2026年9月10日木曜日

●互酬性の部分と「運があがる」という部分は、じつは、関係がないのだ■社会※2026/09/09 16:41

「やり方が悪いから、うまくいかなかった(だけだ)」という言い方がある。

一度、「Xをすれば、運があがって、幸福になる」という型の文がつくられると、あたかも、それが、この世の法則であるかのような、意味合いを持ってしまう。

これは、まえにも言ったけど、時間的に接近しているだけだ。

ようするに、「その気になっている」だけだ。

ふたつの出来事が、時間的に接近しているので、『自分がXをしたから、運があがって、いいことが起こったんだ』と思うわけだ。

『自分がXをしたから、天が、その見返りをあたえてくれた』というような考え方が、この世には、ある。

『自分が、あるとき、人を助けてあげたから、自分がこまっているときに人が助けてくれたのだ』と思う人が、世の中には、いる。

たとえば、自分が助けた人がAさんだとする。別に、自分がこまっているときに助けてくれるのは、Aさんではなくてもいいのだ。しかし、Aさんであってもよいのだ。

実際にある互酬性や、実際にある仕返しが、「自分がしたことが、かえってくる」と思いやすい状態をつくりやすい。

けど、世の中のしくみというのは、じつは、残酷なのだ。

『しくみ』というのがある。

『しくみ』がある。

たしかに、「自分がしたことが、かえってくる」と思えることがある。

それは、まず、人に恨みを買うことをすれば、相手が、うらんで、自分に仕返しをしてくるというのがある。そして、親切にしてくれた相手には(対等な関係なら)親切にしやすいという点がある。

こういうことは、たしかに、ある。

実際の精神活動がある。そして、その精神活動は、「提示された理論」を肯定しているのである。

ところが、「しくみ」があるのだ。この世には、「しくみ」がある。

だから、実際には、不均衡な状態がしょうじる。しょうじるだけではなくて、不均衡な状態が常態化する。これは、「親切なことをされたときに、親切なことをされた」と認識するかどうかということとも、関係がある。

親切云々に関しては、じつは、その人間関係が一時の関係なのか、それとも、システムに組み込まれた中で、常態化した関係なのかということが、関係している。

推奨される「小さな親切」の場合は、一時的な関係なのである。仕事の関係が成り立っている場合、下の人間がした「親切行為」について、上の人間は「親切行為だ」と認識しない場合のほうが多い。

そりゃ、そうだろう。

仕事なんだから。

けど、ほんとうは、範囲を超えた雑用をしてあげただけでも、「親切行為」になる。「小さな親切」として語られることと、おなじ意味をもつ「親切行為」なのだ。

ところが、「仕事なので当然だ」と思われる場合がある。そういう場合が多い。

じつは、相手との関係ということを考えて、「親切行為」について考え直さなければならないのだ。社会の中に埋め込まれた関係における「親切行為」なのか、それとも、一時的な関係における「親切行為」なのかということは、じつは、重要なことなのだ。

これ、無視されることが多いことなのだけど、ほんとうは、重要なことだ。

まあ、話がずれたけど、『自分がXをしたから、運があがって、いいことが起こったんだ』と考え方は、考え方としては、いいけど……多くの場合、あるいはすべての場合において、単なる勘違いだ。

だから、 「やり方が悪いから、うまくいかなかった(だけだ)」と他人に言うのは、よくないことなのだ。

*     *     * 

わかりにくいと思うので、言霊理論で説明しておこう。たとえば、Cさんが、「明日は、雨がふる」と言ったとしよう。

そして、Cさんのいる地域に実際に雨がふったとする。この場合、Cさんが「明日は、雨がふる」と言ったいう出来事と、Cさんの地域に雨がふったという出来事のあいだには、なんの関係もない。なんの関係もないのだけど、Cさんのなかでは、「自分が、雨がふると言ったから、雨がふったのだ」ということになる。

そして、Cさんのなかでは、「言霊は絶対だ」ということになる。だから、Cさんは「言えば言ったことが、言霊の力によって現実化する」という言霊理論を信じたとする。

CさんがDさんに「言えば言ったことが、言霊の力によって現実化する」と説明したとする。Dさんが「明日は、雨がふる」と言ったのだけど、Dさんがいる地域では、雨がふらなかったとする。

「Dさんの言い方が悪いから、雨がふらなかったのだ」とCさんは判断することになるのだけど、最初から、「だれかが雨がふる」と言ったということと、「実際に雨がふる」ということのあいだには、なんの関連性もないのだ。

最初から、Cさんが勘違いをしているだけだ。ほんとうは、法則性なんて成り立っていないのである。Cさんの頭のなかには、法則性が成り立っているのだけど、ほんとうは、ふたつの出来事のあいだには、なんの関係もない。

だれかが「雨がふる」と言ったという出来事と、「雨がふった」という出来事のあいだには、なんの関連性もない。

しかし、自分が言ったから、雨がふったのだと確信して、言霊があると確信した人は、自分が言ったから、言霊の力によって、雨がふったのだと確信してしまう。これは、じつは、間違った確信なのである。

ほんとうは、ふたつの出来事のあいだには、関係性はないのである。単なる、勘違いなのだ。

しかし、一度、その人の頭に、「関連性が成り立つ」と、「うまくいかなかった」という相手に対して「相手のやり方が悪かったから、そうならなかったのだ」と言い切るメンタルができあがる。これが、曲者なのである。

*     *     *

考えづらいことかもしれないけど、互酬性の部分と「運があがる」という部分は、じつは、関係がないのだ。たとえば、CさんがDさんに、ある本を貸してあげたとする。そのあと、Dさんが、今度は、Cさんに、別の本を貸してあげたとする。親切にしたので、親切が返ってきたと考えることもできる。しかし、これは、別に「運があがる」ということを、ほんとうは、意味していない。「いいことが返ってきたのだから、運があがったんだ」と思うかもしれないけど、個別の力としての「運」があがったわけではないのだ。

Cさんが、Dさんに、お歳暮を、あげたとする。そのあと、DさんがCさんに、お歳暮をあげたとする。互酬性が成り立っている。しかし、個別の力としての「運」があがったわけではない。いちおう、ここでは、お歳暮というのは、お歳暮のときにあげる、なんらかのもののことだとする。

「運」というのは、現実の写し絵だということを書いた。最初に、Cさんが、Dさんに、お歳暮をあげたということを無視すれば、たしかに、Cさんは、Dさんからお歳暮(の品)を受け取っているので、お歳暮(の品)がいいものなのであれば、いいことが起こったということになる。いいことが起こったということは、運があがったということだということになる。しかし、運があがったかどうかは、わからない。

社会のしくみのなかで、お歳暮のやり取りをしたということだけなのだ。もし、Cさんが、Dさんにお歳暮をあげたのに、DさんがCさんにお歳暮をあげなかったら、Cさんは、Dさんに対して、なにを思うだろうか。次の年も、Cさんは、Dさんにお歳暮をあげるだろうか。お歳暮をあげるということが、ほんとうに、親切行為なら、Cさんは、Dさんからの見返りを期待するべきではない。

しかし、いちおう、しくみに従って、CさんはDさんにお歳暮を贈ったので、Cさんは、この時点で、Dさんも自分にお歳暮を贈ってくるはずだと思っている場合が多い。あるいは、事前に、Cさんにとって、Dさんが、恩人である場合は、別に、Dさんが、Cさんにお歳暮をかえさなかったとしても、不満には思わないだろう。

これには、上下関係がある。そして、両者の間に、上下関係が当たり前のものとしてあるということが、認識されているから、Dさんが、Cさんにお歳暮をかえさなかったとしても、Cさんが、不満に思わないだけだ。

なにを言いたいかわからないかもしれないけど、実際に発生している出来事を、そのまま「運」という架空のものに、スライドさせることはできないということを言いたい。

「運」があがることを意味しているように思えるかもしれないけど、運があがったと考えられることは、実際の行為をちがった角度から考えているだけだ。

ようするに、言い換えにすぎないのである。

ようするに、「運」うんぬんのまえに、しくみが成り立っている。しくみが成り立っている世界で、人から物をもらったということを、「運があがった」と言い換えているだけだ。

わからないかもしれないけど、別のことなのだ。個別の力としての「運」は最初から、存在していない。現実の一部分を切りだして、個別の力としての「運」があがったと思い込んでいるだけ。

しかし、個別の力としての「運」というのは、最初からない。言霊理論における言霊の力のように、妄想的な思考によって、そういう力があると設定されているだけだ。

都合よく、「個別の力がある」ということになっていて、都合よく、現実を切りだして「運があがった」ということになっているのだけど、現実の行為を成り立たせている「しくみ」がある。

しくみのほうが、重要。

どうしてかというと、しくみに関する認知と、行為の結果に関する認知が深く結びついているからだ。

しくみに関する認知と、行為の結果に関する認知によって、じつは、「親切にした」とか「親切にされた」とかとい認知も成り立っているので、しくみから切り離された「運があがる行為」が成立しているわけではないということが、重要なのだ。

社会において、仕事をするという設定が成り立っている場合、親切行為が、親切行為とはみなされない場合があり、親切行為とみなされない見方が、常に成り立っているのであれば、どれだけ「親切行為」をしても、「親切行為をした」とは見なされない。「しくみ」が成り立っている。 

ともかく、ほんとうは、運というのは、個別の力ではない。

しかし、現実から、個別の力があるように、誤解されている。これは、誤解にすぎない。妄想的な思考をしているだけだ。都合よく、そのときだけ「運があがった」という解釈が成り立っているだけだ。 

手短に言うと、社会のしくみのなかで、親切心が「搾取」されてしまう場合がある。親切心を搾取する仕組みが成り立っていれば、親切にされたほうは、親切にされたと認識しない。

そして、あたりまえのように搾取する。

じつは、その社会化された「親切心の搾取」に寄与している言葉が、「運」というような言葉だ。

総合的なことを言ってしまえば、「運があがる」ということをはやらせることによって、人から親切心を搾取する層がある。そういう側に立つ人たちがいる。これは、じつは、見えないやり方で、親切心を搾取している。

手短に言うと、「人に親切にすると運があがる」というような言葉を発する人たちが、しくみのなかで、人の親切心を搾取している。搾取している側に立ったり、搾取している側の味方になる。じつは、逆なんだよね。

社会のしくみを通すと、そうなる。不思議だけど、そうなる。巧妙な言いかえがある。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。