2021年9月1日水曜日

疲弊のなかで感情が削られていく。

 もう、まるまるたい。はぁーー。

きちがい親父が、魚を出しっぱなしにしなかったら……。

きちがい親父が、ネズミ対策工事に賛成してくれたら……。

ネズミが関心を持つ家と、関心をもたない家があるのだ。ネズミが関心をもたない家は、穴があっても、五0年間ずっと、一匹も、ネズミが入らないという状態を維持できる。しかし、酒糟がついたマグロの切り身をずっと、一日に二三(にじゅうさん)時間、皿にのせて出しておくということを、した場合、ネズミが関心を持つ家になる。一日に二三(にじゅうさん)時間、ほこりがつくのに、皿にのせて出しておくということにこだわるきちがい。絶対にやめてくれない。これ、兄貴のヘビメタ騒音とおなじなのである。一日に二三(にじゅうさん)時間ぐらい、皿にのせて出しておくというを、一日だけやっても効果はないし、そもそも、家に穴があいてなければ、ネズミは入ってこない。しかし、それをやった。だいたい、六〇日ぐらいやっている。で、ネズミが入ってくるようになった。そのあと、ネズミシートで捕まえるやり方にこだわって……。

ともかく、俺は、まるまるたい。疲弊と幸福感について考えなければならないのだ。どうして、幸福感ということを考えているときは、幸福感ばかりに目がいって「どんなにつかれていても」というような話になってしまうのか? どれだけつらいことがあっても……なんて話になる。けど、それは、もう、幸福感について話すということになっているから、そういう意見に傾く。しかし、現実の疲弊というのは、幸福感に影響を与える。何度も言うけど、繰り返しが重要なのだ。ほんとうに、「疲弊」の「疲弊」がちがう。「困難」の「困難」がちがうと言いたくなる。まあ、言ったって、ボンボンやお嬢様にはわからない。ボンボンやお嬢様が経験してきた範囲内の「疲弊」や「困難」しか考えることができないからだ。実際には、疲弊は幸福感に大きな影響をもたらす。その人の疲弊は、その人の幸福感に大きな影響をもたらす。それは、けっして、「どれだけ疲弊しても……」というような言葉ではくつがえすことができないことだ。さらに、疲弊しきった人が、ほかの人に親切にしても、幸福にはならないのである。幸福感も生じないのである。疲弊のなかで感情が削られていく。

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 ダニに刺されまくり。きちがい親父がダニになって、俺を刺している。きちがい親父が……。きちがい親父が……。

まあ、きちがい親父がダニになって俺を刺しているわけではないけど、きちがい親父が残した負の遺産なんだよ。負の遺産がでかすぎる。どこまでもどこまでも続く。だいたい、俺は引っ越すと思うけど、ここにあるものを持っていくと、引っ越した先でダニが発生するかもしれない。

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ネズミの糞が転がっている家具を、業者の人に持って行ってもらったんだけど……。業者の人には感謝の言葉しかない。 業者の人もたぶんダニに刺されたと思う。バルサンをたいたいのだけど、だめだった。ひとつ失敗をしている。失敗をしなくても、重なり合ったところには、ガスがとどきにくい。それから、けっきょく、居間にも穴があったのだから、そこから、ガスが逃げてしまう。

節分で豆をまいたような状態だ。黒いネズミの糞が、いっぱいころがっている。じつは、掃除機をかけてしまった。バルサンをたいたあとなら、だいじょうぶだと、別の業者の人から聞いたことがあったので、そうしたのだけど、まずかった。ダニをまき散らしたことになった。けど、あれは、別に掃除機をいじらなくても、ダニに刺されまくると思う。もう一回、今度は、壁の穴をふさいで、バルサンをたこうと思う。風呂場もやりたかったから、風呂場のドアを開けてしまった。風呂場には通気口があるので、そこからガスが逃げたのだと思う。

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けど、ダニ対処をするにしろ、きちがい兄貴の騒音がこたえるんだよ。今もそうなんだよ。どれだけ、体調がおかしいか。睡眠障害でめちゃくちゃなんだよ。前の日の夜に起きて、業者の人に対応することになる。バルサンをたくとき、ホテルに泊まったんだけど、「俺の自制なんなんだ」と思って、死にそうになった。ほかの人にはわからないだろうけど、ヘビメタ騒音と「今日の疲労」が一直線につながっている。ヘビメタ騒音と「今日の睡眠障害」は一直線につながっている。ヘビメタ騒音と、「ネズミが出るような家に親父と住んでいなければならなかったこと」は一直線につながっている。ヘビメタ騒音、数千日の繰り返しで、働けなくなった。きちがい親父が死んでも、ネズミの進撃がとまるわけではない。これが、わかる人が少ない。俺だって、こんなのわからなかった。ネズミは、ネズミにとって重要な食べ物がなければ入ってこないのだと思った。けど、ちがう。ネズミの小便のにおい、ネズミの糞のにおいに反応しているとしか思えない。ともかく、プラスチックのパイプを食いやばって入ってくる。五〇年間、パイプを通って、床下には入れる状態でも、五〇年間、ネズミは入ってこなかった。五一年目に、きちがい親父が、餌付けをしてから、このパイプを通って床下に、ネズミが入るようになった。もともとは、ちがう穴から入っていたのだけど、ある日、ここからも入れるということをネズミが発見したのである。で、俺がこのパイプの穴の部分を、幅の広いビニールテープでふさいだのだけど、ビニールテープを破って入ってきた。で、ビニールテープを貼りなおして、まわりにパテをつけたのだけど、パイプの横を食い破って入ってきた、三角形のヒビを入れて、入ってきた。もともとあるパイプの穴ではなくて、パイプの横に穴を開けて入ってきた。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。