思霊主義者も、自分の現実的な問題に関しては、現実的に考えるのである。
たとえば、ある思霊主義者が、のび太なら、「ジャイアンがなぐってくる」と考えるのである。ジャイアンが、ジャイアンの意思にしたがって、自分をなぐるという行動をすると考えるのである。
ところが、ある思霊主義者が、のび太ではない場合は、のび太が「ジャイアンがなぐってくる」と思ったから、ジャイアンがのび太をなぐると考えてしまうのである。
自分のことでなければ、のび太の意思(内的な世界の想起)が、ジャイアンをして、のび太をなぐらせていると考えてしまうのだ。
「のび太は、内的な世界で想起しただけで、外的な世界のすべてを自分が想起したように動かせる」と思霊主義者は考えているのだ。
これが、思霊主義者の正体だ。
* * *
自分の現実的なことに関しては、幼児的万能感が後退して、現実的に考えるのである。しかし、「ひとごと」だと、幼児的万能感が前進して、幼児的万能感に支配された思考になるのである。
また、自分の非現実的なことに関しても、幼児的万能感が前進して、幼児的万能感に支配された思考になるのである。自分の非現実的なことというのは、たとえば、「夢」や「希望」のことだ。
「夢」や「希望」について考えるときは、幼児的万能感に支配された思考になる。
「それ」がひとごとであったとしても、自分の夢や自分の希望に一致したものであれば、幼児的万能感に支配された思考になる。
ようするに、自分も他人も関係していることで、「自分の夢」や「自分の希望」にかかわることであれば、幼児的万能感に支配された思考になる。
なので、自分も他人も関係していることで、「自分の夢」や「自分の希望」にかかわることであれば、他人が「暗いこと」を考えるのは、ゆるせないことになるのである。