2022年12月14日水曜日

 基本、つまらない。感情が、死ぬ。

 基本、つまらない。感情が、死ぬ。

きちがいヘビメタがはじまって、いろいろとこまったことがあったけど、そのうちのなかで、一番こまったことは、感情が死ぬということだ。繰り返しで、そうなる。ところが、繰り返しでそうなるということがわかってない人が、いろいろなことを言ってくる。この人たちは、ヘビメタ騒音の影響を無視している。ヘビメタ騒音の影響を無視する人たちは、基本的に言って、「私はオッケーだが、あなたはオッケーではない」というタイプの交流をしようとする人たちなので、やられたこっちは、不愉快になる。そいつらがオッケーなのは、きちがいヘビメタ騒音にやられてないからだ。毎日、十一歳から、きちがいヘビメタ騒音が続くということがなかったからだ。そういうことを、経験しない人が、影響を推し量り、無視して、助言してくる。その助言は、役に立たないことなのである。けど、役に立たないということを言ってしまうと、その人たちは、傷つく。さらに、攻撃的になる。そして、ぼくが無職なら、無職で、相手は、目下の人間だと思うわけだ。おとっている人間だと思っているのである。それも、ようするに、ヘビメタ騒音の連続で、働けないからだになったということなのに、それが、……ヘビメタ騒音の影響を無視するからわからない。あったときに、こちらが無職であれば、無職であるということは「所与の条件」なのである。

ともかく、いろいろとつみかさなるのだけど、感情が死ぬ。感情が死んでいく。そうなると、反応速度が遅くなるのである。反応が鈍くなるのである。それも、ヘビメタ騒音の影響なのに、こいつらは、わからない。俺が、ヘビメタ騒音の影響だといっても、ヘビメタ騒音を俺と同じ時間の長さ、俺とおなじ期間の長さ、経験した人じゃないと、影響のでかさがわからないのである。「そんなことで、覆せるものではない」ということが、根本的わかってない。ヘビメタ騒音のなかで「だいじょうぶだ、だいじょうぶだ」となんか言っても、だいじょうぶじゃないのである。だいじょうぶにならないのである。ヘビメタ騒音にやられて、元気がない状態で「元気だ。元気だ」と言っても元気にならないのである。きちがいヘビメタが、ものすごい音で鳴っている状態が、まるでわかってないんだよな。きちがい兄貴の大都がまるでわかってないんだよな。きちがいヘビメタがずっと鳴ってた日の次の日、どれだけ、つかれはてている状態で動いているのか、まったくわかってないんだよな。きちがい兄貴だって、わかってないけどね。これ、きちがい兄貴にどれだけ言っても、きちがい親父のように無視して、わからないままなんだよな。けど、きちがい兄貴の感覚やきちがい兄貴の態度全体というのは、いっしょに住んでいる人しかわからない。そして、ヘビメタ騒音が、どれだけ影響をあたえるか、やられてない人はわからない。ヘビメタ騒音が鳴っている時間だけではなくて、ヘビメタ騒音が鳴っていない時間に、どれだけの影響をあたえるか、まったくわかってない。で、それは、言わないからわからないのではなくて、ぼくが言っても、わからないのである。その人に、ぼくとおなじ経験がないとわからない。一日のなかでどれだけこたえるか、わからない。人生のなかで、どれだけの影響があるかわらない。そいつらはみんな「鳴り終わったら」「影響もきえる」と思っている。ぜんぜんちがうのに、わかってない。これも、どれだけ説明しても、実際にぼくのからだで経験した人じゃないとわからないところがあるんだよ。そういうことをぬいたとしても、想像力がないやつらだなとは、思うけど。そういう、想像力がないやつらに、自動的にぼくが!ばかにされる。ヘビメタ騒音というのは、そういう騒音だ。ヘビメタ騒音の「効果のひとつ」にそういうものがある。かならず、誤解をされるのである。誤解の素をつくっているのは、きちがい兄貴だ。ぼくは、ハンダゴテ事件について書いたけど、ハンダゴテ事件は、きちがい兄貴ときちがい親父のあいだに起こったことだ。けど、しくみが、まったく同じなのである。きちがい兄貴にわかりやすいように、きちがい兄貴が「やられるがわ」のケースを説明したのだけど、きちがい兄貴は、きちがい兄貴が「やるがわ」である以上、理解しない。同じ理屈が成り立っている。おなじ脳みそのしくみが成り立っている。きちがい親父ときちがい兄貴でおなじなんだよ。で、きちがい的な家族がやることに関しては、普通の人は、「みんな」誤解をする。誤解をするんだよ。きちがい家族にやられたことがない人は、「みんな」誤解をする。だから、「やられたほう」が板挟みになる。そういう構造も、ずっとずっとおなじだ。心理学の専門家を名のるやつも含めて、みんな、誤解をしている。単純、単細胞。単純理解。まちがっているのに、まちがっていることに気がついてない。そんな、直線的な理解でわかるはずがない。「いっぽんせんのりかい」なんだよ。きちがい家族にやられてない人は、きちがい家族がやったことに関しても、きちがい家族ときちがいではない家族のあいだに起こったことも、「いっぽんせん」で理解してしまう。これ、わかる? わからないだろうなぁ~~。わかるわけがない。

ともかく、騒音の繰り返しで、感情が死ぬ。その場合、ヘビメタ騒音を経験してない人が言う、助言というのはまったく意味をなさない。むだどころか有害。そして、そういう「こうりゅう」がまた、「この世はめんどうくさい」とか「この世はいやだな」とか「他人はいやだな」という認識をうみだすのである。だから、きちがい家族に、しつこくしつこく、やられた人は、この世で、生きにくくなる。きちがい家族にやられたことがない人が「この世の生きがたさ」について語って、なおかつ、きちがい家族にやられたことがある人のことに関しては、ごく自然に誤解をしやがるからなぁ。わかる? 佐藤(仮名)。単純。単純すぎる。佐藤さんはまるでわかってない。単純すぎる。理解のしかたが「一直線」。「いっぽんせんのりかい」。そういうレベル。そういう理解度。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。