2022年7月24日日曜日

不幸量・普通の人は、不幸量・普通の人の価値基準で、不幸、あるいは、不幸感について、考えてものを言う

感情をうみだす脳みその部分がやられてしまうときがある。不幸量ということを言ったのは、閾値を考えないとダメなんじゃないかということを言いたかったので、不幸量なる概念を導入してみた。言いたいことは、不幸量がある量をこえてしまうと、感情をうみだす脳みそがやられて、「意志」ではどうにもならない状態になるのではないかということだ。ところが、普通の人……九〇%ぐらいの人が、不幸量がその量をこえてない。けど、ある程度の不幸は感じている。なので、話がかみ合わなくなるのではないかということを言いたかった。ようするに、不幸量がある量をこえた人が言うことは、不幸量がある量をこえていない人には、まったくわかしないのだ。しかし、不幸はあるので、あるいは、不幸感はあるので、「困難」とおなじように同じ言葉で語られてしまう。ほんとうは、不幸量がある量をこえてしまうと、それまでとはちがう状態になるのに、両者がともに、その状態のちがいについて注意を払わないので、言っていることがかみ合わなくなるのではないかということだ。とりあえず、不幸量・超過と不幸量・普通のあいだに、ものすごく深い溝があるとする。この溝をこえるかこえないかで、見える世界がちがう。ところが、不幸量・普通の人は、不幸量・普通の人の価値基準で、不幸、あるいは、不幸感について、考えてものを言う。こわれてない人が、こわれた人のものの感じ方についてものを言うわけだ。「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と言霊教徒は言うわけだけど、それは、不幸量・普通の世界の話なのではないかと言うことだ。ところが、「人間は、そういうものだ」と言うわけである。不幸量・普通と不幸量・超過の世界を区別せずに、「人間は、そういうものだ」と言う。その場合、もちろん、不幸量・超過の人も、人間なので、その理論が適応されると、その人(不幸量・普通未人)は考えているのである。しかし、人間を主語とせず、不幸量・普通の人は「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と言うべきなのではないかということだ。不幸量・普通の人は、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」ということは、納得できるけど、人間は、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」ということは納得できない。これは、アドラー主義でも、行動主義心理学でも、引き寄せ主義でもおなじだ。不幸量について、考えずに、「人間とはこういうものだ」「人間とはこういうふうにできている」ということを言う。「人間は、こうするべきだ」ということを言う。それは、不幸量・普通の人間に限定するべき言葉なのである。それは、不幸量・超過の人にとってくるしいことだ。不幸量・超過の人にとっては、不幸量・普通の人が、そういうことを言うこと自体が、不幸なことなのである。不幸量・超過の人は、不幸量・普通の人が「人間とはこういうものだ」ということを言うと、不幸量がひとつは、増えるのである。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。