2022年1月26日水曜日

この世で感じたこと

 ヘビメタ騒音で働けなくなったと言っているのに、「そんなのは、あまえだ。人間は働くべきだ」と言ってきた層と、専門家の言うことを信じてワクチンを打ってしまう層は、おなじだと思う。ワクチンを打ってしまった人たちのなかには、「専門家の言うことを信じてワクチンを打ってしまう層」以外の層も含まれている。この人たちは、職域接種や面会制限などの理由で、打ってしまった人たちだ。半強制を含めて、強制されて打ってしまった人たちだ。この人たちには、なにも言うつもりはない。なので、専門家がい言うから正しいという考えで打ってしまった人たちのみについて言及することにする。

専門家の言うことを信じてワクチンを打ってしまう層の人たちが、押しつけた意見というのは、まさに、死にあたいするような意見だと思う。俺が、むりだと言っているのに、ヘビメタ騒音生活を経験したことがないやつが「むりなことはない」と勝手に決めつけ、働くべきだと言う。

その当時、働くにはどうしても、通勤が必要だった。社会で働いたことがない人が働くには通勤が必要だったということだ。まあ、他にも条件はある。たとえば、おカネがない人が働くには通勤が必要だったということだ。まあ、当時は、働くにはどうしても通勤が必要だったという前提で話をする。この前提は、いまの人が考えれば、不確かな前提だけど、当時の人が考えれば確かな前提だ。

ところで、ほんとうに、きちがいヘビメタにやられているときの気分や状態、きちがいヘビメタに前日やられたあとの、次の日の気分や状態について、こいつらはなにもわかってない。どういうことがつみかさなったのかまるでわかってない。俺がどれだけがんばって、生活してきたのか、まるでわかってない。あの空間がまるでわかってない。わかってないのに、勝手に「むりなことはない」「エイリさんはあまえている」「働けるはずだ」と決めつけ、もし、俺が、それをすれば、死ぬしかないということを押しつけてきた。すすめてきた。これは、ゆるせない。


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ほんとうに、こいつら、ヘビメタ騒音のつらさがわかってないな。こういう人生だったんだよな。そりゃ、ヘビメタ騒音が一〇年間も毎日続けば、楽しむ能力もなくなる。ところが、楽しむ能力がなくなると、楽しむ能力がないということでせめられるのだ。「楽しもうとしないからダメなんだ」とせめてくる。「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるのに、そういうことをしないからダメなのだとせめてくる。これが、いまの、地球だよ。こんな地球で生きていておもしろいわけがないだろ。まあ、きちがい家族のヘビメタ騒音にやられたのは、ぼくであって、こいつらじゃない。こいつらはやられてないので、楽しむ能力がある。だから、自分は楽しむ能力があるが、エイリさんは楽しむ能力がないという関係性が頭のなかに成り立っている。その関係性は、じつは、「自分のほうがエイリさんより上だ」というような感情をうんでしまう。ようするに、「エイリさんは、自分より下だ」というような見方を作り出してしまう。……ああっ、いちおう説明しておくけど、働くべきだと言った佐藤のようなやつ……の頭のなかにも……こういう関係性に関する思考が成り立っている。感じ方が成り立っている。見方が成り立っている。

きちがい兄貴にやられるとこういうことになってしまうのだ。だれだって、あれだけ長い時間、きちがい家族によって、自分が一番きらいな音を、あの音のでかさで聞かされづけたら、こうなる。どれだけがんばっても、感情が死ぬ。楽しむ能力がなくなる。それなのに、「えらそうに」。これ、ほんとう、えらそうに!!

これ、ほんとうに、きちがい兄貴の態度とか、きちがい兄貴の認知・認識というのは、いっしょに住んでいる人しかわからない。きちがい兄貴にもわからない。きちがい兄貴の「わからなさ」というのは、普通の人の「わからなさ」をこえている。きちがい兄貴は普通の人の「きちがい兄貴の認知・認識にかんするわからなさ」をこえて、「きちがい兄貴の認知・認識」についてわかってないのである。ほねがらみ。きちがい的な無視。いのちがけ。この「ほねがらみ。きちがい的な無視。いのちがけ」というのは、親父もおなじだ。はっちゃっている。はいっちゃってたら、もうどれだけなにを言ってもだめなのだ。殺さなければならなくなる。つねに、そういう問題を突き付けられる。勝手にやるわけだから、そうなる。そういう態度で!勝手にやるわけだからそうなる。やっている本人は「まったくつもりがない」ということになっている。この「まったくつもりがない」ということを別の言い方で言うと 「ほねがらみ。きちがい的な無視。いのちがけ」ということになる。

つもりがない」ということは、こういうきちがいにとって「やってない」ということとイコールなのである。感情的にイコール。認知・認識的にイコール。だから、まるで自分がかかわってない状態を維持できる。本人のなかでは、「自分がやったことではない」「自分がやっていることではない」という認知・認識が成り立っているのだからそうなる。きちがい的な意地で、発狂してやることなのに、同時に 「自分がやっていることではない」という認知・認識が成り立っている。だから、絶対に、反省しない。反省できるわけがないだろ。自分がやったことじゃないのだから。「やった」と言われれば、おなじしくみで、無視する。おなじ認知方法・認識方法で無視する。なので、本人は、ほんとうにずっと、意地になってやっているのに、まったくやってないつもりなのだ。どれだけ言っても、自分がかかわっているということが、まったくわかってない状態だ。わかってない状態で、無視してやる。きちがい発言をする。このきちがい発言は、俺のこころを打ち砕く。我慢できない怒りを感じる。我慢できない怒りを感じて、殺したくなるのだけど、それを我慢する。そうすると、ぼくのこころがこわれるのだ。「楽しい」と感じられなくなる。

常に、きちがい的な意地で、騒音を出す、きちがい家族にたたられると、こうなる。そして、世間のやつは、「楽しめないのは自己責任」「楽しむ努力をしないやつが悪い」「ほんとうにつまらないやつは、つまらないと言っているやつだ」というようなことを言う。こいつらは、きちがい家族にたたられてない。けど、こいつらだって、そりゃ、不満があるから「俺だって……」ということを言う場合がある。けど、これは、「楽しく感じる心」を維持できるほどの不満でしかない。こいつらは、きちがい家族にたたられたわけじゃない。こいつらは、きちがい家族にたたられた生活を毎日、おくってきたわけじゃない。


 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。