2019年8月18日日曜日

「自己責任」「自己責任」と言っている人は、気分だけの人なのである


つまんない。ほんとう、どうしようかな。
これ、俺がどれだけ時間を損しているか?
気違い兄貴のヘビメタ騒音という他の人にはないハンディでどれだけ俺が損をしているか?
俺の基本的な能力が損なわれたか? 俺の基本的な人格が損なわれたか?
これ、ほんとう、あれだけのことをして、ほんとうに「やったつもりがない」わけだからな。兄貴は。で、常に毎日、そういう「ノリ」でやってた。常に、毎分毎秒、毎時間、そういう「ノリ」でやってた。気違い親父とおなじで、そういう「ノリ」でやったことは、全部「なし」なのだ。こんなのはない。けど、実際そうだ。こだわりつくしてやったのに、あたかも「まったくやってない」という態度だ。本人のつもりとしてはほんとうにやってないつもりなのである。じゃあ、やっているときに「やめてくれ」と言えばすむかといえば、すまない。だから、こまる!! どんだけの意地で鳴らすか!! 他の人にはこれがわからない。そして、気違い兄貴本人がまったくわかってない。それは、ハンダゴテのことで文句を言われた親父が怒り狂っているだけで、自分が押しつけたこというとがわかってないのとおなじだ。絶対の意地で、相手がなにを言っても、否定語を繰り返し、絶対に認めずに、押しつけたのだ。けど、それがわかってない。使えなかった」と言われたときは、また、おなじように否定語を繰り返して、怒り狂って認めない。だから、そういうことを、何万回、何十万回、何百万回繰り返しても、本人だけは「やったつもりがない」ままなのだ。こういう「日常」。こういう、日常。あり得ない。あり得ないけど、うちでは普通に、毎日、一年三六五日中、三六五日、そうなのだ。それがあたりまえ。一日二四時間中、いつもそうなのだ。それがあたりまえ。言っておくけど、「一日二四時間中、いつもそうだ」というのは、行きすぎた一般化じゃない。イ・ラショナルシンキングじゃない。これを、イ・ラショナルシンキングだと考える方が、イ・ラショナル。これがわかってないんだよな。はっきり言えば、俺が一一歳の時点で、「緊急を要する問題」だった。俺が一一歳の時点で「緊急介入」するべき問題だった。けど、「家の中の問題は家の中で解決してください」……「家族で話し合ってください」と言われておしまいだった。
あんな音で鳴らしているうちはどこにもない。気違い兄貴だって、嫁さんには一秒たりとも、自分のヘビメタ騒音を聞かせてないのだ。「よそのうち」にいったら、嫁さんや嫁さんのお父さんお母さんがこわくて、ならせなくなった。それならば、うちでも、一日中我慢することができるんだよ!! これ、気違い親父とおなじでまったく気がつかないんだよな。いま言われたって、気がつかないよ。「そんなのはどうでもいい」と思っていやがる。頭にくる。頭をかち割ってやりたいほど、頭にくる。
そして、たとえば、ぼくが「頭をかち割ってやりたいほど、頭にくる」と書くと、ヨソの人から、「エイリさんはこわい」と思われる可能性があるのだ。そりゃ、そういうふうに思わない人もいるかもしれないけど、思う人もいるかもしれない。実際、そういうふうに思った人が過去、存在した。なので、これは、「そういうふうに思われる」というような「妄想」ではない。けっきょく、だれも……俺以外のだれも……やられてないので、ほんとうのことは、わからない。あれ、午後四時から午後一一時一一分まで、三〇分間の休憩をぬかして、鳴らされ続けたら、午後一一時一一分から眠れなくなるということがわかってない。これ、実際にやられたら……あの至近距離で、あの音のデカさで、やられたら、だれだって、眠れなくなる。そうなると、一日目から、次の日が「ピンチ」になる。次の日がものすごくきつくなる。一〇〇日やられたときと、一〇〇〇日やられたときは、ちがう。これがわかってないんだよな。三〇〇〇日つもったときと、四〇〇〇日つもったときが、ちがう。体力も気分もちがう。否応なく、憂鬱になったり、怒りやすくなったりする。けど、キレイゴトを言うやつらは、そういう効果をまったく無視して、俺の元の性格が悪いから(不適切だから)憂鬱になったり、怒りやすくなっていると考えるのだ。ヘビメタ騒音の影響がでかいと言っているのに、「過去のことは過去のことだから関係がない」という理論で、俺をディする。これは、ほんとうに、やっているやつらは、これまたつもりがないかもしれないけど、これこそ、ディするということなんだよ。悪口を言うということなんだよ。こういうやつらは、俺が兄貴や親父の悪口を言っていると思うのだ。こんなのない。こんなのは、ない。どこまで人をバカにするのか?

実際にやられてない人は、一日やられたとき、一〇〇日やられたとき、一〇〇〇日やられたとき、二〇〇〇日やられたとき、三〇〇〇日やられたとき、四〇〇〇日やられたとき、五〇〇〇日やられたときの、ちがいがわからない。言っておくけど、「連続だから」な。一回一二〇〇日あたりで切れているけど、その一日だけをぬかして、そのあとは数千日にわたって、ほんとうに連続して、最短でも夜の一一時まで鳴らしていた。これも、家の前がデカイデカイ幼稚園で、よその家が離れていたからできたことだ。俺のことだけ無視すれば、自分がやりたい音でできたのである。で、「うちでは」絶対の意地で無視して、絶対の意地で無視しているということを、絶対の意地で無視するということで、やりきることができる。これは、親父が兄貴に先行して、一五年間毎日やっていたことだ。「うち」では、なじみがあることなのである。兄貴がやり始めたことじゃないのである。「うちではあたりまえだった」ことなのである。さらに、やっている張本人は……気違い的な意地でやっている張本人は、どれだけ言われても、自分がやっていることに気がつかないということも、うちではあたりまえのことだった。これ、本人の努力でかえられるはずがない。本人というのは、俺のことだ。俺が親父や兄貴に働きかけて、かえられることじゃないのである。それなのに、あたかも、俺がちゃんと説明しなかったからだめなんだという「イ・ラショナル」な考え方をするやつがいる。そういうやつは、「無限自己責任」を俺に押しつけている。人に、「無限自己責任」を押しつけるやつってどういう頭をしているんだろうね? 人に押しつけているんだよ。俺はそいつから見て、他人だから、人に押しつけている。これは、実は「自己責任の精神」に反するのである。他人の責任を無限に追及している。なじっている。無茶なことを言っている。範囲がちがう。自分のことだけ考えていればよいのである。「自分の場合は自己責任だ」と肝に銘じて動いていればよいのである。生き続ければよいのである。他の人の身に起こったことが、その人の責任なのかそうじゃないのかなんてことは、関係がないのである。自分のことだけ考えていればいい。そして、常に、自分の場合は自己責任なのである。……けど、これは、たてまえで、「自己責任」「自己責任」と言っているやつが、自分の身に起こったことをほんとうに自分の責任だと思っているかというとそうではないのである。そうではないということは、彼らの言動を見ればすぐにわかる。この「自己責任」「自己責任」と言っている人は、気分だけの人なのである。「自己責任」「自己責任」と言っているときだけ、そういう気分になっている人なのである。彼らは本人は気がつかないのかもしれないけど、いろいろなことについて、自分の責任ではないということを主張している。気がついてないだけ。まあ、まれにそういうことがわかっている人もいるけど、ほとんどの人が(ほとんどの自己責任自己責任と言っている人が)ほんとうは、自分の身に起こったことについて他者の責任を追及している。あるいは、自分の身に起こったことじゃないことについて他者の責任を追及している。ここらへんは、親父や兄貴とちょっとだけ似ている。あくまでも、ちょっとだけな。すごく似ているなんて言わない。誤解のないように。

ちなみに、北朝鮮がミサイルを撃ったら「すべては自己責任」と言っている人の責任だ。北朝鮮の最高指導者の責任ではない。「すべては自己責任」と日頃から言っている人の責任。本人が「すべては自己責任」と言っているのだから間違いない。A国とB国が戦争をしたら、そいつの責任だ。かつて、日本とアメリカが戦争をしたことがあるけど、それも、当時存在しなかったそいつの責任だ。「すべては自己責任」なのだから、そいつの責任だ。自分の力がおよばないところで、なにごとかが起こったら(発生したら)それは、そいつの責任なのである。火山が爆発したら、そいつの責任だ。そいつは、自分の力がおよばないことを含めて「すべては自己責任(自分の責任だ)」と言っているのだから、そういうことになる。

   *   *   *
もちろん、「すべては自己責任」と自分に言い聞かせるような、まともな人もいる。他の人に向かって「すべては自己責任」という言葉を放っていながら、自分は、他人の責任を追及してばかりだという甘えたやつもいる。こいつは甘えていると思う。甘えだ。甘え。

「すべては自己責任」と自分に言い聞かせる人はまともだということを書いたけど、その人にしたって「言い聞かせている」のである。どういうことかというと、一度は、人のせいにしたあと、「すべては」自己責任だと思い直しているということだ。

「他者の行為の結果、そうなった」という認知が「一度は」成り立っているのである。けど、他者の行為の結果そうなったにしろ、(自分に関係していることなので)自己責任(自分の責任)なのである。他者の行為をゆるしてしまったという責任が生じていると考えているのである。

だいたい、「人のせいにする」というのは、ネガティブな言葉で、それ自身が価値観を含んでいる。人のせいにするというのは、ほんとうは、その人のせいなのに、その人が他の人のせいにしているという認識の上に成り立っている言葉なのだ。だから、最初から、ネガティブな言葉だ。

しかし、「人のせいにしない人」も含めて、実は、他人の行為について考えているのである。他人の行為がこういう結果をもたらせたという(コーザリティー)を考えている。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。