2020年12月20日日曜日

いじめられて、引きこもりになり、結果的に、生活保護をもらうようになった人は、なにも悪いことをしてない


たとえば、いじめられて、引きこもりになり、働けなくなった人がいたとする。この場合、いじめた人間が悪い。しかし、いじめた人間が責任を取らないのであれば、いじめた人間が責任を取らないことを放置した社会が悪い。なので、社会が、責任を取るべきだ。
なので、いじめられて、引きこもりになり、結果的に、生活保護をもらうようになった人は、なにも悪いことをしてない。生活保護を請求して、当然。社会は、生活保護費を負担して当然。

いじめられて、引きこもりになり、生活保護を受け取るようになった人のことを悪く言う人たちがいるけど、こういう人たちのほうが、悪い。なぜなら、彼らは、いじめられたほうの責任を追及して、いじめたほうの責任を追及しないからだ。これは、不当に被害者の責任を追及していることになる。なので、そういう悪いことを言う人たちのことはまったく気しないで、生活保護を受けるということが正しい。

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いじめの程度はじつは問題だ。だから、ほんとうは、いじめられた人が、生活保護を請求するのは、当然だというのは、場合による。しかし、もし、いじめと言われているものが、犯罪なのであれば、当然、犯罪を放置した社会に責任がある。なので、そういう場合は、社会が責任をとって、生活保護を支給するべき。 

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まあ、生きていればいいというものでもないけど、社会に対する責任追及をして、生きようとするのは、少なくても間違いじゃない。なので、いじめられて、結果的に引きこもりになり、引きこもりになった結果、たいへん働きにくい状態になった人は、生活保護を請求するべきである。

いじめられた人の自己責任だと、いじめられた人を悪く言っている人は、自分が悪いことをしているということに気がついてない。しかし、責任がない人に対して、責任を追及するのは間違っている。なので、いじめられたことがきっかけになって、生活ができなくなった人は、自己責任論者の言うことを、気にするべきではない。

だいたい、こういう自己責任論者は、たいていの場合「自分の問題と他人の問題を切り分けるべきだ」と考えるようなアドラー心理学に親和的だ。なので、自分の問題と他人の問題を切り分けて、自己責任論者が言うことを無視するのが正しい態度だ。

言い換える必要があるか? ともかく、自己責任論者は、過剰に、被害者の責任を追及している。なので、被害者は、自己責任論者の言うことを、気にする必要がない。自己責任論者は、自分に関係がないことに口出しをしているにすぎない。

ぼくも、自分に関係がないことに口出しをしているけど、それは、ぼくが自己責任論者ではないからである。ぼくの場合は、矛盾がない。

しかし、もし、自己責任論者が、普段は、他人の問題と自分の問題を切り分けているのであれば、自己責任論者は、矛盾した行動をしていることになるので、そういう行動をつつしむべきである。

だいたい、すべては自分の責任であるという意味で、自己責任論を語っている人なのであれば、生活保護という制度を維持している社会に住んでいるのは、(その人の)自己責任なのである。

さらに、自己責任という理論を展開するのであれば、違法な生活保護受給者がいるということに関しても、「その人の責任」なのである。「その人の責任」というのは、この場合、「その自己責任論者の責任」だということだ。「すべては自己責任」なのだから、違法な生活保護受給者がいる社会に住んでいるということに関しても、「すべてが、自己責任」だと言っている人の責任だ。

もし、不正受給者がいることで、本人(自己責任論者)がなんらかの被害をこうむるというのであれば、それも、本人(自己責任論者)の責任である。他人がなにかをすることによって、本人が「損」をするにしても、それは、本人(自己責任論者)の責任だ。なぜなら、「すべては自分の責任」だからだ。他人がやることによって、自分が損をしたとしても、それは、自分の責任なのである。

もし、そうでなければ、すべては自己責任という意味での自己責任論が成り立たないことになる。もちろん、本人の範囲においてはという条件がつく。この場合の「本人」というのは、その自己責任論者のことを意味している。

 


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。