あいかわらず、不愉快なことを思い出して、もだえてくるしんでいる。もう、つかれたなぁ。きちがい親父にやられると、いろいろと、へんなリフレクションがあるんだよ。これも、そのうちのひとつだ。けど、こんなことをどれだけ言っても、他人はわからない。
きちがい的な親にたたられたことがない人は、たとえば、なぐられたなら、なぐられたということなんだな。なぐられるという恐怖が生じたんだな……というようなことしか考えない。きちがい的な親のほうに、認知的なずれがある場合のことは、まったくわかってない。単純に、直線的に考えるだけなんだよな。認知的なずれがあるということは、無意識的な問題があるということだ。無意識的な問題は、じつは、善悪の基準に関係しているし、親のほうが……やる側のほうがきちがい的な衝動で動いていると、矛盾がしょうじるのである。ようするに、きちがい的な親がやっていることと、きちがい的な親がやったと認知しているもの、あるいは、感覚しているものとのあいだに、矛盾が生じてしまうのである。それを、「ひきうける」のは、やられたほうなのである。善悪の基準は、そのまま「どれだけ気にするか」ということにつながっているんだよ。そして、「やったってやってない」という態度はリフレクションをうむ。どうしたって、そうなる。