もう、個人的にできることは、やった感じがする。これが、たぶん、限界なんだろう。
ヘビメタ騒音はほんとうにひどかった。
ほかの家では『ない』音なのである。ほかの家では、一日に一〇分だって鳴らない音なのである。一〇分間でも鳴らしたら、「うるさくしやがって」「いいかげんにしろ」と文句を言われるような音なのである。
言われたほうだって、「うるさくしたなぁ」と思って、さげる音なんだよ。
けど、きちがい兄貴は、きちがい親父とおなじように、きちがいなので、きちがい感覚で、自分の認知・認識を捻じ曲げてしまった。無意識的なレベルで、意識を書き換えてしまった。意識を書き換えてしまったので、どれだけでかい音で鳴らしても、でかい音で鳴らしているという、認知認識がない状態なのである。しかも、意識的には、「わざと」そうしているわけではないので、ほんとうに、でかい音で鳴らしてないつもりなのである。つもりだけなんだけど、つもりなのである。あんな爆音で鳴らして、普通の音で鳴らしている気持ちなのである。本人だって、ヘビメタ以外の曲が、あの音のでかさで鳴っていたら「うるさい!!!!」「うるさい!!!!」「うるさい!!!!」「うるさい!!!!」「うるさい!!!!」「うるさい!!!!」「うるさい!!!!」と絶叫してしまうような音なんだよ。そういう音を鳴らして、あたりまえだった。きちがい兄貴にとってみれば、その、きちがい的にうるさい音は、普通の音なので……意識的には普通の音なので、どれだけ鳴らしたって、反省しない音なのだ。迷惑をかけたとまったく思わない音なのだ。こんなの、ない。自分で、自分自身に催眠術をかけたような状態で、鳴らす。ほんとうは、本人だって、ほかの音が、その音のでかさで鳴ってたら「うるさい」と思うような音なのに、意識的な本人は、『普通の音で鳴らしている』と思っている状態なのだ。これ、意識的には、嘘をついているつもりがまったくないのである。じゃあ、どうして、無意識のほうが、そういう『命令』をしたのかというと、「やりたいから」なんだよ。「やっておいて」「やってないことにしてしまう」方法のひとつだ。
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きちがいヘビメタを鳴らされると……あの音のでかさで、自分が一番苦手な音をなられ続けると……生活自体がくるしいということになる。
このくるしさが、まったくわかってないやつらがいるのである。そいつらが思い浮かべる「騒音」とは、ちがうのである。ちがうんだよ。
けど、これもまた、経験がない人には、「ちがいがある」ということが、さっぱりわからないということになる。
だから、普通の人は、普通の人が思い浮かべるような騒音しか思い浮かべることができないのである。きちがい家族と一緒に暮らしている人じゃないと、わからないことなのである。
その、一緒に暮らしているきちがい家族が、無意識的なレベルで『音のでかさ』の認知を書き換えて、きちがい的なことだわりで鳴らすということを、経験した人じゃないと、わからないことなのである。
影響がわからない。
影響のでかさがわからない。
わからないと、かならず、誤解をするのである。
ヘビメタ騒音の影響でできないのに、ヘビメタ騒音の影響でできないということはないという、認識をするのである。わかってないやつは、みんな、そういう認識で、俺にものを言ってくるのである。これが、くやしい。このくやしさも、影響を認めない人たちには、わからない。自分が『あたりまえのことを言った』としか思ってない。
二重に、くやしい思いをする。