2018年10月29日月曜日

本当に「やってない」つもりでいられる


自分の精神状態と体力状態をあらわす指標として、精神ハザードレベルというのを考えたんだけど、精神状態と体力状態はわけたほうがいいのかな? と思い始めた。
まあ、たとえば、精神ハザードレベル4は、やる気がゼロ、頭を使う文章を書くのは無理、デザイン系統の作業は無理、さみしさは10、……。
まあ、10段階評価なんだよね。全部、10段階評価で、しんどさ、やる気、さみしさ、ヘビメタ騒音に対する怒りをあらわそうかな。
「なにか」をやったあと、どういう気持ちになったかということを記録するという心理療法(の一種)があるんだけど、つねに、ヘビメタ騒音で怒っているか、悔やんでいるか、破綻的な気持ちになっているので、意味がないんだよね。

ヘビメタ騒音の『説明できない効果』というのがあって、これが、本当に説明しがたい。おとされていく。まわりの人というか普通の人が理解できな態度で、きちがい行為をし続ける家族がいると、やられた人が「へんなひと」だと思われるんだよな。そして、おちていく。「あいさつ」運動は、デコレーションして書いた架空の話しだけど、あれに似たようなことが、いっぱい、いっぱい、積み重なっていく。それから、「さそいをことわる系」があるんだよ。ヘビメタ騒音が帰ってからずっと鳴っているから、いっぱいいっぱいになって、誘いをことわらざるを得ない。俺がヘビメタ騒音でどんな状態で暮らしているか、普通のクラスメイトには言ってないので、普通のクラスメイトは知らない。まあ、言ってもわからないところはあるんだけどね……。「そんなの、お兄さんに相談すればいい」というような気持ちになるわけだからさ……言われたほうは。
あとは、普通ならできることができなくなって、他の人に迷惑をかけるというのがあるんだけど、これが、なんとなく、うわついた状態なんだよ。ヘビメタ騒音がずっと鳴っている生活というのは、普通の人で言えば、まるで、つねに酔っぱらっているような生活で、注意力が欠けてしまうところがある。この『ヘビメタ騒音がずっと鳴っている生活』という言葉だって、人によっては、たいした問題だとは思わないわけで、そういう人の認知と、ぼくの認知はたいへんに異なるので、それがすでに、一種のトラブルを内包している。

いろいろなことがあるんだけど、こころの壁があって書けない。ともかく、気違い兄貴がずっとヘビメタを鳴らしていた。どれだけ『鳴らすな』と怒鳴り込んでも、静かに『鳴らさないでくれ』と頼み込んでも、一秒もゆずらないで、頑固に鳴らしていた。(けど、気違い兄貴は、気違いなので、『鳴らしたつもり』も『デカイ音で鳴らし続けたつもり』もない状態なのである。『ない状態で』がんこに鳴らし続ける。気違い親父のように、相手が困るとかそういうことは、一切合切考えられない状態になっている。本人が、『やり続けることができれば』いいわけで、本人が『やり続けることができる』以上は相手に対してなにもやってないことに鳴っているのである。まずいことをしているという気持ちがわかない。本人は、悪いことをしているという主観的な気持ちがまったくない。「やっていいいことをしている」つもりしかない。しかし、やっていることが悪いことだという文脈で「やっていた」と言われると「やってない。やってない」ってはじまるんだよな。それは、親父とおなじわけ。で、「やってないやってない」と言って怒って、二階に行って、その行為をやり始めた場合も、まるで悪いと思わないんだよな。「その当の行為をやっている」という気持ちがない。けど、認知症とか統合失調症という(広い意味で)病気ではない。認知に問題があるのはたしかなんだけど、また、ちがうんだよな。どちらかと言えば、やはり『無意識』の方の問題なんだよ。『無意識』の場合はハードウエアの故障はない。脳の機能障害ではない。けど、『無意識』を可能にするハードウエアのしくみは、他の人はちがうのではないかと思っている。無意識はだれにでもあるけど、こういう無意識を可能にする脳のしくみというのは、他の人とちがっていると思う。あまりにも、自分勝手なんだよ。あまりにも、現実を無視しているんだよ。けど、認知自体はあるんだよ。けど、その認知自体が本人にとって「どうでもいいこと」であり、『認める』という行為から、遠く離れている状態なんだよな。もちろん、相手の状態に対する無視というのが、ある。これが頑固で、器質的な部分(脳のハードウエア)の問題もあるんじゃないかなと思っている。ともかく、問題のある無意識で、普通の人じゃないのである。脳の帰納的な障害(器質的な障害)なのか、それとも、純粋にソフトウエアの問題(無意識)の問題なのか、はっきりしないけど、ともかく、普通の人じゃない。普通の人は、ああいう無視はできない。普通の人の場合、どうしても、『頑固に相手の言っていることを無視して、当の行為をしている』という認識がしょうじてしまう。親父と兄貴の場合は、『やるけど、そんなの関係、ない』だからな。そして、「やるけど」の部分がとれてしまう。過去のことになれば、やるけど」の部分がとれてしまう。だから、終わったときには、やってないつもりになれる。そういうところがちょっとちがう。だいぶちがう。『なんだろうがやりたい気持ち』というのが異常に強いんだよ。本当は、絶対にビタイチモンまけられない、こだわりがあること(もの)であるわけ。けど、相手の言い分を無視して「やった」という気持ちがないんだよね。それは、気持ちがないのと同時に『記憶もない』という状態になっている。だから、本当に「やってない」つもりでいられる。なんて言うのかな? 普通の人だとああいうかたちで『無視して』やった場合、『やった』という気持ちが残るんだよ。だから、やったということを『認めない』ときも、意識して、意地になって認めないわけで、本当は『やった』ということを知っている。けど、気違い兄貴と気違い親父は、『やった』ということを知らない状態で『やってないやってない』と激しく主張するところがある。本当に、本人は『知らない』のである。だから、常に、矛盾しているんだよ。

この『知らない』というのは、『まったく関心がないから(知らない)』という意味と『不都合なことを認めたくないから、知らない気分になっている』という意味がある。『不都合なことを認めたくない』というのは「やめろ」と言われたときも成り立っている。「やめたくない」のである。だから、おなじ状態で、現実を無視する。だから、「やったってやってない」という状態になってしまう。

2018年10月25日木曜日

家のなかのことは、他の人にはわからない



本当にヘビメタ騒音の感じが他の人にはわからないんだよな。他の人にとっては、たとえば、一日、午後四時から午後一一時までヘビメタをものすごい音で聞かされ続けたという話しと、一四年間毎日、午後四時から午後一一時までヘビメタ騒音を聞かされ続けたという話しのちがいがわからない。どっちも同じような感じにしか思えない。「だから、騒音でうるさかったんでしょ」という程度の理解だ。休みの日は、朝の九時一五分からドカスカ鳴っていたけど、そういう休みの日のことをのぞいて考えても、一日と、一四年間毎日ではぜんぜん話がちがう。そのちがいは、ぼくのからだにはつもっている。ぼくの認知にはつもってる。ぼくの記憶にはつもっている。けど、他の人の記憶には、つもってない。どっちも、「騒音でうるさかったんでしょ」という話しだ。

そして、気違い兄貴の態度がわからないのである。うちの気違い兄貴の態度と感覚が、まったくわからない。それは、ヨソの人が、うちの親父の態度がわからないというのとおなじだ。似たようなことを経験したことがまったくないのである。気違いの家族にたたられたことがないのである。ヨソの人にとっては、まったく未経験で会ったことがない人なので……人生の経験のなかでそういう感覚を持っている人と会ったことがないので、わからないのである。「それはおかしい」「そんな人はいない」「言えば、ちゃんと伝わる」「言われたあとやっているなら、知っているはずだ」と思ってしまう。けど、そうじゃないんだよ。家にいるときの気違い兄貴の感覚と態度が、他の人にはまったくわからない。経験としてまったくわかってない。だから、その人の経験(ヨソの人の経験)に基づいて、騒音の質や、気違い兄貴の態度、気違い兄貴の感覚について考えるわけだけど、それが、全部、はずれている」のである。だから、そういう人たちにとっては、「俺が、なんかへんなことを言う人」だということになる。へんなことを信じるのは、自我にとって不愉快なことなので、エイリさんの言うとはなんとなく不愉快だと感じてしまうのである。これは、そういうことがない世界で生きてきた人が、そういうことがあるということを突きつけられて、自我の変更を求められたときの感覚なのである。そりゃ、いままで信じていた世界が否定されるのだから「なんとなく不愉快」なのである。「そんなひとはいない」ということで安定した世界観がつくられていたので、そういう人がいるという人があらわれると、「不愉快に感じる」人がいるのである。

だから、まず、気違い兄貴がやったこと全体について、感覚的に理解できないということになり、次に、「そんな人がいる」という世界を突きつけられたという意味でなんとなく不愉快になってしまうのである。これが、やっている方が、精神病質者である場合の基本的な構造だ。精神病質者が「家族」である場合は、家のなかのことは、他の人にはわからないので、「やられた人から聞く」ということになる。その場合、聞かされた人はそういう反応をすることがあるということだ。構造的にそうなんだよな。わかるかな?

2018年10月23日火曜日

戦争中とかわらないのである


ストア1に行ってくる。宮崎県産のほうれん草(冷凍)と京都産のレタスを買ってくる。ある会社とある会社の「つけもの」は、関東だと福島県産の食材を使っているということがわかってしまった。関西に本社がある会社だから、だいじょうぶかと思ったけど、だいじょうぶじゃなかった。本当はやっぱり、ここから、引っ越した方がいいんだよな。
本当に国が音頭をとって、食べて応援とかやっているんだからな。こんなの、国が国民を殺しにかかっているようなもんだぞ。しかも、そうしているのは、官僚の失敗隠しのためだ。『原発は安全』でなければならなかったのだ。がんの発生率をなるべく目立たないようにしたいのである。福島、もしくは福島周辺だけがんの発生率が突出して高くなるような事態は避けたいのである。まあ、そうは言っても、高くはなると思うけど。その高さをなるべくなめらかなものにしたいのである。だから、まわりのがんの発生率をあげればいいんだという話になる。「たしかに福島、もしくは福島周辺のがんの発生率は上がりましたが、そんなにたいしたことはありません」みたいなことにしたい。
それから、あの時政府は、国民に本当の情報を教えなければならなかったのだけど、全部かくして、結果的に国民を放射能の被害にさらさせた。これは、程度問題だ。情報が伝わっていたら、被害を防げた人もいたということだ。あるいは、相対的に被害を軽くできた人もいるということだ。別に、情報が正しく伝われば、すべての被害を避けられるということではない。相対的な話しだ。スピーディーは機能していたはずだし、正しい情報は取得していたはずなのである。(風向きや被害の程度)。けど、『パニックになるから、正しい情報を教えるのはやめよう』と判断した人たちがいるのである。この判断のせいで、被爆者が増えた。国民をより多く被爆させた。


戦争中とかわらないのである。


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2018年10月21日日曜日

「生まれた家の差」……スピリチュアリズム系の御利益本を書いている人がまったく見てないこと


これは言ってしまっていいのかどうかわからないけど、スピリチュアリズムに凝っている人は、つらい思いをしている人を自殺に追い込むようなことばかり言っている。彼らの言っていることは、「もちふだ」が中流以上の人には、いい助言なのかもしれないけど、「もちふだ」が下流(底辺)の人には、いい助言じゃない。どちらかというと、悪い助言で、下流の人を自殺に追い込むような助言だ。

これ、本当に、のんきな人たちや、「もちふだ」が中流以上の人にはわからないんだろうな。「もちふだ」と言ったけど、それは、「生まれ持ったもの」と言ってもいい。生まれの差がある。

けど、スピリチュアリズムに凝っている人は、「生まれの差はない」という前提でものを言っている。生まれの差は無視してはいけないのだけど、生まれの差を無視して、「よさそうなこと」を言っている。あくまでも「……そうなこと」だ。

けど、彼らがすすめることを、下流の人がやった場合、症状がひどくなって自殺したい気分になる。こころのバランスをくずす。

彼らには下流の人の状態がまったく見えてないのである。彼らは、下流の人がどういうことを経験してきたか、まったく理解してないのである。それらは、「理解したふり」をする場合があるけど、あくまでも「ふり」だ。理解してないから、理解している状態がどういう状態なのかわからない。わからないから、彼ら流の理解をする。けど、この理解は、理解じゃない。「理解もどき」みたいなものだ。

下流と言ったけど、これは、別にお金の話しじゃない。収入とか貯金の話しじゃない。もちろん、収入が少ない人、貯金がない人のなかには、下流の人が含まれている。(全部ではなくて、部分)。

もちふだが下流である人は、「なんとかしたくて」スピリチュアリズム系の御利益本を買うけど、そこに書いてあることは、下流である人を追い込むようなことばかりだ。普通のレベルの人(もちふだが中流)が、もっとしあわせになりたくて、御利益本を買うと、それなりに効果がある場合があるけど、下流の人(もちふだが下流)の人が御利益本を買うと、自分の首を絞めたくなってしまうような効果があるのだ。そこに書いてある方法は、そういう方法でしかない。下流の人は「そのやり方」では救われない。傷つくだけだよ。

それじゃ、スピリチュアリズムに凝って、スピリチュアリズム系の御利益本を書く人たちが、下流の人をいためつけたくて、そういうことを書いているのかというとそうじゃない。彼らは、ほんとうにわかってないだけ。いろいろと苦労したエピソードなどが書いてあるかもしれないけど、それは、情報商材の手口といっしょだ。ぜんぜんちがう。苦労の苦労がちがう。

たぶん、スピリチュアリズム系の御利益本を平気で書けるひとは、本人が中流以上なんだよ。だから、中流以上のことしかわからない。下流の人がどういう状態で、どういうことでこまっているのか、ぜんぜんわからないんだよ。

たとえば、「家族」と言ったって、異常に自分勝手な家族(の一員)だっているんだよ。異常に自分勝手な家族(の一員)にやられている人の気持ちがわからない。普通の家族に囲まれて生きてきた人は、異常な家族がどういうものだかわかってない。根本的にわかってない。

だから、そのレベルで、不幸とか、意地悪とか、いじめということを考えてしまう。けど、下流の人が直面しているのは、中流の人や上流の人が直面している、それ、とはちがう。

最初から「異常な家族」がないものとして、話をすすめている。要するに、不幸と言っても、普通の家族の不幸しか考えてない。異常な家族の不幸は、最初から考えてない。異常な家族がいるうちに生まれたということが、つまり、下流だということだ。わかるかな? 下流か中流か上流かのちがいのひとつが「生まれた家の差」だ。

   *   *   *

スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系は特に、精神病質的な家族の一員にやられた人を崖っぷちに追い込む。重たい気持ちをさらに重たくする。

スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系は、精神病質者にやられてこまっている人を自殺に追い込むような力がある。ぼくはこれを、冗談で言っているわけではない。システムとしてそうなっている。細かい理由に関しては、もう、すでに『騒音サイコパス』収録分に書いたから、ここでは細かい理由は説明しないけど、理論的必然として「追い込む」ところがある。

スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系を読んで「ずっしりと重たい気持ちになる」人は、それ以上、そういう本を読まない方がいい。ずっしりと重たい気持ちになったり、あせった気持ちになったりしているということが、すべてを物語っている。

どのみち、『超・少数派』だから、ぼくが言っていることがわからない人のほうが多いと思う。スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系に関する本当の反応で、その人がなにをされたのかわかる。されたことの質がちがう。ぜんぜんちがうんだよ。

やられたことの『質』がちがうので、『一般論』は参考にならない。逆に言うと、スピリチュアリズム系の御利益本に対する反応で、どういう人になにをされてきたのか、わかる。リトマス試験紙のようにわかるんだよ。

ぼくは別にスピリチュアリズム系の御利益本は、どんな場合でも、どんな人でも、だめだとは言ってない。一部の人は、スピリチュアリズム系の御利益本で傷つく。他の人は、スピリチュアリズム系の御利益本で元気になるのだろう。だから、すべての人にとってスピリチュアリズム系の御利益本がだめだと言っているわけではないんだ。ここのところ、誤解しないでね。

スピリチュアリズム系の御利益本で元気になる人?よくなる人は?普通の人なんだよ。圧倒的多数。この普通の人の感覚で、『どれだけ落ち込んでいても(元気になる)』『どれだけ不幸なことがあっても(元気になる)』と言っているわけ。

だから、部分ではなくて、すべての人に効くというようなことを言っているのはむしろ、スピリチュアリズム系の御利益本の著者かファンであるわけ。

こういう人たちは、単純なので、ぼくがスピリチュアリズム系の御利益本に書いてあることを全否定していると思ってしまうのだ。全否定はしてない。『どんな人にも効くというわけではない』ということを言っているわけ。一部の人には効かないどころか害になると言っているわけ。すべての人にとって害だとは言ってないわけ。むしろ、普通の人には効く(場合がある)ということをちゃんと認めているわけ。こういうところをちゃんと理解して欲しい。

どうして、一部の人にとっては害になるかというと、その理論がその人の現実を無視しているからだ。また、けっきょくのところ、『努力の方向が同じ』だからだ。くるしめてきたのとおなじ方法で、努力することを求められているのだから、無理だ。

まさしく、自分をくるしめてきた方法なのである。

普通の人なら、やったあと気持ちよくなるのに、一部の人はやったあと、破滅的な気分になるのはなぜかというと、状況が違うからだ。現実がちがうからだ。ほんとうにこういう一般的なことを言う人たちは、特殊な人にやられた人のことを考えてない。

そして、「だれだってそうだ」というふうにまとめてしまう。一般の人にとって不幸な出来事や不幸というのは、特殊な人にやられた人にとっての不幸な出来事や不幸とはちがう。一般の人はこれがわかってない。作者が一般の人である場合は、当然、無視する。

けど、何度も繰り返しになるけど『自分もそうだった』『どんな場合でも(効果がある)』『どんな人でも(効果がある)』と言ってしまう。実際にそう思っているからそう言ってしまう。けど、ちがう。

ちょっと、話がずれるけど、特殊な人の状況というのは、燃え尽きてしまった人の状況に似ている。燃え尽きてしまった人というのはもともとは、努力をするのが好きな人なんだよ。がんばることが好きな人であるわけ。

けど、「すぎたるはおよばざるがごとし」で、燃え尽きてしまうことがある。その燃え尽きた人に『努力するのは大切だ』『どんなときで、努力すればどうにかなる』と言って聞かせても、無理でしょ。もう、体が動かなくなってしまったのだから。もう、気持ちが動かなくなってしまったのだから。

その場合、『努力するのは大切だ』『どんなときで、努力すればどうにかなる』というのは、かつて彼が持っていた『基本的な考え方(スローガン)』とおなじであるわけ。努力の向きがおなじであるわけ。燃え尽きてしまっているのに、同じ方向で努力するように言われても土台が無理なんだよ。そういうこと。ぼくが不幸な人は云々と言ってきたのは、そういうのに、似ている。

2018年10月20日土曜日

全部・親父のまね。


俺がつかれた~~
やっぱり、つかれた。

たいしたことはやってないけど、つかれた。
やはり、起きてから一〇時間ぐらいでこういう状態になるというとは、覚えておいた方がいいみたいだな。覚えておくというよりも、そういう前提でいろいろな計画を立てなければならないということだ。

あと、ヘビメタのことはやはり、た・た・る。
俺が悪いことをしたわけじゃないのに、兄貴のやり方があまりにも気違い的なので、俺が悪く言われるというところがある。悪くじゃなくても、なんかこわい人みたいにいわれるようなところがある。けどさぁ。本当に、家族にあの態度でやられてごらん? 本当に、そんなんじゃないから。「ゆるすといえばゆるせる」とか、バカ言ってんじゃないよと思う。

いま鳴っている、雰囲気だ。
午後一〇時二八分か。鳴っているな。いつも、毎日、土曜日でも午後一〇時二八分は鳴っていた。どれだけ怒鳴り込んでも一分も静かにしてくれなかった。それが兄貴がこの世でやったことだ。それなのに、……あんなに意地になって鳴らしていたのに……「つもりがない」とか言い出すんだよな。「そんなに鳴らしてない」とか言い出す。これが、親父とおなじなんだよな。鳴らしている全部の時間、「つもりがない」ままなのである。そういう、頭だ。鳴らしている最中は「静かにしろ」と言われることが「不都合なこと」だから、「なんだそんなの」と親父のように怒り狂って絶対に静かにしなかったんだよ。いまは「デカイ音で鳴らしてた」と言われることが不都合なことなんだよ。不都合なことだから、「そんなんじゃない」と否定する。それだけ。全部・親父のまね。兄貴よ! 親父が、あれだけ意地になって、「やってやらなかった」のに、「やってやった、やってやった」と言ったら、どういう気分になるんだよ? 気違い兄貴のやっていることはまさにそういうことだ。親父とおなじだから、自分がやっていることにまったく気がつかないだけだろ。やっているときだっておなじなんだよ。たとえば、あれだけ意地になってハンダゴテを買ってやらなかった親父が、「そんなの、言えば買ってやったのに」って言ったらどう思うよ? そういうことなんだよ。あれだけ意地になって「使える使える」と言ってた親父が「そんなことは、言ってない」と言ったら、どういう気持ちになるんだよ? 気違い兄貴がやっていることはそういうことだ。

2018年10月19日金曜日

「迷惑だからやめてください」と言われて、やめられることじゃないのである


夜はものすごく不安だったけど、いまは、不安はない。不安はないのだけど、怒りがある。犬が限界時間を越えて吠えると、怒りが頭に残る。
ヘビメタ騒音で、一生分の「騒音耐性」を使いはたした。もう、つねに「ふち」まできている。これ、わからないだろうな。あの態度で、限界を越えてこまっているときに、ずーーっと一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間、八時間、九時間、鳴らされ続けたときの、気持ちが、復活してしまう。気違い兄貴の態度が、他の人には絶対にわからない態度だからこまる。うちの親父の態度も、うちの兄貴の態度も、他の人にはわからない。矛盾のある知覚・感覚・認知・認識もわからない。


いまも、幼稚園の子供がぎゃーぎゃー騒いでいるけどそれは、別にどうでもいい。音のでかさがちがう。繰り返しじゃない。音のでかさのちがいは、この場合は、距離のちがいによってもたらされるものだ。子供の「きーー」という声と犬の吠え声は、音源の大きさ的には対してかわりがないような気がする。気違い兄貴のヘビメタは、犬一〇〇匹、子供一〇〇人よりも、ずっとずっとずっと、デカイ。これは、俺の部屋を中心にして考えた場合だ。距離という要素が、デカイ。これは、人間が普通に想像するよりもデカイ要素だ。なんかみんな、音がうるさいというと、音源の音のでかさばかりに注目してしまう。そして、音源の音のでかさについて話しをすることになるけど、問題なのは、音源からの距離だ。ちなみに、音のデカさは、距離の二乗に反比例する。あとは、音源の位置が問題で、高いところにあるかおなじ高さにあるかでだいぶちがう。ヘビメタ騒音のスピーカーは、すぐそこにある。おなじ高さにある。だから、あのデカさでやられると、直撃でこたえる。壁が透明じゃないから、気違い兄貴が鳴らしている姿というのは見えないけど、そして、スピーカーは見えないけど、壁が透明だったら、本当に、地続き(床続きで)すぐ、そこにあるスピーカーだからな。気違い兄貴は、こだわりまくったんだよな。で、気違い兄貴のなかでは、自分が思いっきり、好きなように鳴らしていいという決めつけがあった。それは、気違い親父に十数年やられてできあがった「思い込み」なのである。自分がヘビメタを「この家で鳴らすなら」……ぜっーーったいに、自分が思ったとおりの音で鳴らすと決めていたのだ。そして、何回も言うけど、「それはやっていいこと」なのである。気違い兄貴のなかではやっていいことなのである。どうしてなら、それは、気違い親父が十数年間にわたって毎日やってきたことだから。絶対にゆずらないのである。毎回毎回、親父の気違い的な思いこみを押しつけて、絶対にゆずらないのである。どこかでおれて、ちゃんとやってくれるということがない。気違い親父が思ったとおりのやり方で押し通すわけで、子供である以上(小さなこどもである以上)やられるまくるしかないのだ。どれだけ言ったって、気違い親父の中身がわかるわけじゃないんだよ。気違い親父が、気違い親父の感覚で、「これだ」と思ったら絶対に「これだと思ったやり方」でやるわけで、それがどれだけ「こっち」に迷惑がかかる行為でも、絶対にやめてくれない。こっちが「これこれこういう理由で、迷惑がかかるからやめてください」とどれだけ言っても、やめてくれない。怒り狂って自分のやり方を押し通す。意地になって、自分のやり方を押し通す。自分のやり方に対して相手が文句を言ってきたという、ことだけで、発狂してしまう。「相手の立場を考えて」……やめてあげる……なんてことは、絶対にない。どんな小さなことでも、そうなる。親父の中にしか、そうする理由がないことで、そうなる。これは、どういうことかというと、相手にどれだけ迷惑がかかるやり方でも、親父がそのとき、そのやり方でやりたいと思ったら、絶対にそのやり方でやって、他のやり方でやるということが、ないということだ。これ、どれだけ、説明したって、絶対に認めないのである。そういう態度の「そうたい」がある。これが、わかってないんだよな。「ちゃんと説明したら、お父さんだってわかってくれる」とか「(ちゃんと説明すれば、大人だったら絶対にわかることなのだから)ちゃんと説明しないのが悪いんだ」と思う人は、親父の気違い回路の構造がわかってない。どれだけ理由がなくても、どれだけ他人に迷惑がかかるやり方でも、親父が「思いついたら」絶対の意地でそのやり方でやるわけで、変更しない。他のやり方にするとか、やめるということは、絶対にない。「理由はなんなのか」ということが説明できないことでも、親父が思いついたら、どれだけ(まわりの人に)迷惑がかかることでものやり方でも、その通りのやり方でやることに固着して、絶対にゆずらない。これ、ゆずらせようとしたら、殺し合いになるしかない。やめさせようとしたら、殺さなければならなくなる。そういう意地でやりやがるわけで、なんて言うのかな?そこに投入されている心的エネルギーは、殺人者が殺人をするときの心的エネルギーに相当するものなのである。「やめてくれ」と言われても、絶対にやめないで、意地を通して、発狂してやりきる殺人者とおなじ意地で、おなじ新手消えるギーを投入して、迷惑行為をするのである。親父の中にしか理由かないことでも、絶対にやめさせることができない。兄貴のヘビメタだって、「自分が思ったとおりのデカイ音でヘビメタを鳴らしたい」というのは、兄貴の中にしかない理由なんだよ。本人の中にしかない、理由で、やりきる。「迷惑だからやめてください」と言われて、やめられることじゃないのである。最初から!! やり始めたときから!! ずっとずっと、気違い的な意地があるわけで、変更不能なのだ。「どうして!そんなことにこだわるんだ??」と言われても、本人は、わからない。「思いついちゃったら」そうなんだよ。それが、どんなに小さなことでも、ぜーーったいにゆずれないものになる。思いついちゃったら、本当は、「そのやり方」にこだわらなくてもよいのではないかと他人が思うようなことでも、他人に言われて、変更するということはあり得ないのである。どれだけ、バカな考えでも、ともかく、こだわりきるわけで、「そうされるとこまるから別の方法でやってくれ」と言われても、ゆずらない。かんかんに怒って、ゆずらない。ゆずらないとなったらゆずらないんだよ。で、常に、そういうスイッチが入る状態になっている。頭の中の「不合理な」思いつきは、絶対に本人が思ったとおりに実行されなければならないのである。これ、本当に、どんな些細なことでも、どんなに理由がないことでも、そうなる。わかってないんだよ……他の人はわかってない。こういう人たちの意地がどれだけ強いかわかってない。それから、なんて言うのかな? 理由のなさがわかってないんだよな。客観的に考えれば、その人がそのやり方にこだわる理由がまったくないのである。ばかげたやり方に細部までこだわって、細部まで絶対に、やり方を変えない。「他の人に迷惑がかかるから、やり方を変更する」なんてことは絶対にない。この、意地が……気違いとしか言いようがない意地が……他の人にはわからない。そういう人間といっしょに住んでいる人しかわからない。家族しかわからない。


親父の頭の中で「スイッチが入っちゃったら」外側からは、変更できない。スイッチをもとに戻すということができない。頭の中のスイッチというのは、ものすごく非・合理的なスイッチで、統合失調症患者の妄想とおなじなのである。だから、他の人から見ると「なんでそういうことをやるんだ!!」と思うようなことをやる。こだわりつくしてやる。「これこれ、こういう理由でこまるからやめてください」と家族が言っても、発狂して夢中になってやるだけで絶対にやめてくれない。兄貴も親父もそうだ。兄貴にとって、ヘビメタを自分が思ったとおりの音で、思いっきり鳴らすというのは、大切なことなのである。そういう「スイッチが入っちゃったから」。そうしたら、実際には、デカイデカイ音で鳴らしているのだけど、デカイ音で鳴らしているということ自体を認めないということになる。そういうスイッチが入っちゃったら、もう、外側からは変更できない。

   *   *   *

要するに、不安はないけど不愉快ではある。
これからやるべきことは、片付け(掃除)と買い物と外壁パティ塗りだ。
片付けがはかどらない。この速度でやっていくと、今年中には片付かない。
こっちに書いてもしかたがないけど、ヘビメタ騒音以降「この世に対する不快感」が消えない。どうしても残っている。

2018年10月18日木曜日

無意識的な確信が、ひっくり返らない

俺の哲学修行はなんーーんの役にも立たなかったんだなぁ。まあ、そういうものじゃないか。少なくても金にはならなかったけど、それでいいや。哲学のおかげですこしは解決した問題もある。気違いヘビメタ騒音問題の一部でしかないから、問題だな。全部じゃないからね。

にしても、つかれた。本当に、つかれた。

俺がどんな気分で生きてきたと思っているんだ? 兄貴!!

おまえの騒音のせいで、俺がどんな思いをしてきた通っているんだ?? 兄貴!! おまえ、親父のように完全に無視して鳴らしてたけど、鳴らしてんだよ。これ、無視して鳴らせば、鳴らしてないのとおなじ……という気違い思考だからな。いや、それ以前に、「デカイ音で鳴らしていることに気がつかない」。あるいは、「デカイ音で鳴らしていると思ってない」。「どれだけデカイ音で鳴らしたって、無関係だ」と確信している態度。「がたがた言ってくるほうがわるい」と思っている。「静かにしてくれ」「静かにしてくれ」と言ってくるほうが悪いと思って、ずっと、デカイ音で鳴らしてたんだよ。鳴らしてないわけじゃない。けど、デカイ音で鳴らしてないと、デカイ音で鳴らしているあいだじゅう思っている。いや、言われたときだけ思っている。言われなければ、親父状態で、気違い的にデカイ音で鳴らして、「まったく自分には関係がない」と思っている。この「まったく自分には関係がない」というような無意識的な確信が、ひっくり返らない。気違い兄貴よ! 気違い親父が、わけのわからないことで怒り狂っているときに「わけのわからないことで怒るのはやめてください」と言われても怒り狂うということをやめないのとおなじだ。次々にきちがい的な理由を見つけて、つっかかってくる。あんな気違いはない。けど、親父は「つもりがない」状態なんだよ。「わけのわからないことで怒るのはやめてください」と言われて、「それもそうだな」と言って、やめてくれるわけじゃないだろ。親父はそうだっただろ。気違い兄貴のヘビメタはそれとおなじなんだよ。「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言われて、静かにするわけがない。そのあとずっと続けて、「デカイ音で」鳴らしている。けど、本人は、それでいいと思っている。自分が文句を言われたということに関しては、腹を立てるけど、まったくなにも悪いことをしてないつもりで、その当の行為を続ける。で、一日の中で、やり終わったら、「まったくやってない」という気持ちになってしまう。そういう気持ちになってしまったら、本当にまったくやってないのとおなじ認識が成り立つ。こういうことが、毎日繰り返されていいわけがないだろ。


   *   *   *

これだって、俺が普通の人に言えば、普通の人は「なんかこわい人だな」なんて思ったりするんだよ。おかしいやつにやられたやつが、やられたことを正確に説明すると、「おかしなやつ」だと思われるんだよ。けど、正確に説明しなければ、なんて言うのかな……気違い兄貴のヘビメタ騒音にさらされたままの俺が、普通の状態だと思うわけだよ。そりゃそうだろう。

何万回、言われたって、おなじことをする

俺は、終わっているのだろうか?
なんか、終わっている感じがする。
ともかく、つかれた。
完全に取り残された。
感情がうまく動かない。

ヘビメタ騒音以降、感情がうまく動かない。
ヘビメタ騒音のことをどれだけ言っても、無駄なんだけど、……そうだ。これ、ずっとそうなんだよな。これ、ちがうんだよ。他の人は誤解している。誤解している。ヘビメタ騒音は水銀のようなもので、ずっと影響を与える。摂取してしまったら、ずっと影響を与える。

ボディーに、頭に、人生に影響を与え続ける。

他の人は、可逆的な短時間の騒音しか経験してない。精神病質者による騒音ではなくて、健常者による騒音しか経験してない。家族による、精神病質者的な騒音じゃなくて、他人による精神病質者的ではない騒音しか経験してない。

だから、認知に差ができる。


たとえば、『家』という単語を聞いて、どういう家を思い浮かべるだろうか? おのおの自分が住んでいたような家を思い浮かべるのではないだろうか。お屋敷のような家に住んでいる人?はお屋敷のような家、小屋のような家に住んでいる人は小屋のような家を思い浮かべるのではないだろうか。

『騒音』という単語でもおなじだ。その人が経験したような『騒音』をまず第一に思い浮かべる。その人が経験したことがない『騒音』に関しては、空想で補うしかない。しかし、その空想が、じゅうぶんではない場合がある。もっとも、経験した人でなければわからないということが前提だと、かならず、その空想はじゅうぶんではないということになってしまうのだけど。

ようするに、視たことがないような家を、言葉を聞きながら、想像するということになる。

その想像した家は、実際の家とはちがうのである。実際の家というのは、この場合、だれかが言っている家だ。だれかが、家について記述しているのだけど、その記述は、言葉でしかないから、想像で補わなければならない。しかし、その「想像したイメージ」と、実際の「それ」がちがうのである。

『騒音』の場合、そのちがいがものすごくでかいものになる。そりゃ、ずーーっと、精神病質者にたたられた人じゃないとわからない。精神病質者に騒音で毎日たたられた人じゃないと、騒音生活そのものがどれだけくるしいかわからない。想像もつかない。想像しても、
その想像したものが、実際のものとは、大きく異なる。

それから、気違い兄貴は、「やってないつもり」なんだよな。『鳴らしてないつもり』なんだよ。あるいは『静かにしてやったつもり』なんだよ。これが、どれだけおかしいことか?

普通の人にも、兄貴にもわからない。兄貴に言っておくけど、そんなのは、親父が『ぜんぜん怒らなかった』『理由がないことで怒り狂ったことはない』『常に譲歩してやった』『常に買ってやった』と言っているようなものだぞ。実際には、何年間でもがまんさせっぱなし、なんだけど、本人はまったくつもりがない。

本人はつもりがない。まったくつもりがないままやり続ける。

これが、相手にとってどれだけ残酷なことかわかるか? しかも、何万回も、言われたのに、「つもりがない」状態を維持しているんだぞ。こんなのはない。普通の人は、まさしく、想像もできないだろう。だから、気違い家族にやられた人が、そういうことを正確に記述しても、他の人は、正確に記述している人が『嘘を言っている』と思う。思う人たちがいる。実際には、『そういうこともあるだろうな』と思う人たちもいる。少数だけどな。

ともかく、気違い的なやり方がわからないということになる。「そんなことはない」のである。「そんな人はいない」のである。常識的な人たちにとっては、あるいは、気違い家族にやられたことがない人たちにとっては、「そんなことはない」「そんな人はいない」ということになる。間違っているのだけど、そう思う人たちの方が多い。

あるいは、不遜にも「自分だったら、どうにかできる」と思う人たちの方が多い。これもけっきょく、気違い家族が、「い・え・の・な・か・で」どいう態度で、どういう振る舞いをするかわかってない人たちが勝手に思うだけのことだ。ようするに、事態に対する認識があまいのである。あまいのは、おまえらだ。本当に、「やってないつもり」でやりつづけちゃうんだからな。こんなのはない。けど、そうだ。うちではそうだった。ずっと毎日毎日、何年間も何年間もそうだったんだよ。どうしてかというと、うちにいる限り性格がかわらないからだ。これ、本当に、そういう性格だからそうしているといったたぐいのもので、殺さなければ、「うちでは」やめさせることができない。認知のズレまで含めて、うちの兄なのである。認知のズレまで含めて、うちの父なのである。認知のズレというのは、本人が気違い的な意地でやっていることをやってないと思うような認知的なズレだ。これも、気違い的な意地でやってないと思うわけで、本人がそう思ったら、本人のなかでは終わっているんだよ。だから、まったく気にしないで、その当の行為をやり続けることができる。もちろん、やっているあいだ、まるでそのつもりがないままなんだよ。相手が「やめろ」と言ったあと、「やっている」とは思わない。死んでもそういうふうに思うことができない。自分にとってだけ、都合がいい感覚、思考回路だ。自分とってだけ都合がいい認知回路だ。そういう認知回路を持っていれば、「やってないつもり」で好きなだけやることができるのだから、楽だろ本人は、気がつかないのだから、まったく悪気がしょうじない。気がつかないのだから。何万回、言われたって気がつかない。何万回、言われたって、おなじことをする。気がつかないままおなじことをする。……し続ける。うちでは……。だから本人は、気楽なもんだよ。本当は、気違い的な意地で押し通しているのに、まったくやったつもりがしょうじないのだから、まったく悪気がないまま普通に生活することができる。ちゃんと、自分の意地を通して、やっている……ズッとやっている……ゆずらずにやっている……けど、そんなことはやってない」という認知がずっと成り立っている。こういう、異常なことが普通に成り立ってしまうのが「うち」だ。他の人には、この深刻さがわからない。どれだけ腹が立つことかわからない。どれだけ、不可避的に影響を受けるかわからない。そりゃ、気違い的な意地で毎日、午後一一時一一分まで、ガンガンヘビメタを鳴らされ続けたら、影響を受けるだろ。ちがうんだよ。普通の騒音と。俺の部屋の中心にして考えると、もう、ぜんぜんちがう騒音なんだよ。普通の騒音じゃないんだよ。

2018年10月14日日曜日

「その言葉が最初から結果を含有している」……定義と暗黙知

幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書)

レビューの感想(最初の段階)


https://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E3%83%BB%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%89%8D%E9%87%8E-%E9%9A%86%E5%8F%B8/product-reviews/4062882388/ref=cm_cr_dp_d_show_all_top?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews


あくまでもレビューを読んで思ったことで、本を読んで思ったことじゃない。


この本のレビューなんだけど、この本を科学的だと考えている人と、科学的ではないと考えている人の読解能力をくらべると、科学的ではないと考えている人のほうが、読解能力が高いのではないかと思う。また、どちらが科学的かというと、この本は科学的ではないと言っている人のほうが科学的なのではないかと思う。まあ、本体の本を読んでないから、『感じがする』と意味だけどな。

   *   *   *

幸福学よりも不幸学が必要なんだ。これが、わかってない人たちが多い。

   *   *   *

あとは、幸福というものが定義できないのであれば、どうすればよいのかということだ。幸福も、幸福感も定義できないのであれば、話しがはじまらない。だから、かりそめの定義が必要なのだけど、そのかりそめの定義が、トートロジーになってしまうのではないかということだ。

人に対して、どういうときに幸福だと感じるか?ということを問うたとしよう。その答えを、集計して、だいたいこういうときに、幸福だと感じるということを導き出せたとしよう。

で、その結果を元に、幸福を定義しようとすると、トートロジーになってしまうのである。

ようするに、『赤は赤である』とか『赤はレッドである』とか『赤とは700nm付近の波長を持つ可視光線である』というような感じになってしまう。けど、『赤は赤である』を抜かして、赤を言い換えたものにすぎない。

赤と呼ぶことになっているということは、言い替えを最初から含んでいるということを意味しているのである。

結果の含有。

「その言葉が最初から結果を含有している」ということ。結果というのは、主語に対して述語に相当する部分のことである。また、結果とは『言い替え』自体のことである。『赤は赤である』は、言い替えである性質をまったく持ってないという意味では、完璧だけど、『赤は赤である』ではなにも言ってないのとおなじである。

けっきょく、言葉を介した暗黙知のようになってしまうのか。けど、暗黙知の部分を言語化しようとしても、言語化できない部分がある。それが暗黙知なのだから。



2018年10月13日土曜日

「つまんないつまんない」と言う人

まじ、つまんねぇわぁ~~
だいたい、「つまんないつまんない」と言う人は、魅力がない……という説がある。一理あると思う。けど、俺は言う。「つまんないつまんない」。つまんないんだよ。ヘビメタ騒音がはじまってからずっとつまんないんだよ。強制的に、強迫的につまんないんだよ。くるしいんだよ。

2018年10月11日木曜日

ヘビメタ騒音で障害者になった(公開バージョン)


幼稚園児が、「いっち、に、の、さーー、ん、わわわわわわわわ~~~」ってやっている。これも、けっこううるさい。ひとりじゃないからね。大合唱だからね。けど、もちろん、勉強はできる。ヘビメタ騒音のなかで勉強はできない。このちがいがでかすぎる。

また、両親の寝室……母親の寝床なら、ヘビメタ騒音が鳴っていても、眠れたんだけど、自分の部屋で眠るのは、不可能なんだよな。こうなると、うるさいときは眠って、起きてから勉強するということができない。

本当に、勉強にたたるのである。

偏差値で二〇ぐらい、足を引っぱられた状態だ。そういう状態で暮らしてきた。これ意味がわかってないのである。気違い兄貴は、これの意味がわかってない。気違い兄貴、おまえのせいで、底辺の仕事にしか就けなくなったんだぞ。学問研究ができなくなったんだぞ。

底辺の仕事ですら、ヘビメタ騒音でだめだけどな。勉強だけじゃなく、生活体力と睡眠力にたたる。生活体力と睡眠力も、「偏差値」で言うと、三〇ぐらいさげられた状態だ。もっとか。

ヘビメタ騒音がなければ健常者なのに、ヘビメタ騒音が一四年間も毎日鳴っていたので、障害者になってしまったのだ。睡眠障害。自律神経失調症。起立性調節障害。言葉はないけど、生活体力障害。本当に慢性疲労症候群のような状態になって、何時間も続けて作業をするということができなくなった。これがでかいんだよな。

だから、通勤して普通に働くことはできない……と言っているのに、気違いヘビメタ騒音にやられたことがない人たち……一四年間毎日ヘビメタ騒音にたたられたことがない人たちが……「甘えている」とか言い出す。

俺は、ヘビメタ騒音に一四年間も毎日たたられなかったら、普通に働くことができたんだ。これが、どれだけくやしいことか……。頭にくる。気違い兄貴も、「甘えている」とか俺に言うやつも、頭にくる。ヘビメタ騒音に毎日一四年間毎日たたられてきたわけじゃないだろ。条件がちがうんだよ。話がちがうんだよ。

「俺だって、つらいことぐらいあった」「俺だって、朝、つらいときがある」……そうかもしれないけど、ヘビメタ騒音を一四年間毎日浴びてから、言ってくれ。

で、これを言うと、「なんだ!!おまえだけつらいと思っているのか!!」と発狂してしまう人がいるのだけど、まずは、ヘビメタ騒音を一四年間、浴びてから言ってくれ。

それじゃないと話にならない

。おなじ音量のレベル、おなじ時間の長さ、おなじ期間の長さだからな。一日がどれだけぶっ壊れるか、一〇年でいいから、経験してみろ。そのあとに、言え!!







これ、本当、書いちゃったけど、書くと、ごっそり、読者が減るんだよ。まえ、同じようなことを書いたとき、ごっそり、読者が減った。







それと、幼稚園の騒音だけど、耐えられない人にとっては耐えられない。むかし、横の横のうちに住んでいた人がいたんだけど、その人がまあ、結婚した。その人は、男で、嫁さんが新しく、その家にくることになった。で、しばらくはいっしょに暮らしていたんだけど、嫁さんが幼稚園の騒音に耐えらなくて、離婚したみたいなんだよな。「わたし、ここにいたらおかしくなっちゃう。ここらへんの人、よく、耐えられるなぁ」みたいなことを言ったらしい。幼稚園の騒音だけが離婚の原因ではないのだけど、幼稚園の騒音は最大の理由だ。そういうふうに、耐えられない人がいるぐらいの騒音なんだよ。特に、運動会の前の一ヶ月は太鼓の音がひどい。あれは、間近で聞かされると、たしかに、くるしい。







けど、その幼稚園の騒音よりも、何十倍も何百倍もひどいのが、兄貴のヘビメタ騒音だ。

2018年10月10日水曜日

常識でものを言いやがって。

ここで書いていてもしかたがないかなぁという気分になってきた。



自転車で行くべきか? 徒歩で行くべきか?



どうするかな?



うーん。



本当にヘビメタ騒音でつらかったな。だれに言ってもわからないことなんだよな。言えば言うほど、へんなやつだと思われる。ともかく、人生全部で、ヘビメタ騒音が一番でかかった。どんなでかい出来事よりも、ヘビメタ騒音の積み重ねのほうがでかい。とてつもなくでかい。


他の人にはわからない、精神病質的な兄による長期にわたる長時間のヘビメタ騒音という問題が、でかすぎる。他の人にはわからない。そりゃ、一日だって、一時間だって、経験したことがないから。一時間でも経験すれば、それがどれだけ、体力や気力をうばうものかわかる。一時間、ヘビメタ騒音にさらされながら、勉強を続ければ、どれだけ、その音のなかで勉強することがむずかしいかわかる。本当に、短期記憶がすべて、吹き飛ばされる。〇・三秒で、短期記憶が吹き飛ばされるので、まともに考えることができない。ヘビメタ騒音のなかでやったことは、重たい雰囲気がつきまとうようになる。おぼえたものも、ヘビメタ騒音のなかで見ると、忘れて?しまう。はっきりとおぼえたものも、ヘビメタ騒音のなかで読んでしまうと、おぼつかなくなる。マイニチそんなことがつづいていいわけがないだろ。学生時代ずっとそういう状態で良いわけがないだろ。「学生時代ずっとそういう状態で良いわけがないだろ」……これが、気違い兄貴はまったくわからないのである。親父が、自分のあずけたハンダゴテが使えないと言うことを理解しないようにわからない。本当におなじなんだよね。気違い親父が、自分が強制的に持たせたハンダゴテで、兄貴が恥をかいたということが、どうしてもわからないように、兄貴のヘビメタ騒音で、俺が学校で恥をかくということがわからない。どれだけ言ったって、わからない。そのものずばりを、どれだけぶつけても、わからないものはわからないのである。で、わからないまま、やり続ける。自分がやっていることをゆずる気持ちは、一%もない。〇・〇〇〇〇〇〇一%もない。しかし、「ゆずる気持ちは〇・〇〇〇〇〇〇一%もない」ということがわかってないのである。実際〇・〇〇〇〇〇〇一%もゆずらなかったしても、ゆずってやったということになってしまう。これも、親父とおなじだ。親父は絶対にゆずらなかったけど、ゆずってやらなかった」という気持ちはないんだよ。まったくない。逆に「ゆずってやった。ゆずってやった」「ちゃんとやってやった。ちゃんとやってやった」と思っている。気違い兄貴もおなじなんだよ。自分が実際にゆずってないのに、ゆずってないといこうとがわからない。それは、言われないから、わからないのではなくて、何万回言われてもわからないのである。そして、ゆずらずに鳴らす。ゆずらずに鳴らしているとき「ゆずってないだろ」とどれだけデカイ声で言っても、親父のように無視して「わからないまま」なのである。こういうしくみが、どれだけの人にわかるというのだ。こういうしくみで、迷惑行為をやられたとき、どういう気持ちになるか、他の人はまったくわからない。わかるわけがない。そんな「じんがい」の行為が、わかるわけがないから。頭がおかしい家族がいない人は、そういう人の意地がわからない。脳みそのしくみがわからない。実際にやられなければ、そういう態度でやりきるひとがいるということがわからない。常識でものを言いやがって。

   *   *   *

洗濯物を干した。

ぼくのこころは、暗い。



これ、二十歳のときの暗い気持ちと同じなんだよな。



あーあ。

2018年10月9日火曜日

と言っても、記憶喪失だったり認知症だったりするわけじゃないのである

気違い兄貴の場合は、親父とおなじで、激しく意地を張ってやっていることは、やってないことになってしまうのである。「まったく」やってないことになってしまう。そもそも、「つもりがない」ことになってしまう。そういう人がいるということが、他の人にはわからない。これは、ぼくにとっては、事実なんだよ。そして、そういうふうにやられてきたんだよ。まあ、「そういうふうにやられてきた」というようなことを言うと、やられた人が「やられた」という現実をつくっているなどと言い出す人がいて、議論をしなければならないことになる。

気違い兄貴のしくみは、わりと複雑だ。もう、だいぶ書いてきたから、ここをずっと読んでいる人にとってみれば既出なんだけど……。「『まったく』やってないことになってしまう」と言っても、記憶喪失だったり認知症だったりするわけじゃないのである。これが、わかりにくいところなのである。これ、本当に、めんどうなんだよな。だいたい、本人だって本当に「つもりがない」気持ちでいるわけだからさ……親父とおなじで。



昨日、寝る前に考えたときは、すらすらっと説明することができたのだけど、いまはできないな。まあ、既出だからなぁ。既に書いたことをもっとスマートにまとめあげただけだから、書く必要はないか? まとめだからなぁ。所詮はまとめ。

兄貴や親父の場合、神経症的な『否認』と、それを支える脳の構造が問題であると思われる。



2018年10月8日月曜日

俺とまったくおなじ経験をした人以外、その言葉を口にするな!


解放してやったんだよ。解放してやるしかないだろ。もう、「つきあう」必要はないよ。俺は、働けない。「つきあう」必要はない。君は働いて、自分のキャリアを積めばいい。俺にかまう必要なんてないんだよ。


どうして、俺が通勤して働けるかどうかがそんなに問題になるか? 働けなくてこまるのは俺だけだろ。「おいてきぼり」にはできない? だから、『無理だ』『できない』と言っているだろ。俺がどういう気持ちで、『無理だ』『できない』と言っていると思っているんだ?

心配してくれるのはありがたいけど、無理なんだよ。これ、本当に、ヘビメタ騒音を経験した人と経験してない人とではちがう。もう、生きている世界がちがう。ヘビメタ騒音が積み重なった世界が、どれだけくるしいか? みんな、こんなことになっちゃんだよな。気違いが鳴らすと、そうなる。

これ、本当に、気違い兄貴の感じ方は気違い親父の感じ方とおなじなんだよな。で、世間の人の感じ方も、わりと似たようなところがある。俺だけが、クレパスに落ち込む。経験がちがいすぎる、認知がちがいすぎる。『俺だって、これこれ、こういうことをされた』『俺だって、こういうつらい思いをした』……それは、事実だろう。事実だろうけど、それは、『通えない』状態をつくりだすものではなかった。『通えない』というのは、『どうやっても通えない』ということだ。どうやっても、どれだけ努力しても、無理なことなんだよ。これ、ちがうんだよな。一回だけのことを考えているみたいなんだよな。一日だけ、ヘビメタ騒音が午後一一時一一分まで鳴っていたというわけではない。積み重ねがある。ヘビメタ騒音がおなじようにつづくという積み重ねがある。それは、負の積み重ねだ。ぼくは毎日、それに、死にものぐるいで耐えていたんだ。死にものぐるいの努力をして耐えていたんだ。もう、一三年間つづいて、限界だったんだよ。終わってなかったの! 家に帰れば鳴ってたんだよ。どんだけくるしい思いをして、学校に通っていたか。一日ずつ死にそうだったよ。毎日、死にそうだったよ。ヘビメタ騒音がきつくて死にそうだった。他の人にはそれがない。俺とまったくおなじ経験をした人だけ、『どうやっても通えないなんてことはない』と言え。俺とまったくおなじ経験をした人以外、その言葉を口にするな!

やつらができるのは、あたりまえだ。俺だってできた。俺が、ヘビメタのなかで、どういう気持ちで生きていたと思っているんだ? これ、ヘビメタが鳴ってないときも、ずっと、ヘビメタノ影響を受けている。兄貴の気違いヘビメタの影響を受けている。それは、不可避的なんだよ。これも、やられたことがないやつが、『影響を受けるかどうかは本人の資質次第』というようなことを言う。けど、ちがうんだよ。これ! そういう頭がおかしい無慈悲なことを言うやつと、俺が空想のなかで、独り相撲か? それ、ヘビメタ騒音が鳴っている最中もそうだったから。ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、眠れない状態でもがいていたときもそうだから。 ほ・ん・と・う・にちがうのに、何千日もやられたことがない人はわからない。あの音のでかさで、やられたことがない人はわからない。

2018年10月7日日曜日

先に行けないと言うなら、俺は、しりぞくしかないだろ


俺がどういう気持ちで「働けない」と言っていると思っているんだ? どういう気持ちでぇ!!!!どういう気持ちでぇ!!!!どういう気持ちでぇ!!!!どういう気持ちでぇ!!!!

何千日の積み重ねがあると思っているんだ? 負の積み重ねがあると思っているんだ?? 数千日、俺がどういう気持ちで、どういう身体状態で、ヘビメタ騒音の中でがんばってきたと思っているんだ。

たえて、「かよった」と思ってるんだ。もう、無理なんだよ。

「かよう」ことは、不可能。いまだって、インターネットがなければ、働けないんだよ! 通勤ができない。俺が、どれだけくるしい思いで、起きて、学校に行ってたと思っているんだ。図書館に行ってたと思っているんだ。あの時だって鳴ってたんだぞ。



あー、俺を置いてきぼりにして、先に行けないと言うなら、俺は、しりぞくしかないだろ。『働けない』のだから。『そこをなんとか』とか……。『できない』と言っているだろ。俺がどういう気持ちで、『できない』と言っていると思っているんだよ!!! どんな気持ちで言っていると思っているんだよ!!!



もう、一三年つきあわせてしまったしな。君が前に進めないというのであれば、絶交するしかないだろ。知っているはずだぞ。

2018年10月6日土曜日

どれだけ言っても、一分もやめてくれなかっ

どうも、再起不能っぽいんだよな。

やられ方が違うからなぁ。

ヘビメタ騒音をやられてからずっと、地べたを張っているような状態だ。どうしても、暗い。憂鬱だ。激しくだるい。どーにもならない。

いまの時間帯はヘビメタ騒音が鳴ってたんだよ。で、ヘビメタ騒音が鳴っている感じがする。いまでも、なっている感じがする。



どれだけ言っても、一分もやめてくれなかった。どれだけ俺が、ヘビメタ騒音でこまっているときも、一分もやめてくれなかった。これが、何千日もつづいてみろ。どれだけ、元気な人だって、元気をなくして暗くなる。しかも、一目見て、『元気がない』ということについて、他人から文句を言われる状態になる。これが、現実だ。これが、この世の現実だ。鳴らされている生活が続いている状態で『元気を出せ』とか言われるのが、どれだけつらいか。どれだけつきあいきれない気持ちになるか。つきあいきれねぇーよ。つきあいきれない。



もう、そういうことが積み重なりすぎた。積み重なりすぎた。

2018年10月4日木曜日

あなたは、一人で「ゆるすゆるす」と一日に何十回も、何百回もベットの上で言って、満足なのか?

来年の今頃は、飛び跳ねている感じがする。飛び跳ねていろいろなところに行っている感じがする。ただ、そういうシーンが浮かんだだけなんだけど……。まあ、これは、わからない。いまの体調を考えると、「あり得ないこと」だけど……。







ビデオテープの整理をしていた。あとは、網戸のシートを買って、網戸ではなくて、網をはろうかと思っている。戸ではないけど、ゆるめにはって、内側から、小さな戸を開けられるようにする。物置みたいなところなんだけど、そういうふうに改造しようかな?







あとは、洗濯をした。







どうなるかな? ヘビメタ騒音でくるしいわけよ。こっちに書いてもしかたがないわけだけど……。どこに行くのも、なにをやるのも、実はヘビメタ騒音でくるしい。なにをやっているときも頭のリソースの八割は、ヘビメタ騒音にさかれている。占領されいる。







これ、俺以外の、だれにもわからないんだよな。俺以外の、だれにもわからないことなんだよな。むなしい。本当に、どれだけやられたか。そして、「どれだけやられたか」と毎回言っている俺に対して、他の人は、あんまり言い思いを持たないわけだろ。それが、五〇〇〇日、一〇〇〇〇日、二〇〇〇〇日つみかさなってごらんよ。


これ、本当に、ヒトゴトなら、過去のことはどうしようもない」とか「暗いことを言うな」というふうに言えるわけだけど、実際、自分が五〇〇〇日以上やられて、動けなくなったらどうなんだよ? 学生時代とわかいときと、ずっとヘビメタ騒音の毎日がつづいて、人生のスタートが切れなかったらどう思うんだよ? あきらめがつくのか? やられてないから、考えられないだけだろ。やられてないから「『ゆるす!ゆるす』と言えば、ゆるせる」なんて言っているだけだろ。本当に、どれだけのことが?? これ、本当に、やったやつが、ハッピーに生きていて、自分が不幸のどん底にいて、『ゆるす!ゆるす!』なんて、寝床で何回も何回も言っている姿を想像したことがあるのか? と言いたくなる。ぼくが仮に、へんな考えにとりつかれて、ぼくになにも悪いことをしていない、あなたに石油をかけて、火をつけて、半殺しにしたとする。いや、それだけじゃなくて、こう……毒を注射器を使って注入して、動けなくしたとする。一生、だるくて動けないという障害を背負うことになったとする。それで、本当は、好きな女子とつきあって、好きな学問をして、自分の才能を生かせる研究するということができたのに、できなくなってしまったとする。そして、好きな女子が去って、自分の病室で、横になっていたとする。何年間も何年間も。まあ、病院にはいれないかもしれないけど……。病院にずっと入院してたとする。その場合「ゆるすゆする」なんて言って、ゆるせるのか? 一人で病院ベットの上で「ゆるすゆるす」と言って、それで、ゆるせるようになるのか? 自分のことはそういう目に遭わせた『ぼく』君が、反省して、刑務所から出てきて……元気に暮らしていたとする。あるいは、未成年のときそういうことをしたとする。まあ、ともかく、やった本人は、やったことに関係なく、元気なんだよ。それで、普通に女とつきあって、結婚して暮らしてたとする。やった人は幸せに普通に暮らしているということを話しに聞いたとして、それであなたは、平気なのか? あなたは、一人で「ゆるすゆるす」と一日に何十回も、何百回もベットの上で言って、満足なのか?



しかも、これ、なんて言うのかな? スピ系の人や常識的な人?は、「やみおちした」なんて言うんだよ。自分を守りたい人は、怒っている人から離れたいと思う。自分を守りたい人は、自分には関係がない人をうらんでいる人を、遠ざけたいと思う。それは、人間の本能みたいなもので、しかたがないところがある。けど、「ゆるすゆるす」と言いながらも、どうしてもゆるせない気持ちを持っているあなたのことを、他の人が「やみおちしている」とかのんきに言ったら、あなたはどう思うのか? 「知りもしないくせに」と思わないか?

2018年10月3日水曜日

ヘビメタ騒音をどうにかしたかった

つかれているのに眠れないので、やばい精神状態になっている。

つまんない。



今日はもうだめなのがわかっているのだけど、眠れない。

まあ、散歩がてらに買い物でもしてきたほうが良いのではないかと思うけど、外に行く気かしない。



やっぱり、昨日の睡眠があんまりよくなかったんだな。



やっぱり、他の人にはない、ヘビメタ騒音でめちゃくちゃだ。こんなのはない。あれ以来、つかれたままだ。ずっと、地獄だ。一度も救われた気分になったことがない。



まあ、ここに書いてもしかたがないか。



ヘビメタ騒音をどうにかしたかった。
ヘビメタ騒音をどうにかしたかった。
……それだけなんだ。これ、気違いヘビメタ騒音に毎日 何年間も何年間もたたられたことがない人には、わからない。根本からわからない。だから、俺がへんなことを言っているように思うのだろう。けど、俺はやはりくるしい。ヘビメタ騒音でくるしい。いまも、ヘビメタ騒音でくるしい。

ここには書けないのだけど……。小説あつかいにする必要があるからな……。フィクションあつかいにしないと書けないことがある。

ともかく、他の人にとっては、過去の出来事なんだろうけど、ぼくにとってはそうじゃない。それは、過去の出来事だということを否定しているわけではない。現在に影響を与えている過去の出来事だということだ。本当に、気違い兄貴を「もやさなければ」やめさせることができなかった。他の人が過去の出来事だと言う場合は、その過去の出来事は、現在に影響を与えない過去の出来事だと言っているんだよ。だから、「こだわる必要がない」ということになる。けど、やけどでたとえると、小さなやけどと大きなやけどの違いがある。小さなやけどは、治ってしまうだろ。けど、大きなやけどは、跡が残る。かりに、上半身全部にやけどの跡が残ったらどうだよ? それは、その人の気持ちにずっと影響を与えないか? 全身やけどの場合は、死んでしまうだろうけど……全身やけどに近いやけどをした場合であって、なおかつ生き残った場合、やけどの跡は、小さなやけどのようにきれいに治ってしまったりしないわけだから、気にすることはあると思うな。「過去の出来事にすぎない」と言う人は、そういうことを完全に無視して、「過去の出来事なのだから現在に影響を与えるはずがない」という信念を言っているんだよ。そして、「自分だってやけどをしたことがある」ということを言う。その人が言う「やけど」というのは、小さなやけどなのである。だから、「いま現在」気にしないのは、あたりまえだ。けど、「やけど」はやけどだ。「騒音」は騒音だ。だから、おなじだという立場に立つ。前から言っているけど、可逆的か不可逆的かということが重要なんじゃないかなと思う。あとは、「期間の長さ」だ。やられた期間の長さ。どうして、やられた期間の長さを無視してしまうのか。一〇代のあいだずっと毎日やられたことが……一日に何時間も何時間も……やられたことが、影響を与えないわけがないだろ。二〇代前半までずっと毎日やられたことが人生全部に影響を与えないはずがないだろ。どういう了見で、「過去のことは過去のことだから、現在には一切合切関係がない」などということを言っているのか、俺には見当もつかないね。そりゃ、すぐに治ってしまう小さなやけどなら、俺だって、こだわらないけどな!

そういうことではないと、ずっと言っているのに……。そうじゃないと、ずっと言ってるだろ。

2018年10月2日火曜日

「相手をかえるのではなくて、自分がかわるしかない」などと言う人


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いまも鳴っている時間だ。時間帯だ。過去、ずっと毎日鳴っていた時間帯だ。兄貴がどれだけ俺の足を引っぱったかわからない。気違い兄貴が、となりの部屋で、囲碁に夢中になっているのであればまったく問題はない。けど、人が怒鳴る声より何十倍も何百倍もデカイ音でヘビメタを鳴らすことにこだわって、ヘビメタを鳴らしていた。人が怒鳴る声よりも何十倍も何百倍もデカイ音でエレキギターを鳴らしていた。ヘッドホンをすれば良いのに、ヘッドホンをすると「感じが出ない」という理由で、入試の前日だろうが、すべての時間、そので買い音で鳴らすことにこだわりつくて、鳴らす。気違い兄貴は、「ゆずってやったつもり」があるらしいのだけど、そんなのは、うそだ。気違い親父の譲歩とおなじなんだよ。まったく意味がない譲歩だ。そういう意味がない譲歩をされるとこっち(やられたほうが)こまるんだよ。腹が立ってしかたがない状態になるんだよ。ずっと鳴っているわけだから、ずっと気になる。気違い親父は、親父と接触している時間だけ、腹立たしいわけだけど、気違い兄貴派の場合は、気違い兄貴と接触している時間だけではなくて、気違い兄貴が鳴らしている時間はすべて腹が立つ。その腹が立つというのは、「音がうるさいから」だけでなく、「親父のような、そういう態度で鳴らしているから」腹が立つのだ。そういう態度というのは、本当はゆずってないのに、ゆずってやっていると思って、頑固に、デカイ音で鳴らしているにもかかわらず、デカイ音で鳴らしていないと思っている態度だ。ともかく、兄貴の場合は、親父と接触した時間しか、腹が立たない状態なのだけど、俺の場合は、ちがう。それは、兄貴がやったことが、壁を突き抜けてくる騒音を鳴らすということだからだ。親父と接触して腹が立っても、親父が視界から消えれば、それで、いちおうは「現在進行形で腹が立つ原因」はなくなる。これが、本当は、気違い親父に一〇分間接触してしまうと、一日中、腹が立って腹が立ってしかたがない状態になってしまうのだけど、気違い親父の場合は、そのあとずっと、騒音という、物理攻撃をしてくるわけじゃない。そこがちがう。壁で姿は見えなくなっているけど、そういう気違い的な態度で、自分の言っていることを否定したやつが、こだわりつくして、激しくでかい騒音を鳴らしているのだから、腹が立った状態というのが、ずっと続くことになる。これ、ヨソの人は「他人は思い通りに動かない」というようなことを言うわけよ。だから、「相手をかえるのではなくて、自分がかわるしかない」というようなことを言うわけよ。それは、一理あるのだけど、絶えず物理攻撃を受けている場合はちがう。それから、頭がおかしい人が世の中に入るわけで、その頭のおかしい人にやられている場合はちがう。そして、その頭のおかしい人が「家族」である場合はちがう。実際に、「相手をかえるのではなくて、自分がかわるしかない」というようなことを言う人は、気違い的な家族から毎日毎日、何時間も何時間も物理攻撃を受けてきた人ではない。だから、そういうところで「よゆう」がある。はなから、話していることがちがうのである。これも、本当に、ヨソの人にはわからない。気違い的な人……特に家族が、どういう態度で、やるか、ヨソの人にはわからない。「うち」のなかで、気違い的な家族がどういう状態で自分の意地を押し通そうとするか、ぜんぜんわかってない。どういう態度なのか、わかってない。どういう状態なのかわかってない。だから、キレイゴトを言える。この「相手をかえるのではなくて、自分がかわるしかない」というのは、キレイゴトだ。しかし、なんて言うのかな? そういうことを言う人のほうがうける。そういうことは、キレイゴトだと言うひとよりも、そういうことを本当にそうだと思って言う人のほうがうける。そういう人たちは、精神病質者の無視がわかってない。そういう人たちは、精神病質者の意地がわかってない。本当に現実を全否定だからな。「やったってやってない」だからな。どれだけ言われても、気にしない。気にしないとなったら気にしないわけで、本人が怒ってしまったら、どれだけ言ってもつうじない。この「つうじなさな」が尋常じゃないんだよ。そういうことが、本当にはわかってない。どうしてかというと、そういう家族が実際には、いなかったからだ。俺の兄貴や親父のような人にたたられながら……「相手をかえるのではなくて、自分がかわるしかない」などと言う人がいたら、その人は、人じゃなくて、神様か天使だ。あるいは、自殺してしまう人だ。本当に、人を自殺に追い込むようなことを、軽く言うな。本当のことがわかってないから言えるだけなんだよ。こんなの……。わかってたら、絶対に言えない。家族が精神病質者で、その精神病質者が異常なこだわりで、ヘビメタをデカイデカイ音で鳴らしている場合は、そんなことは、言えない。口が裂けても言えない。そういうことを言うこと自体……がどれだけひどいことかわかっている。そういうことを言うこと自体というのは、どういうことかというと、そういう尋常じゃない家族にやられている人に向かって「相手をかえるのではなくて、自分がかわるしかない」と言うことだ。こういう人たちは尋常じゃない家族にやられている人を追い込む。もちろん、そういうつもりはないのだろう。けど、追い込む。もともと、そういうことを言う人たちは、精神病質者が家族の一員であった場合というのを、想定してない。ただ単に「意見が違う健常者」しか、想定してない。ぜんぜんちがう。

それから、もうちょっと言っておくと、そういうことを言う人は、相手をかえようとしている。もちろん、かわるかどうかはわからないけど、かえようとしている。「相手をかえるのではなくて、自分がかわるしかない」などと言って、相手の考えをかえようとしている。あるいは、相手の行動をかえようとしている。もちろん、わからなかったら、そのままなんだろうけどさ。相手というのは、「相手をかえるのではなくて、自分がかわるしかない」などと言うときの相手だ。「相手をかえるのではなくて、自分がかわるしかない」とAさんに言っているときは、Aさんが相手だ。

2018年10月1日月曜日

「認識」の差がもたらすもの


俺は、だるいままだ。

けっきょく、ここ一年で、一日ぐらいしか、「からだの調子がいい」状態が続かない。一日しかない。そりゃ、できれば、調子がいい状態のほうがいいけど、本当につかれてだるい。



ヘビメタ騒音を経験したあとのだるさは、異次元のだるさだ。他の人にはわからない。「つかれ」と言っても、「つかれ」の種類が違う。「だるさ」と言っても「だるさ」の種類が違う。

他の人にはわからないんだよな。わからないところで、ものを言う。常識にあわせてものを言う。そうなると、ぼくは、侮辱されたと思うわけ。それは、根拠がある。ヘビメタ騒音でソウナッテイルのに、ヘビメタ騒音を経験してない人が、経験してない状態で、経験した俺に、だめ出しをするわけだから、腹が立つ。わかるかな? わかんないだろうなぁ。すべては、ヘビメタ騒音の負の効果がどのくらいあるかということに関する「認識」の差がもたらすものだ。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。