全体的な体力や全体的な精神力というものがものすごく大切なのだ。ヘビメタ騒音は、そういうたいせつなものを破壊する。俺が、ヘビメタ騒音のことを説明したにもかかわらず、俺のことを、無職だから「おそろしい」と感じてしまう人がいるのだ。
おそろしいというのは、悪い意味で恐ろしいということだ。
「そんなのは、ない」のである。「そんなのは、ない」というのは、「そのとしで働いてないとか、そんなのはない」という意味だ。ようするに、由紀夫(仮名)のなかではぼくは「悪い人」になってしまったわけだ。
働いてないのだから、悪い人なのだ。
「そんなに長い間働いてないのだから悪い人にちがいない」と彼は確信する。「そのとしで正社員になったことが一度もないなんて、そんなのは人間としておかしい」と思ってしまう。「そのとしで正社員として働いたことがないような人は、悪い人間だ」と決めつけてしまう。
悪い人間だから、かかわりをもちたくないという気持ちになる。
佐藤は説教をしたけど、由紀夫は、さけた。
俺から話しかけられるのをさけるために、すたすたと、はやあしで歩いて行ってしまった。同じところに行くんだけどな。ようするに、先についたわけだ。
で、そういう人は、じつはおおい。無職は悪い人だと決めつけてしまう人はおおい。「そういう悪い人」とはかかわりを持ちたくないので、無職である人をさけるのだ。そして、かげで「あのとしで無職なのはおかしい」と、同じ考えを持つ人と、悪口を言いあう。
で、俺が、ヘビメタ騒音「で」無職になったということを認めない。「ヘビメタ騒音なんて、どれだけ鳴ってたって言ったって、たいしたことがいないのだろう」と思ってしまうのだ。「親が注意しなかったなら、たいした音で鳴ってなかったのだろう」と思ってしまうのだ。「そんな過去のことが影響を与えるわけがないだろう」と思ってしまうのだ。
これは、実際に、ヘビメタ騒音にやられて苦しんだ俺としては、ほんとうに、侮辱的なことだ。
こいつらは、俺が嘘を言っていると半分は思っている。いや、半分以上、思っている。ともかく、「正社員歴が三十五歳なのにない」ということで、そうとうに、俺のことを「悪い人間だ」と思ってしまうのである。そういう偏見ができると、その偏見から逆算して、「ヘビメタ騒音の話なんて嘘なんじゃないか」と思ってしまうのである。
まず、無職だということで、俺に対する、偏見ができる。「みかた」が決まってしまう。以降は、その見方にそって、俺が言っていることが、解釈されるのである。で、これは、俺にとっては、何度も言うけど……侮辱的なことだ。
ほんとうにそういう偏見を持っている人だって、小学六年生のときから二十五歳までずっと、毎日ヘビメタを鳴らされたら、働けない体になるのに、それがわかってない。最初の八年間でだめだ。通学も通勤もできない体になる。