2019年8月30日金曜日

「やり出せば体がなれる理論」が無視していること


やる気がない。
ほんとうにやる気がないなぁ。
やらなきゃならないことは山積みなのに。
ネズミのことが気になる。
ひとつひとつの作業がめんどうくさい。

このあいだゲンシケン2を見たけど、特にうらやましくなかったなぁ。ゲンシケンを卒業かな。ヘビメタ騒音がなければあんなのよりもっといい大学生活をおくれたと思う。
基本、ポジティブ思考とかアドラー心理学とか言っている人たちには、ヘビメタ騒音相当のしつこい障害はない。その人たちが思っている障害は、ぼくから見ると小さい。相当に小さい。「いやなこと」「不愉快なこと」と言っても、たいしたことじゃないのである。ともかく、毎日あのヘビメタ騒音が続けば、そうは言ってられなくなる。けど、これを、受けとめ方の問題とか、言いやがる。これはこれで、正しいような印象を与える。彼らの例(彼らがあげる例のかずかず)は、適切であるかのように思える。しかし、ぼくは、受けとめ方の問題ではすまない生物的な問題があると思っている。

これからやるつもりだけど、スモールステップで、いくつかの作業をしようと思う。今日は、これでも体調がいいから、そういうことができる。
たとえば、英語の練習のためにフレンズを英語で聴くというようなことができる。で、これは、負担度が小さい。けど、これですら、できないときがある。疲れ果てていたら、こういうことだってできない。あとは、いまは、フレンズを聴こうという気持ちになっているけど、フレンズというものに興味がなければ(たとえ浅い興味でも興味がなければ)やる気になれない。
聴きながら、別の作業をすることはできる。たとえば、ゴミ片付けだ。あらったプラスチックのゴミがあるので、それをプラスチックのゴミ袋に入れるということができる。これも、疲れ果てているときはできない。このあらったプラスチックのゴミというのは、食品の容器だ。まあ、昨日は弁当のスパゲッティーを食べたわけよ。あっためないで食べた。冷えたのが食べたかった。
あとは、ダニバルサン用に、米あぶらやその他の食品をポリ袋に入れるという作業がある。デカイポリ袋に入れて固く結ぶ。これで、バルサンをやっても大丈夫だと思う。(これらは二階の部屋におくので、ほんとうは、やらなくてもいいことなのだけど、俺には必要だ。
ただ、米あぶらやその他の食品をポリ袋に入れるということが、めんどうくさくてできないときがある。それは、ヘビメタ騒音でぐちゃぐちゃにされた俺の特徴の一つだ。他の人とまったく違う。で、たとえば、仕事というのは、そういう作業の連続だろ。だから、ヘビメタ騒音で壊された部分で一番でかいのはこういうところなのかもしれない。普通のエネルギーがないのである。鬱病で、体を動かしたくない状態がずっと続いている。で、たとえば、正論に従って体を動かしたとしても、きついのである。たとえば、正論に従って体を動かしたら、勢いがついて、徐々にできるようになったとか、あるいは、前は負担だったことがそれほど負担とは感じなくなったということにはならない。これが、普通の人……からだがなまっている普通の人と……ヘビメタ騒音障害者(長期騒音障害者)のちがいである。体がなれてくる……体がなれるはずだ……という暗黙の理論がよこたわっている。ちょっとしたことでもやり出せば、勢いがついて普通にできるようになる(特に負担を感じないでできるようになる)というような暗黙の理論がある。これは、明言されることもあるけど、あたかも、動けばそうなるというような意味で、明言されないこともある。つまり、「ちょっとずつやれば、そのうち体だってなれてくるさ。つかれたらまたやりなおせばいいんだ」というようなアドバイスがさも、だれにも成り立つアドバイスだと思われているのだ。この人たちは、普通の鬱病患者、普通のつかれた人を相手にしている。長期騒音障害者を相手にしてない。長期騒音障害者には、長期騒音障害者の事情がある。たとえば、やり出しても勢いがつかない(しんどいままだ)というようなことがある。これは、「やり出せば体がなれる理論」が無視していることだ。さらに「つかれたらやすめばいい」と言う場合は、「すぐにつかれがとれて復活できるはずだ」というような暗黙の理論が背後に成り立っている。やすんだって、つかれがとれない場合は、無視している。だから、長期騒音障害者がこれらのアドバイスにしたがうことはできない。けど、暗黙の理論なので、暗黙の理論に、正面から戦いを挑むというわけにはいかなくなる。「自分だって、なんだかわからないけどうまくいかない」というような感じが続くわけだ。体がなれるということを言う人は、いつまで経っても体がなれない人のことは、最初から考えてない。最初から考えてないということも考えてない。「つかれたら休めばいい」ということを言う人は、休んでもつかれがとれない人のことを考えてない。最初から考えてない。最初から考えてないということも考えてない。だから、最初に考えるべきは、実は! 範囲なのだ。適応範囲。そうじゃない人もいるということは、最初にことわるべきだ。しかし、そうじゃないひともいるということは、無視される。だから、そうじゃないひとは「どうしてうまくいかないんだろう」と悩むことになる。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。