2022年7月2日土曜日

どれだけ相手が「がみがみ言ってきたとしても、それは、相手の問題だから、相手にする必要はない」……まちがっている

 どれだけ相手が「がみがみ言ってきたとしても、それは、相手の問題だから、相手にする必要はない」というような考え方がある。これについて考えてみたいと思う。

まず、「がみがみ言ってくる」というのは、マイナスのイメージあたえる言い方だ。

「がみがみ」というのが、不快感をしめしていて、なおかつ、「がみがみ」言っていることが不当だという認識があるということをしめしている。

つまり、がみがみ言われている人が、がみがみ言っている人の言っていることが不当な内容だと考えているということを暗示している。

ようするに、彼が言っていることは「なにか、へんなこと」を「がみがみ」言ってきたけど、そんなのは気にする必要がないということだ。

「がみがみ」というのは、怒りの程度をあらわす言葉だと思う。怒りには程度があり、怒りの表出にも程度がある。たいていの場合、怒りの程度が高ければ高いほど、怒りの表出のレベルも高くなる。これは、相手の側の怒りの表出だ。

こういうことを言う人たちは、怒りの程度について言及をしている。どれだけ相手が怒りを表出したとしても、それは、相手の問題だから気にする必要がないという意見だ。しかし、この人たちが忘れているものがある。

それは、自我だ。善悪の基準の問題だ。道徳観の問題だ。相手が言っていることが正しいなら、素直に反省すればよいということも、こういう人たちは、言う。

しかし、相手が言っていることが正しいと思うことができるのか?

きちがい兄貴にしたって、このくらいの音でヘビメタを何時間も何時間も鳴らすことは、別にやってもいいことだと思ってやっていたのである。その場合、ぼくが、「でかい音だから静かにしてくれ」「フォークギターぐらいの音にしてくれ」と言っても、相手が不当なことを言ってきたと思って、しずかにしないのである。

きちがい兄貴の自我の基準から考えると、このくらいの音で鳴らしてもいいということになっていたのである。その「いいこと」に文句をつけてくるのは、相手の問題だと思っていたのである。自分には関係がない問題だと思っていたのである。

「迷惑行為」をやる人間は、ここらへんの基準が、普通の人の基準一致してないことが多い。本人は、「迷惑行為をしているつもりがない」のである。

むしろ、「やめろ」「しずかにしてくれ」と何回も絶叫している相手のほうが、悪いと思っているのである。自分は、悪いことをしてないのに、相手が「がみがみ」言ってくると思っているのである。

なので、素直に反省することができるかというとできない。

これは、きちがい兄貴に限ったことではなくて、アドラーにしてもおなじなのである。ただ、アドラーは、感覚器を書き換えるということをしてないし、アドラー自身の善悪の感覚が「普通の人間」とだいたい同じだったので、特に目立つ!!迷惑行為をしてないだけなのである。

アドラーにとっては、そこらへんの感覚が、わりと絶対的なもので相対的なものではないのだ。なので、だれもが「反省できる」と思っている。しかし、アドラーもそうだけど、反省できるとは限らない。

それは、善悪の基準が人によって相対的で、今現在その人がそれを「自信をもってやっている」とすると、その人とっては、その行為自体は、他人に迷惑をかけるような行為ではないのである。

あるいは、他人に迷惑をかけるということが悪いことだと思ってないのである。相手が「必死になって」「やめてくれ」と言ってきたとき、相手の立場を理解してやめてあげるのか、それとも、相手の立場を理解せずにやり続けるのかは、自我が決定しているのである。

その自我というのは、善悪の基準をもっている自我なのである。

もう成人しているのであれば、わりあい強固な自我をもっているものと思われる。

だから、たいていの場合、正しいと思ってやっていることをやめたりはしない。それから、相手の立場に立って考えることができる能力というのは、だいたい人によって決まっているのである。

アドラーやうちの兄貴は、この能力が極めて低いのである。相手の立場と自分の立場をいれかえて考える能力が、ともに、低いのである。けど、アドラーの善悪の基準は、「普通の家」ものだったので、うちの兄貴のように、特に問題となる行為をしてないだけなのである。

自我の相対性……つまり、善悪の基準の相対性……の問題は、アドラーのような人間にも、成り立つことだ。

「普通の家」と書いたけど、これは、「家」そのものの問題ではなくて、「親の自我」の問題なのである。アドラーの場合、親がよくできた親なので、逸脱行為(社会的な迷惑行為)をしなくてもすんだだけなのだ。

構造自体の本質はかわらない。それから、冒頭で「相手の問題」と書いたけど、くわしく書くと「相手」の「こころの問題」ということになる。「相手のこころの問題」と書くと「の」が連続するのでやめておいた。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。