2024年6月22日土曜日

きちがい親父には、普通の反応をしてほしかった

 ほんとうに、きちがい親父には、普通の反応をしてほしかった。きちがい親父が、魚を一日中出しておくということをして、ネズミを引き寄せた。これは、ほんとうに、引き寄せだ。ものすごいいきおいで、突進してくる。「なんとしても、このなかにはいろう」とネズミが決心して、特攻してくる。これ、こういう状態をつくったのはきちがい親父なのである。何か月もあんなにおいで部屋を充満させたら、そりゃ、穴があいていれば、ネズミが入ってくる。でっ、ネズミというのは、入ってくる期間が長くなれば長くなるほど、ものすごいことになるのである。これ、ほんとうに、俺も、経験しないとわからなかった。わからないことだった。これ、ぼくが、どんな気持ちで言っているか、ネズミの侵入をうけた人じゃないとわからないと思う。問題なのは、親父が、「魚を出しっぱなしにした」ということを認めないことだ。これ、全部が全部そうなんだよ。親父の場合、一生涯、こういう反応をしていた。ともかく、俺が何でこんなことを書いているかというと、一階の部屋の片づけをして、太ももの内側を、ダニに刺されたからである。そのまえは、親父が設置したカーテンを、排除しようとして、腕を、たくさん、ダニにされた。これは、なんて言うのか、七mm四方ぐらいの範囲を、刺青のようには刺されてしまうタイプだ。これ、茶色くあとが残るんだよ。手の甲に、おなじような刺され方をした部分があり、一年たったけど、まだ、茶色くあとが残っている。ともかく、俺は、「よし、じゃあ、ネズミ対策工事をしよう」と反応してほしかったわけ。そういう普通の反応がほしかったわけ。けど、親父は、「俺が(ネズミシートで)つかまえるから、いい」と絶叫して怒った。「ネズミシートで捕まえたって、ネズミが入ってくる以上、ネズミの糞が増える」と言っても、「俺がつかまえるからいい」と親父が絶叫して怒るのだ。そういうときの頑固さや、からだのこわばりが、ほんとうにきちがい的なのだ。これ、まるでわからないと思う。一緒に住んでいないほかの人は、まったくわからないと思う。でっ、この頑固さや、態度やからだのこわばりは、兄貴にもある。「ヘビメタを鳴らさないでくれ」と言われたときの状態が、親父のこの状態とおなじなのだ。「ヘビメタを鳴らさないでくれ」と言ったのは俺で、「ヘビメタを鳴らさないでくれ」と言われたのは兄貴だ。兄貴の拒否のしかたが、親父の拒否のしかたとおなじなのである。自分にとって都合が悪いことを言われたときの、態度がおなじなのだ。顔を真っ赤にして怒る。でっ、そうやって押し通したことは、押し通したことになってないんだよ。これ、はねのけたら、完全に関係がない人になっている。だから、「こういうふうに否定して、こっちがやってくれと言うことをやってくれなかった」なんて、あとで言われたって、「しらんぷり」だよ。「しらんぷり」というか、ほんとうに、意識的には、知らないことなのである。これが、また、きちがいなんだよ。こんなの、普通の人だったら、ありえないことなんだよ。自分が、こだわってこだわって、頑固に否定したのに、それがまったく、わかってない。自分がやったことじゃないのである。「こういうふうにした」「こういうふうに、拒否してやってくれなかった」と言うこと自体が、今度は、「認めたくないこと」になるから、おなじように、顔を真っ赤にして発狂して、だまりこくるか、あるいは、反対語を絶叫するのである。「やった」と言われたら、「やってないやってない」と発狂して、絶叫する。うっかりやったことじゃなくて、意地をはってやったことなんだよ。絶対の意地でやったことなんだよ。おぼえてないはずがないことなんだよ。けど、「やった」ということを認めるのがいやなときは、頑固に否定する。だから、おなじなんだよ。絶対の意地でやってのけたことを、「やってないやってない」と否定する。そのとき態度が、また、頑固なのだ。おなじなんだよ。これは、親父がやってきた奇行と、兄貴のきちがいヘビメタ騒音に、おなじようにあてはまる。親父と兄貴は、きちがい的な意地でやったことを、きちがい的な意地で否定する。否定するときの態度と、もとの、きちがい的な意地でやっているときの態度がおなじなんだよ。だから、こまるんだよ。そして、こういうことが、まったくわかってない、よその家の人は、こういうことがわかってないから、あるいは、自分のことじゃないから、「そんなことないんじゃないの」と軽く否定する。そして、「影響をうけなければいい」ということを言う。そんなの、無理に決まっている。兄貴のヘビメタ騒音についても語ってきたけど、話を、親父のネズミ騒動だけにしぼることにする。問題なのは、親父が二〇一七年にやったことなのに、俺が、いま、影響をけているということだ。ネズミの糞をかたづけるのが、俺。カーテンをすてるのがおれ。カーテンを捨てるときに、ダニに刺されるのが、俺。きちがい親父じゃない。張本人は、否定したまま、死んだわけだけど、生きていたとしてもおなじなんだよ。これ、生きていたとしても、おなじ。どれだけ、ネズミの糞が増えても、きちがいだから「俺が、つかまえるからいい」と絶叫しておしまいなんだよ。ダニに刺されたって、そういうスイッチが入っていたら、絶対になにがなんだろうが、工事をさせないような行動をする。しかも、それで、こっちがどれだけ(ダニに刺されて)こまっても、知らんぷりなんだよ。これ、また、兄貴の話になってしまうけど、こういう態度が、兄貴と親父はまったくおなじなのである。俺が、どれだけ(兄貴の)ヘビメタ騒音でこまっていたとしても、まったく関係がない人として鳴らしまくって、まったく認めないんだよね。自分がかかわってるということを、認めない。スイッチが入ったときの態度が、兄貴と親父でまったくおなじなんだよ。親父のネズミ騒動について書いていることは、兄貴のヘビメタ騒音騒動にもおなじように成り立っているんだよ。そして、ほかの人は……うちに住んでいなかった人は……わからない。もう、根本的に、わからない。親父の態度や兄貴の態度が、どういうものか、根本的にわからない。だから、普通思考で、「無視すればいい」ということを考えて、俺にそういうふうに言ってしまう。けど、無理なんだよ。きちがい親父やきちがい兄貴は、ごく自然に、毎日そういうふうするわけなんだけど、よその人は人生のなかで、そういうことを、されたことがないんだよ。どうしてかというと、きちがい的な家族がいないからだ。きちがいでなければ、こんなことは、どれだけうまくやろうとしてもできないことなんだよ。ともかく、俺は、今でも、親父がやったことの影響をうけている。俺が、ダニにされれている。これで、粗大ごみ業者を呼んだ場合、「きったないなぁ」「やりたくない」と言われるのは、俺なんだ。で、作業をすると、どうしてもダニに刺されるから、俺が呼んで、ダニに刺されたことになる。親父が、自分で責任をとって、業者の人を呼んで、業者の人にダニに刺されてもらうわけじゃない。業者の人がダニに刺されたって、そんなのは、親父はまったく気にしないけどね……。汚物あつかいになるか、拡張料金(オプション料金をとられる)ということに、文句を言うかもしれない。

ともかく、バルサンをたいても、作業をする人は、ダニに刺される。

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俺が親父に求めていたことというのは、普通の反応なんだよ。普通に反応してほしかった。俺が兄貴に求めていたことというのは、普通の反応なんだよ。普通に反応してほしかった。

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精神世界の人が言っていることは、きちがい家族にやられた人のこころをえぐることなんだよ。「もう、いいか」と死にたくなるような言葉なんだよ。精神世界の人たちは、きちがい家族にやられた人のことが、まったくわかってない。精神世界の人たちは、きちがい家族にやられた人に負担がかかることを言っている。どれだけ(きちがい家族にやられた人に)負担がかかるか、精神世界の人たちはまったくわかってない。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。