2021年9月25日土曜日

非合理的な思考にとらわれて、できるはずの努力をしないから、だめなのだ……

 手短に言うと、もっている人たちは、もっていない人の状態がわからない。また、人間はどうしても、自分が普通だと考えてしまうので、もっている人たちは、もっているのが普通だと思ってしまう。

なので、じつは「もってない」人に対しても、「もっている」という前提でものを言ってしまう。

物理的なものだと、「もってない」ということや「もっている」ということは、比較的に言ってわかりやすい。しかし、物理的なものに関しても、「もってないなら、もてるようにすればいい」というようなことを言うことができる。

もちまえの?ポジティブ思考や認知療法的な意味での合理主義にこだわっていると、どうしても、そういうことを言いがちになる。

しかし、これもまた、「もってない」ということがわかってないという場合がある。

どういうことか?

たとえば、「パンがないなら、パンをつくればいい」「ケーキがないなら、ケーキをつくればいい」ということを、ポジティブな人が言ったとする。その発言だけは、あっている。

けど、小麦粉やほかの材料がないという状態だと、「つくれない」のだ。「もっている」人は、こまっている人が「小麦粉やほかの材料をもってない」ということがわかってない。

けど、「小麦粉やほかの材料がない」というとを聞いたポジティブな人は「小麦粉がないなら、小麦粉をつくればいい」「ほかの材料がないら、ほかの材料をつくればいい」とか「小麦粉やほかの材料がないなら、小麦粉やほかの材料を買えるだけのお金をつくればいい(稼げばいい)」ということ言いたくなってしまうのだ。

……ポジティブ思考にとらわれているとそういうことを、「相手の状態を考えないで」言いたくなってしまうのだ。しかし、相手の状態というのは、小麦粉やほかの材料をつくることができない状態であり、また、小麦粉やほかの材料を買うためのお金を稼げない状態であり、さらにまた、小麦粉やほかの材料がそもそも、売ってないという状態なのだ。

マリーアントワネット庶民の関係では、マリーアントワネットが絶対的少数派、庶民が絶対的な多数派だった。

だから、「マリーアントワネットは、(自分たちの状態を)まったわかってない」という考えを、庶民が共有できたのだ。しかし、もっているほうが多数派で、もってないほうが少数派だったらどうなるか。

多数派には、少数派が、「どーーしょうもないことを言っている」ようにしか聞こえない。多数派には、少数派が、「非合理的でネガティブなことを言っている」ようにしか聞こえない。

そうなってしまう。

「どうして、ないならないで、つくろうとしないのか?」「どうしてないならないで、それを買うお金をつくろうとしないのか?」という意見が、社会的に見て、正しいことのように思えてしまう。どうしてなら、多数決の世界だからだ。

「状態」がわからなければ、わからないことがある。「状況」がわからなければ、見えないことがある。どういう状態や状況で、ものがないのかということがわかってないと、ものがないということに関しても、まとはずれな発言をしてしまうのだ。

暗黙知のように、判断の背後には、無数の状況に対する理解が存在している。どうして、お金を稼ぐことができないと判断しているのか、どうして、お金あってもものを買うことができないと判断しているのか……そういうことが、わかっている人は、わかっているのだけど、わかってない人にはわからないのだ。

わかっている人は、そういう主張をしている本人たちだ。わかってない人は、そういう主張を聞かされた人たちだ。わかってない人たちは、そういう主張を聞かされると、状態や状況を無視して、自分にとって正しいことを助言してしまう。

「まるまるすればいい」と言ってしまう。

しかし、助言をしたほうは、悩みごとについて発言したほうの状態や状況がただ単に、わかってないだけのなかもしれない。助言をしたほうは、悩みごとについて発言をしたほうの「背後にある条件」が理解できてないだけかもしれない。

しかし、理解できてないということを、ポジティブ思考にとらわれている人が認めるだろうか。

ぼくは、ポジティブ思考にとらわれている人が、「自分は相手の条件、状態、状況を理解してないので、非合理的なまちがった助言をしている」ということを認める可能性は、きわめて、小さいと思う。可能性という言葉に関しては「ひくい」のほうがより適切なのだけど、わざと「ちいさい」という言葉を使うことにした。

……ちいさい。

しかし、社会において多数派がそういう人間たちで構成されているなら、それで押し通すことができる。「悩みごとについて発言したほうが、非合理的な思考にとらわれて、できるはずの努力をしないから、だめなのだ」と考えることができる。多数派なら、理解をしないまま、そういう主張を押し通すことができる。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。