2020年2月10日月曜日

明るい人が暗い人について述べた文章について考えてみよう


話しの前提になることをちょっとだけ話しておこう。それは、暗い人とか、明るい人という言葉についてである。『暗い人』というのはどういう人か? 『明るい人』というのはどういう人か? こんなものは、定義ができない。本人が主観的に『暗い人』だと思っていても、まわりの人から見ると『明るい人』にうつるという場合だってある。その逆もある。要するに、『明るい人』というのは、本人の主観に基づいたイメージであり、他人の主観にもとついたイメージなのである。たとえば、日本に生まれた日は日本人である場合が多く、日本国籍を持っている人は、日本人であるということができる。しかし、『明るい人』『暗い人』と言う場合は、国籍のような明確なしるしがない。ただ単に、本人が『明るい』と思ったり、本人以外の人が『明るい』と思っているだけなのである。『明るい人』の定義ができるような感じがするかもしれないけど、それは、明るい人にまつわるようなイメージを言っているだけなのである。暗い人の場合もおなじだ。「言っていると」書いたけど、言っているのは、本人である場合と他人である場合がある。暗い人の定義を形作っているようにみえる、いろいろな要素は、(その発言者)がなにを「暗い」ととらえているかの写し絵でしかない。これは、定義にはならない。けど、一般的に、暗い人なら暗い人のイメージとして出てくる言葉が決まっているというのであれば、定義ではないけど、暗い人をこのようにとらえている人が多いということが言える。けど、これは、要素部分のトートロジーでしかない。しかも、発言者のなかのイメージについて語っているにすぎないので、あんまり意味があるとは言えない。
たいていの場合は本人が本人のことを『明るい人』だと考えている人が、本人が暗い人だと考えている人のことを悪く言うときに、『暗い』と言うのである。本人が本人のことを明るい人だと考えていることは問題ではない。けど、暗い人全般のことを悪く言うのは問題がある。自称明るい人だっていっているではないか。『暗い人は人の悪口を言う』と。しかし、明るい人が、自分にとって好ましくない性格を持ってる他者を『暗い人』だと決めつけ、『暗い人』の悪口を言っているという解釈はできないのだろうか?

明るい人が暗い人について述べた文章について考えてみよう。だれか、明るい人が『暗い人はああだこうだ』と書いた記事があるとする。その場合、自分が暗い人間だと思っている人間がその文章を読んだ場合どういう気持ちになるかということを考えてみよう。

けど、自称明るい人は、自分が暗い人だという(かりの)前提で文章を読むことは、苦手だと思う。なので、日本人の場合は、文中の『暗い人』を『日本人』に読み替えて、日本人である自分が、その文章を読んでどう感じるかを考えるようにした方がよいのではないかと思う。暗い人を日本人と読み替えて、文章を読んだとき、いい気持ちになるだろうか。不愉快な気持ちになるだろうか。たぶんだけど、不愉快な気持ちになるのではないかと思う。

これは、いまの時点では、ぼくがそう思っているだけなのだけど、たぶん、好ましくないと感じられる特徴?が述べられている。特徴に「?」をつけたのは、その特徴が日本人の特徴ではなくて、その人が考えている日本人の特徴だからだ。

自称明るい人は気がつかないかもしれないけど、対象になる人がその文章を読んだとき、不愉快な気持ちになることを書いていると思う。(これも、俺が思うだけだけど……)。

これは、たぶん、『暗いこと』と『悪いこと』が結びつけられているからだと思う。なのでやっぱり、自称明るい人は、暗い人の悪口を言っているのではないかと思うのである。

けど、自称明るい人が、暗い人の特徴としてあげる要素のなかに『人の悪口を言う』ということが、ほぼ一〇〇%入っている。(入っている場合のほう非常に多い)。なので、いちおう、自称明るい人は、『暗い人』の悪口を言っているということは、正しいことなのではないかと思うのである。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。