2026年10月27日火曜日

●一〇年以上の激しいストレス刺激がある場合の体調と直結している感情■社会※2026/10/27 16:45

 一〇年以上の激しいストレス刺激がある場合の体調と直結している感情というのがある。

感情群と言ってもいい。

たとえば、一〇年以上の激しいストレス刺激がある場合の体調と直結している憂鬱や一〇年以上の激しいストレス刺激がある場合の体調と直結しているしんどさ、一〇年以上の激しいストレス刺激がある場合の体調と直結している無気力だ。

そのほかにも、じつは、一〇年以上の激しいストレス刺激がある場合の体調と直結している怒りがある。あるいは、一〇年以上の激しいストレス刺激がある場合の体調と直結している失望感がある。

でっ、なにがちがうかというと、一〇年以上の激しいストレス刺激がある場合の体調と直結している感情というのは、ただ単に、憂鬱、無気力、怒り、失望感という言葉であらわすべきではないのではないかということを、言いたい。

これ、一〇年以上の激しいストレス刺激を経験していない人には、わからないレベルの憂鬱、無気力、怒り、失望感なのである。

一〇年以上の激しいストレス刺激を経験していない人が多数派であった場合、一〇年以上の激しいストレス刺激を経験していない人が、一〇年以上の激しいストレス刺激を経験した人の憂鬱、無気力、怒り、失望感を自分たちと同じレベルの?憂鬱、無気力、怒り、失望感だと思ってしまうという問題が発生する。

もちろん、これは、一〇年以上の激しいストレス刺激を経験していない人にとっては、問題ではない。

問題は、一〇年以上の激しいストレス刺激を経験した人のほうにしょうじる。どうしてかというと、一〇年以上の激しいストレス刺激を経験していない人が、誤解をするからだ。

そして、「そんなものだろう」と見なして、見当はずれなことを言ってくるからだ。

見当はずれなことを言われると、さらに、不愉快なになる確率が非常に高い。

ほんとうに、一〇年以上の激しいストレス刺激を経験した場合、繰り返しによって、体の状態が、一一年以上前の状態とはちがう状態になっている。一〇年以上の激しいストレス刺激を経験した人も、一一年以上前の状態では、一〇年以上の激しいストレス刺激を経験した人ではない。

だから、感覚が一〇年以上の激しいストレス刺激を経験していない人とおなじだ。だから、わからないのである。感覚がわからないのに、同じ言葉を使っているというのが、問題なのだ。これは、ひっかけだ。

全然別のものを、おなじ言葉で表現しているのである。だから、誤解がしょうじる。しかし、誤解をしているほうにしてみれば、誤解をすることで、不利益がしょうじない。

誤解をされることで、一〇年以上の激しいストレス刺激を経験した人のほうに、不利益がしょうじる。そういう「しくみ」が成り立っている。

完全に体の状態がちがうのである。

完全に脳みその状態がちがうのである。

けど、おなじ状態が成り立っていると仮定されてしまうのだ。これが問題を引き起こす。

*     *     * 

たとえば、「やる気」とか「意欲」という言葉で表現されるものがある。だれだって、生きていれば、「やる気がない状態」を経験したことが「ある」と思う。思うだけだ。

いちおう、だれだって、生きていれば、「やる気がない状態」を経験したことが「ある」という前提で話をすすめていく。一〇年以上の激しいストレス刺激を経験した人の「やる気がない状態」と一〇年以上の激しいストレス刺激を経験したことがない人の「やる気がない状態」は、ちがう。

ちがうのだけど、一〇年以上の激しいストレス刺激をしたことがない人は、もちろん、自分の経験の範囲内で感じたことがある「やる気がない状態」を思い浮かべて話をするのである。自分が経験した「やる気がない状態」を思い浮かべるしかないのである。

おなじ言葉で表現されているので、「おなじもの」について、語っているつもりになるのである。しかし、ちがうのである。ちがうものについて語っている。

こういう土台の上に、じつは、「努力をすれば成功する」とか「できると言えばできる」とか「思ったことが現実化する」とかということが、言われるわけだ。もともとの感覚のちがい……は、無視される。

つまり、一〇年以上の激しいストレス刺激がある場合の体調と直結している感情は、無視されてしまう。「努力をすれば成功する」とか「できると言えばできる」とか「思ったことが現実化する」とかいうことを言うとき、言う側の人間は、当然、言われる側の一〇年以上の激しいストレス刺激がある場合の体調と直結している感情を無視してしまう。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。