2023年6月22日木曜日

「悪条件でも成功した話」「創業者の苦労話」は、うたがってかかる必要がある

構造の問題について言っておきたいことがある。好条件の数がおおい人が、支配者層や準支配者層を形成していて、悪条件の数がおおい人が、まあ、底辺のほうにいるという構造があるのではないかということだ。

その場合、好条件多数者が、実際に成功しているので、好条件多数者が、条件を無視して、「XをすればYになる」ということを言うということになる。

そして、悪条件多数者がそれを実行しても、よくならないということとが成り立っているのではないかということだ。好条件多数者も悪条件多数者も、ともに、条件を無視してしまうのである。条件を無視することが、最初に成立している。

だから、条件を無視した話を、好条件多数者がするということになる。逆はないのである。どうしてかというと、「成功」しているのは、好条件多数者だからだ。たとえば、「コツコツ努力すれば、成功する」ということを好条件多数者が、好条件を無視して言うのである。

それを聞くほうは、言った人以外の好条件多数者、好条件悪条件中間者、悪条件多数者なのである。好条件多数者、好条件悪条件中間者、悪条件多数者のほとんどが、それに賛成してしまう。

「コツコツ努力すれば、成功する」ということは、正しいことだと考えてしまうのである。

これが問題なのだ。大問題なのだ。

どうしてかというと、条件を無視しているからだ。実際に影響をあたえているのは、条件なのである。結果に影響をあたえているのは、最初から無視されている条件なのである。

問題ではないか。

「XをすればYになる」という文のなかには、条件なるものがまったく存在しない。「コツコツ努力すれば、成功する」という文の場合、結果は、成功するということだ。

この文のなかには、条件が存在しない。丁寧に「どんな条件だって」「コツコツ努力すれば、成功する」と言うやつまでいる。

成功する方法について記述する人間は、すでに、成功してないといけないという法則がある。もちろん、法則というのは冗談だ。一度も成功したことがない人が書いた「成功する方法」なんて、売れない。だれも興味をもたない。

「そんなら、その方法で成功してから書け」ということになる。

けど、成功している人は、好条件(複数)にめぐまれ人なのである。

そして、その人たちは、自分の好条件については無視して、成功する方法について語ることになる。失敗ばかりの人が、失敗したままの状態で書いた「成功する方法」はうけないということね。

世の中には、悪条件の人が成功したという話もある。そういうはなしは、めずらしいので、メディアにもとりあげられる。

しかし、メディアは、そういう話を、でっちあげることもできる。なので、メディアにあふれている、そういう、不幸な人が成功したという話や、失敗ばかりだった人が成功したという話は、嘘である可能性がある。

そして、ほんとうである場合も、じつは、詐欺行為に非常に近いことをやっていた可能性があり、とても、「見本」としては、役に立たない。こういう、でっちあげ話に、過剰に反応する人がいる。

こういうでっちあげ話がひとつでもあれば、「悪条件(複数)でも成功する人がいる」ということになる。そして、「悪条件(複数)でも成功する人がいる」のだから、悪条件で成功できないなんていうことは、あまえだということになるのだ。

その人の頭のなかでは……。

これも、ある方向に、人々を誘導するために、そういう話をでっちあげはやらせていると考えたほうが現実的だ。DS側の企業は、そういう話をでっちあげるのが好きだ。もう、これは、伝統的にやっている。

例をあげると、たいした証拠もなく、ある起業家をディスることになるのでやめるけど、そういうことがあるのではないかということは考えておいたほうがいい。

「悪条件でも成功した話」「創業者の苦労話」は、うたがってかかる必要がある。こういう話に特別に弱い人たちがいる。この人たちは、宗教団体の宗教に没頭しやすい。

ともかく、ほんとうは、悪条件が影響をあたえているのに、「悪条件で成功できない」ということを言えば、言い訳をしているように思う……ということが問題だ。

これも、誘導されてそう思っている。条件は結果に関係がある。そういうことを無視して、精神論で乗り切ろうとする。けど、それは、きたない悪魔に手をかしていることになる。その場合の精神論というのは、これまた、洗脳のための道具なのである。

ともかく、条件は、結果に影響をあたえる。こっちのほうが、法則性があることだ。どうして、この法則性を無視しなければならないのか。無視しているということにすら気がつかない思考方法はいったい、なんなのか。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。