2020年2月8日土曜日

言論に限られるけど、明るい人は暗い人を攻撃している。


しゃくぜんとしないものを感じる。これは、なんなんだろう。まあ、こういう人たちは、『楽しいから、わらうのではなく、わらうから楽しく感じるのだ』といった言い方を好む。これは、これでいい。それに、たとえば、明るい人たちが、明るい人たちといっしょにいたいと思って、それを実行することはまったく問題がない。しかし、『明るい人たち』による、『暗い人たちに対する』攻撃は、看過できない。これは、おかしいと思う。この人たちはまったく、暗い人たちを攻撃するつもりはない。つもりはないし、そうしているとも思ってないだろう。

けど、暗示はしているのだ。

『明るいのは、いい』『暗いのは、ダメだ』と暗に言っている。この人たちは、人の悪口を言うのは、きらいであるそうなのだけど、『暗いのはダメだ』と暗示するのだから、ある特定の人たちの悪口を言っているのとおなじなのではないか。『暗いのは』というのは、『暗い人は』という意味なのだから。『明るい人たちは、いい。暗い人たちは、ダメだ』と言っているのとおなじわけだから……「のは」と言っても、ものについて、言及しているのではない。まあ、明るい人たちが作ったものは、よくて、暗い人たちが作ったものは悪いということも、暗示しているのだけど……。これは、価値観だ。個人の価値観だ。それは、わかる。けど、やはり、攻撃になってないのだろうか?

明るい人たちは『暗い人たちはダメだ』『暗い人たちは、悪い』ということを言っておきながら、人の悪口を言っているつもりがない。なので、『人の悪口を言うのは良くない』と言ったあとに、『暗い人たちはダメだ』『暗い人たちは、悪い』ということを言ってもまるで気にしない。『事実そうだろ』と思っているのだ。けど、暗い人たちとまとめられている人たちの、背後にあるいろいろなものに目を向けてないので、そういうことが言えるのではないかと思う。世の中というのはほんとうに不公平にできている。

だから、それがあたりまえで、実は差別的な言葉を口にしているのに、差別的な言葉を口にしていると思わない人たちも出てくる。そういう人たちは、明るい人として、暗い人を差別し、攻撃する。けど、明るい人たちにとっては、『事実そうだろ』と思えることなのだ。そして、そういう気持ちが強いぶんだけ、余計に、実は、差別的なことを言っているということに、気がつかない。

自称明るい人は、実は、暗い人の悪口を言っている、暗い人なのだということになってしまう。彼らの理論に従えば、人の悪口を言う人は、暗い人なのであるから。
まあ、ここらへん、まったく気がつかないと思う。だから、言っていて、暗い人の悪口を言っているという気持ちにはならないのだろう。『事実を言っているだけだ』という気持ちなのだろう。

さらに、暗い人は、切らなければならないのである。暗い人との付き合いは切るべきなのである。暗い人とはなるべくあわないようにしなければならないのである。これにも、『事実そうだろ』という気持ちがつきまとっていると思う。
まあ、他にも言いたいことはあるけど、とりあえず、言いたいことは以下の通りである。
(1)明るい人は、暗い人の悪口を言っている。
(2)明るい人は、暗いの人の悪口を言っているということに気がついてない。
(3)明るい人は、暗い人を追い詰めている(もちろん言葉の上でだけだけど)
明るい人は、(1)(2)(3)をとてもわかりやすく説明してしまうのである。(もちろん、まったく悪気がないまま説明する。その説明は、正直に言って、わかりやすい。どうしてそういうことが成り立つかというと、『一部』をたしかに説明しているからである。また、人間にとってなじみやすい「けがれ」という考え方を利用しているからである。基本的に、人間は、原始人が持っていたと推測できるとても、原始的な感覚を持っている。これは、幼児的万能感とも関係している。なので、個体発生的にだれもが『分有』しているものなのである。だから、うったえかけやすい。だから、他の人が「なっとく」しやすい。けど、わかりやすくなっとくしやすいから、『暗い人の悪口を言ってない』ということではない。また、他の人が「なっとく」しやすいことだから、正しいことだ(まちがってないことだ)とも、言えない。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。