2022年12月24日土曜日

中立的な状態

 たとえば、水温1度の水につかっていながら「あったかいあったかい」と言ったとしよう。あったかくなるかというと、あったかくならない。強がりを言っていることになる。現実を無視していることになる。それだけだ。「あったかいあったかい」と言えばあったかく感じるというような言霊理論は、中立的な立場でやれば、『そんな感じもするかもしれない』といったことだ。そういうレベルの強さしかないのである。36度のぬるま湯につかって、「あったかいあったかい」と言ったら、あったかく感じた……かもしれないという程度のことだ。そして、たとえば、そういう実験に参加しているなら「あったかく感じた」と答えたほうがいいのかな?と思ってしまう部分がある。そういう部分をなるべく削除するように実験を構成するのだけど、そういう部分を削除できるかどうかというと、かなりあやしい。ようするに、「正直にこたえてください」と言ってもむだだ。そして、たとえば「あたたかく感じたと答える必要はありません」と言った場合は、逆の指示をしてしまうことになるのである。いずれにせよ、人間が普通に行う「はいりょ」を完全に削除することはむずかしい。そういうことを考えないとしよう。けど、中立的な状態であることにはかわりがないのである。あったかく感じるかもしれないし、ぬるいと感じるかもしれないという微妙な状態なのである。たとえば、「楽しい」と言えば楽しく感じるかどうかということに関しても、つまらないかもしれないけど、すくなくても、くるしくはないという中立的な状態なのである。たとえば、ヘビメタ騒音がきらいな人が、ヘビメタ騒音を爆音で聞かされながら「たのしいたのしい」と言ったら、楽しく感じるかどうかを調べているわけではないのである。そして、実験室というのは、実験が終われば解放される場所なのである。その人が不快だと感じる音を、耳が悪く様な爆音で聞かせて、それを、強制的に、十何年も毎日繰り返したらどうなるかということを調べているわけではないのである。そういうふうに、人生に影響をあたえるような実験は、人道的な立場から、否定されているのである。やってはいけない実験なのである。だから、きちがいヘビメタが鳴っている……爆音で鳴っているというような状態で調べたわけではないのだ。不快な音が鳴っているとしても、実験後もそのひとのメンタルが破壊されるようなレベルで実験するわけにはいかないのだ。ようするに、日常とは、かけ離れた状態で実験をしているのである。それなのに、たとえば、楽しい楽しいと言ってもらって、楽しいといったときは、楽しいといわなかったときよりも、楽しいと感じたかどうかということを、質問する。口頭で質問するときもあれば、印刷された質問を読んでこたえてもらうというときもあるだろう。こういうのも、じつは、「配慮」に影響をあたえるかもしれない。けど、それは、無視しておこう。ようするに、中立的な状態で、日常生活に影響をあたえないという前提のもとに、おこなわれた実験の結果を、中立的ではない日常生活の問題に適応していいのかどうかという問題がある。これに関して、言っておくと、適応してはいけないということになる。ところが、「心理学の実験で確かめられたことだ」というようこなとが、一人歩きをしてしまうのである。たとえば、「楽しい楽しいと言えば、楽しく感じる」……これは、宇宙をつらぬく絶対法則だということになってしまうのである……あんまり、いろいろなことを考えない、単純な人の頭のなかでは、宇宙をつらぬく絶対法則になってしまう。その場合、だれか「他人」に対しても、絶対法則なので成り立つと思ってしまうところがある。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。