2023年6月20日火曜日

本人は、感覚器を書き換えて否定しているということに無頓着

  いやー、ほんとう、思った以上に家がボロボロなんだよ。『これは、のんびりできないなぁ』と思った。風呂に入っているときも思ったけど、ぼくの人生は、長期ヘビメタ騒音でめちゃくちゃだ。

あのときからずっと、めちゃくちゃだ。

だぶん、このまま、不愉快な気持をもったまま、死んでいくんだろうな。

「あのとき」というこだわりはある。

それは、鳴ってたからだ。

きちがい家族が、あの態度で鳴らしていたからだ。

ほんとう、あんな音で鳴っている家はない。あんなでかい音で、こどもが音楽を鳴らしているのに、ずっと注意しない親なんていない。

そして、きちがい的な高校生でなければ、でかい音で鳴らしているということが、わかる。きちがい兄貴は、あのとき高校生だったんだよ。

普通の人間なら、でかい音で鳴らしているということは、表面上否定しても、知っている。ところが、きちがい兄貴は、ほんとうに知らないのである。自分にとって、「でかい音で鳴らしている」ということが、不都合なことであれば、ほんとうに、「でかい音で鳴らしている」と思わない。

感覚器を書き換えてしまう。

そして、本人は、感覚器を書き換えて否定しているということに無頓着なのである。

ようするに、感覚器を書き換えて、強引に自分の言い分をとおしているという、認識がない。ほんとうは、感覚器を書き換えて否定して、自分の言い分をとおしているのに、その認識がないのである。

これは、親父が、魚の切り身を出しっぱなしにしたときもそうだ。おやじと兄貴で、頭の構造がおなじなのである。自分にとって不都合なことは、どれだけ明らかなことでも、絶対に認めないのである。

けど、普通の人の場合、知っていることを認めなかったという認識ができるのだけど、きちがい兄貴ときちがい親父は、そういう認識ができないのである。

だから、本人はまったく知らないまま、「当の行為」をやり続けるということになってしまう。

こういう、でたらめ。

こういうでたらめが、常に成り立っている。きちがい兄貴が、でかい音で鳴らしたいあいだは、でかい音で鳴らしてないという認識が成り立ってしまうのである。事実を絶対の意地で認めないのである。けど、「事実を絶対の意地で認めない」ということをしたという認識もないのである。

きちがい兄貴は、思いっきり、まったくほかの人のことを気にしないで、でかい音で鳴らしたいあいだは、でかくない音で鳴らしているということになってしまうのである。頭がおかしいからそうなる。

親父の場合は、魚の切り身を出しておきたいという気持が続いている限り、絶対に、魚の切り身がものすごいにおいを放って、部屋全体がくさくなっていると行こうとを認めないのである。本人が「やりたい」あいだは、絶対に、「やれなくなるようなこと」は認めない。

けど、普通の人であれば、「そういうことをしている」という認識は、否応なくしょうじる。

ところが、きちがい兄貴ときちがい親父は普通の人間ではないので、「そういうことをしている」という認識が、まったく、まったく、まったく生じないのである。きちがい兄貴は、ほかの人が、おなじ音のでかさで、自分が聞きたくない音を鳴らしたら「うっささささい」と思う人間なのである。

耳はその時点で正常。

きちがい親父も、相手をせめることができるときは、相手が出したにおいに対して敏感なのである。自分がやりたいときは、きちがい的な鈍感ぶり発揮する。

言いたいのは、ともかく、どっちも、感覚器自体は正常なのであるということだ。そのときだけ、都合よく、「無感覚」になるのである。感覚器がない状態になってしまうのである。感覚器が機能してない状態になってしまうのである。

で、普通なら、どれだけ言い張っても、自分がそういうことをしているという感覚があるはずなのに、そういう感覚がない。感覚と書いてしまったけど、いままで、認識といっていたものだ。

自分がすごい強度で、強烈にやっていることは、絶対に認めないのだけど、相手がやっていることは、弱い強度でも、敏感に気がつくのである。

こういう、きちがい。

こういうきちがいはやりにくい。けど、そういうふうになってしまっているんだよな。ようするに、きちがい親父が考えて選択しているわけではないわけ。きちがい兄貴が、考えて選択しているわけではないわけ。これが、こまるんだよ。

アドラーが、「相手がどれだけがみがみ言っても気にしなければいい」ということを言っているけど、それは、相手の立場と自分の立場、相手が言っていることが正しいのかどうかということと、関係がある。まったく無関係に「気にしなくてもいい」「気にしなければいい」とは言えない。

気にするとか、気にしないということをぬかして考えてみても……いっしょに住んでいれば、影響をうけることがある。

相手の行為……出来事……というのが、たいせつだ。

たとえば、きちがい親父が、きちがい的な意地で、くっさいかさなの切り身を、一日に二三時間、テーブルの上に出しておくということにこだわったなら、その部屋がくさくなるわけだから、影響をうける。

そして、「くさいからしまってくれ」と(こっちが)言ったとき、(あっちが)「くさくない」と感覚器を否定するようなことを言えば、その事柄は、不愉快な事柄として記憶されるのである。

事実、きちがいが、きちがい的な感覚で、通してしまうのだから、影響をうける。 

*     *     *

正常な感覚が成り立っているはずなのに、正常な感覚が成り立っていない状態になる。正常な感覚が成り立っていないということは、本人は、否定する。気にもとめてない。まったく認識してない状態で生きている。実際にそういう状態で生きているわけだから、いっしょに住んでいる人は、不可避的に影響をうける。しかし、そういう人といっしょに住んでない人、あるいは、そういう人といっしょに住んだことがない人が『影響をうけないということは(どんな場合でも)可能だ』というくそ理論で、そういう人といっしょに住んでいる人を、ののしるのである。これは、ののしっているやつが悪い。「生まれの家族」なんて、選べないんだよ。そいつが、そいつである限り、そいつは、迷惑行為だとは考えないで、迷惑行為を(ごく自然に)する。その場合、どれだけ、『影響をうけないぞ』とがんばっても、影響をうけることになる。『影響をうけないことは可能だ』というのは、現実味がないくそ理論なのである。誤謬がある。しかし、まるで、影響をうけてしまうやつが悪いということになってしまう。こういう地獄だ。いったん、きちがい家族のもとに生まれたら、よそのやつにそういうふうに言われるのである。よそのやつは、きちがい家族のもとに生まれたわけではないので、ほんとうは、知らない。知らないから、そうだろうと思って言っているだけだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。