「俺だって苦労した」「わたしだって苦労した」ということについてちょっとだけ書いておく。もう、何回も書いたことなのだけど、いちおう、普通に大学を出て、働いている人が「俺だって苦労した」という場合がある。たとえば、ヘビメタ騒音の話を聞いたあとに「俺だって苦労した」「けど、働くべきだ」というようなことを、Aさんが、言ったとする。Aさんの苦労は、働くことができるぐらいの苦労だ。同質の、同量の苦労じゃない。ヘビメタ騒音とは、ちがうのである。ヘビメタ騒音がもたらした苦労というのは、Aさんの苦労とは、くらべものにならないほど、でかい影響をあたえる苦労なのである。はきちがえている。それから、高校を出て一五年(じゅうご)間働いて、そのあと、働けなくなった人がいるとする。Bさんと呼ぶことにしよう。Bさんは「人間は働くべきだ」と言うだろうかということを考えると、言わないのではないかと思う。だって、事実、自分は、今現在働いてないのだから、「人間は働くべきだ」という資格がない。これって、自分が働いているときに、他人に言うことだからね。そして、自分は働いているから、他人に「人間は働くべきだ(だから、あなたも働くべきだ)」と言う人というのは、他人の苦労が見えてない人なのである。こういう人たちは、みんな、口をそろえて「俺だって苦労した」「わたしだって苦労した」と言うけど、働き続けることができるぐらいの苦労なんだよね。たとえば、ブラック企業で、一五年間働いて、もう、働けないと思って、仕事をやめたとする。この人は、一五年間で働けなくなっているので、……まさ、一五年間働き続けたことによって、働けなくなっているので、ほかの人には「人間は働くべきだ(だから、あなたも働くべきだ)」とは言わないと思う。まあ、自分のことは棚に上げて言う人がいるんだけどね……。まあ、自分のことを棚に上げて言う人は、少数派だとする。そして、このBさんのような人たちが言っている「苦労」というのは、ヘビメタ騒音級の苦労だと思う。だって、一五年間で働けなくなっちゃったのだから、「働けなくなる」ような苦労だ。
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「人間は働くべきだ」「俺だって苦労した」「わたしだって苦労した」と言って、他人に働くことをすすめる人には、きちがい兄貴やきちがい親父のような、きちがい家族がいないのである。きちがい家族のもとにうまれて、生活をしたことがないのである。事実、きちがい家族というハンディがない。きちがい家族のハンディがあって、きちがい家族にやられたからこそ、働けなくなった人が、他人に対して「人間は働くべきだ(だから、あなたも働くべきだ)」と言うわけがない。