2022年7月9日土曜日

赤ちゃんのころから、自分のまわりにいる「他者」の反応を見て、善悪の基準を獲得していく

 これは、軽い感じで書く。そんなには、深く考えていない。かーーんじとして、そういうことがあるんじゃないかなと思って書く。

アドラーは、善悪の基準が確固たるものだと思っているみたいなのだけど、善悪の基準というのは、出来事をとおして、ある程度かわるのではないかと思う。大人になった場合はそうだ。

こどものうちは、もっとやわらかくて、善悪の基準をつくっている時期なのである。幼児だと、こどもよりも、もっともっとやわらかくて、善悪の基準をつくっているような時期なのだと思う。幼児がどうやって、善悪の基準を獲得していくのかというと、じつは、「親」の反応を見て、善悪の基準を獲得していくのだ。

この場合の「親」というのは、身近な他人という意味だ。

親じゃなくても、同じ家に住んでいる身近な他人の反応を見て、善悪の基準を獲得していく。赤ちゃんのときから大人になるまで、そして、じつは、死ぬまで、この善悪の基準は発達していく。

しかし、時系列的なことを考えると、赤ちゃんから子供時代までの発達のほうが成人以降の発達よりも、でかい影響をあたえる。赤ちゃんから子供時代に獲得した善悪の基準が大人になったあとも、「しん」として残るのである。

ちょっと、ちがうけど、たとえば、身長の伸びは、赤ちゃんから成人するまで大きく変化して、一度成人してからは、あまり変化しない。

逆に、背骨の影響で年をとるとじゃっかん縮む場合もある。身長の伸びがぴったり比喩としてあてはまるわけではないけど、小さいときのほうが、大きくなったときよりも、「善悪の基準」の変化量が大きいのである。

つまり、ちいさいときの変化は、大きくなったときの変化よりも、でかい。

そして、いわば、「骨格」のようなものになってしまうのである。ちいさいときの善悪の基準が、大きくなったときの善悪の基準の「コア」になるのである。

たとえば、ろうそくを溶かした缶のなかに、ろうそくのシンを入れて、取り出すとする。一回つけて、ひっぱりあげて、もう一回つけて、ひっぱりあげて、もう一回つけてひっぱりあげるという行為をn回繰り返すとする。その場合、表面から見えなくても、一回目のろうそくが、表面のろうそくの「シン」として成り立っているということがわかる。

比喩は比喩なので、比喩には問題がある。

たとえば、真に近いほうが影響力がでかく、大きく変化しなければならないわけだから、一回目のほうが、二〇回目よりたくさんろうそくがつかなければならないのである。そういう意味で、比喩としては問題がある。

しかし、子どものころにつちかった善悪の基準は、その人の善悪の基準の「コア」として残るということだ。成人してから、善悪の基準を大きくかえるような出来事に遭遇するかもしれない。その場合だって、それまである善悪の基準を新しい基準に書き換えるとなると、葛藤がしょうじる。

今現在の「善悪の基準」は過去の「善悪の基準」をもとに少しずつ作り上げてきたものであって、現在の「善悪の基準」は過去の「善悪の基準」を「もと」にして作り上げてきたものだから、過去の「善悪の基準」は現在の「善悪の基準」と関係がないわけではない。

過去の「善悪の基準」はコアとして、現在の「善悪の基準」に大きな影響をあたえている。さらに、意識すれば意識できる意識的な善悪の基準と、意識しようとしてもなかなか意識できない無意識的な善悪の基準がある。この無意識的な善悪の基準は、ふつう「良心」とよばれるものだ。明確な言葉にならなくても、明確な基準として抜きだすことができないとしても、「なにかそれ」として、人間の行動や判断に影響をあたえる。

基本的には、自分のまわりにいる「他者」の反応を見て、人間は赤ちゃんのころから善悪の基準を獲得していくのである。善悪の基準を獲得していくには、いろいろな経験が必要だ。相手(身近な他者)が関係する出来事をとおして、善悪の基準を獲得していくのである。

「こういうことをしたら、親が怒った」とか「こういうことをしたら、親にほめられた」とか「こういうことをしたら親がよろこんだ」とか「こういうことをたら、親が悲しそうな顔をした」というようなことをとおして、善悪の基準が「かたちづくられていく」のである。

アドラーは、生まれたときから、善悪の基準がしっかりと成り立って、それが、生涯にわたってかわらないものだというような前提でものをはなしているところがある。

アドラーにしたって、赤ん坊のときから、しっかりと成り立っているとは、意識的には思ってないだろう。しかし、アドラーが考えている善悪の基準(そのものは)固定的で、あまり変化をうけないものなのである。

アドラーが絶対に無視したいのは、過去の影響なのである。「過去は関係がない」「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」という宗教的な信念があるのである。

この信念は、単なる宗教的な信念で、合理的な根拠がない。

しかし、あたかも合理的な思考にしたがって、「過去は関係がない」「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」と言っているのだという思い込みがある。アドラーの考える合理性は、彼が考える範囲のなかで成り立つ合理性なのである。

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。