ほんとうに、きちがい親父には、普通の反応をしてほしかった。きちがい親父が、魚を一日中出しておくということをして、ネズミを引き寄せた。これは、ほんとうに、引き寄せだ。ものすごいいきおいで、突進してくる。「なんとしても、このなかにはいろう」とネズミが決心して、特攻してくる。これ、こういう状態をつくったのはきちがい親父なのである。何か月もあんなにおいで部屋を充満させたら、そりゃ、穴があいていれば、ネズミが入ってくる。でっ、ネズミというのは、入ってくる期間が長くなれば長くなるほど、ものすごいことになるのである。これ、ほんとうに、俺も、経験しないとわからなかった。わからないことだった。これ、ぼくが、どんな気持ちで言っているか、ネズミの侵入をうけた人じゃないとわからないと思う。問題なのは、親父が、「魚を出しっぱなしにした」ということを認めないことだ。これ、全部が全部そうなんだよ。親父の場合、一生涯、こういう反応をしていた。ともかく、俺が何でこんなことを書いているかというと、一階の部屋の片づけをして、太ももの内側を、ダニに刺されたからである。そのまえは、親父が設置したカーテンを、排除しようとして、腕を、たくさん、ダニにされた。これは、なんて言うのか、七mm四方ぐらいの範囲を、刺青のようには刺されてしまうタイプだ。これ、茶色くあとが残るんだよ。手の甲に、おなじような刺され方をした部分があり、一年たったけど、まだ、茶色くあとが残っている。ともかく、俺は、「よし、じゃあ、ネズミ対策工事をしよう」と反応してほしかったわけ。そういう普通の反応がほしかったわけ。けど、親父は、「俺が(ネズミシートで)つかまえるから、いい」と絶叫して怒った。「ネズミシートで捕まえたって、ネズミが入ってくる以上、ネズミの糞が増える」と言っても、「俺がつかまえるからいい」と親父が絶叫して怒るのだ。そういうときの頑固さや、からだのこわばりが、ほんとうにきちがい的なのだ。これ、まるでわからないと思う。一緒に住んでいないほかの人は、まったくわからないと思う。でっ、この頑固さや、態度やからだのこわばりは、兄貴にもある。「ヘビメタを鳴らさないでくれ」と言われたときの状態が、親父のこの状態とおなじなのだ。「ヘビメタを鳴らさないでくれ」と言ったのは俺で、「ヘビメタを鳴らさないでくれ」と言われたのは兄貴だ。兄貴の拒否のしかたが、親父の拒否のしかたとおなじなのである。自分にとって都合が悪いことを言われたときの、態度がおなじなのだ。顔を真っ赤にして怒る。でっ、そうやって押し通したことは、押し通したことになってないんだよ。これ、はねのけたら、完全に関係がない人になっている。だから、「こういうふうに否定して、こっちがやってくれと言うことをやってくれなかった」なんて、あとで言われたって、「しらんぷり」だよ。「しらんぷり」というか、ほんとうに、意識的には、知らないことなのである。これが、また、きちがいなんだよ。こんなの、普通の人だったら、ありえないことなんだよ。自分が、こだわってこだわって、頑固に否定したのに、それがまったく、わかってない。自分がやったことじゃないのである。「こういうふうにした」「こういうふうに、拒否してやってくれなかった」と言うこと自体が、今度は、「認めたくないこと」になるから、おなじように、顔を真っ赤にして発狂して、だまりこくるか、あるいは、反対語を絶叫するのである。「やった」と言われたら、「やってないやってない」と発狂して、絶叫する。うっかりやったことじゃなくて、意地をはってやったことなんだよ。絶対の意地でやったことなんだよ。おぼえてないはずがないことなんだよ。けど、「やった」ということを認めるのがいやなときは、頑固に否定する。だから、おなじなんだよ。絶対の意地でやってのけたことを、「やってないやってない」と否定する。そのとき態度が、また、頑固なのだ。おなじなんだよ。これは、親父がやってきた奇行と、兄貴のきちがいヘビメタ騒音に、おなじようにあてはまる。親父と兄貴は、きちがい的な意地でやったことを、きちがい的な意地で否定する。否定するときの態度と、もとの、きちがい的な意地でやっているときの態度がおなじなんだよ。だから、こまるんだよ。そして、こういうことが、まったくわかってない、よその家の人は、こういうことがわかってないから、あるいは、自分のことじゃないから、「そんなことないんじゃないの」と軽く否定する。そして、「影響をうけなければいい」ということを言う。そんなの、無理に決まっている。兄貴のヘビメタ騒音についても語ってきたけど、話を、親父のネズミ騒動だけにしぼることにする。問題なのは、親父が二〇一七年にやったことなのに、俺が、いま、影響をけているということだ。ネズミの糞をかたづけるのが、俺。カーテンをすてるのがおれ。カーテンを捨てるときに、ダニに刺されるのが、俺。きちがい親父じゃない。張本人は、否定したまま、死んだわけだけど、生きていたとしてもおなじなんだよ。これ、生きていたとしても、おなじ。どれだけ、ネズミの糞が増えても、きちがいだから「俺が、つかまえるからいい」と絶叫しておしまいなんだよ。ダニに刺されたって、そういうスイッチが入っていたら、絶対になにがなんだろうが、工事をさせないような行動をする。しかも、それで、こっちがどれだけ(ダニに刺されて)こまっても、知らんぷりなんだよ。これ、また、兄貴の話になってしまうけど、こういう態度が、兄貴と親父はまったくおなじなのである。俺が、どれだけ(兄貴の)ヘビメタ騒音でこまっていたとしても、まったく関係がない人として鳴らしまくって、まったく認めないんだよね。自分がかかわってるということを、認めない。スイッチが入ったときの態度が、兄貴と親父でまったくおなじなんだよ。親父のネズミ騒動について書いていることは、兄貴のヘビメタ騒音騒動にもおなじように成り立っているんだよ。そして、ほかの人は……うちに住んでいなかった人は……わからない。もう、根本的に、わからない。親父の態度や兄貴の態度が、どういうものか、根本的にわからない。だから、普通思考で、「無視すればいい」ということを考えて、俺にそういうふうに言ってしまう。けど、無理なんだよ。きちがい親父やきちがい兄貴は、ごく自然に、毎日そういうふうするわけなんだけど、よその人は人生のなかで、そういうことを、されたことがないんだよ。どうしてかというと、きちがい的な家族がいないからだ。きちがいでなければ、こんなことは、どれだけうまくやろうとしてもできないことなんだよ。ともかく、俺は、今でも、親父がやったことの影響をうけている。俺が、ダニにされれている。これで、粗大ごみ業者を呼んだ場合、「きったないなぁ」「やりたくない」と言われるのは、俺なんだ。で、作業をすると、どうしてもダニに刺されるから、俺が呼んで、ダニに刺されたことになる。親父が、自分で責任をとって、業者の人を呼んで、業者の人にダニに刺されてもらうわけじゃない。業者の人がダニに刺されたって、そんなのは、親父はまったく気にしないけどね……。汚物あつかいになるか、拡張料金(オプション料金をとられる)ということに、文句を言うかもしれない。
ともかく、バルサンをたいても、作業をする人は、ダニに刺される。
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俺が親父に求めていたことというのは、普通の反応なんだよ。普通に反応してほしかった。俺が兄貴に求めていたことというのは、普通の反応なんだよ。普通に反応してほしかった。
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精神世界の人が言っていることは、きちがい家族にやられた人のこころをえぐることなんだよ。「もう、いいか」と死にたくなるような言葉なんだよ。精神世界の人たちは、きちがい家族にやられた人のことが、まったくわかってない。精神世界の人たちは、きちがい家族にやられた人に負担がかかることを言っている。どれだけ(きちがい家族にやられた人に)負担がかかるか、精神世界の人たちはまったくわかってない。