2021年9月17日金曜日

なんで、頭に癖がある人の人権は気にするのに、頭に癖がある人にやられた人の人権は、気にしないのか?


善人によって構成されている村のようなものを想像しているんだよな。幸福論について語っている人は……。けど、実際には、悪人がいる。悪人が、悪いことをしているつもりがないまま、悪いことをする。そういう場合、やられたほうは、幸福にならない。悪人と言ったけど、たとえば、子供を虐待する親は悪人だろうか? 本人は、自分のことを悪人だと思っているだろうか? 本人は、悪いことをしていると思っているだろうか? これに関しては、悪いことをしていると思っているという場合もあると思うけど、悪いことをしていないと思っている場合もあると思う。息をするように、ごく自然に、きちがい行為をする。きちがい行為を押し付ける。


相手が、家族として存在しているだけで、きちがい的な理由をつけて怒り狂う。


けど、本人は別に悪いことをしているつもりがない。どれだけ言われたって、悪いことをしているということを認めない。……どれだけ言われたって、そのときはそのときで、怒り狂って反対語を叫んで認めない。怒り狂ったあとは、関係がない人になってしまう。本人の意識のなかで関係がない人になってしまう。これは、どういうことかというと、怒り狂ったあと、反省しないで、やり続けるのである。しかも、やったつもりがないということになっている。やった認識というのは発生しないのである。けど、きちがい的な意地で繰り返し、やる。こういう人のことを、頭に癖がある人と言うことにしよう。頭に癖がある人がやったことは、頭に癖があるのだから仕方がないということが言えるだろうか? ぼくは、言えないと思う。なんで、頭に癖がある人の人権は気にするのに、頭に癖がある人にやられた人の人権は、気にしないのか? こういう不公平な態度をとる第三者というのが、いる。


けど、この不公平な第三者は、頭の癖がある人にやられたことがない人には、公平な第三者にうつってしまう。頭に癖がある人が、たまたま、一回だけあったことがある人なら、それでもいいだろう。けど、頭に癖がある人が、自分の親で、毎日、頭がおかしいことをやったらどうなるか?  頭に癖がある人が自分の兄で、毎日、迷惑行為をしたらどうなるか? 自分の人生を破壊するような迷惑行為をしたらどうなかる? 到底たえることができない騒音を毎日毎日、毎時間、毎時間鳴らすことにこだわってこだわって、実際に毎日毎日、毎時間、毎時間、鳴らしたらどうなかる? 「頭に癖があるからしょうがない」と思うことができるのか? 自分の人生がその行為で破壊されているのに「頭に癖があるからしょうがない」と思えるのか?




いろいろ書いているうちに、すっかり話がずれちゃったなぁ。ともかく、善人で構成されているわけではないのに、あたかも、善人で構成されてるような社会を想像してものを言うのはよくないのではないかと思うのである。


そりゃ、善人ばかりの村で、善人が善人に親切にしてやれば、しあわせを感じることができるかもしれないけど、実際には、善人ばかりの村ではないのだから、しあわせを感じることができないことだってある。どうして、そういうことを無視してしまうのか?


それは、マリーアントワネットが、「パンがないという現実」や「ケーキがないという現実」を無視したこととおなじことだ。だれにとってパンがないかというと民衆にとってパンがなかった。マリーアントワネットにとっては、パンはあった。だれにとってケーキがないかというと民衆にとってケーキがなかった。マリーアントワネットにとっては、ケーキはあった。


幸福論を語る人は、「悪人がいる」という現実を無視してしまっている。自分にとっては「悪人はいない」のだろう。しかし、ほかの人間にとっては、「悪人がいる」場合もある。さらに、悪人が家族である場合もあるのだ。こういう、世界なのに……。こういう村なのに……悪人があたかもいないような村で成り立つような幸福論を語っている。

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まあ、村と書いたけど、社会でもいいよ。

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本当に、ものすごい音でヘビメタが鳴ってたな。いまの時間、ヘビメタが鳴ってた。どれだけ言ってもやめてくれなかった。ずっと、午後一一時までやられてしまう。そりゃ、まるまるしたくなる。連続がくるしい。音が鳴っている状態がずっと続くからつらい。勉強なんてとてもじゃないけど、できない。勉強だけではなくて、本を読むことだってできなくなる。眠ることだってできない。ヘビメタが鳴っているあいだじゅう、眠って、ヘビメタが鳴り終わったら起きて、勉強をするということを考えたことがあったけど、無理だった。けど、これは、実際にやってみたら無理だったということがわかったわけで、ほかの人は、無理だとは思ってない。やられてないから、わからない。実際にどういう状態になるか?なんて、実際にやられないとわからない。本人が、本当に、きちがい兄貴の横の部屋で経験しないとわからない。一時間だけ、きちがい兄貴の横の部屋にいるだけでは、わからない。一三(じゅうさん)時間、鳴らされた場合の、からだの状態なんてわからない。どれだけ、眠れくなるかわからない。グロッキーで疲れはてているのに、眠れなくなる。九割がた眠たいのに、残りの一割が激しく抵抗して、どーしてもねむれなくなる。どーーしても眠れない時間、どういう気持ちになるか、やられてない人にはわからない。どういうからだの状態で眠れなくなるのか、やられてない人にはまったく、わからない。そうなると、まるまるしたくなる理由もわからないということになる。

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わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。