2022年1月14日金曜日

これが、屈辱でなくて、なんだ?? こういう、屈辱と、きちがい兄貴のヘビメタ騒音はセットなんだよ。

 ほんとう、ヘビメタでつらいだけの人生。むなしい。

これ、どれだけ、俺ががんばってきたか……。ヘビメタ騒音のなかでがんばってきたか。がんばったんだよ。けど、破壊された。

これ、俺の「がんばり」と「ヘビメタ騒音」の「合力」だ。ヘビメタ騒音だけじゃないのである。

がんばるしかなかったけど、がんばったので、こういうレベルで破壊された。

そういう経験がない人にはわからない。

けっきょく、俺に気軽な助言をする人は、きちがい兄貴やきちがい親父にたたられたわけじゃない。普通の家族に囲まれて、生まれ育ってきた人たちだ。そういう人たちが、常識的なことを言う。「そんなことじゃないからこまっている」……。

けど、わからないではない。ぼくががんばってきたというけど、そのがんばり方向は、常識的な人たちが言うことと、同じ方向を向いている。これは、そうするしかないのである。だから、そういう「がんばり」がぼくの人生を破壊し、ぼくの精神を破壊し、ぼくのからだを破壊したということは、ぼくにとっては、自明の事実だ。けど、きちがい兄貴がいない人は、それがわからない。その、俺が説明したときに、そういう状態になっているということがわかるだけで、小学六年生からの、ヘビメタ騒音との対決……の……過程がわかってない。過程というのは、時間を含んでいる。どれだけの時間、ぼくががんばってきたかわかってない。がんばりが、自分のからだと、自分の精神と、自分の人生を破壊した。そのがんばりというのは、ほかの人たちが、すすめてくることと、同じだ。助言と同じ方向を向いている。だから、「できない状態になった」のに、おなじ助言を「うわのせする」ということになる。その人たちは、そういう「つもりは」ないのだけど、意図せず、そういうことをすることになる。わかってないから、そうなんだよ。たとえば、まぬけな佐藤じゃなくて……常識的な佐藤が、「それでも、通勤できる」という前提で「働くことを」推奨してきたわけだ。「それでも」というのは、ヘビメタ騒音が鳴っていたとしてもということだ。常識的な佐藤から見ると、俺が、さぼっているようにしか見えないのだ。しかし、それはちがう。通勤と通学のちがいはあるけど、きちがい的な騒音が鳴っている、きちがい的な状態で、俺ががんばって通学したから……通勤できなくなったのだ。完全に誤解をしている。そして、きちがい兄貴が、平日は、きちがい的な意地で午後一一時までずっとヘビメタを鳴らしているということが、どういうことなのか、常識的な佐藤は理解してない。自分の経験をとおして理解していない。日曜日は、朝からずっと、午後一一時まで、ヘビメタが鳴っているということが、どういうことなのか、佐藤のような普通の生活をしてきた人は、わかってない。まったくわかってない。経験がないからだ。経験がない。どういうことなのかわかってない。自分で経験してみればわかるのだけど、砂糖の家には、きちがい兄貴がいなかったのだろう。ほんとうに、うちの兄貴は、きちがいだ。やり方がおかしい。精神がおかしい。認知、認識がおかしい。自分の感覚をだましてウソを言っているのに、ウソを言っているつもりがないという状態で毎日すごしている。これは、もう、だいぶ詳しく書いたので省略する。けど、このきちがい兄貴のきちがい感覚……自分の騒音に関するきちがい的な感覚は……普通の家に生まれ育った人には、絶対に理解できないことだ。

ここも理解していないし、自分が実際にやられたわけではないので、そういう毎日がどういう毎日か、わかってないのである。

そりゃ、きびしい毎日だよ。けど、まぬけな佐藤じゃなくて……普通の人間である佐藤から見ると、ぼくがあまえているように見えるのである。あんなにきびしい毎日に、たえてたえて、がんばってきた俺を、そういうハンディがまったくない、まぬけな佐藤じゃなくて……佐藤じゃなくて、普通の人間である佐藤が、「あまえている」とみなすのだ。

こんな屈辱はない。

こういう、屈辱と、きちがい兄貴のヘビメタ騒音はセットなんだよ。

これは別に、まぬけな佐藤じゃなくて……常識的な人間である佐藤との間にだけ発生したことじゃない。そうじゃなくて、鳴らされ始めた小学六年生のときからずっと、普通の人間との間にあったことだ。普通の人間は、きちがいと暮らしていないから、きちがいのしくみがわからない。わからない。全部、考え違いをしてしまう。きちがいにやられたほうを、「あまえている」と言ってせめることになる。

ともかく、がんばった結果、通勤できなくなったのに、がんばれば、通勤できると思っているきちがいに遭遇してしまう。

そりゃ、外に出れば、かならず、そういうまぬけな人間……じゃなくて、普通の人に遭遇してしまうのである。そいつに、どれだけ、ヘビメタ騒音のことを言っても、むだだ。そいつは、そいつの経験のなかでしか判断しない。

だから、ばかなのだけど、ばかにばかにされるという状態になってしまう。これが、屈辱でなくて、なんだ??

++++++

 

毎日、何年間も、きびしすぎる状態のなかで、がんばってきたから、毎朝同じ時間に起きることができなくなったのに、がんばれば「毎日同じ時間に起きることができる」と思っているのだ。そういうことを、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を経験しなかったやつが、普通に言ってくる。

そういう状態が成り立ってしまう。

けど、これは、ぼくにとっては、屈辱だ……という話だ。


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ヘビメタ騒音なしで生きたかった。ヘビメタ騒音なしで生きたかった。普通の生活をしたかった。ヘビメタ騒音なしで、生きたかった。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。