たとえば、秋葉原探索動画を視るのは、好きなのだ。
しかし、じゃあ、秋葉原に行きたいかというと、そうではないのだ。行きたくないわけ。
だから、気持ちに乖離があるわけ。
「実際に行く」ということを考えたら、ゲロが出るような話であるわけ。歯医者に行くような気持になってしまうわけ。
かりに行って、秋葉原を徘徊していても、まったくまったく、楽しくないわけ。
どうしてかというと、ヘビメタ騒音にやられた日々があるからだ。
そして、いまも、完全に、ヘビメタ騒音にやられた影響があるからだ。
この影響を、過小評価する人たちが、いっぱいいる。もちろん、その人たちにとっては、ぼくのことなんてどうでもいいわけだから、そういうふうに思ってもしかたがない。
それは、わかる。
しかし、たとえば、これが、仕事に行くことだったらどうなる。「仕事をするべきだ」「ちゃんと働くべきだ」と言うことになる。そういう意見を言ってくることになる。
だから、そこで問題がしょうじるわけ。
こいつらは、きちがい兄貴が実際に、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、やったことを無視しているんだよ。
きちがい兄貴は、俺の状態、俺の気持ちを無視して、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、自分が満足できる音で鳴らした。
もちろん、「仕事をするべきだ」「ちゃんと働くべきだ」と言う人たちが鳴らしたわけではない。それはわかっている。しかし、しかしだ……。
「仕事をするべきだ」「ちゃんと働くべきだ」と言う人たちが、ヘビメタ騒音の影響を無視していることには、かわりがないのである。
こいつらは、きちがい兄貴のように、ヘビメタ騒音の影響を無視している。ヘビメタ騒音が、俺に与えた、毎日の影響を無視している。
これだけで、ぼくにとっては、こいつらの行為は、不愉快な行為になるんだよ。たしかに、こいつらが鳴らしたわけではない。
しかし、こいつらは、不可避的にしょうじる毎日の影響を無視している。無視しているんだよ。無視して、きちがい的な?発言をしているんだよ。
常識的だから、きちがい的な発言とは思えないのだけど、毎日の影響を……不可避的に受けてきた俺から見ると、きちがい的な発言なんだよ。
それは、きちがい的な発言なんだよ。現実をまったく考えていない発言なんだよ。現実を無視した発言なんだよ。