たくさんの悪い条件が成り立っている状態で、「明るいこと」を考えたって、明るいことなんて起こるわけがないのである。たくさんの悪い条件によって、日常茶飯事で、悪いことが起こる。
めちゃくちゃな状態なんだよ。
そのめちゃくちゃな状態というのは、ほんとうに多数の悪い条件によって成り立っている。条件を無視してはいけない。
条件が、トラブルをうみだしているのだから、条件がかわらなければ、どれだけ、本人が「明るいこと」を考えたって、明るいことなんて起きない。
そして、かりに、ランダムに「明るいこと」がたまたまおこったとしても、その「明るいこと」というのが、暗い条件によって、押しつぶされてしまうのだ。基本的に、どれだけあがいても、条件がかわらないと、自動的に、ものすごくたくさんの悪いことが発生する。
その悪いことは、条件によって、自動的に出てくる「悪いこと」だ。きちがい家族とのトラブルだって、きちがい家族という条件がうみだしていることなんだよ。その場合、きちがい家族がかわるから、きちがい家族から、現実的な意味で、距離をとれるようにしなければ、問題は解決しない。条件によって、きちがい家族から、現実的な意味で、距離をとれない場合があるのである。
だから、どれだけ、本人が「明かること」「良いこと」を考えていても、それを無視して、トラブルが発生し続ける。腹がたつことが起こりまくる。不愉快なことが起こりまくる。
けど、思霊主義者は、すべての条件をガン無視して「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えれば暗いことが起こる」というのである。これは、冒涜だ。ゆるせない。
これだと、まるで、本人が暗いことを考えたから、暗いことが起こっているということになる。本人が暗いことを考える場合は、すでに、トラブルが発生しているのである。
すでに、悪い条件が成り立っていて、トラブルが発生しているのである。トラブルが発生したあとに、不愉快になっているのである。時間的な意味でゼロ地点を考えるなら、悪いことを考えてなくても、自動的に、悪いことが発生するのである。
ところが、思霊主義者は、それもふくめて、本人が悪いことを考えたから、その悪いことが発生していると、本人の「せいに」してしまう。こんなの、ケンカをうっているようなものだ。「いたぶって楽しんでいる」とすら言える。
これは、思霊主義者はまったく感じてないけど、「あおり行為」だ。
本人のせいじゃないことについて、本人のせいにしている。本人のせいだと決めつけている。
こんな失礼なことをしているのに、「いいことをしている」つもりなのだ。こういうのも、トラブルをうみだすもとになる。
時間的な継続を考えるなら、そりゃ、悪い条件は、継続的に成り立っいて、時間的なゼロ地点で発生したあとは、それについて、「暗いことを考えるようになるので」暗いことを考えているような状態になる。
ようするに、本人が暗いことを考えている状態になるのである。
けど、じゃあ、本人が暗いことを考えているから、暗いことが起こるのかというとそうではないのである。本人が、暗いことを考えなくても、事実、暗いことが起こった。
そして、基本的に暗いことをうみだしたやつの構えが、そういう構えなのだから、ゼロ地点で起こったような暗いことが、かなりの高確率で、続けて起こるようになっているのである。
だから、予想としての「暗いこと」と現実に(時系列的にあとの世界で起こる)暗いことが一致してしまう。思霊主義者は、あとだし思考をしているのて、「そらみたことか」「わたしの言っていることがあっている」と思ってしまうのである。しかし、これも勘違いだ。
思霊主義者は、自分が勘違いしていることに、気がつかないと思う。思霊主義者は、まちがった推論をしているということに気がつかないと思う。
そして、この文章を思霊主義者が読んでも、理解できないのではないかと思う。思霊主義者の反応は、「なんだこんなもの」「なんだこついは」というような暗いものだと思う。明るいものじゃないんじゃないかな……と思う。