2022年12月15日木曜日

せめたてられて、もう、全力疾走をしているような状態なのである

からだの感覚として「騒音につけこまれている」ときの感覚がある。それは、どうも、普通の騒音をうるさいと思っているときとはちがうのである。ぜんぜん、ちがう。はっきり断言できる。ぜんぜんちがう。もちろん、きちがい兄貴の態度で鳴らす、きちがい兄貴のヘビメタ騒音のほうがひどい。悪質だ。あの音圧。勉強なんてできるわけがない。だれもが、あの音のなかで勉強することはできない。ヘビメタがきらいではない人は、自分がきらいな音が鳴っている状態を思い浮かべてくれ。だれだって、苦手な音がある。その苦手な音が、あの音圧で、壁のすぐ後ろで、がんがん鳴っている。これ、「勉強はできるけど、するかしないかまよう」と言うことではないのである。「勉強はできない」。どれだけやろうと思ってもできない。宿題ですらできない。発狂して、自殺したいような状態になっている。パニックだ。発狂して、きちがい兄貴を、ぶっ殺してやりたい状態になっている。パニックだ。音がその気持ちを激しく、生成して、ゆさぶる。きちがいの音が、激しく攻め立てる。せめたてられて、もう、全力疾走をしているような状態なのである。パニックで……。そういう状態で、何時間もすごして、いいわけがない。これは、ただ単に「勉強ができない」という問題ではない。そういう問題ではない。もちろん、そういう部分を含んでいる。けど、「鳴っているときだけ勉強ができない」からこまっているという問題ではない。

そして、朝は……次の日の朝は、からだの状態としてすごくだるいのである。猛烈にだるいのである。「体の状態として死にたい状態なのである」。そういう思いをして何千日も我慢して暮らしてきた俺に対して、まったくそういうことを経験しなかったやつが「あまえている」と言うのだ。こいつは、ゆるさない。ゆるせない。

そして、全体的には、不活性になるのである。憂鬱な気分になるのである。どれだけから元気を出しても、憂鬱な顔になってしまうのである。生気がなくなるのである。6年間毎日続いたら……きちがい家族によって鳴らされているきちがいヘビメタが入試の日も含めて六年間毎日続いたら、やはり、憂鬱な顔になるのである。そのとき、作り笑いをして、明るく振舞えばいいことがあるかというとないのである。つかれはてている。死にたい気持ちだ。これ、ニコニコ教団の人はまったくわかってない。ほんとうに、ふざけるなと言ってやりたい。俺は、ぼろくそにおこっいてるんだぞ。兄貴も、ニコニコ教団員にも怒っている。怒っている。これ、ほんとうに、どれだけめちゃくちゃなことを言っているかわかっているのか? こういう人たちは、時系列系のことがわかってない。俺は、きちがい親父にやられていたにもかかわらず、きちがい親父がかかわってないところでは、ニコニコと笑って過ごしていのである。ならば、いいことがあるはずなのである。しかし、気ちがいヘビメタがはじまってしまった。どれだけ、けなげにがんばって、作り笑いをしても、いいことなんてなかった。きちがい家族による、きちがいヘビメタ騒音が、つづいた。これが、現実だ。これ、別に俺が暗い顔をしていたから、ヘビメタ騒音がはじまったわけじゃないのである。きちがいがやりたくなったからヘビメタ騒音がはじまった。きちがいが、きちがい的な意地で、自分のやりたいようにやるということにこだわったから、絶対、しずかにしないで、ずっと鳴らしていた。これは、俺がニコニコしていたかどうかとは関係がないことなのである。こいつら、なにもわかってない。言霊の人やニコニコ教団の人は、時系列的なことを、無視しやがるのである。そして、有害なアドバイスをする。 こんなのは、一度の水につかっている人に「ニコニコしていれば、いいことがある」と言っているのとおなじだ。一度の水につかっているから、からだが反応して、つらいと感じているのである。それは、いいことではないのである。一度の水につかっているという状態からぬけださなければ、いいことが起こる条件が、そもそも、そろわないのである。一度の水につかって自分か死にそうなのに、「ニコニコ」していたら、いいことが起こるか? ニコニコしていることがきっかけになっていいことが起こるか? 一度の水のなかで、どうやって、いいことを経験するのか?

きちがい家族が、きちがい的な音で、ヘビメタを鳴らし続けるということは、一度の水につかっているのとおなじだ。からだが反応する。意志の力でからだの反応をとめることができない。かならず、「つかった」という事実が、からだの反応を引き起こす。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。