Aさんがいたとする。Aさんは、働いている。
Aさんが働ているときに、Aさんは「人間は働くべきだ」と他人に言った。
Aさんが、定年退職して、無職になったとする。
Aさんは、人間なのに、働かなくなってしまったのだ。
Aさんは、人間だから、働くべきだ。
自分が、他人に対して、「人間は働くべきだ」と言ったのだから、もちろん、Aさんは、死ぬまで働くべきだ。
ぼくには、Aさんが人間に見える。実際、人間なのだろう。
だったら、Aさんは、Aさんの考えに従って、働くべきだ。ところが、「自分は、もう、じゅうぶんに働いたから、いい」と言って働かないのだ。「自分は、もう、じゅうぶんに働いたので、働く必要はない」と考えているようなのだ。
それなら、「人間は働くべきだ」という考えを放棄したのかというと、そうではないのだ。
Aさんは、「自分は働かなくてもいい」と考え、「自分は人間である」と考え、「人間は働くべきだ」と考えているのだ。こんな矛盾した思考がAさんのなかには成り立っている。
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Aさんが、働いているとき、なんとか病という病気になったとする。そうしたら、「Aさんは、自分はなんとか病という病気だから、働けない」と言い出す。
自分の場合は、「ちゃんとした理由があるから、自分は、人間だけど働かなくてもいい」ということになるのだ。
しかし、「人間は働くべきだ」という考え方を否定しているのかというとそうではなくて、「人間は働くべきだ」と考えたままだ。
ようするに、自分は例外だけど、人間は働くべきだと考えいるのだ。
しかし、自分が人間である以上、自分が例外だとしても、「人間は働くべきだ」という言い方は、放棄しなければならない言い方なのである。
だいたい、「人間は働くべきだ」という言い方には「自分は例外だけど」という言葉が入っていない。これは、「自分は例外だけど」という条件が入っていないということになる。
条件が入っている言い方で言うか、条件が入っていない言い方で言うかということは、重要なことなのである。
ところが、Aさんは、いい加減な人間で、まともなことが考えられないので、重要なことを無視してしまう。
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相手の理由を理由として認めないのであれば、「そんなのは、言い訳だ」「そんなのはあまえだ」と言うことができるのである。自分の理由の場合は、理由として認めるのである。
しかし、相手の理由は、理由として認めない。
きちがい的な家族によって、きちがい的な騒音を浴びせられる日々が一〇年以上続いたので、働けなくなったという理由に関しては、Aさんは理由として認めないのである。
エイリが言う、理由は、理由として認めないのである。
この、理由として認めないということを、言わずに、なおかつ、理由として認めないという意思表示をすることができる言葉が、「そんなのは、言い訳だ」「そんなのはあまえだ」という言葉なのだ。
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働けない理由については「そんなのは、言い訳だ」「そんなのは、あまえだ」とかえす方法のほかに「(理由に)こだわるからダメなんだ」「(理由を)気にするからダメなんだ」とかえす方法もある。
これも、けっきょく「(それは)理由にならない」と思っているということを意味しているのである。
相手の理由を、理由として認めないという態度がある。
そういう態度のあらわれが 「(理由に)こだわるからダメなんだ」「(理由を)気にするからダメなんだ」という言い方だ。
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働けるか、働けないかということについて、自分が相手の理由を認めるかどうかということが重要なのだ。
きちがいヘビメタ騒音の場合は、とてつもなく特殊なので、多くの人が、働けない理由として認めなかった。これは、きちがい兄貴がやったことが、きわめて特殊だから、多くの人が、自分の身で体験したことがないことなのだ。そうなると、自分の身で体験したこととは、理解度がちがってくる。自分の身で体験したことではないので、長期間続く、特殊な騒音の影響を理解しない。
「通勤ができなくなる(通勤して働くことができなくなる)」ということについて、多くの人が理解できないので、多くの人の頭のなかで、「ヘビメタ騒音は、通勤ができなくなる理由ではない」ということになっていたのだ。
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人間のモデルを考えよう。「モデル」だ。
このモデルは、自分のことに関しては、自分の認知とメタ認知が(時系列的に)成り立っているので、自分の理由に関しては、「働かなくてもいい理由になる」と考えるとしよう。
そして、自分の場合は「働かなくてもいい理由があるから」働かなくてもいいと考えるのだけど、自分は人間であるという考えも放棄しないと考える「モデル」だ。
そして、「自分は人間だけど、働かない」という考えと「人間は働くべきだむと言う考えが矛盾しているということに、気がつかないという「モデル」だ。
こういうモデルが、成人人口の九割を占めるという社会考えると、今の社会の現象をうまく説明できる……ような気がする。
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矛盾に気がつかないというのは、重要なことだ。
矛盾に気がついた場合は、言うことがかわってくるからだ。
これは、そのまま、「自分がなにを正しい」と考えているかということに影響を与える。ほんとうは、矛盾に気がついて、考え直し、矛盾した考え方を修正するべきなのだ。
ようするに、「自分が働かなくても、人間だ」という考え方を正しいと考えるのであれば「人間は働くべきだ」という考え方は間違った考え方だということになる。
だから、「人間は働くべきだ」という考え方を放棄するべきなのである。
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自分の矛盾に気がつかない人と、どれだけ「人間は働くべきなのか、働かなくてもいいのか」と言うことについて話しても、無駄だ。けっきょく、自分の身の上に、働かなくてもいい理由が、発生したとその人が考えるなら、「自分は人間だけど、働かなくてもいい」ということになってしまう。その人のなかで、「自分は人間だけど、働かなくてもいい」ということになってしまう。けど、その人が「人間は働くべきだ」と他人には言うのである。
こんな、矛盾した人間を相手に、まともな話ができるわけがないだろ。
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「自分は人間だけど、自分にはちゃんとした理由があるから、働かなくてもいい」という考えたが成り立っているのだ。ちゃんとした理由かどうかということは、「自分」が決めるのである。
その場合、他人の「理由」はちゃんとした理由ではないと考えるなら、自分のことは棚に上げて、他人には「人間は働くべきだ」と言うことができる。相手が相手の理由について言及したら「そんなのは、言い訳だ」「そんなのはあまえだ」「そんな理由にこだわるから、だめなんだ」「そんな理由を気しするからだめなんだ」と言って、他人が働けない理由に関しては、ちゃんとした理由だと認めない。
ちゃんとした理由ではないので、ちゃんとした理由がない他人に、「人間は働くべきだ」と言っても、問題がないのである。
他人の場合は「ちゃんとし理由ではない」と考えてしまうのである。自分の場合は「ちゃんとした理由だ」と考えてしまうのである。
こういう、自分勝手な思考。こういう夜郎自大な思考。
もう、やになっちゃうなぁーー。いやになっちゃうなーー。
しかも、経験の範囲で言えば、(ぼくが)どれだけ説明しても、こいつらは理解しないのである。矛盾したことを言っているということを、理解しない。
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「自分以外の人間は働くべきだ」と言うべきなのに「人間は働くべきだ」と言ってしまう。おかしい。「自分は例外だけど、人間は働くべきだ」と言うべきなのに「人間は働くべきだ」と言ってしまう。おかしい。「人間は働くべきだ」と言っているのに「自分の場合は」「ちゃんとした理由があれば」「働かなくてもいい」と考えている。おかしい。おかしい。矛盾している。
「自分は人間ではない」と考えているのであれば、矛盾していないけど、「自分は人間だ」と考えているのだろ。矛盾している。おかしい。矛盾しているのに、まったく気がつかないなんておかしい。
自分は、そのうち退職するつもりなのに、他人には「人間は働くべきだ」と言うのは、おかしい。自分がすでに退職して、働いていないのに、他人には「人間は働くべきだ」と言うのは、おかしい。矛盾している。
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「人間は働くべきだが、ちゃんとした理由がある場合は、働かなくてもいい」「ちゃんとした理由があるかどうかは本人が判断すればいい」と言えばいいのに、「人間は働くべきだ」と言ってしまう。「本人」というのは、ちゃんとした理由があるかどうか判断する人のことだ。
その人が、ちゃんとした理由があると判断したら、「自分」には、その人にちゃんとした理由があるようには見えない場合も、その人「本人」がちゃんとした理由があると判断したのだから、働かなくてもいいということになる。
「人間は働くべきだが、ちゃんとした理由がある場合は、働かなくてもいい」「ちゃんとした理由があるかどうかは自分が判断すればいい」という場合は、「人間は働くべきだが、ちゃんとした理由がある場合は、働かなくてもいい」と言っている人本人が判断するということになる。
たとえば、Aさんが「人間は働くべきだが、ちゃんとした理由がある場合は、働かなくてもいい」「ちゃんとした理由があるかどうかは自分が判断すればいい」と言っているなら、Aさんが、自分のことも他人のことも判断するということになる。「ちゃんとした理由があるかどうかは自分(Aさん)が判断する」ということになる。
まあ、「人間は働くべきだ」と他人に言ってしまう人は、じつは……「人間は働くべきだが、ちゃんとした理由がある場合は、働かなくてもいい」「ちゃんとした理由があるかどうかは自分が判断する」という意味で、「人間は働くべきだ」と他人に言っているんだろうな。ほんとうに、やっかいな連中だなぁ。