2021年9月30日木曜日

具体的な行為と抽象化の問題(現実の場面における具体的な行為と言葉による抽象化の問題)

「(人に)親切にすれば、しあわせになる」……こういうレベルのことを、正しいと思ってしまう人ばかりなのか? 親切にするということはどういうことなのか?ということについて考えないのか?

たぶんこういうことを言う人たちは、恵まれすぎて、恵まれてない人のことがぜんぜんわからない人だと思う。こういう言葉が、すでに、ボロボロにされている人を、どれだけ追い込むかわかってない。すでに困っている人を、どれだけ追い込むかわかってない。

抽象性ということについては、後でもうちょっと詳しく説明するかもしれない。親切にするというのは、この世の具体的な行為を離れた抽象的な親切にするような行為なのである。しあわせになるという言葉も、じつは、この世の誰かが、このようにしあわせになるということを離れた、抽象的な言葉なのである。本当は、この世に何一つ対応しているものがないのである。それは、リンゴという言葉によってしめされる抽象的なりんごは、この世のどのリンゴとも一致してないということに似ている。しかし、リンゴのように具体的なものではなくて、親切にするというような、そもそもが抽象的な概念なのである。あるいは、しあわせになるというような抽象的な概念なのである。なので、抽象度がリンゴというような物質よりもあがっている。

個々の具体的な場面がなければ、親切にするも、しあわせになる」もないのである。そして、ここの具体的な場面における「親切にする」というのは、抽象的な「親切にする」とは一致してないし、ほかの場面における「親切にする」とも、一致してないのである。おなじことが「しあわせになる」ということにも成り立つ。このことは、個々の具体的な場面における「しあわせになった」というような感想や感覚が、じつは唯一無二であるということを示している。完全にユニークな知覚、感覚、認知、認識なのである。個々の具体的な知覚、感覚、認知、認識を離れた、抽象的な「しあわせになる」ということは、どこにも存在しない。

なので、抽象性の問題を含んでいる。あるいは、抽象化してしまったときに生じる問題を含んでいる。


問題なのは、言葉の抽象性だけではない。

親切にすれば、しあわせになるという関係性の問題なのである。個々の具体的な親切から離れた抽象的な親切行為をおこなうと、ここの具体的なしあわせから離れた抽象的なしあわせが現実化されるということなのである。これは、XをすればYになるということだから、100%そうなるということを言っているのである。さらに、Xが原因でYになると言っているのである。これも、100%の因果関係が成り立つということを言っているのである。抽象的な「親切」と抽象的な「しあわせになる」ということのあいだに、100%の因果関係が成り立っているということを示す文なのだ。

しかし、そんなことは、ない。現実の世界において、なにをもってして、親切行為かとする問題を捨象しても、100%の因果関係などはない。これは、もう、言っている人がどういうことを言っているのか理解してないとしか言いようがない。

たぶん、言葉と具体的な行為について考えたことがないのだろう。人間にかかわる具体的な行為を、親切にするという言葉で抽象化し、人間にかかわる具体的な状態を、しあわせになるという言葉で抽象化し、言葉同士(両方の言葉)の因果関係を100%の確率で言いきってしまう……。これがどういうことだかわかっているのだろうか? こういう人たちは、具体的な場面での親切というものを考えていない。抽象化したレベルの「親切にする」ということと、具体的な場面での「親切にする」ということの、区別をしてない。具体的な場面での「親切にする」も、頭の中ですぐに抽象化してしまうのである。具体的な場面の「親切にする」ということがそこでしか成り立たない唯一無二の現象だということに気がついていない。

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抽象的なリンゴは(現実世界においては)どこにも存在しないという問題に似ている問題。けど、もっとずっと複雑。どうしてなら、リンゴというような物質ではないから。もともとが抽象概念。さらに、言葉同士の『100%の関連性』が成り立つと言ってしまう問題。XをすればYになるという命題を考えたとき、例外なく100%成り立つということを言っているということになってしまう。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。