2020年12月23日水曜日

自己責任論について


もう、これは、前に書いたので、単純にまとめておくだけにする。
自己責任論には三種類の自己責任論がある。

ひとつ目は、自己責任の範囲を自分自身に限定したものだ。『すべては自己責任』と言っている場合は、もちろん、どんなことであれ、自分の身に生じたことは、自分の責任だということになる。
これを、(1)対象を自分に限った自己責任ということにしよう。

ふたつ目は、自己責任の範囲を、他者に限定したものだ。『すべて自己責任』と言っている場合は、もちろん、どんなことであれ、その他者の責任だというとになる。その他者の自己責任なのである。
これを、(2)他者に限った自己責任論ということにしよう。

みっつ目は、自己責任の範囲を、自分と他者の両方に拡張したものだ。しかし、これは、(2)の自己責任論者が言い逃れのために用意しているような自己責任論なので、実質的には、(2)の自己責任論とおなじだ。なので、基本的には(1)と(2)の違いについて説明することにする。

(1)の自己責任論者の自己責任は、いちおう、すじが通っている。通りすぎていると言っても過言ではない。

 

もしかりに、AさんとBさんがいたとする。Aさんが(1)の自己責任論者だとする。Bさんは、いろいろなことに不満を抱えている人だとする。

ある日、Aさんが、自分の会社に行くためにいつも通る道を通っていたとする。そのとき、Bさんがナイフを持ってAさんに切りかかったとする。このような場合、普通は、Bさんの行為によって、Aさんが傷ついたと解釈するだろう。

けど、Aさんはちがう。Aさんは、Bさんの責任を追及せず、自分の責任だと思うのである。これが、本来の意味での「自己責任」だ。その時間にその通りを歩いていた自分に責任がある。Bさんの行動に気がつかずに、刺されてしまった自分に責任がある……とAさんは考えるのだ。

自分の身に生じたことは、すべて、自己責任なので、自己責任論者のAさんはそのように考えるのである。

(2)の自己責任論者の自己責任は、すじが通ってない。

かりに、(2)の自己責任論者をCさんとする。その場合、Cさんは、刺したほうのBさんの責任は追及せず、刺されたAさんの責任を追及するのである。

Cさんは、まったく自分に関係がない、Aさんの責任を追及する。この感覚はかなりおかしいと私は思うが、いまでは、(2)の自己責任論がまかり通っているので、Cさんの「もののみかた」はおかしくないと思う人が多数いると思われる。

ちょっと話をかえて、CさんがBさんに刺されたとする。この場合、Cさんは、自分がBさんに刺されたのは自己責任だと思うことができるだろうか?

おそらく、Cさんは、自分を刺したBさんの責任を追及するのではないだろうか。

まあ、それは、実際にCさんが刺されてみないとわからないけど、まったく無関係なAさんの責任を追及するという態度から考えて、自分に被害を及ぼしたBさんの責任を追及しないとは考えにくい。

自分になんの被害も及ぼしてないAさんの責任を追及する人が、自分に被害を及ぼすことになったBさんの責任を追及しないというのは、なにか不自然だと思われるのである。

まあ、刺されたとたんに、「このやろう、ふざけんなぁ」と思うだろう……Cさんは。Cさんはそういう「性格」なので、刺されたとき「すべては、自己責任だ」と思わないと思う。

Cさんは、Aさんの責任を追及しているという意味で、過剰に人のせいにしがちな人なのである。Cさんは、他人をせめやすい人なのである。
Aさんに対して自己責任だと言うのは、ある種、いじめの延長なのではないかと思う。Cさんは、自己責任論というかくれみのにかくれて、Aさんを攻撃してやりたいのである。Cさんは、自分では気がつかないかもしれないけど、人をいじめてよろこぶような性格傾向があると思っていい。

もし、Cさんが会社にいるなら、上の者にはごまをすって、下の者には圧力をかける性格だろうと思う。ようするに、強いものにはへつらい、弱いものには、威張る性格なのではないかと思う。

Cさんは、(1)のタイプの自己責任論者とは違って、人をせめることに快感を感じるタイプだと思う。Cさんのような人は他人にケチをつけがちだと思う。そういう性格傾向が、実際には自分に関係がないAさんをせめるということに、あらわれている。

実際には自分に関係がないAさんをせめるのは、「弱っている人がいたら」攻撃してやろうと思っている性格のあらわれだ。「弱っている人がいたら」攻撃してやろうと思っている人が、本来の意味での自己責任論者のように謙虚な人だとは思えない。

「すべては自己責任」という言葉が同じでも、その言葉が向けられる対象が、自分なのか? 他人なのか? で言っていること全体が真逆になってしまうのである。

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わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。