どうして、ぼくだけ、きちがい兄貴やきちがい親父に、人生を破壊されなければならないんだ。しかも、よそのやつは、「自分だったら平気だ」と思って、くそを言ってくる。「自分だったら、影響をうけないことが可能だ」と思って、くそを言ってくる。おかしい。ぜんぜんちがうんだよ。こいつらが思っていることと、ぜんぜんちがうんだよ。こいつらは、うちのなかにいるときのきちがい親父の態度や、うちのなかにいるときのきちがい兄貴の態度がわかってない。これ、両方とも、きちがい感覚が成り立っているんだよ。ほかの人が、きちがい親父のような態度やきちがい兄貴のような態度をとったところを見たことがない。医者だって、実際に、親父のリハビリにかかわるまでは、「それは、認知症の健忘でしょ」と言っていたのだ。俺が「父は性格に問題がある」と言うことを言ったんだけど、その意味がわかってなかった。自分がやられて、はじめてわかるんだよな。腹がたつんだよ。どんな人だって、きちがい親父の態度には腹がたつわけ。きちがい親父の場合、人の言うことをきかないて、絶対の意地で動いしてしまうときと、人の言うことをきかないで、絶対に動いてやらないときがあるのだけど、入院しているときの態度というのは、絶対に動いてやらない態度だ。これが、むかつくんだよ。これ、リハビリで、親父にかかわってしまったので、「あの人はなんだ」と医者だって思うわけで、そういうことがなければ、俺が言っていることがわからない。入院していたとき、長期入院だったから、親父のなかで「うち」と「そと(よそ)」がひっくり返っちゃったんだね。あのとき、一時的に、俺が、親父にとって「よその人」になったから、俺に対して、態度がよかった。ともかく、医者だって、実際に、リハビリでかかわらないと、どれだけ腹がたつ態度かわからないわけで、リハビリでかかわるまえに、ぼくが説明したって、腹がたつ態度だということがわからないんだよ。
でっ、親父の「絶対言うことをきいてやらないぞ」と言う踏ん張りは、きちがい兄貴の「絶対言うことをきいてやらないぞ」という踏ん張りとおなじなんだよ。そして、両方とも、そうやって意地をとおした場合、自分がやったと思ってない状態になる。あれ、自分が意地をはって、相手の言い分をしりぞけて、きちがい行為をしたということが、完全に、わかってないのである。本人が、まったくわかってない……状態なんだよ。こんなのは、ない。ほんとうに、「やったってやってない」の世界だ。