希望をもつことは、たいせつなことなのだけど、世にあふれる「おまじない」のような解決方法はまったく役に立たない。これ、目のまえにニンジンをぶら下げられた馬とおなじなのである。脳内に、希望だけはある。けど、実際の条件は最悪。あがけばあがくほど、実際の条件が悪くなる。けど、きれいごとだけは、ほざかれる。もともと、条件がちがう人が、「こういうふうに考えればいい」と、おまじないのようなことを言う。「おまじないがきく」という考え方がはやっているのはよくないことだ。条件に目をむけない。所与の条件のちがい……これが重要なのに、所与の条件のちがいは、ガン無視だ。これだと、条件が悪い人が、損をすることになる。条件が悪い人が、無理難題をおしつけられ、自殺に追い込まれる。希望だけはあるんだよ。そりゃ、条件が悪い人だって、脳内に、「こうなればいい」という考えがある。そういう気持はあるだろう。条件が悪いから、おまじないのような解決方法にたよらなければならなくなる。条件が悪いので、ほかの人にはできる現実的な解決方法を試すことができないのである。現実的な解決方法は、じつは、条件によってちがう。人それぞれに条件があり、条件によって、現実的におこなえる解決方法にちがいがある。ところが、そういうことは、無視して、「だれにでもできる」というおまじないのような方法をこころみることが奨励?されている。けど、条件がいい人が、おまじないのような方法を使うと、成功して、条件が悪い人がおまじないのような方法を使うと失敗するのである。おまじないのような方法は、フェイクで関係がない。実際には、条件が、成功をもたらし、条件が失敗をもたらす。けど、条件がいい人は、フェイクで、カネをもうけることができる。これも、条件なんだよ。詐欺的なことでカネをもうけることができるというのも、それをささえるような条件がある。カネの流れとしては、条件が悪い人から、条件がいい人に流れる。なので、もっと差ができてしまうのである。条件が悪いやつが、条件がいいやつに、だまされる。「実際には、条件が、成功をもたらし」と書いたけど、考え方としては、成功をたらすように見えるだけだ。そして、情報商材詐欺とおなじ方法で、金銭的には、実際に、成功する。条件がいいやつが金銭的には、実際に、成功する。
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実際に、希望は必要なのだけど、「しくみ」に目をむけないとだまされ続けることになるので、「しくみ」に目をむけたほうがいい。ほんとうの希望というのはしくみをかえることにある。個体的にはどうだか知らないけど、全体的には、しくみをかえなければ、どうにもならないところまできている。かりに、ある個体が、希望をもって生きていたら、ちょっとは、改善できたとしよう。まあ、それでも、最終的には、この社会だと、悪い終わり方で終わるのだけど……。 ともかく、ある個体が希望をもってがんばったら、出世することができたというようなことは、ある。それなら、それでいいのかというと、よくはないのだ。その個体ではない個体が、失敗することになる。まあ、椅子取りゲームみたいなものなのだけど、この椅子取りゲームは、参加者がみんな不幸になる椅子取りゲームなのである。しあわせになるのは?椅子取りゲームの運営者側だ。椅子取りゲームに参加している人は、みんな、けっきょく、どれだけ努力しても不幸になる。努力しなくても不幸になるし、努力をしても不幸になる椅子取りゲームなんだよ。
椅子にもグレードがあるとする。いい椅子に座った人が、おまじないのような方法を、悪い椅子に座っている人や、椅子に座ってない人に言えば、社会全体がよくなるかというと、ならない。総体的に優位な人が、きれいごとを言っても、よくならない。相対的に優位である人が、「こうすれば希望がかなう」という方法を、相対的に劣位である人に教えてあげても、社会はよくならない。基本的なことを言ってしまうと、相対的に優位である人が、「こうすれば希望がかなう」という方法を、相対的に劣位である人に教えてあげた場合、相対的にである人は、もっともっと、不幸になるのである。そういうしくみが成り立っている。いいかげん、気がつけ。