2022年7月19日火曜日

基本的な「ふこうりょう」を無視して、頭がおかしい親のもとに生まれた人を侮辱するな

 きちがい親父がやったことやきちがい兄貴がやったことを「自分」にやったことを経験すれば、やはり、無気力になったり、楽しめなくなったりする。けど、ほかの人は、自分のこととして、きちがい親父が「俺に」やったことやきちがい兄貴が「俺に」やったことを経験してないんだよな。どれだけの影響があるからないと思う。そして、それは、ただ単に影響があるということではなくて、そのなかで、もがき苦しみ努力したというこちら側の反応の影響もあるのだ。そりゃ、どれだけ、言っても、相手が聞かずにやってしまったというのであれば、無力感がしょうじる。実際に、ヘビメタが鳴っている状態というのを経験してない人が、ぼくに対して「とやかく」言う必要はない。言う権利自体がない。不適切なのである。「とやかく」言う権利がないのに「とやかく」言うので、不適切な行為をしているということになる。

あとは、きちがい的な親兄弟にやられた人が、みんな、言いにくいことなのだけど、これ、ほんとうに、「やられぞん」なのである。 きちがい的な親兄弟にやられたことというのは、きちがい的な親兄弟にやられたことがない人にはまったく想像もつかないことなのである。けど、正常な親兄弟とも、行き違いはあるし、喧嘩をすることもあるということで、「にたようなこと」は発生しているのである。だから、「にたようなこと」は「おなじ」だと、人気してしまうのである。それは、たとえば、「困難」という単語があらわしている内容が、ひとによってちがうにもかかわらず、「困難」という単語が、「困難」という単語として使われているという問題にも関係する。だいたい、構造はおなじだ。「しりえないこと」あるいは、「しりえなかったこと」について、言及しているのである。

「泣き言をいうことはみっともないことだ」というような共同幻想がある……とする。「自分の弱みを見せることは、よくないことだ」というような共同幻想がある……とする。その場合、現実的に、頭がおかしい親のもとに生まれると、不幸なことがつみかさなるのだから、頭がおかしい親のもとに生まれた子供と、頭がおかしくない親のもとに生まれた子供では、基本的な「ふこうりょう」がちがうということになる。しかし、基本的な「ふこうりょう」がちがうということは、無視されて、「泣き言をいうことはみっともないことだ」「自分の弱みを見せることは、よくないことだ」という前提のもとに「わかったようなこと」を言うことになるのである。頭がおかしくない親のもとに生まれた人は、「わかったようなこと」を言うことになる。この「わかったようなこと」というのは、まあ、アドラー主義者が言うようなこと、認知療法家が言うようなこと、言霊主義者が言うようなこと、精神世界の人が言うようなことだ。「世の中というのはこうだ」「それでも、がんばらなきゃいけないんだ」「受け止め方をかえれば、いい」「楽観的になることが必要だ」「楽観的になれば、楽観的なことを引き寄せて、悲観的になると悲観的なことを引き寄せる」……などという、ばかげたことが、さも正しいことのように言われてしまう。これは、ばかげたことだ。ほんとーーに、ほんとーに、ばかげたことだ。ぼくは、いままでずっと、これらのことがどのようにばかげたことなのかということについて、ずっと説明をしてきた。頭がおかしくない親のもとに生まれた人にとってみれば、おもしろくないことだ。興味がわかないことだ。しかし、なんだろうが、言わなければならないことなのである。

頭がおかしい親のもとに生まれた人は、説明をすることなく死んでしまう。説明がむずかしいのである。基本的な「ふこうりょう」を無視して、頭がおかしい親のもとに生まれた人を侮辱するのはゆるされることではない。 頭がおかしくない親のもとに生まれた人は、ただでも、頭がおかしい親のもとに生まれた人に「わかったようなこと」を言って、追いつめる。基本的な「ふこうりょう」を無視して、「わかったようなこと」を言って、頭がおかしい親のもとに生まれた人を自殺に追い込む。言いたいのは、基本的な「ふこうりょう」を無視するなということだ。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。