うとはなんとなく不愉快だと感じてしまうのである。これは、そういうことがない世界で生きてきた人が、そういうことがあるということを突きつけられて、自我の変更を求められたときの感覚なのである。そりゃ、いままで信じていた世界が否定されるのだから「なんとなく不愉快」なのである。「そんなひとはいない」ということで安定した世界観がつくられていたので、そういう人がいるという人があらわれると、「不愉快に感じる」人がいるのである。

だから、まず、気違い兄貴がやったこと全体について、感覚的に理解できないということになり、次に、「そんな人がいる」という世界を突きつけられたという意味でなんとなく不愉快になってしまうのである。これが、やっている方が、精神病質者である場合の基本的な構造だ。精神病質者が「家族」である場合は、家のなかのことは、他の人にはわからないので、「やられた人から聞く」ということになる。その場合、聞かされた人はそういう反応をすることがあるということだ。構造的にそうなんだよな。わかるかな?

2018年10月23日火曜日

戦争中とかわらないのである


ストア1に行ってくる。宮崎県産のほうれん草(冷凍)と京都産のレタスを買ってくる。ある会社とある会社の「つけもの」は、関東だと福島県産の食材を使っているということがわかってしまった。関西に本社がある会社だから、だいじょうぶかと思ったけど、だいじょうぶじゃなかった。本当はやっぱり、ここから、引っ越した方がいいんだよな。
本当に国が音頭をとって、食べて応援とかやっているんだからな。こんなの、国が国民を殺しにかかっているようなもんだぞ。しかも、そうしているのは、官僚の失敗隠しのためだ。『原発は安全』でなければならなかったのだ。がんの発生率をなるべく目立たないようにしたいのである。福島、もしくは福島周辺だけがんの発生率が突出して高くなるような事態は避けたいのである。まあ、そうは言っても、高くはなると思うけど。その高さをなるべくなめらかなものにしたいのである。だから、まわりのがんの発生率をあげればいいんだという話になる。「たしかに福島、もしくは福島周辺のがんの発生率は上がりましたが、そんなにたいしたことはありません」みたいなことにしたい。
それから、あの時政府は、国民に本当の情報を教えなければならなかったのだけど、全部かくして、結果的に国民を放射能の被害にさらさせた。これは、程度問題だ。情報が伝わっていたら、被害を防げた人もいたということだ。あるいは、相対的に被害を軽くできた人もいるということだ。別に、情報が正しく伝われば、すべての被害を避けられるということではない。相対的な話しだ。スピーディーは機能していたはずだし、正しい情報は取得していたはずなのである。(風向きや被害の程度)。けど、『パニックになるから、正しい情報を教えるのはやめよう』と判断した人たちがいるのである。この判断のせいで、被爆者が増えた。国民をより多く被爆させた。


戦争中とかわらないのである。


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2018年10月21日日曜日

「生まれた家の差」……スピリチュアリズム系の御利益本を書いている人がまったく見てないこと


これは言ってしまっていいのかどうかわからないけど、スピリチュアリズムに凝っている人は、つらい思いをしている人を自殺に追い込むようなことばかり言っている。彼らの言っていることは、「もちふだ」が中流以上の人には、いい助言なのかもしれないけど、「もちふだ」が下流(底辺)の人には、いい助言じゃない。どちらかというと、悪い助言で、下流の人を自殺に追い込むような助言だ。

これ、本当に、のんきな人たちや、「もちふだ」が中流以上の人にはわからないんだろうな。「もちふだ」と言ったけど、それは、「生まれ持ったもの」と言ってもいい。生まれの差がある。

けど、スピリチュアリズムに凝っている人は、「生まれの差はない」という前提でものを言っている。生まれの差は無視してはいけないのだけど、生まれの差を無視して、「よさそうなこと」を言っている。あくまでも「……そうなこと」だ。

けど、彼らがすすめることを、下流の人がやった場合、症状がひどくなって自殺したい気分になる。こころのバランスをくずす。

彼らには下流の人の状態がまったく見えてないのである。彼らは、下流の人がどういうことを経験してきたか、まったく理解してないのである。それらは、「理解したふり」をする場合があるけど、あくまでも「ふり」だ。理解してないから、理解している状態がどういう状態なのかわからない。わからないから、彼ら流の理解をする。けど、この理解は、理解じゃない。「理解もどき」みたいなものだ。

下流と言ったけど、これは、別にお金の話しじゃない。収入とか貯金の話しじゃない。もちろん、収入が少ない人、貯金がない人のなかには、下流の人が含まれている。(全部ではなくて、部分)。

もちふだが下流である人は、「なんとかしたくて」スピリチュアリズム系の御利益本を買うけど、そこに書いてあることは、下流である人を追い込むようなことばかりだ。普通のレベルの人(もちふだが中流)が、もっとしあわせになりたくて、御利益本を買うと、それなりに効果がある場合があるけど、下流の人(もちふだが下流)の人が御利益本を買うと、自分の首を絞めたくなってしまうような効果があるのだ。そこに書いてある方法は、そういう方法でしかない。下流の人は「そのやり方」では救われない。傷つくだけだよ。

それじゃ、スピリチュアリズムに凝って、スピリチュアリズム系の御利益本を書く人たちが、下流の人をいためつけたくて、そういうことを書いているのかというとそうじゃない。彼らは、ほんとうにわかってないだけ。いろいろと苦労したエピソードなどが書いてあるかもしれないけど、それは、情報商材の手口といっしょだ。ぜんぜんちがう。苦労の苦労がちがう。

たぶん、スピリチュアリズム系の御利益本を平気で書けるひとは、本人が中流以上なんだよ。だから、中流以上のことしかわからない。下流の人がどういう状態で、どういうことでこまっているのか、ぜんぜんわからないんだよ。

たとえば、「家族」と言ったって、異常に自分勝手な家族(の一員)だっているんだよ。異常に自分勝手な家族(の一員)にやられている人の気持ちがわからない。普通の家族に囲まれて生きてきた人は、異常な家族がどういうものだかわかってない。根本的にわかってない。

だから、そのレベルで、不幸とか、意地悪とか、いじめということを考えてしまう。けど、下流の人が直面しているのは、中流の人や上流の人が直面している、それ、とはちがう。

最初から「異常な家族」がないものとして、話をすすめている。要するに、不幸と言っても、普通の家族の不幸しか考えてない。異常な家族の不幸は、最初から考えてない。異常な家族がいるうちに生まれたということが、つまり、下流だということだ。わかるかな? 下流か中流か上流かのちがいのひとつが「生まれた家の差」だ。

   *   *   *

スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系は特に、精神病質的な家族の一員にやられた人を崖っぷちに追い込む。重たい気持ちをさらに重たくする。

スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系は、精神病質者にやられてこまっている人を自殺に追い込むような力がある。ぼくはこれを、冗談で言っているわけではない。システムとしてそうなっている。細かい理由に関しては、もう、すでに『騒音サイコパス』収録分に書いたから、ここでは細かい理由は説明しないけど、理論的必然として「追い込む」ところがある。

スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系を読んで「ずっしりと重たい気持ちになる」人は、それ以上、そういう本を読まない方がいい。ずっしりと重たい気持ちになったり、あせった気持ちになったりしているということが、すべてを物語っている。

どのみち、『超・少数派』だから、ぼくが言っていることがわからない人のほうが多いと思う。スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系に関する本当の反応で、その人がなにをされたのかわかる。されたことの質がちがう。ぜんぜんちがうんだよ。

やられたことの『質』がちがうので、『一般論』は参考にならない。逆に言うと、スピリチュアリズム系の御利益本に対する反応で、どういう人になにをされてきたのか、わかる。リトマス試験紙のようにわかるんだよ。

ぼくは別にスピリチュアリズム系の御利益本は、どんな場合でも、どんな人でも、だめだとは言ってない。一部の人は、スピリチュアリズム系の御利益本で傷つく。他の人は、スピリチュアリズム系の御利益本で元気になるのだろう。だから、すべての人にとってスピリチュアリズム系の御利益本がだめだと言っているわけではないんだ。ここのところ、誤解しないでね。

スピリチュアリズム系の御利益本で元気になる人?よくなる人は?普通の人なんだよ。圧倒的多数。この普通の人の感覚で、『どれだけ落ち込んでいても(元気になる)』『どれだけ不幸なことがあっても(元気になる)』と言っているわけ。

だから、部分ではなくて、すべての人に効くというようなことを言っているのはむしろ、スピリチュアリズム系の御利益本の著者かファンであるわけ。

こういう人たちは、単純なので、ぼくがスピリチュアリズム系の御利益本に書いてあることを全否定していると思ってしまうのだ。全否定はしてない。『どんな人にも効くというわけではない』ということを言っているわけ。一部の人には効かないどころか害になると言っているわけ。すべての人にとって害だとは言ってないわけ。むしろ、普通の人には効く(場合がある)ということをちゃんと認めているわけ。こういうところをちゃんと理解して欲しい。

どうして、一部の人にとっては害になるかというと、その理論がその人の現実を無視しているからだ。また、けっきょくのところ、『努力の方向が同じ』だからだ。くるしめてきたのとおなじ方法で、努力することを求められているのだから、無理だ。

まさしく、自分をくるしめてきた方法なのである。

普通の人なら、やったあと気持ちよくなるのに、一部の人はやったあと、破滅的な気分になるのはなぜかというと、状況が違うからだ。現実がちがうからだ。ほんとうにこういう一般的なことを言う人たちは、特殊な人にやられた人のことを考えてない。

そして、「だれだってそうだ」というふうにまとめてしまう。一般の人にとって不幸な出来事や不幸というのは、特殊な人にやられた人にとっての不幸な出来事や不幸とはちがう。一般の人はこれがわかってない。作者が一般の人である場合は、当然、無視する。

けど、何度も繰り返しになるけど『自分もそうだった』『どんな場合でも(効果がある)』『どんな人でも(効果がある)』と言ってしまう。実際にそう思っているからそう言ってしまう。けど、ちがう。

ちょっと、話がずれるけど、特殊な人の状況というのは、燃え尽きてしまった人の状況に似ている。燃え尽きてしまった人というのはもともとは、努力をするのが好きな人なんだよ。がんばることが好きな人であるわけ。

けど、「すぎたるはおよばざるがごとし」で、燃え尽きてしまうことがある。その燃え尽きた人に『努力するのは大切だ』『どんなときで、努力すればどうにかなる』と言って聞かせても、無理でしょ。もう、体が動かなくなってしまったのだから。もう、気持ちが動かなくなってしまったのだから。

その場合、『努力するのは大切だ』『どんなときで、努力すればどうにかなる』というのは、かつて彼が持っていた『基本的な考え方(スローガン)』とおなじであるわけ。努力の向きがおなじであるわけ。燃え尽きてしまっているのに、同じ方向で努力するように言われても土台が無理なんだよ。そういうこと。ぼくが不幸な人は云々と言ってきたのは、そういうのに、似ている。

2018年10月20日土曜日

全部・親父のまね。


俺がつかれた~~
やっぱり、つかれた。

たいしたことはやってないけど、つかれた。
やはり、起きてから一〇時間ぐらいでこういう状態になるというとは、覚えておいた方がいいみたいだな。覚えておくというよりも、そういう前提でいろいろな計画を立てなければならないということだ。

あと、ヘビメタのことはやはり、た・た・る。
俺が悪いことをしたわけじゃないのに、兄貴のやり方があまりにも気違い的なので、俺が悪く言われるというところがある。悪くじゃなくても、なんかこわい人みたいにいわれるようなところがある。けどさぁ。本当に、家族にあの態度でやられてごらん? 本当に、そんなんじゃないから。「ゆるすといえばゆるせる」とか、バカ言ってんじゃないよと思う。

いま鳴っている、雰囲気だ。
午後一〇時二八分か。鳴っているな。いつも、毎日、土曜日でも午後一〇時二八分は鳴っていた。どれだけ怒鳴り込んでも一分も静かにしてくれなかった。それが兄貴がこの世でやったことだ。それなのに、……あんなに意地になって鳴らしていたのに……「つもりがない」とか言い出すんだよな。「そんなに鳴らしてない」とか言い出す。これが、親父とおなじなんだよな。鳴らしている全部の時間、「つもりがない」ままなのである。そういう、頭だ。鳴らしている最中は「静かにしろ」と言われることが「不都合なこと」だから、「なんだそんなの」と親父のように怒り狂って絶対に静かにしなかったんだよ。いまは「デカイ音で鳴らしてた」と言われることが不都合なことなんだよ。不都合なことだから、「そんなんじゃない」と否定する。それだけ。全部・親父のまね。兄貴よ! 親父が、あれだけ意地になって、「やってやらなかった」のに、「やってやった、やってやった」と言ったら、どういう気分になるんだよ? 気違い兄貴のやっていることはまさにそういうことだ。親父とおなじだから、自分がやっていることにまったく気がつかないだけだろ。やっているときだっておなじなんだよ。たとえば、あれだけ意地になってハンダゴテを買ってやらなかった親父が、「そんなの、言えば買ってやったのに」って言ったらどう思うよ? そういうことなんだよ。あれだけ意地になって「使える使える」と言ってた親父が「そんなことは、言ってない」と言ったら、どういう気持ちになるんだよ? 気違い兄貴がやっていることはそういうことだ。

2018年10月19日金曜日

「迷惑だからやめてください」と言われて、やめられることじゃないのである


夜はものすごく不安だったけど、いまは、不安はない。不安はないのだけど、怒りがある。犬が限界時間を越えて吠えると、怒りが頭に残る。
ヘビメタ騒音で、一生分の「騒音耐性」を使いはたした。もう、つねに「ふち」まできている。これ、わからないだろうな。あの態度で、限界を越えてこまっているときに、ずーーっと一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間、八時間、九時間、鳴らされ続けたときの、気持ちが、復活してしまう。気違い兄貴の態度が、他の人には絶対にわからない態度だからこまる。うちの親父の態度も、うちの兄貴の態度も、他の人にはわからない。矛盾のある知覚・感覚・認知・認識もわからない。


いまも、幼稚園の子供がぎゃーぎゃー騒いでいるけどそれは、別にどうでもいい。音のでかさがちがう。繰り返しじゃない。音のでかさのちがいは、この場合は、距離のちがいによってもたらされるものだ。子供の「きーー」という声と犬の吠え声は、音源の大きさ的には対してかわりがないような気がする。気違い兄貴のヘビメタは、犬一〇〇匹、子供一〇〇人よりも、ずっとずっとずっと、デカイ。これは、俺の部屋を中心にして考えた場合だ。距離という要素が、デカイ。これは、人間が普通に想像するよりもデカイ要素だ。なんかみんな、音がうるさいというと、音源の音のでかさばかりに注目してしまう。そして、音源の音のでかさについて話しをすることになるけど、問題なのは、音源からの距離だ。ちなみに、音のデカさは、距離の二乗に反比例する。あとは、音源の位置が問題で、高いところにあるかおなじ高さにあるかでだいぶちがう。ヘビメタ騒音のスピーカーは、すぐそこにある。おなじ高さにある。だから、あのデカさでやられると、直撃でこたえる。壁が透明じゃないから、気違い兄貴が鳴らしている姿というのは見えないけど、そして、スピーカーは見えないけど、壁が透明だったら、本当に、地続き(床続きで)すぐ、そこにあるスピーカーだからな。気違い兄貴は、こだわりまくったんだよな。で、気違い兄貴のなかでは、自分が思いっきり、好きなように鳴らしていいという決めつけがあった。それは、気違い親父に十数年やられてできあがった「思い込み」なのである。自分がヘビメタを「この家で鳴らすなら」……ぜっーーったいに、自分が思ったとおりの音で鳴らすと決めていたのだ。そして、何回も言うけど、「それはやっていいこと」なのである。気違い兄貴のなかではやっていいことなのである。どうしてなら、それは、気違い親父が十数年間にわたって毎日やってきたことだから。絶対にゆずらないのである。毎回毎回、親父の気違い的な思いこみを押しつけて、絶対にゆずらないのである。どこかでおれて、ちゃんとやってくれるということがない。気違い親父が思ったとおりのやり方で押し通すわけで、子供である以上(小さなこどもである以上)やられるまくるしかないのだ。どれだけ言ったって、気違い親父の中身がわかるわけじゃないんだよ。気違い親父が、気違い親父の感覚で、「これだ」と思ったら絶対に「これだと思ったやり方」でやるわけで、それがどれだけ「こっち」に迷惑がかかる行為でも、絶対にやめてくれない。こっちが「これこれこういう理由で、迷惑がかかるからやめてください」とどれだけ言っても、やめてくれない。怒り狂って自分のやり方を押し通す。意地になって、自分のやり方を押し通す。自分のやり方に対して相手が文句を言ってきたという、ことだけで、発狂してしまう。「相手の立場を考えて」……やめてあげる……なんてことは、絶対にない。どんな小さなことでも、そうなる。親父の中にしか、そうする理由がないことで、そうなる。これは、どういうことかというと、相手にどれだけ迷惑がかかるやり方でも、親父がそのとき、そのやり方でやりたいと思ったら、絶対にそのやり方でやって、他のやり方でやるということが、ないということだ。これ、どれだけ、説明したって、絶対に認めないのである。そういう態度の「そうたい」がある。これが、わかってないんだよな。「ちゃんと説明したら、お父さんだってわかってくれる」とか「(ちゃんと説明すれば、大人だったら絶対にわかることなのだから)ちゃんと説明しないのが悪いんだ」と思う人は、親父の気違い回路の構造がわかってない。どれだけ理由がなくても、どれだけ他人に迷惑がかかるやり方でも、親父が「思いついたら」絶対の意地でそのやり方でやるわけで、変更しない。他のやり方にするとか、やめるということは、絶対にない。「理由はなんなのか」ということが説明できないことでも、親父が思いついたら、どれだけ(まわりの人に)迷惑がかかることでものやり方でも、その通りのやり方でやることに固着して、絶対にゆずらない。これ、ゆずらせようとしたら、殺し合いになるしかない。やめさせようとしたら、殺さなければならなくなる。そういう意地でやりやがるわけで、なんて言うのかな?そこに投入されている心的エネルギーは、殺人者が殺人をするときの心的エネルギーに相当するものなのである。「やめてくれ」と言われても、絶対にやめないで、意地を通して、発狂してやりきる殺人者とおなじ意地で、おなじ新手消えるギーを投入して、迷惑行為をするのである。親父の中にしか理由かないことでも、絶対にやめさせることができない。兄貴のヘビメタだって、「自分が思ったとおりのデカイ音でヘビメタを鳴らしたい」というのは、兄貴の中にしかない理由なんだよ。本人の中にしかない、理由で、やりきる。「迷惑だからやめてください」と言われて、やめられることじゃないのである。最初から!! やり始めたときから!! ずっとずっと、気違い的な意地があるわけで、変更不能なのだ。「どうして!そんなことにこだわるんだ??」と言われても、本人は、わからない。「思いついちゃったら」そうなんだよ。それが、どんなに小さなことでも、ぜーーったいにゆずれないものになる。思いついちゃったら、本当は、「そのやり方」にこだわらなくてもよいのではないかと他人が思うようなことでも、他人に言われて、変更するということはあり得ないのである。どれだけ、バカな考えでも、ともかく、こだわりきるわけで、「そうされるとこまるから別の方法でやってくれ」と言われても、ゆずらない。かんかんに怒って、ゆずらない。ゆずらないとなったらゆずらないんだよ。で、常に、そういうスイッチが入る状態になっている。頭の中の「不合理な」思いつきは、絶対に本人が思ったとおりに実行されなければならないのである。これ、本当に、どんな些細なことでも、どんなに理由がないことでも、そうなる。わかってないんだよ……他の人はわかってない。こういう人たちの意地がどれだけ強いかわかってない。それから、なんて言うのかな? 理由のなさがわかってないんだよな。客観的に考えれば、その人がそのやり方にこだわる理由がまったくないのである。ばかげたやり方に細部までこだわって、細部まで絶対に、やり方を変えない。「他の人に迷惑がかかるから、やり方を変更する」なんてことは絶対にない。この、意地が……気違いとしか言いようがない意地が……他の人にはわからない。そういう人間といっしょに住んでいる人しかわからない。家族しかわからない。


親父の頭の中で「スイッチが入っちゃったら」外側からは、変更できない。スイッチをもとに戻すということができない。頭の中のスイッチというのは、ものすごく非・合理的なスイッチで、統合失調症患者の妄想とおなじなのである。だから、他の人から見ると「なんでそういうことをやるんだ!!」と思うようなことをやる。こだわりつくしてやる。「これこれ、こういう理由でこまるからやめてください」と家族が言っても、発狂して夢中になってやるだけで絶対にやめてくれない。兄貴も親父もそうだ。兄貴にとって、ヘビメタを自分が思ったとおりの音で、思いっきり鳴らすというのは、大切なことなのである。そういう「スイッチが入っちゃったから」。そうしたら、実際には、デカイデカイ音で鳴らしているのだけど、デカイ音で鳴らしているということ自体を認めないということになる。そういうスイッチが入っちゃったら、もう、外側からは変更できない。

   *   *   *

要するに、不安はないけど不愉快ではある。
これからやるべきことは、片付け(掃除)と買い物と外壁パティ塗りだ。
片付けがはかどらない。この速度でやっていくと、今年中には片付かない。
こっちに書いてもしかたがないけど、ヘビメタ騒音以降「この世に対する不快感」が消えない。どうしても残っている。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。