2016年12月31日土曜日

うちでは、いつもそう

もう、一年経っちゃったんだな。問題が変わらない。どうしたらいいんだろう。ほんのちょっとでもしあわせになりたいな。実際のぼくの世界というのは、どどめ色だけど。ところで、どどめ色ってそんなに、きたない色じゃないんだよ。まあ、そんなことはどうでもいいけど。

ともかく、生きているよ。

けど、これで、腹が痛くなったりなんかの病気になったりすると、めちゃくちゃに落ち込むんだよな。ものすごく、不安になる。

自分の人生はつくづくヘビメタ騒音だけだったなと思う。小さきときはきちがい親父にやられて、小学生時代から、きちがいヘビメタ騒音に毎日やられて、良いことなかったよ。小さいときって、生まれてからだ。別に小学六年生のときは、きちがい親父にやられてなかったわけじゃない。だから、重なるな。高校生以降は、きちがい親父は、やや後退するのだけど、きちがい親父の性格がなおったわけじゃないんだよ。きちがい親父は、兄貴に「(なにも)言えなくなっちゃった」だけで、根っこの性格が変わったわけじゃない。きちがい兄貴に当たり散らすことができなくなったから、無視しているだけ。きちがい兄貴も、きちがい親父のこと無視しているから、両者にまったく接触がない状態ができあがるんだよ。だから、きちがい親父が一日に一分でも、きちがい兄貴に注意したとかそういうことはない。ヘビメタ騒音がうるさいとか、大きすぎるからやめろということを、言わない。きちがい親父の場合、「注意」っていうのができないんだよ。小さいときのは注意じゃなくて、藪から棒にけちをつけて怒り狂うだけだから。そういうことしができない。こどもに対する態度というのが、そういう態度だ。めちゃくちゃなことで怒り狂っているのが、あたりまえの状態。うちにいるときのあたりまえの状態なんだよ。これを、精神的な虐待と言えば、精神的な虐待と言えるんだろうな。ともかく、こどもに対する関心がないんだよ。で、見かけたら、まったくわけがわからないことで、いちゃもんをつけて、怒り狂う。本当に、年がら年中そういう状態。で、これも、本当は、本人に「つもり」があっていいことなんだけど、「つもり」だけはないんだよな。本当に理不尽な状態で、普通の家で育った普通の人には、もう、根本からわからない。「そんなのないんじゃない」と思って当然だ。けど、そうなんだよ。だから、きちがい兄貴も、あんなふうになっちゃった。きちがい兄貴がヘビメタ騒音でやったことって、なにからなにまで、親父がわけのわからないことで怒り狂っていたときとおなじなんだよ。兄貴の態度や認識が、きちがい親父とおなじ。兄貴のヘビメタに対する態度というのは、親父の変なことに対する態度とまったくおなじ。この変なことというのは、なんて言うのかな……なにもしてないこどもに、逆上して怒鳴り込んでいくようなこととおなじ。そういう人なんだよ。「うち」にいるときは、つねにそういう状態で、わけがわからないことで怒り狂っていた。これも、本当に、こどもが、こどもだから、親が怒った理由がわからなかったんだろう」と解釈してしまう人がいるんだけど、そうじゃないんだ。

2016年12月30日金曜日

ヘビメタ騒音がない人生を経験したい


いったい俺の人生はなんだったんだ?って思う。毎日、それは思う。起きたときも寝るときもそう思う。

自分の人生の中で、ずっとやってきたことって、読書とパソコンなんだよね。本は本当に、他の人の一〇〇〇倍ぐらいは読んでいると思う。一日に一〇冊のペースで読んでたときがある。ちゃんと精読だよ。精読でもぼくははやいけど。何千冊か読んだ。ひょっとしたら立ち読みをあわせれば、何万冊かもしれない。ぼくは、本を読むのがはやいから、でかい本屋で一冊丸ごと全部立ち読みしていた時期がある。五冊か六冊はいけたな。哲学や経済学の専門書だよ。俺はなんなんだろうな? ヘビメタ騒音なしで、哲学、経済学、心理学を分け隔てなく、深いところまで学べる大学に行きたかったな。理系のことも実は興味がある。ぼくは、深いからね。けど、経済学と言っても、興味のある経済学が限られているんだよな。俺がどれだけ真剣にシュンペーターや玉野井 芳郎を読んでいたか。俺は、広松渉の『マルクス主義の地平』を一読してちゃんと理解できる数少ない人間だ。


ヘビメタ騒音がない人生を経験したい。
ヘビメタ騒音がなかったらどんだけすばらしい人生か。

2016年12月29日木曜日

そういう病気なんだよな。本当に、困るよ

なんかもうちょっと気楽に書けるようになればなぁ~~~
なんかもうちょっと気楽に行動できるようになればなぁ~~~

と思う。

気楽じゃないんだよな。
気重(きおも)。
あれ、気重なんて言葉があるのか?
気重ってあった!!!

気重って、ふざけた言葉かと思った。

問題はお金だ。お金。

お金と今後の人生。
けど、これ、どれだけ考えてもしかたがない。

七〇代になったとき、生活保護に頼っていいと思う場合と、七〇代だろうが八〇代だろうが、生活保護に頼るのは嫌だという場合とで、だいぶ話が違うんだよな。国民年金は払うけど、たぶん自分の場合、月に換算して五万ぐらいしかもらえない。

七〇代か……。うっっ……。これ、本当、四〇代、五〇代で生活保護に突入して、アパート暮らしの人もいるのだけど、……。これ、本当、ヘビメタ騒音以降……俺、良いことがないから。ヘビメタ騒音で女性と普通につきあって結婚するという道が、とだえた。粉砕された。本当に、ヘビメタ騒音がはじまってから、良いことがないんだよ。

これ、おかしいよ。あいつはやってないつもりだからな。ゆずってやったつもりだからな。どれだけ言っても、一分も静かにしてくれなかったというのが現実なのに。一四年間の現実なのに。一四年間毎日の現実なのに。あれだけ人の勉強の邪魔をしておいて、「つもりがない」とか、そういうのが、人間としておかしい。で、全部、そのモードなんだよな。一旦そういうモードになったら、全部そうなんだよ。

こっちが、どれだけ何回言っても、そういうモードのままだ。全部の時間鳴らすけど、ぜんぜん悪いと思ってない。「入学試験だから鳴らすな」と一日に二〇回三〇回怒鳴り込んでも、……兄貴の立場からすると怒鳴り込まれても……まったくなにも邪魔をしているつもりがないまま、怒ってて鳴らし切ることができる。

一〇〇の音か九九の音でずっと一二時間、一三時間鳴らし続ける。それで、「協力してやった」「できるだけ静かにしてやった」と嘘でなく思っている。頭がおかしい。頭がおかしいと言わずしてなんと言うのか?? 中間期末試験の時に、俺が何回、「勉強するから静かにしてくれ」と真剣に言ったと思っているんだ。何時間も続くから、何回も何回も「明日試験だからやめろ」「試験中だからやめろ」「勉強するからやめろ」と兄貴の部屋に言いに行かなければならなかった。俺は、一日に何回もしつこく注意したから。

一分も、本当には静かにしてくれないのに、そして、何回も何回も言われているのに、鳴らし続けて、まったく悪気がないんだよ。まったく悪いことをしたと思ってない。迷惑をかけたと思ってない。勉強の邪魔をしたと思ってない。思ってなければ、もう、まったくやってないのとおなじなんだよ。どれだけ何回、何日も何日ももめても、本人はまったく悪気がないまま、全部の時間、鳴らし切ることができる。そして、なにもしてないと思うことができる。勉強の邪魔なんてしてないと思うことができるのだ。


鳴らしておいてそういう態度だ。そう言う気持ちだ。そういう認識だ。これ、きちがい兄貴にしたって、きちがい兄貴が静かにしてやったつもりの音で、なにか別の音が鳴っていたら、一分で、うるさくてうさくてたまらない」という気分になるんだよ。一〇分も続いたら、「うるさいぃぃぃぃぃぃ!!」と発狂するほど腹を立てるんだよ。そういう音のでかさだ。そういう物理的な音のでかさだ。けど、「うちでなら」ぜんぜん気にしない。自分が鳴らすヘビメタなら、どれだけでかい音で鳴らしたって、普通の音で鳴らしているのとおなじつもりなのである。

普通の音というのは、たとえば普通のテレビの音だ。会話ぐらいの音だ。本当は、ヘビメタでなければ、本人だって、「うるさくてうるさくてたまらない」と思うような音で鳴らしているのに……大音響で鳴らしているのに……本人は、そういうふうに認知しない。でっ、いったん、そういうふうに認知しないとなったら、どれだけ言われても、そういうふうに認知しないままなんだよ。普通に認知してしまったら、自分が、本当に静かにしなければならなくなるだろ。それは、絶対に嫌なんだよ。

普通に認知して、たとえば、人の話し声ぐらいの音で聞かなければならなくなるというのは、絶対に嫌なんだよ。それは、一日一分だろうが、そんな気分が出ない音のでかさで聞くのは嫌なんだよ。きちがい兄貴が、ヘビメタを鳴らしているのに、普通の会話ぐらいの音に音を下げたことというのは、本当に一四年間で、一度もない。一分もない。一秒もない。ヘビメタを鳴らすなら、自分が思ったとおりに鳴らしたいのであり、きちがい兄貴が下げたつもりの音も、実は、自分が思ったとおりに鳴らしたいという気持ちは満たされている音なのである。

だから、もし、ヘビメタでなければ、本人が一分で「うっさいいい、やめろ」と怒鳴り散らしてしまうような音で、ずっと鳴らし切る。親父は、しったことじゃないよ。そんなのもう、はるかに後退して、一切合切関わらないようになっているわけだから。で、これまた、親父がそういうモードになったら、どれだけ、何回、何万回、「うるさい音で鳴っている」ということを言っても、認めな状態になってしまう。

で、そうであるならば、なんて言うのか、自分(父)は長男(兄)に注意しなくていいわけたから、楽なのだ。で、そっち方向になんて言うのかな、走ると……本当ならヒトコトでわかることが、わからなくなってしまうんだよ。親父と兄貴はそういうところがある。親父がやり始めたことで、兄貴がまねをしたことだ。だから、親父に、この事態(きちがい兄貴がこだわりつくして、自分の音でヘビメタを鳴らすということ)をどうにかする力がない。気持ちもない。どうにかしようとする気持ちなんて最初からない。どうにかしようとする気持ちというか、どうにかしようとする気持ちの反対の気持ちしかない。

「自分は関係がない」「なんだろうが(からだがでかくなって、アルバイトをし始めた長男には注意したくない)」という気持ちがある。で、そういう気持ちに本人がまた気がつかないから、なんて言うのかな、変な状態になってしまうんだよ。で、親父がそういう変な状態になっても、困るのは俺だけなんだよ。俺と、まあ、お母さんだけなんだよ。

きちがい親父はきちがい親父の中の理由というのがある。ヘビメタ騒音を注意しなかったのは、(もうその時点では)兄貴がこわかったからだ。是が非でも、兄貴に注意をするのは嫌なのである。で、そういうことを認めてないから、「そんなん、なっちゃったらなっちゃってしかたがない」とか「ちょっとぐらいしかたがない」とかアホなことを言って、注意しない。

まだからだが小さい小学六年生の俺には、そういう態度がとれた。「ちょっとじゃないんだ」と言っても、血相を変えて顔を真っ赤にして、「そんなん、なっちゃったらなっちゃってしかたがない」と怒鳴って、どこかに行ってしまうか、寝床に行ってしまうんだよ。どこかに行ってしまうというのは、パチンコだ。だいたい、日曜日の午前中か、夜の一一時一二分以降しか、親父にものを言うための時間がない。入試がちかいときだって、夜の一一時一二分以降に、言うしかない。きちがい兄貴がヘビメタを鳴らし終わったあとの時間だ。

これ、本当に、まるで申し合わせたように、きちがい親父ときちがい兄貴がかちあわないようになっている。きちがい兄貴が午後一一時一〇分から、一一分のあいだにヘビメタをやめて、一〇分から一一分のあいだに、歯磨きをして、午後一一時一五分には二階に上がっていくんだよ。で、午後一一時一五分三〇秒から、午後一一時一六分に親父が帰ってくる。これは、土曜日も日曜日も、クリスマスも年末年始もそうだ。申し合わせたように、一分違いで、帰ってくる。きちがい兄貴がヘビメタをやめて、二階から下に降りてきて、歯磨きをして二階に上がっていくと、三〇秒から一分ぐらいして親父が帰ってくる。親父が帰ってきたときには、ヘビメタが鳴ってないから、親父としてはぜんぜん困らないのである。兄貴は、ご飯一〇分、風呂一〇分、歯磨き四分から五分のあいだだけ一階にいる。

で、この時間以外は全部、自分の部屋にいる。で、起きている状態で自分の部屋にいるときは、かならず、大音響でヘビメタを鳴らして、それにあわせて、大音響でエレキギターをかき鳴らす(練習する)ということになっている。で、これが三六五日中三六五日、まったく変わらないんだよ。それこそ、クリスマスだろうが年末年始だろうが変わらない。というか、たとえば、その年末年始は、冬休みなので、鳴らす時間が増えてしまう。

ともかく、一分だって本当には静かにしてくれない状態で、毎日全部の時間鳴らし切る。それが、うちにいるときのきちがい兄貴の基本的な態度、行動で、その態度と行動は、こっちがなにを言っても、かわらない。何千日も、そういう行動をしていた。

これ、親父もいまになれば、「いっぱい注意した」などと言うけど、本当に、どの口でそういうことを言っているのか? もう、本当に、絶望的な気分になる。話が通じないとかそういうレベルを超えて、これ、本当に、精神病だからな。嘘つき病。自分にとって、その時都合が悪いことを言われたら、ともかく、反射的に「否定」する。「やった」と言われたら、「やってなーーいやってなーい」と言う。それだけ。なにも考えてない。薄っぺらな、嘘つき。自分が本当にやったのかどうかなんて、そんなのは、……何千日こだわってやったことでも……関係がないのである。その時、認めてしまったらまずいことを言われたら、「そんなんじゃない」「そんなんじゃない」と言って怒る。もう、何十年も前からわからない。兄貴もおなじで、「よその人の前で」……「一分もゆずってくれなかった」と言われると(書かれる)……「そんなんじゃないそんなんじゃい」「ゆずってやったゆずってやった」と口をたてて、顔を真っ赤にして頑固に言うのである。嘘をついているつもりがあるのかどうかわからない。親父の場合は、嘘をついているつもりはないよ。そういう病気なんだよな。本当に、困るよ。

これ、そういう病気の人と一緒に住んだことがない人には、まったくわからないことなんだろうな。だから、こっちが、間に挟まって困ることになる。全部そうだよ!!! 世間と親父の間に挟まってこまることになる。で、そういうことで、嫌な思いをしてきた兄貴が、そのまま、ヘビメタ騒音で親父のまねをする。これも、ホネガラミで、一〇年だって二〇年だって、三〇年だって、おなじことを言いやがる。一〇年以上、毎日、(そういう態度で)やったことを、否定する。

その時は、その時で、認めるのが嫌なんだよ。とくに、よその人の前で認めるのが嫌なんだよ。だから、反射的に、嘘をつく。「ゆずってやった」「静かにしてやった」と嘘をつく。じゃあ、一日に何分間鳴らさないで静かにしてくれたんだ? 中間試験、期末試験の時は、一週間前から、午後四時から午後四時一〇分まで、一〇分間鳴らさないで静かにしてくれたか? 中間試験だろうが期末試験だろうが、一分もゆずらないで、こだわりつくして鳴らしてたのが、きちがい兄貴だ。それじゃ、午後四時から午後五時までは、鳴らさないで静かにしてくれる、あるいは、ヘッドホンをして静かにしてくれると決まっていた期間はどのくらいある? 一日だってそんなことしてくれたことがないよ。

これ、よその人の前だと、そういうふうに嘘を言って怒っておしまいなんだよな。怒って、自分の部屋に入っちゃう。そうしたら、おしまいだ。それで、切れている。自分は本当は、一日に一分だってヘッドホンをしてやらなかった、ということに気がつかない。当然、スッイチを切って鳴らさないで一分間我慢してやったこともないのだけど、そういうことに気がつかない。何十年だって、何万回繰り返したって、気がつかないんだよ。

で、これは、よその家で、自分にとって不都合なとことを言われたときの態度だ。うちで、「鳴らさないで静かにしてくれ」「ヘッドホンをして静かにしてくれ」と自分にとって不都合なことを言われたら、口をたてて、真っ赤な顔をして、怒って、自分の部屋に行って、ヘビメタをちょーーでかい音で鳴らし続ける。よそのうちでは鳴らさないからよそのうちのひとはわからないのだろうけど、ものすごくでかい音だからな。それであたりまえ。親父のように、どれだけなにを言っても、何万回言っても、どれだけしつこく言っても、一切合切つたわらないんだよ。毎回毎回おなじ態度で、鳴らし切る。だから、鳴らし切っているのに、本人は、「そんなんじゃない」なんて、嘘でなく、言える。本人は、嘘をついているつもりがないんだからな。

何十年も毎日おなじだよ。どこかで、気がつくということがないんだよな。徹底的にない。そういう自我だ。

2016年12月28日水曜日

自分の騒音に関してはどこまでも鈍感、どれだけ鳴らしたって鳴らしてないと思っている

ちょうつまんねぇー。朝っぱらからヘビメタ騒音のことで腹が立つ。あいつの態度はなんだ? この世に騒音などというものは存在しないという態度だからな。どれだけ言っても、まったくなにも伝わらないんだよな。けど、自分だってヘビメタでなければ、あの音のでかさで一分間鳴らされたら、ものすごく頭にくるんだよ。あの一〇分の一の音、あの二〇分の一の音で、あの音の一〇〇分の一の足音を聞かされたら、腹が立つ。

たまたま、きちがい兄貴が下の部屋にいて、飯を食っていた。で、ぼくが、二階で、革靴を履いて、歩いた。この革靴は、新品の革靴で、外に履いていく前に、ちょっと家の中で履いて歩いてみたらどうだろうと思って、歩いただけなのだ。一〇分って言ったけど、七分も歩いてないと思う。七分で、足音で……「うっさいな」など言ったのだ。たった一回だけだよ。きちがい兄貴!!! おまえ!!自分がどれだけでかい音で鳴らしているのかわかっているのか?? わかってないんだろうな。聞こえの音で二〇分の一以下だ。これ、本当の物理的な音だと何百分の一、何千分の一ぐらいになると思う。人間が主観的に感じる音のでかさと、物理的な音のでかさはだいぶ違うんだよ。とくに、ある音と別の音の「差」ということになると。人間というのは音刺激に関しては、対数関数的な感覚がある。

ともかく、きちがい兄貴は、一分も、一秒も本当にはゆずってない。一分だろうが、一秒だろうが本当には!!静かにしてくれなかった。本当にはというふうにつけなければならないのは、きちがい兄貴の感覚がおかしいからだ。自分が一%でも静かにしてやれば、それはそれはものすごいことをしてやったつもりになる。けど、九九%の音は、よそのうちでは一分たりとて鳴らせないようなどでかい音なのである。九〇%の音でも鳴らせないよ。俺に言われて静かにしたのは、入学試験前だろうがなんだろうが一%だ。しかも、全体の一%の時間。だから、一万分の一しか静かにしてない。あいつが最大限静かにしてやるという場合の静かにするというのが、そういう内容だ。一秒たりとて、ちゃんと鳴らさないで静かにしてくれるということがない。

きちがい兄貴、静かにしてやったというのであれば、いったい一日に何時間、ヘッドホンをしたんだ? 一秒もしてないじゃないか!! いったい一日に何時間、ちゃんと鳴らさないで静かにしてくれたというのだ? 一秒も、ちゃんと静かにしてくれたことがない。毎日、一秒も静かにしてないのに、「静かにしてやった」と思っている。そういうきちがい感覚が問題なんだよ。で、これ、親父のように、修正できないんだからな。親父とおなじなんだよな。毎日毎日。毎日毎日、頑固にやり切る。例外というのがない。本当は、一日だけ例外があるけど、その例外を除いたら、例外がない。毎日……本当に毎日、一分も、一秒も、本当にはゆずらずに鳴らしてた。だから、鳴らしているのに、よその人の前では「静かにしてやった」といまだに、言い訳している。そういうやつなんだよ。うちにいるときは、……つまり鳴らしているときは、……そういう感覚で、こっちがどれだけなにを言っても、一秒もゆずらないで、鳴らしてた。それが、一四年間の真実だ。実際には、一四年と半年の真実だけど。

   *     *     *

中学高校と、普通にヘビメタ騒音なしで勉強したかった。それが俺の夢だ。


2016年12月27日火曜日

何千日、もめてもめても、かっえってくる態度がおなじだ

波及効果がでかすぎる。他の人たちが思うヘビメタ騒音の害悪とぼくが経験したヘビメタ騒音の害悪のでかさが違う。ヘビメタ騒音のことはぼくが語るわけで、他の人たちはヘビメタ騒音のことについて……つまり、うちのヘビメタ騒音のことについて……ぼくから聞くことになる。話しとして聞くわけだから、実際に、やられるわけじゃない。だから、「これくらいできるだろう」「がんばれば普通に行動できるだろう」という考えがある。で、それが……それが……ヘビメタ騒音の中でで聞く鳴っていったから問題がある。通勤通学ができない……と言っても、ヘビメタ騒音にさらされ始めたのが、小学六年生のときなので、高校三年生まで、通学していた。

で、その六年と半年が、ぼくの通勤通学能力をうばっているのであって、できたから、できるんだというわけではないのだ。そんなのは、良いわけだと思うかもしれないけど、それじゃ、ぼくとおなじヘビメタ騒音量を味わえる騒音チップをつけて、実際に六年と半年間、通学してくれ。それがどれだけ、たいへんなことかわかる。あんなのを、六年と半年間続けていたら、そりゃ、もう、できなくなる。他の人は、今ぼくが通勤通学できない状態を見て、いまは鳴ってないのだから通勤通学できるだろ」と思う。

けど、その人だって、実際にぼくとおなじヘビメタ騒音量を浴びていたら、三年で再起不能になるかもしれないのだ。三年で通学通勤できない状態になるかもしれないのだ。ぼくは持ったほうだと思う。人によっては、一年で通勤通学が、その後も、できない状態になると思う。土日、祭日、夏休み冬休み春休みに、ヘビメタ騒音時間がのびてしまうのが問題だ。本当に、一日中鳴っている。だから、くるしい。一年間通して、ヘビメタ騒音地獄を経験してくれ。そうじゃないと、わからない。そうじゃないから、俺が甘えたことを言っているように聞こえる。「できないできない」「あれができないこれができない」と言っているように聞こえる。ぼくとおなじヘビメタ騒音量を経験してみれば、わかる。

で、ぼくは、六年と半年間、耐えてがんばった。普通の人……ぼくとおなじヘビメタ騒音量を経験してない人にしてみれば……できてあたりまえと思うことなんだろうけど、それは違う。けっきょく、耐えてがんばったぼくが悪く言われるということにはかわりがないんだよな。

ともかく、普通の人と……つまりぼく以外のひとと……ぼくのあいだには、ヘビメタ騒音にかんする見解の差がある。認知の差がある。で、その認知の差がぼくを苦しめる。他の人が全員、ぼくとおなじヘビメタ騒音量を経験した人なら……特に同じ時期にぼくとおなじヘビメタ騒音量を経験して、なおかつ、「たてまえ」「きれいごと」にしがみついて「通っていた」人であるならば、ぼくの言っていることは、文句なくわかる。「いいわけばかり」だとは、絶対に言わない。「いまは鳴ってないのだから、通勤できるのでは」などとは、絶対に言えな状態になる。

きちがい兄貴は、少なくてもぼくとおなじそう音量を経験するべき。自分が弟にどれだけひどいことを押し付けてきたか、身をもって知るべき。ヘビメタが一四年間も毎日、きちがい兄貴が鳴らした程度に続くなら、だれだって、終わったあとも身体がだるくてしかたがない状態になる。けど、身体がだるくてしかたがない状態になると言っても、他の人は経験してないわけだから、つらさがわからない。「できるんじゃないか」と思う。

けど、無理なんだ。で、「けど無理なんだ」というのを、認めない人たちがいる。で、その人たちは、みんな、ぼくとおなじヘビメタ騒音量を経験してない。経験してから、文句を言え。そういうわかったようなことを言え。明らかにぼくより体力がない人たち、能力がない人たちから「いいわけ」などと言われる状態に追い込まれたというのが問題だ。きちがい兄貴は、本人が寝ている時間と食べている時間と、風呂に入っている時間を除いて、すべて、うちにいあいだはヘビメタを、きちがい兄貴が満足できるどでかい音で鳴らしまくっただけなんだけど、俺がヘビメタ騒音について語れば、俺より明らかに体力も能力も劣る人間から「いいわけばかり」などと言われる状態に追い込まれる。ぼくの人生というのは、そういうことの連続だった。ヘビメタ騒音というのは、そういうものだ。ヘビメタ騒音自体が、そういう性格を持っている。

俺が、「いいわけだ」と言われる状態を避けるために言わなければ、俺が、誤解される。もちろん、悪い方に誤解される。きちがい兄貴よ、きちがい兄貴のヘビメタで、俺が、悪い方に誤解されて悪く言われる。そういうことの連続だ。そりゃ、毎日学校に通っていれば、そういうことの連続になる。休みの日も含めて、毎日、すべてのきちがい兄貴が起きている時間鳴っているわけだから。(風呂の時間と食べる時間は除く)。夏休みなんて、朝の九時一五分から、夜の一一時一一分まで鳴っている)。入学試験前の冬休みだって、一四日中一四日間、全部、朝の九時一五分から、夜の一一時一一分まで鳴ってた。それで、「そんなに鳴らしてない」「静かにしてやった」「協力してやった」「俺にだって言い分がある」なんて、すっとぼけたことを、兄貴の新しい家族の前で言っているんだからな。そういうすっとぼけた状態で、俺がどれだけ真剣に「試験だからやめてくれ」と言っても腹を立てて……親父のように腹を立ててむくれて、目をさく間にして、顔を真っ赤にして鳴らしてたんだよ。こだわりつくして一分もやめないで鳴らしてたんだよ。それで、「試験に協力してやった」とかよく言えるな。本当、全部が全部、そういう人間。

他の人は、兄貴がそういう人だとは思ってない。他の人は……特にきれい事を言う人は……そういう人間がいるということを認めない。そういう人間がいるとは思ってない。だから、俺が説明したあとも半信半疑だ。で、その人は

毎日が、ハンダゴテ事件だよ。毎日がハンダゴテ事件のような日なんだよ。きちがい兄貴!! きちがい兄貴とってハンダゴテ事件のように、他の人には伝わらないことが、毎日起きている。毎日起きている。他の人は、親父の性格を信じない。兄貴がどれだけちゃんと説明したと言っても、「おまえの説明のしかたが悪かったから、親父さんがわからなかっただけだろ」などと思われてしまうのだ。このハンダゴテは使えないと判断したのは親父なのに、まるで、兄貴が、このハンダゴテでいいと思って持ってきたというように誤解される。けど、それは、なんて言うのかな、頭が悪いからこのハンダゴテでいいと思った……そういう間抜けなやつだというニュアンスが入っている。

だから、本当は、そういうことを理解できないのは親父なのに、兄貴が理解できなかったと思われてしまうのだ。兄貴がそういうことを理解できなバカなやつだと思われてしまうのだ。それで恥をかく。けど、うちに帰ってきて、親父にどれだけ、「このハンダゴテじゃやっぱり使えなかった」と言っても、親父は認めない。認めたら、金を払わなければならなくなるから、それは、絶対にない。結論が出ている。で、そういうことを何回繰り返しても、親父は認めないままで、……もし、母親が金を出してちゃんとしたハンダゴテを買ってくれなければ、そのまま、「バカなハンダゴテ」を持っていくしかない状態に追い込まれる。ヘビメタが騒音だと言うこと認めない態度というのは、そのハンダゴテではダメなんだと言うことを認めない親父の態度とおなじなんだよ。

よその人は、「そんな人いない」と思う。そんなでかい音で鳴らしているのであれば、でかい音で鳴らしていると言うことはわかっているはずだと思う。そんなでかい音で鳴らして、一分もゆずらないのであれば、一分もゆずってないというとがわかるはずだと思う。けど、「うち!!!!!!!!!!!」では違う。うちでは、きちがい兄貴がわからないまま、鳴らし続ける。本当は、強烈にでかい音で鳴らしているのに、きちがい兄貴の主観としてはこんなのは普通の音でテレビの音とおなじぐらいだと思っている。

で、それが、「親父のハンダゴテ」のようにくつがえらない。何万回、もめても、くつがえらない。しかも、何万回ももめているのに、本人は、まったく、関係がない人のつもりでいる。ぜんぜん関係がない思っている。どれだけなにを言っても、買ってくる態度がおなじだ。何千日、もめてもめても、かっえってくる態度がおなじだ。そのままの主観でくつがえらない。だから、他の人とのあいだに、認識の差ができる。これがつらい。俺がふざけて宿題をやってこないように思われる。俺がふざけて遅刻するように思われる。俺が人生をなめているから、入学試験前だというのに、勉強しないように思われる。俺がたるんでいるから、通勤ができないと言っているように思われる。

2016年12月26日月曜日

ダイヤ。本当にできないんだよ


ダイヤ。本当にできないんだよ。本当にできない。「自分も経験した。エイリがずっと騒音に耐えてきたことは知っている……けど……」とダイヤは言った。けど、わかってない。ダイヤが経験した騒音は、道を挟んだアパート建設のための騒音で、その時点で一一年間続いていた、ヘビメタ騒音ではない。経験してない。けど、ダイヤと遊んでいた頃が懐かしい。昔のアニメを視ると、こたつのシーンを視ただけで、なんかいろいろ思い出す。それにしてもヘビメタ騒音がきつかった。これ、本当に、ただ単に鳴っているあいだ勉強ができないということじゃなくて、勉強にまつわることすべてがだめになる。だって、好きな本も読めない状態になるわけだから。

「なんとか立ち直ってくれ」
「できない」
こういう平行線会話が何回繰り返されたと思っているんだ。本当にできない。つきあわせるわけにはいかない。だから、わざと嫌われることを言って縁を切ろうとした。 あの時点で、柳荘に出ていたから、家に帰ってご飯を食べる時間以外はヘビメタ騒音からは解放されていた。けど、ちがうんだよ。全体がちがう。いつかは終わる住宅の工事とはちがうから。そりゃ、住宅の工事だってうるさいけどさ。ヘビメタ騒音と住宅の工事のダブルパンチを受けて、きつかったよ。本当にきつかった。毎日死のうと思っていた。受験がくるしいのではなくて、ヘビメタ騒音にたたられている毎日がくるしかった。六年間、七年間八年間、続いてみろよ。七年目のある日に、どれだけ、「もう鳴らすな」「いい加減にしろ」と言っても絶対に静かにしてくれなかった。一分だって、静かにしなかった。普段の日、一分間、きちがい兄貴が鳴らさないで静かにしてくれるといこうとがなかった。一分間、ヘッドホンをして静かにしてくれると言うことが、なかった。それで、きちがい兄貴は、気楽なのか。気楽にならしていたのか。自分が弟に迷惑をかけているとは、つゆとも思わなかったのか??一日に、何回も何回も、怒鳴り込まれているのに。これが!!きちがい兄貴の「普段の」態度だ。真一の積み重ねというのが、ものすごく重要。毎日の積み重ねで、現実ができている。三年も、毎日、続いたら、そりゃ、ものすごい差になる。これがわかってない。俺以外の人間にはこれがわかってない。「ヘビメタ騒音? そんなの、どれだけ鳴っているったって、どうせ一、二時間だろ。俺だって、テレビでうるさくされている」とか言われてしまうのだけど、違うんだよね。きちがい兄貴がうちにいる時間鳴っている。眠っている時間、風呂に入っている時間、ご飯を食べている時間をぬかして、すべての時間鳴らしている。一、二時間じゃない。テレビぐらいの音でもない。俺が部屋で絶叫してたって、鳴らしているきちがい兄貴にはまったく聞こえないようなでかい音で鳴らしている。兄貴の部屋は二階にあるのに、一階の玄関で会話が成り立たないようなでかい音で鳴らしている。ヘビメタが好きな兄貴の友達が、「こんな音で鳴らして大丈夫なの? うちのひと文句言わないの? うちで、こんな音で鳴らしたことなんて一回もないよ」と言うようなでかい音なのである。そういう音で鳴らしていても、きちがい兄貴は、キチガイだから?静かにしてやったと思っている。「こんな音、たいした音じゃない」と思っている。自分が鳴らすなら、どれだけでかい音で鳴らしても、普通の音なのである。自分が鳴らすならどれだけでかい音で鳴らしても、問題のない音なのである。どうしてかというと、ならしたい音で鳴らしたいので、問題のない音だと思い込むことにしているからだ。無意識的に!! だから、どれだけうるさい音、でかい音で鳴らしても、本人の中では、問題じゃないのである。「うるさいからやめろ」と言われたら、言ってきた方が悪いと思っている。「せっかく人が気持ちよくならしているのに、あとからあとから、がたがた言ってきやがって」これが、何回もやめろと言われたときのきちがい兄貴の気持ちだ。そういう感じ方しかしない。「弟に迷惑をかけているからやめてやろう」とか「もう、今日は五時間鳴らしているから、この辺でやめようかな」なんて、気持ちは一切合切わかない。自分がやっていることを「迷惑だからやめてくれ」といわれたときの親父のように、沸騰してしまうのである。腹を立てる。ぜんぜん悪いと思わない。言われて自分が傷ついた。「余計なことを言ってくるな!!」「気分を壊すようなことを言ってくるな!!」「ともかく、鳴らすからな!!」こういう気持ちにしかならない。だから、言われるたびに起こっていた。基本的に言って、言われたら怒るというのが、基本的な反応のしかただ。ときどき、「わかったわかった」と言って、一〇〇〇分の一ぐらい、静かにすることがあった。けど、その一〇〇〇分の一だけ下げた音が、ヘビメタが好きな兄貴の友達が驚いてしまうほど、でかいのである。けど、一〇〇〇分の一でも、ゆずってやったら、「ゆずってやったゆずってやったゆずってやった」とゆでだこになってしまう。ゆずってやったのに、「静かにしろ」「もっと音を下げてくれ」と言われたら、発狂してしまう。そういう態度だ。毎日そういう態度で鳴らしてた。それがいまになったら、「静かにしてやった」「そんなに鳴らしてない」「あいつ(弟)が嘘をついている」「俺にだって言い分がある」と言い出す。これも、親父とおなじなんだよ。ホネガラミ。自分が本当に、一時間、鳴らすことができないまま我慢したなんてことはないのに、そういうふうに思っている。そういうのところからみても、まったく親父とおなじで、ホネガラミなんだよ。自分言い分を一〇〇%通して鳴らしてたというのが本当はわかってない。あたりまえのように毎日一分も本当にはゆずらないで鳴らすことができたので、いまも、そういうつもりなんだよ。実際に、我慢させられることがなかったから「ゆずってやった」とか言っているだけ! そういう言葉自体が、きちがい兄貴の症状を言い表している。そのまま、言い表している。そういう態度で、実際には、一分もゆずってやらなかったというのが、この世の、きちがい兄貴の、本当の、態度だ。毎日の態度だ。一四年間にわたる毎日の態度だ。我慢して静かにしてやったのは、一日だけなんだよ。他の日は、我慢して本当に静かにしてやったということがない。一日だってない。一日のうち、一分間ですら、我慢して静かにするということがなかった。そういう毎日だ。それなのに、……そういうことを一四年間にわたって毎日押し通したのに「静かにしてやった」「知らなかった(言えば静かにしてやったのに、知らなかったから鳴らしたんだ)」こういうことを平気で言えるのが、きちがい兄貴だ。こんなの本当にない。自分で催眠術にかけて、一切合切認知しないようにしたとしかいいようがない。一切合切認知しないようにしないと、弟の言うことを聞いて、本当に静かにしてやらなければならない時間をつくってやらなければならなくなる。本当に静かにしてしてやるのは、絶対に嫌だから、一日に一分だって、本当には静かにしてやらなかったというのが、兄貴の態度だ。あたりまえの、いつもの、態度だ。一分だってしてくれなかったやつが、一時間とか二時間とか静かにするわけがないだろ。全体の時間が四時間で、二時間静かにする……本当に我慢して静かにする……鳴らさないで静かにする……なんてことが、うちで成立するわけがないだろ。きちがい兄貴は、一分だってゆずりたくないから、ゆずらないわけだから。実際に一日に一四時間鳴らせるなら一四時間鳴らして、半分の七時間は、鳴らさないで静かにしてやるなんてことはなかった。そういう日が一日もなのに!!!……半分の時間静かにしてくれた日が一日もないのに、本人は「静かにしてやった」つもりでいるのである。実際に鳴らさないで静かにするということを考えられない。静かにしてやるなら自分のやり方で静かにしてやればいいんだと思って、物理的にはものすごくでかい音で鳴らし続けるのである。そうしたって、本人は大サービスで静かにしてやったと思い込んでいる。その間違った思い込みを、どれだけ言っても修正できない。だから、入学試験の前の冬休みとか、たいへんだったよ。で、この(相手に)やってやるなら、自分が思ったようにやってやる」というのが親父の態度とおなじなのである。で、よその人が想像できないほど、頑固にがめつく、そうなっている。だから、相談なんてしたってむだなんだよ。自分が思ったようにしかしないわけだから。これ、本当に、人を馬鹿にしているような態度なんだけど本人は、大まじめなんだよ。そこで、自分の言い分が一秒でも成り立たないと、発狂してしまう。「せっかくやってやったのになんだ!!」とへそを曲げてしまう。へそを曲げたあとは、最大限の意地で、やりきるのである。顔を真っ赤にして、頑固に、発狂した状態で意地になってやる。やりきる。けど、本人は、それがすんでしまったら、「やってない」「やってない」って鳴るんだよな。済んだときは、「やったということを」認めるというのが、今度は、自分にとって不都合なことになっているから、最大限の意地で、絶対に認めないのである。同じように顔を真っ赤にして怒って絶対に認めない。これは、親父の話だけど、兄貴もまったくおなじなんだよ。「鳴らさないでくれ」と言われたら、怒って怒って最大限の意地で最大限の音で鳴らす。絶対に、ビタイチモンゆずらない。けど、最大限の音というのが、普段の音だから普段の音で鳴らすということになるんだけど……。普段の音が、最大限の音なんだよ。で、どれだけゆずると言っても、音のでかさで一〇〇分の一しかゆずらない。時間の長さでも、一〇〇分の一しかゆずらない。一〇時間鳴らすときは、六分ぐらい、一デシベルぐらい落として鳴らす場合もあるけど、九九デシベルの音だとこまる。こまるのはかわらない。で、九時間五四分一〇〇デシベルで鳴らされて、六分間九九デシベルで鳴らされたら、静かにしてもらってないということになる。けど、きちがい兄貴にしてみれば、「静かにしてやった」ということになってしまうのである。機嫌がいいときで、一〇〇かける一〇〇で、一万分の一ゆずる。けど、その日、ずっと、でかい音で鳴っていたということにはかわりがないんだよ。きちがい兄貴の中では、自分が静かにしてやったら、それがたとえどれだけ少ない時間でも、ものすごくいいことをしてやったと思っているんだよ。ゆずってやった静かにしてやったと思っている。一日中、客観的に言ってどでかい音で鳴らしているのに、本人は「静かにしてやった」「ゆずってやった」と思い込むことができる。

そんな話が通用するようだったら、最初から困ってない

きちがい兄貴が静かにしなければ、ぼくがどれだけ他の人に言ったってむだなのだ。きちがい兄貴のうちでの態度というのは、きちがい親父のうちでの態度とおなじだから他のひとにはわからない。説明しても、「そんなんじゃないんじゃないか」と思ったりする。実際にそうなのだけど、他のひとは、信じがたいから信じないという場合がある。信じない人にとってみれば、俺がへんなことを言っているだけなのである。俺が変なことにこだわって変なことを言っているようにしかみえない。これがまず、親父や兄貴の悪い点だ。これ、本当に、やられた人じゃないわからないと思う。「お父さんだってちゃんと言えばわかってくれるよ」などと言われてしまうのだ。本当にこ、れ、ひらき、があるから。「そんな人いない」「それ、本当なんですか?」などと俺が言われる。半信半疑の人は、ぼくが「本当ですよ」と答えたあとも半信半疑のままだ。これは、相手にとっても不愉快なことなんだけど、俺にとっても不愉快なことだ。相手にとって不愉快な理由は、どっかに書いた。「騒音サイコパス」を全巻買えば、どこかに書いてある。

あれ、本当、催眠術をかけたように本人がわかってないんだよな。だから、嘘を言っているつもりがない。けど、嘘八百。他のひとの前にいるときと、うちにいるときの意識が違う。ぜんぜん違う。二重人格とは違うけど、それに似ている部分がある。よその人がいるときと、うちの人だけに囲まれたときでは、意識が違うんだよな。モードが違ってしまっている。だから、頑固に「うち」でやったことを、よその人の前で、否定したりする。頑固に毎日やっていることなのに、「そうしている」と言われると、違うという。よその人の前にいるときの自分と、うちに帰ったときの自分がつながってないんだよね。だから、よその人の前で否定したことを、うちに帰ってきたら、やる。で、「さっき、よその人の前で否定したのに、やっているじゃないか」と言ってもむだなんだよ。このむださがわからない。これも、ほかのひとにはわからない。だから、ほかのひとは「言えば良い」なんてことを俺に言う。「そういうふうにしているよ」「よそで否定したことを、うちでやっているよ」と(親父や兄貴に)言えば良いなんてことを、俺に言うのだ。そんな話が通用するようだったら、最初から困ってない。そういう話しが通用しないから、困っている。

血相変えて否定することを頑固にやる。その場合、「よその人の前で否定したことをやっている」と言っても、むだだ。うちにいるから。よその人がいないから。うちにいるときは、無礼講なんだよ。どれだけなにをしても良いんだよ。で、自分がやったことを否定するということも、やって良いことに含まれている。だから、本人はぜんぜん気にしない。うちにいるときは「やったってあたりまえ」なんだから。よその人が関わらないと、うちの人がどれだけなにを言っても、何万回言っても、話が通じない状態だ。それは、最初からそうだ。そして、最後までそうだ。うちにいる限りはかわらない。だから、本人が発狂して本人の好きなようにやる。やりきる。けど、やりきっている最中から「そんなんじゃない」「やってない」ということが、あたかも成り立っている状態だ。言ったら気がついてやめてくれるなんて、そんな普通の反応が返ってくるわけがないだろ。言われたら、腹を立てて、逆上して、細部の細部までこわだってこだってこだわりきって、やる。細部の細部まで自分が思ったとおりじゃないと、気が済まない。逆上する。逆上してやりきる。けど、それは、それが済んじゃったら、どうでもいいことになる。やってないことになる。本人がその時、その日の分をやりきってしまえば、本人はやってないのとおなじ気分になれる。もう、やりきったわけだから、「やるなと言ってくる人がいない状態だ。その場合は、それまで、こだわってこだわって、逆上してやっていたとしても、やってないのとおなじ状態になれるのである。で、一日が終わって、次の日もおなじ状態でやりやがるのである。だから、一日ずつリセットされて、本人は、まったくやってないのとおなじ気分のままでいられる。で、やっているときに、それをやめろと言われたら、発狂して、こだわってこだわってこだわりぬいてやる。絶対にゆずらない。けど、それが終わってしまえば、「そんなんじゃない」ということになってしまうのである。これは、「そんなんじゃない」のとまったくイコールな状態になるということだ。実際にはやったんだけど、本人としてはあたかも、まったくやってないのとおなじ認識が成り立つ。だから、本人はいつも「気軽だ」「気楽だ」。本当は、発狂して、やっているのに、本人は「やってないのとおなじ」気分なのだから。だから、迷惑をかけたつもりとか、相手がやめてくれと言っているのに、それを押し切ってやりきったつもりが、しょうじない。


2016年12月25日日曜日

「フロイトの無意識」と「ジョセフ・マーフィーの潜在意識」




ジョゼフ・マーフィーの言う「潜在意識」というのは、カルト教団が使うようなマジックワードだから本当は、まともに相手にしなくていいものだけど、ちょっとここで、「潜在意識」というものについて考えておこう。
潜在意識という単語と、無意識という単語はにている。ここでは無意識というのは、フロイトの言う無意識だということにしておこう。フロイトの言う無意識には実は二つの側面がある。一つは、欲望の源泉としての無意識。もうひとつは、無意識的存在というよりも、むしろ領域として認識されている無意識だ。これは、自我に抑圧された「怒り」などの気持ちが押し返される場所としての無意識だ。たとえば、親が怒り狂って不当なことをしたとしよう。

その場合、怒りを感じるのだけど、親に対する怒りを持つのは不適切なので、一度はわきあがった怒りが、抑圧されてしまうのである。自我が怒りを、無意識の領域に押しされゲルわけだ。自我にとっては、親に対する怒りというのは、不適切な感情なので、なるべくなら、ないことにしたいのである。

で、病的な親だと、うちの親のように「やったってやってない」が成り立つ場合がある。で、本当は、「やったってやってない」というような親の側の無意識のほうが問題なんだよ。神経症を引き起こすような体験というのは、相手の側がすでに、狂っていて?自分(問題の相手)にとって都合がいいことを押し付けてくる場合に限られる。これ、やっている側がちゃんとやっていることを認識していたら、やられたほうが神経症になることはないと言っていい。

けど、問題になるのは、本人(やられた側の)無意識なので、やられた側の無意識だけを問題にする場合、その相手が本当にすでに狂っている他者なのかどうかというのは、あんまり問題にされない。けど、これは、本当は問題にしなければならないところなんだ。けど、ちょっと話がずれた。ズレたわけじゃないけど、ここのところは、ちゃんと説明しないと、ほとんどのひとが脱落してしまうところだ。話を元に戻す。ようは、本人にとって不都合な感情を抑圧した場合の無意識というのは、それ自体がもうすでに、病的な無意識なのである。そういう、神経症を引き起こすようなやっかいな無意識がある。

それとは別に、「欲望としての無意識」がある。たとえば、セックスをしたいというような欲望があるとする。そうすると、女の人を見ると、おそってしまう。それはまずいことだ。だから、自我が監視して、適切な場所以外でそのような欲望を満たそうとしないようにしている。で、超自我が、たとえば、姦淫するなかれというようなルールを持っている。で、自我は、そのルール従おうとするのだけど、無意識のほうから、セックスをしたいというような欲望がわき上がってくる。だから、自我は、(手当たり次第に)セックスをしたいというような欲望と、姦淫するなかれというようなルール(道徳的な原則)のあいだにあって、これを調節しているものなんだ。これというのは、まあ、実際の行為だよ。本人の行為。

欲望としての無意識のほうは、やりたいまま(無条件)なんだけど、自我が、押さえつけて、適切な場所で、適切な相手とセックスをしようとする。この場合の無意識というのは、欲望の出所としての無意識だ。そして、その内容は、欲望そのもののなのである。先ほど出てきた、ひどいことをした親し対する怒りを抑圧するという場合とは、ちょっと違うんだよね。けど、この違いは、そんなに論じられることがない。というか、ぼくが知る範囲だと、ぼくしか論じてない。


潜在意識というのは、注意されなかった記憶なのである。たとえば、映画を視ているときに、認識できないスピードで「コーラ」というような単語を表示すると、映画館のコーラの売り上げが高くなったというような場合を考えてみよう。この場合、映画を視ている人たちはコーラという単語を視たという記憶がない。

けど、記憶がないのだけど、ちゃんと脳みそは反応していて、コーラという単語記憶している。これが、この場合の潜在意識の内容だ。けど、別のひとがおなじ実験をしたら、別に映画館のコーラの売り上げが上がらなかったという結果も出ている。映画館のコーラの売り上げに関しては、気温とか湿度のほうが「コーラ」という文字を見えない速度で表示するということよりも関係がありそうだ。

普通は見えない速度で単語を表示するというようなことが、どの程度その後の行動に影響を与えるかは、問題にしないでおこう。ここで重要なのは、あまりも早すぎて視たと意識してない単語でもちゃんと記憶に残っているということだ。こういう場合に「潜在意識」という単語が使われる。

あとは、催眠術の話になる。たとえば、「アヒル」という言葉を聞いたら、「ガー」と言うというように催眠術をかけておく。催眠状態からぬけたあとは、そのことについて被験者(催眠術にかかっているひと)は知らない。だから、「あひる」という言葉を聞いたら「ガー」と言うというような暗示を受けているとは思ってない。しかし、誰かが「あひる」と言うと、被験者はガーと言ってしまう。記憶にはないのだけど、そういう反応をしてしまう。そういう場合、潜在意識が記憶していたということになる。ようは、催眠状態の記憶が潜在意識の内容なのである。

ということで、フロイトの無意識とジョゼフ・マーフィーの潜在意識は、似ているようでもぜんぜん違う概念なのだ。けど、かぶるところもある。たとえば、「言い間違え」はフロイトの無意識を説明するときにかなり引用される例だ。言い間違えも、過去の意識してない記憶が、今の行動(発話)に結びついてしまうところからしょうじる。「こう言っちゃいけないな」と思ったことがあるんだけど、似たような言葉を言うときに、思わずその言葉が出てしまうというような現象を説明するときに「無意識」という言葉が使われる。この「言い間違え」という現象を、ジョゼフ・マーフィーの潜在意識と言う言葉を使って説明できるかというと、説明できる。もっとも、ジョセフ・マーフィー流の宇宙とつながっている意味での潜在意識ではない。ジョセフマーフィーはた、ぶん故意に、普通の日常生活の中で感じられる「潜在意識」と宇宙意識というような意味での「潜在意識」を区別なくごちゃごちゃにして使っている。

なので、ジョセフ・マーフィーの潜在意識については、学問的な話にはならない。定義そのものが、めちゃくちゃだからだ。けど、そういうめちゃくちゃな定義をしているということは、学問的な話しを視するときも、考えておかなければならないのである。

2016年12月24日土曜日

うん、むなしい。

うん、むなしい。

この先どうなっちゃうのかな。

メリーークリスマス~~~~~~~
ははははっ。


俺がつまらない。

パンでも買ってくるかな。食パンが必要。菓子パンも食べたいな。禁を破ってコーヒーでも飲むか。


やったやつの態度というのが問題だな。これは、精神に影響を与える

あーつまんない。この先どうしようかな。どうしても納得がいかないんだよな。ずっと考えている。考えていると言うよりもどうしても、浮かんでくる。どうしても、きちがい兄貴の態度が浮かんでくる。怒って鳴らすか、あるいは、知らない良~~」という感じで、まったく関係がない人として鳴らし続けるかのどっちかだ。自分が本当にやめさせられそうになった場合は、怒るんだよな。顔を真っ赤にして目を目参画にして怒る。不愉快。

そもそも、そういうことを「つきつけられた」というのが、不愉快。そういうことというのは、本当に静かにすることだ。本当に静かにすることは絶対に受け入れられないことなのである。で、そういう態度で鳴らし続けたのに、「静かにしてやった」と思ってる。これが、ゆるせない。「どれだけの意地で鳴らしたと思っているんだよ!!」「俺がどれ打診券に頼んでも一分も静かにしてくれなかった」……こういう言葉が、ずっと頭のなかを舞っている。眠っているときも、起きているときも。ずっとずっと、舞っている。寝る前も、起きたあとも、ずっとずっと、そういう言葉が頭のなかを回転している。ずっと、そういう気持ちで、ぼくは不愉快だ。

これ、どうしようもないんだよな。あの、態度はない。で、俺がどれだけ、耐えてきたか。耐えたというのは、耐えたということなんだよ。これも、事情を知らない人が、勝手に……本当はヘビメタ騒音に耐えたことがない人が……まるで俺の忍耐心がないみたいなことを言いやがる。あきらめが悪いって、そりゃ、一〇年間、一一年間、一二年間、一三年間、一四年間、毎日、一〇代二〇代という、人生にとって一番大切な時期に鳴ってたら困るだろ。耐えすぎなんだよ。俺がうらみに持つのはあたりまえのことなのに、俺が、まるで、悪いみたいに言われる。

そいつらは、実際にヘビメタ騒音が毎日続くと言うことがなかった……人たちなんだよ。そういう人たちが、「受け入れる」とか「ゆるす(ゆるし)」とか、ろくでもないことを言う。その人たちが勝手にゆるすのは良いけど、まるで俺が、悪いみたいに言うな。「自分は、受け入れた」「自分はゆるした」……だから、自分は、おまえ(俺)より、高等な人間なんだと言いたいわけだから。

けど、なにを受け入れたのか? なにをゆるしたのか? 違うじゃないか。やられていた期間が違うじゃないか。どれだけ長い間やられたと思っているんだよ。そして、それが、「今現在の俺」に影響を与えていると思っているんだよ?? ヒトゴトだから、そういうふうに言えるだけだろ。自分が体験したのは、たいしたことじゃないから、ゆるしたり、受け入れたり、あきめらることができるんだろう。違う体験をしているというのを捨象して考えるな。まるで、「ゆるさないおまえ(俺)」「受け入れないおまえ(俺)」「あきめらないおまえ(俺)」は人間ができてないみたいな考え方なんだよな。それにくらべて俺は~~受け入れ、ゆるし、前向きに暮らしている。

「俺だってやなことはあった」けど、それを受け入れて前向きに暮らしている……だから、俺のほうが人間的に高度なんだ。……勝手にそういうふうに思っていればいい。どういうことをどのくらいの長さやられたのか、そして、その影響が残っているのか、残っているとしたらどのくらい残っているのか、ということが重要だ。そういうことを無視して、「受け入れる」「ゆるす」「あきめらる」と言ったって、それは意味がない。

「だれだって、そういうことはある」と言うけど、似たようなことが一時間、一日だけ続くのと、七時間から一四時間、毎日、一四年間続くのでは、意味が違うんだよ。俺は、騒音中で、それでもがんばって生きてきたんだよ。そういう経験がないやつが、なにを言っても、まったく心に響かない。

けど、まあ、そういうやつはそういうやつで、その人の人生を生きているというのがある。で、その人が勝手に学びだと思っているなら、学びなんだろう。けど、それは、その人の人生に関わる限りというような但し書きをつけておけ。失礼!!不愉快!!馬鹿にしている!! 不愉快不愉快。

本当に、一〇歳をぬかして、一〇代、全部やられた。これがでかすぎる。あとは、やったやつの態度というのが問題だな。これは、精神に影響を与える。

いま、さっき書いたことで不愉快に思うやつがいるだろう。けど、経験が違うから意見が違うとしか言いようがない。じゃあ、騒音チップをつけて、一四年間俺とおなじ条件で暮らしてみてよ。一一歳から二五歳まで、俺とおなじ条件で、暮らしてみてよ。一一歳から一八歳まで、騒音チップをつけて、学校に通って暮らしてみてよ。おまえらが、俺を馬鹿にするのは、そのあとだ!!! どんだけのハンディが生じるか?

そして、それが他人にとっては関係がないことだから、二次災害で、悪く言われる。悪く思われる。頭にくる。そういうことの繰り返しだ。鳴っている一四年間は、そういうことの繰り返しだ。そして、鳴っている。二次災害で不愉快な思いをしているのに、きちがい兄貴にどれだけ言っても、鳴らし続ける。どれだけ真剣に言ったって、きちがい頭だから、自分にとって不都合なことは一切合切認めない。本当に、どれだけ言っても、まるで関係がない人として、ずっとずっと鳴らし続ける。それが、与える影響のでかさと言ったらない。そういう日常を……どうにもならない日常を……殺してしまうわけにはいかないから、騒音にさらされ続ける日常を、経験してみろ。

本当、全部俺が悪く言われる。こんなことに耐えられるわけがないだろ。で、やっているやつは、やってないつもりなんだからな。どれだけ言ったって、頑固に鳴らし続けるのに、本人はまるで鳴らしてないのとおなじ気分なんだからな。じゃあ、鳴らさないでゆずってくれるのかといったら、それはもう、絶対にないんだよな。一日に一秒だってそれはない。そういう世界だ。そういう、きちがい頭だ。……それで、関係がないつもりでいるんだよ。心の底から関係がないと思っているんだよ。で、頑固に鳴らす。その場で殺さなかったら絶対にやり続ける。殺さなければ!! 殺さなければ!! きちがい兄貴は、毎日、毎分毎秒、そういう状態を押し付けてきた!! 鳴らして、押し付けてきた。そりゃ、頑固にでかい音で鳴らし続ければ、押し付けたことになるだろ。鳴っているんだから!!!

で、まあ、そういう話し全体が、他のひとにとってどうでもよいことで、不愉快な話しだというのはわかるよ。それならば、引きこもるしかないだろ。

人間というのは、ともかく、怒っている人間がいるのが嫌なんだよ。これは、もう本能みたいなものだ。自分に関係がないことで怒っている人間というのが、「ゆるせない」。

ともかく、ゆるしている俺は高度な人間で、ゆるしてないおまえ、ゆるせないおまえは未熟な人間だというのは、間違っているよ。やられたことが違うのだから。そういうことをどがえしにして、人のことを未熟だ、ゆがんでいると決め付けるのが未熟でゆがんだことなんだよ!!


   *     *     *

いい人だけで構成されている世界に行きたいな。悪い人がいない世界に行きたい。

2016年12月23日金曜日

「サイコパス的にでかい音」じゃ意味をなさない

ちょっと落ち着いた。あ~~、どうするかな。相変わらず喉が渇くけど、それ以外は、好調だ。鬱度は四ぐらいか。怒りのほうがあるんだよな。怒りがある。隣にものすごく無職に偏見があるおじいさんが住んでいて、そのおじいさんが、車のドアバンとかバイオリンとか、変な歌をでかい声で歌うとか、道に出て、バッティング練習用の竿みたいなやつをビュンビュン振り回すとか、邪魔なことばかりするんだよ。この竿みたいなやつは、わざわざ、ビュンビュンという音が出るようにしたくそ仕様で、あたまにくる。ぼくのうちは、奥のうちなので、本当に門の前方で、ビュンビュンやられることになるんだよな。俺は最初あの人のことを悪く思ってなかったら、「どうぞやってください」という感じだったんだけど、いまはちがう。それは、そうなる出来事があった。書かないけど。(これは、親父と兄貴が関わっている。兄貴が関わっている部分というのは、ヘビメタ騒音で俺の進学と就職を邪魔したことだ。十数年間も毎日邪魔されて良いわけがないだろ。学生時代、土日も含めて毎日、全部の時間邪魔されて良いわけがないだろ。)(となりのの人が出す音は邪魔だけど、ヘビメタ騒音とは比べものにならないほど小さい。ヘビメタ騒音が破壊的にでかすぎる。普段から、破壊的にでかい音で鳴らしてた。もちろん、距離は関係がある。音のでかさは、距離の二乗に反比例するから。)

しかし、昔の隣の人は、兄貴のヘビメタ騒音についてどう思っていたんだろう。気になるんだよな。あれ、絶対に聞こえてはいるはずだからな。一番奥の部屋に入った場合は、ほとんど聞こえないのかもしれないけど、庭に出れば、「くそうるさい」と思ってたはずなんだよな。親父との関係、ちょっと出た道の所有者との関係、などで、言いにくかったんじゃないかな。相談すれば良かったな。親父とお母さんは、役に立たないから……。Mさんに相談して、警察を呼ぶべきだったんだな。俺が呼ぶけど、Mさんには遠慮しないで思ったことを言ってくださいと言っておいて、警察を呼ぶべきだった。これ、日本人って案外、我慢してしまうところがあるんだよな。文句を言いがちな人は、ちょっとの音でも文句を言うけど、苦情を出したくない人は、死ぬほど我慢してしまうというのがある。言う前に引っ越してしまうとか……。まあ、言いにくいよな。特に、きちがい親父のような人には……。親父に気を遣って言わなかったんじゃないかなと思う。あそこの家の人が、ヘビメタ騒音についてどう思っていたのか、本当に、気になる。あそこの家のお子さんたちはどう思っていたんだろう。お子さんたちと言っても、兄貴より年上だけどな。しかも、なんか、全寮制の学校に入学したみたいなんだよな。

きちがい兄貴、家が離れてから、きちがい的にでかい音で鳴らしやがって。

あと、いま、小説の校正をしているのだけど、きちがい的にでかい音という言葉を使えないんだよな。サイコパス的にでかい音とか、あんまり意味が通じない。きちがい的にでかい音だと、「ああ、うるさいんだな」というのがわかるけど、「精神異常者的にでかい音」とか「サイコパス的にでかい音」じゃ意味をなさない。精神異常者で置き換えることができない部分もある。きちがい的にというのは、程度がひどいことを意味している。精神異常者的にとイコールじゃない。
きちがいと精神異常者は、イコールじゃないんだよ。「的」をつけるとわかる。

ともかく、絶対に一秒もやめてくれなかった。全部の時間鳴らしてた。カオ君がびっくりするようなでかい音でずっと、一日中鳴らしてた。可能な時間はすべて鳴らしていた。可能な時間はすべてすべて鳴らすというのがあたりまえの状態だった。で、これ、「そんなの関係がない」と思う人が多いだろうけど、本当に、友情関係にひびがはいる。ヘビメタ騒音が人付き合いを粉砕する。空中分解。これ、本当に一〇年やられたら、一〇〇人中一〇〇人の人がそうなると思う。普通の人は、騒音なら、音がうるさいだけだと思うだろうけど、そうじゃないんだよね。とくに、成長期という人間にとって一番大切な時期を、休日も含めて、ずっと一日中ヘビメタ騒音にさらされるとなると、……なんていうのかな……すべてが違ってくる。どれだけ、はいだそうとしても、無理なんだよね。これも、ヘビメタ騒音に一日もたたられてないやつから「いいわけするな」とかわかったようなことを言われる。一〇〇人中一〇〇人が、絶対に、俺のように人間関係も含めて、めちゃくちゃになる。やりようがないんだから。鳴らされている以上やりようがない。鳴らされている状態でどれだけ努力しても、はい上がることができない。無理。この無理さが、一〇年間、可能な時間はすべて、毎日、きちがい的な音で鳴らされたことがない人にはわからない。一〇年間と書いたけど、一〇年間で終わったわけじゃない。一〇年でだめになるということ。あとは、やっぱり、成長期、思春期、中学と高校という一番進学にとって大切な時期、ずっと毎日、日曜日も含めて、一日中鳴らされたということがでかすぎる。そういう経験をしたのは俺だけなので、俺の事情がわかってない人が多い。経験としては、俺以外のすべての人がわかってないわけだから、俺の言っていることが「いいわけ」に聞こえる。けど、じゃ、やられてみろよ。三年間でも良いから俺とおなじ状態で、どこかに通って暮らしてみろ。人間関係がめちゃくちゃになるから。「人間関係がめちゃくちゃになる」の意味がわかるから。自分の体験として、意味がわかるから。あれだけ家でやられていて、外の人間関係がめちゃくちゃにならないということはないんだよ。そのしくみがわかる。説明されてもわからない人だって、自分が三年間経験してみればわかる。三年間と書いたけど、三年間でヘビメタが終わったわけじゃない。(こういうのも、誤解するやつが出てくるんだよな。本当にめんどうくさい)。


   *     *     *

(あと、それから、マンションの足音などについて文句を言うのは悪いことじゃないので、言えばいいと思う)

















2016年12月22日木曜日

ヘビメタという毒ガスの中で、ばんばん燃えて、……発狂して燃えて

今日はまだ余裕がある。夜になって、わりともちかえした。しかし、なんだろうな? やっぱり、いつもむなしいよ。ヘビメタ騒音がないまま二〇歳になれたらな! あんときもずいぶん違ってたんだけどな。いまは、ソーシャルファンディングとかSNSがあって、活動がしやすくなっている。俺のときはこういうの、なかったな。まあ、もちろん、ヘビメタ騒音がなかったらの話しなんだけど……。

なんて言うのかな? 燃え尽きたんだよね。全部。ヘビメタ騒音で燃え尽きてしまった。他の人から見ると、俺がなんで、そんなにやる気がないのかわからないと思う。ヘビメタ騒音で燃え尽きた。ヘビメタ騒音の燃え尽きは、少しも良いところがない。普通燃え尽きた人は、なんらかのことでがんばって燃え尽きたわけで、仕事を残している。成果を残している。今はもう、だめだけど、むかしはこういうことに熱中していたという履歴がある。ぼくの場合は、ヘビメタ騒音の中で焼き切れていただけで、なにもない。ヘビメタ騒音のことを知らない人からみれば、「あいつはなにをやってんだ」という話になる。で、まあ、ヘビメタ騒音のことなんて、他のひとには(経験としては)わからないから、だいたい、ヘビメタ騒音のことを話したあとも、そう見られる。

本当、ヘビメタ騒音の中で俺だけが、焼け焦げちゃった。ヘビメタという毒ガスの中で、ばんばん燃えて、……発狂して燃えて……不安と無気力が残った。あの焼き切れるようなヘビメタはないね。本当、毒ガス。毒ガス。毒ガス。毒ガスの中で、燃えて、切れて、つながらなくなっちゃったよ。

つながらない。気持ちがつながらない。やる気がつながらない。

ヘビメタ騒音の中で燃え尽きなければ、ぼくは、どうにかなっていた。政治家とか青年実業家とか名物教授とか、そんなものにもなれたかもしれない。

いま? いまは、ともかくやる気がない。これ、本当になんて言うのかな、全部燃えて、灰が残っているだけなんだよ。ヘビメタ騒音なしで普通に暮らせるだけで、気力は充実して、成果も残していただろう。それが、この歳になってもなにも残せてない。

やる気とか、そういうことが、一生のテーマになってしまった。ヘビメタ騒音の中で毒ガスをすって、むだに怒ってなければ、なんていうのかな? ぼくは案外、やる気がある方だったんだよ。やる気の方向が他のひととは、だいぶ違うのだけど。普通の人がやる気を出すのと、燃え尽きてしまった人がやる気を出すのは、根本的に違う。

なんとかなりたかったんだけどな……。

あのときの、あの感じは、な、い。

あのときの、あの感じは、な、い。
どうしても、ヘビメタが終わらなかった。

どれだけ言っても、終わらなかった。
どれだけ「やめろ」「静かにしろ」と怒鳴っても、終わらなかった。

全部本当にやられた。
既成事実を積み上げていく。
殺さなければ、やめない。
鳴っているのがあたりまえの状態になってしまう。

それで、つもりがないだとおぉ。

全部そういう態度で、何時間も何時間もどれだけ言っても鳴らし続けた。

どうしても、ヘビメタが終わらなかったんだよな。

あの感じはない。

兄貴よ!!言っておく!!
兄貴がやめようと思ったら、やめられた。やめようと思わなかったら、一一歳の時の悩みが、二五歳まで続いた。

まったく気にしてないんだろうけど、ひどいことだからな。
兄貴はまったく気にしないで、入学試験前日だろうがすべての時間、よその家じゃ一分だって鳴らせないようなでかい音で鳴らし続けたんだよ。それで、「協力してやった」「静かにしてやった」だからな。きちがい兄貴!! 兄貴がどれだけむくれて鳴らしてたと思うんだよ。

「静かにさせられそうになったら」もう、むかっときて、むくれて、一切合切口を利かないで、すべての時間、鳴らしてた。一〇〇分の一〇〇の音か一〇〇分の九九の音で鳴らしてた。九九の音で鳴らしている時、きちがい兄貴にしてみれば、出血大サービスで静かにしてやっているつもりなんだろうけど、ものすごくでかい音で鳴らしている。鳴っている。嘘だと思うなら、いま住んでいるところで九九の音で鳴らしてみろ。どれだけ!! どれだけうるさい音かわかるから。

そういうのが、一切合切わからないというのがおかしい。

これ、親父のようにわからないわけだからな。本人がそういうところ「はいっちゃったら」うちの人がどれだけなにを言っても、むすーーっとして、むくれて、絶対に首を縦に振らない。一分間、本当に静かにしてやるということができない。きちがい兄貴の「静かにする」というのは、きちがい兄貴が九九の音でドカスカ鳴らして静かにしたつもりに鳴っているだけだから。

いま一緒に住んでいる「よそ」の人が聞いたら、「こんな音で鳴らしてたのか」と唖然としてしまうようなでかい音だから。けど、きちがいとおなじ精神を持っているきちがい兄貴にとっては、たとえ一〇〇分の一だろうが、静かにしてやったら静かにしてやった」ということになってしまう。「どれだけか!!どれだけか!!」「すごいだろ!!すごいだろ!!」「ほめろ!!!ほめろ!!!」……まったく静かにしてないのに、気持ちになる。一〇〇%、全部静かにしてやったような気持ちになる。

しかも、九九の音で鳴らしているのは長くても一〇分で、すぐに一〇〇の音に戻す。それで、「一日中静かにしてやった」と思うのがきちがい兄貴だ。きちがい兄貴の特徴だ。考え方だ。その時の……うちに住んでいたときの……態度だ!!! だから、実際には、一分だろうがちゃんと静かにしない。ちゃんと!!!静かにしないと困るんだよ。きちがい兄貴が静かにしてやったつもりで、ドカスカならすというのでは困るんだよ。で、そういう状態が、一四年間毎日続く。これ、きちがい兄貴やきちがい親父だと、途中で変えるということができないんだよ。ずっとそのままやり続ける。

よそのうちに行ったら、すぐに、一八〇度態度を変えるのだけど、「うちにすんでいるあいだ」は、うちの人がなにを言っても、どれだけ繰り返しもめても、絶対に変わらない。変えない!! だから、やっているのに、よその人の前でそういうふうにしていた」ということを認めなければならないような状態になったら、こんどは、親父とおなじ精神で、親父とおなじやり方で、否定する。で、今度、否定し始めたら、とまらないんだよ。とことん、否定する。否定し続ける。本当は頑固に毎日やったことなのだけど……あたりまえのように毎日やったことなんだけど……「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!」「ゆずってやった!ゆずってやった!!」「静かにしてやった!!静かにしてやった!!」と言い出す。

で、その時の頑固さが、うちで鳴らしていたときの頑固さとおなじ。親父と兄貴は、全部こういうふうにできあがっているんだからな。「やってないやってない」「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!」と言いだしたら、全否定だ。これ、本当にやっているときは、一万分の一だってゆずらない頑固さでやっておいて、こんどそれを、認めなければならなくなったとなったら、おなじ頑固さで否定する。何十年でも毎日、否定する。おぼえてないのかよ!! そういうことが全部頭にくるよ!!! 

よその人たちはそんなのは知らないから、俺に無理難題を押し付けてくる。よその人たちにとってみれば、「いくら頑固でもそんなに鳴らす人いるかなぁ」などと思えることなのだ。そういうところで、ぼくが、いちいちに世間との乖離を感じなければならない。世間の人たちが言うことは、「そんなひとはいない」「言えばちゃんと静かにしてくれる」という前提に立った話しなんだよ。けど、「うち」はぜんぜんそんなんじゃない。

だから、乖離が広がる。で、無理なんだよ。他のひとだっておなじように、ずっと騒音を鳴らされ続けたら……本当は、平日学校や会社に通うということができなくなる。七年以上毎日そう言う状態で暮らしたら、どれだけ体力がある人でも、どれだけまじめな人でも、そうなる。けど、一五年目に、「もう鳴ってないんだから、通えるはずだ」と言われてしまう。どれだけのことが積み重なったと思っているんだ? 兄貴!!!



   *     *     *

たった一度の人生、それじゃどうする?
たった一度の自分の人生……。

自分の体験と照らし合わせて納得できるひとというのは、五%ぐらいしかいないと思う

しかし、俺が言っていることがそんなにわかりにくいことかね? まあ、少数派しか理解できないと言うことはわかっている。この少数派というのは不幸な少数派だ。多数派じゃない。一般的な家庭じゃない。普通の人に育てられなかった人だけしかわからない……感覚的にはわからない話だからな。あとは、親は普通の人なのに、勝手に悪くなったやつらがいて、そういうやつらが、怒って因縁をつけてくるんだろうな。勝手に悪くなったやつらのことは、考えてなかったんだよな。けど、そういうやつらもいる。あとは、常識君、常識さんで、この人らは、本当にわかってない。どれだけのことが行われるか、わかってない。普通じゃない「いえ」のことが根本からわからない人たちなんだよな。この人たちは別に悪い人たちじゃないんだけど、俺が言っていることに関しては、理解力がないと言っていい。本当に哲学的なひとじゃないとわかる要素が少ない。

普通の人と異常なひとの割合をだいたい、九三%対七%だとする。異常な人が結婚をして子供を作る可能性は低いと思うけど、「イケイケドンドンの時代」は、そういうひとも家庭を作ってしまう。子供を作ってしまう。異常なひとがいれば、異常な人が「親になる」可能性がある。で、この異常の形態も、難しいんだよね。言いがたい異常さを持っている人がいる。まあ、異常な人が結婚をして子供を作るのは、普通の人が結婚をして子供を作るのよりも、難しいことだと仮定して、普通の親と異常な親の割合を、だいたい九五%対五%ということにしておこう。で、変なところで異常な親というのは、いる。けど、普通の親に育てられた人は、異常な親の姿というのが……特に家のなかでの異常な親の姿というのは、なじみがないもので、わからない。だから、普通の親というものを考えて、異常な親の話を聞いてしまう。そうすると、いろいろと、誤解する。

俺の話が本当にわかる人……自分の体験と照らし合わせて納得できるひとというのは、五%ぐらいしかいない。もちろん、この設定は、ぼくが今、説明をするために勝手に作り出した数字で、根拠となるような資料はない。けど、だいたいこういうことが言えるのじゃないかなと思っている。

注 イケイケドンドンの時代と書いておいたけど、要するに、人は結婚して家庭を作るのがあたりまえだされていた時代のこと。




2016年12月21日水曜日

怒っていたけど、いまは、さみしくなってきた。

さっきはヘビメタ騒音のことで怒っていたけど、いまは、さみしくなってきた。

さみし~~

他のひとのブログを読んでもしたがないよな。


   *     *     *

と言いつつ、いろいろな分野のいろいろな個人ブログを読んでいる。ぼくが個人ブログを読んでいる時間はかなり長い。

普通の会話のかわりなのかもしれない。悪い人に関わってから、コメント欄にコメントを入れるのがこわくなっているけどな!! まさかの反応というのがあるからな。相手のからだのことをおもんばかって、好意的なコメントをしたのに、まさかの反応が返ってくるとがある。不安はあったんだよな。不安はあった。的中か。

まあ、この人は大丈夫だろうという人のところには、これからもコメントをいれよっと。


ほかのうちの常識なんて、うちじゃ成り立たないんだよ!!!よその人に対すると態度とうちの人に対する態度が違いすぎる

強烈にだるい。この、だるさ。このだるさはヘビメタ騒音がはじまってから一〇年目あたりの、すごくだるいときのだるさだ。今日は、午後一時ぐらいまで、わりと元気というか、わりと動いていたのだけど、こういうふうになるとだめだ。本当、きもち悪い。しんどい。どうにもならない。わりと元気と書いたけど、「無理して」動いていることにはかわりがないんだよな。

しんどいけど、飯の支度をしたり、食べたり歯磨きをしたりということをしていた。そういう普通の人にとってはなんでもないことをするときも、本当に力がいる。「無理をして」動かないと、動けない。基本的に言って、しんどい。なんとか体操をしても、五時間後には、これだからなぁ。この、だるさはなんだろう? やっぱりだめだ。ちょっと調子がいい?ときは、「旅行に行こう」などと考えていたが、五時間後にこのだるさじゃだめだ。

寝るつもりはなかったんだけど、横になったら眠ってしまった。で、起きたらこのだるさ。ともかく、ヘビメタ騒音がこたえた。この間の日曜日は、朝から夜まで起きていて、……ようするに他のひととおなじ時間帯に起きていたのだけど……「こんなに長い時間、鳴ってたのか」と改めて思った。なんて言うのかな?

たとえば、午前一〇時に鳴っているんだよ。実は日曜日の午前一〇時に、ヘビメタ系のバンドが出てくる番組をやっていたので、その番組がやっていたときは、午前一〇時三〇分ぐらいから、兄貴のヘビメタがはじまるわけだ。で、午前一一時に、「いまの時間、どれだけ、静かにしろと怒鳴り込んでも静かにしてくれなかった」と思ったわけ。これ、本当に、怒鳴りたくなる。今でも怒鳴りたくなる。親父に、「いまの時間、鳴ってたんだぞ!」「注意しなかっただろ!!」と怒鳴っておいた。これ、親父は、きちがい兄貴が二階できちがいヘビメタを鳴らしていても、シランプリだからな。絶対に注意しに行かなかった。

で、いまになれば「いっぱい注意した!!いっぱい注意した!!」だ。まあ、親父のほうは捨てておこう。で、午後六時に「いまの時間、どれだけ、静かにしろと怒鳴り込んでも静かにしてくれなかった」と思ったわけ。「午前一〇時三〇分から、午後六時のいまのいままで、ずっと鳴ってたんだな」「あれからずっと鳴っているのか?」「あれから、今のいままで鳴ってたんじゃ、無理だよなぁ」と思った。本当に、無理なんだよ。

この「無理」の内容が、ヘビメタ騒音にさらされたことがない人には、さっぱりわからないんだろうけど、「無理」なんだよ。で、午後九時にも、「午後六時に無理だよなそと思ったあと、今の今まで、あいつが飯を食う時間と風呂に入る時間をのぞいて鳴ってたのか」と思った。一〇時も一一時も鳴っているんだけどね。で、たとえば、九時から一〇時の一時間が、ながーーーいの。その日、もう、朝から長時間鳴らされているから、その「九時から一〇時までの一時間」が長い。で、九時台に、どれだけ何回、「もう、さんざん鳴らしたんだからやめろ!!!!」「もう、さんざん鳴らしたんだからやめろ!!!!」「もう、さんざん鳴らしたんだからやめろ!!!!」「もう、さんざん鳴らしたんだからやめろ!!!!」と兄貴の部屋に行って怒鳴っても、ぜっーーーーーったいに、やめてくれないんだよ。

エレキギターを鳴らすのをやめて、ステレオを鳴らすやめて、一分間我慢してくれるということが絶対にない。だから、静かにしてないのに、いまになれば、きちがい親父の「いっぱい注意した!!」とおなじで、「そんなに鳴らしてない」「静かにしてやった」と(よその人の前で)言うわけだよ。きちがい兄貴よ!!! 両方とも鳴らさないで我慢するなんてことがあり得るはずないでしょ!!! 一日に一時間(鳴らさないで)我慢してくれたということがあるか? ないだろ。きちがい兄貴!!一日に一分間(鳴らさないで)我慢してくれたということがあるか? ないだろ。

試験期間中だろうが、絶対に、一分間だろうが、鳴らさないでちゃんと静かにしてくれると言うことが、まったくなかった。

普段、一分間、鳴らさないで静かにしてくれたことがない!!! 毎日毎日、一日に一分間鳴らさないで我慢してくれたことがない……これが、きちがい兄貴がやってきたことだ。「鳴らさないでくれ」と俺が言いに行って、「あ、わかった」と兄貴が言って、本当にちゃんと一分間静かにしてくれた日が、一日もない。入学試験だろうがなんだろうが、言いに行って、その時!!ちゃんと一秒以上鳴らさないで静かにしてくれたことがないんだよ。

一四年間と数ヶ月間でイチニチモナイ。これは、本当に、一日もない。最初の高校入試の前日に一日だけ静かにしてくれたことがあるけど、それは、前々日まで頑固に全部の時間うるさくして、それで、やっと一日だけ静かにさせることができた、記念すべき日だ。

言っておくけど、普段からそういうふうに鳴らさないで!静かにして、「あたりまえ」だからな。全部の時間、兄貴が満足できるでかい音で鳴らしてあたりまえだと思っていたんだろうけど、全部の時間鳴らさないで静かにしてくれて、あたりまえだからな!!!

いま、住んでいるところで、静かにできるのだから「静かにできない」なんてことはないんだよ。「うちだから!!」どれだやってたって、まったく関係がないと思って、自由に鳴らしたんだろ!!! だったら、全部の時間、鳴らしたんだよ。ぜんぜんゆずってくれなかったんだよ。

一日に一分だろうが、ちゃんと静かにしなかった!!! 入試だろうがなんだろうが、絶対に一分間、静かにすることがない……これが、きちがい兄貴が一五歳から三〇歳まで、こだわりきって毎日毎日、やったことだ。どうして、そういうことを、兄貴に説明しなければならないんだ?

本当、親父とおなじで、何十年も毎日嘘をついて平気なんだからな。兄貴の新しい家族の前で、「やってない」「しずかにてやった」と嘘のいいわけをして、嘘をついているつもりがない。そういうやつだから、鳴らすときは、頑固に全部鳴らしたんだろ。

入学試験前だろうが、一二時間鳴らせるなら一二時間鳴らして、絶対に一分間だろうが、鳴らさないで静かにしてやるということがなかった……これが、兄貴の態度だ。例外的な一日があるから、一日も静かにしてくれなかったということができないんだけど、その日をのぞいて、一日に一分間、あるいは、三〇秒間、あるいは一秒間、鳴らさないで!!静かにしてくれるということがなかった。それが、中学三年間毎日、高校三年間毎日続いて、良いわけがないだろ。本当に、どれだけ言っても……兄貴の部屋に行って「鳴らさないでくれ」と言っても、一分間鳴らさないで静かにするということが、一日もないというのがおかしい。

それで、「静かにしてやった」「ゆずってやった」と「よその人の前」で言ってるんだからな。そういうやつなんだよ。一日静かにした日は、前日に交渉して静かにしてもらったわけで、俺がその時!!……兄貴が鳴らしているその時!!……静かにしてくれ」と言って、兄貴が本当に一秒以上静かにしてくれたことが、まじで、一日もないんだよ。そういう態度で鳴らしてたんだよ。毎日毎日、一日の例外もなく、毎日毎日。

「鳴らすな!!」「やめてくれ」と怒鳴っているのに、ちゃんと、一秒以上鳴らさないで静かにしてくれたことが「一度もない」。これが、兄貴のやったことだ。これが、兄貴が知らない?兄貴の正体だ。兄貴がこの世で、現実にやったことだ。静かにしてないだろ!!! これで、「静かにしてやった」と嘘でなく、思っているのが、きちがい兄貴だ。どういう理屈でそうなるんだ? これ、よその人の前で嘘を言っても、嘘を言っているつもりがないんだからな。一〇年間でも二〇年間でも、ずっと嘘をついて、平気なんだからな。逆に、自分が「鳴らしてた」「静かにしなかった」と言われて、迷惑だと感じているところがある。頭がおかしい。そういう勝手な人間だから、頑固に全部鳴らし切って、なにも感じなかったんだろ。


兄貴にとって、「つもりがない」というのは、どれだけ言われても弟に迷惑をかけているつもりが生じなかったということなんだよ。きちがい親父とおなじで、自分がやっていることで、相手が困っているということが、絶対にわからないんだよ。これ、言われないからわからないんじゃなくて、どれだけ言われても、それこそ、トータルで何万回言われても、わからないんだよ。

で、「わからない」のをいいことに、全部、好きなようにやりきる。で、やりきっているのに、「つもりがない」という状態が生じる。で、「やりきっているのに、(どれだけ言われても)つもりがない状態」というのがスタンダードで、あたりまえの状態なんだよ。「やりきっているのに、(どれだけ言われても)つもりがない状態」は異常な状態なんだよ。その異常な状態が毎日毎日、続く。まったくあたりまえの状態として、毎日毎日続く。それで、一〇年経とうが二〇年経とうが、ぜんぜん反省しない。やったと思うことができない。

そういう神経。そういう人格。そういう人間。

毎日一四年間やっていたら、一四年間やったのに、本人は「つもりがない」「やってない」と平気で言う。そういう人格。で、そういう人格だから? 逆に、なんて言うのかな、そういうことをやっても平気なんだよ。ぜんぜん悪いと思わない。どれだけもめたと思っているの??

兄貴!!! 本当に兄貴は、親父とまったくおなじ。そういう態度でやったことは、当時のまんまなんだよ。感覚的に当時のまんま。だから、よその家で、「兄貴がこうした」ということを言われると、「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!」と何十年も毎日言い続けて、平気なわけ。怒ったりするわけ。まるで、自分がやってないことをやったといわれて、不愉快だというような気持ちになる。本当は、そういう気持ちになるのはおかしいのだけど、そういう気持ちになる。鳴らしているときは……要するに、「うちにいるときは」……静かにしろと言われること自体が、そういうことなんだよ。言われたら、怒って不機嫌になる。それだけ!!

どれだけこっちが困ると言っても、相手が困る……自分の騒音で困るということを、頑固に認めない。その頑固さが親父とおなじ。どれだけ、うちの状態が、他のうちと違うか?? ほかのうちの常識なんて、うちじゃ成り立たないんだよ!!! よそのうちに行ったら、普通に毎日静かにしやがって!! よそのうちの人はまったく迷惑をかけられてないから、わかってない。よそのうちの人って、兄貴の嫁さんと、嫁さんの家族だ。よその人には、一日に一分だって、きちがいヘビメタをでかい音で聞かせるということができないのである。

どうしてかというと、それが迷惑行為だと知っているからだ。兄貴よ!! そういうことをうちでは、普通に毎日頑固にやってたんだからな。あれだけでかい音で鳴っていたら、うるさく感じて困るというのが、きちがい兄貴が必死になって無視した部分だ。で、親父とおなじで、一度無意識的に無視すると?もう、なにを言っても、何万回言っても、態度を変えない。やりきる。やりきっているのに、やりきったということを認めない。「ゆずったやった」「ゆずったやった」ということになる。兄貴のゆずってやったというのは、おやじのゆずってやったとおなじで、相手にとってまったく意味がない譲歩をするということだから。

そんなのは、本当は、きちがい的な悪意がなければできないことなんだよ。兄貴だって、使えないハンダゴテを渡されて怒ってただろ。あれとおなじなんだよ。きちがい兄貴の「ゆずった」というのは、ぜんぜんゆずってない状態ないんだよ。それで、ゆずってやったと思われたら、腹が立って腹が立ってしかたがなくなるようなゆずり方なんだよ。「うるさくて勉強ができないから静かにしてくれ」と言われたら普通は、うるさくて勉強ができないんだな」ということがわかるんだよ。自分の騒音で相手が困っていると言うことがわかるんだよ。

けど、きちがい兄貴は、それが、ずっとわからないままだった。わかったら、本当に静かにしてやらなければならなくなるから、それは、絶対に嫌だった。親父とおなじなんだよ。もし、そのハンダゴテではだめなんだということを認めてしまったら、自分が買ってやらなければならなくなる。それは絶対に嫌だから、どれだけ「そのハンダゴテじゃだめだ」「使えない」と言われても絶対に認めないんだよ。絶対に認めないとなったら、何万回言ったって、認めないんだよ。で、そういうトラブルを起こす。けど、そういうトラブルを起こしても本人はまったく悪いことをしたと思わない。これ!! 本当に!! だれもが一目瞭然で理解できることを、絶対に理解しないで、頑固に言い張る。

で、頑固に言い張ったんだから頑固に言い張った(強制した)(強要した)ということがわかっていていいはずなんだけど、そんなのも、当然わからない。「こういうふうにされて困った」ということを(時間が経ったあと)言われれば、「そんなんじゃない!!」「そんなんじゃない!!」「そんなんじゃない!!」というのがはじまる。で、その時の頑固さが、最初の頑固さとおなじなんだよ。「このハンダゴテじゃだめだから買ってくれ」と言われたときの頑固さとおなじ。絶対に、「このハンダゴテじゃだめだ」ということを認めない。

兄貴もそうだ。

あれだけでかい音で鳴らしておきながら、相手が静かにしてくれ」とどれだけ言っても、「相手が自分の騒音で困っていると言うこと」を認めない。で、認めないとなったら、一〇年でも一四年でも絶対に認めないんだよ。認めないで、頑固にやり切る。で、そのことが済んでしまったら(実際には一四年間かかるんだけど)済んでしまったら、こんどは、「やった」ということを認めない。自分が一四年年間毎日頑固にやったことを、認めない。「そんなんじゃないそんなんじゃない」「静かにしてやった!静かにしてやった!」というのがはじまる。

よそのひとは、ヘビメタ騒音の被害を受けてないので……一日に一分も、被害を受けてないので、わからない。中立的な立場にならざるを得ない。きちがい兄貴が「うち」で普通にやったとおりに、よそのうちでも普通にやれば、一日で、わかるのに、わからない。よそのうちで普通に静かにできるなら、うちでも普通に静かにできるんだよ!!

きちがい兄貴!! きちがい兄貴!!! あなたは、よその人に対すると態度とうちの人に対する態度が違いすぎる。しかも、本人はまったくその違いに気がついてない!! ごく普通にそうなる。これも、親父が何十年間もやったことだ。「うち」での態度と、「よその人」がひとりでもいるときの態度が違いすぎる。で、本人はそんなふうに態度を使い分けているつもりなんて、まったくない。けど、ごく普通に、すべてが違うんだよ!!!

2016年12月20日火曜日

どうしても、くるしい。

どうしてもだめだ。どうしてもヘビメタ騒音でくるしい。全部くるしい。人生のあいだずっとくるしかった。つかれた。

どれだけ言っても、静かにしてくれなかったなぁ~~~~

どうしても、くるしい。

ささやかな「ゆめ」を書いておくだけのノート

俺もドリームノートでも作るかな。「ウイングマン」のノートは、「ドリムノート」でドリームノートじゃないんだよな。まあ、ささやかな「ゆめ」を書いておくだけのノート。やらなければならないノートだと、き・つ・い。いまのぼくにはきつすぎる。で、公表しない。これは、人に見せるのは恥ずかしい夢もあるから、別に公表しなくてもいい。一方で、何十日でこれをするというようなことをブログ(ウエブページ)で宣言するやり方もある。三〇日で、一日に一〇〇〇ユニークアクセスがあるブログを作るとか。まあ、そういうふうに宣言しておいた方が、いい場合もある。なにか夢を持って宣言をしている人は、応援したくなるでしょ。人間というのはそういうところがあるからね。読者が増える。
「九〇日でなになになる」系でもいい。みんななりたいものになりたいわけだから。

ぼくのこのブログはそういうブログとは対極にあるように見えるだろ。けど、そうじゃないんだよ。ネガティブでも、なげいてばかりにいるにしても、そうじゃないんだよ。一方ではそうだけど、ちゃんと、著作物を「と・り・あ・え・ず」つくるという裏目的がある。このブログの行く末については本当に迷っている。「いま現在の気持ち」を書くことにはかわりがない。実際にこの世であったことについて書くことも、かわりがない。自分の、ネガティブではあるけど、本当の気持ちを書く……必要がある。書かないと死んじゃうからね。だいたい、ブログに書いてないヘビメタ騒音関係の文章が、公開した分の二〇倍ぐらいある。二〇倍じゃきかないかな。それは、編集できないけど「まま」出すつもりでいる。「まま」というのは、誤字脱字を校正せずにそのまま出すという意味。これは、出すことに意味がある。なちみに、「騒音サイコパス」は、だいたい一巻で二〇万字。「騒音サイコパス」ってタイトルは失敗したかなと思うところもある。「サイコパス」って作品があるからね。そのうち、おなじことをテーマにした作品で「家の音」というのを出す。さっきの、「そのまま文章」は「家の音 資料集」にする。資料集だから、未加工で良いのだ。

話はずれたけど、「このままではこのままだ」という切羽詰まった気分がある。金儲けは、投資、デザインでやる。ぼくの場合、文章で金を儲けるというのはけっこう難しいだろう。コアだからね。レアだからね。ジョゼフ・マーフィーよりも正しいことを言っているのに、ジョゼフ・マーフィーの本は売れて、ぼくの本は、売れないだろう。これ、正しさとか質の高さとか関係がないのである。ジョゼフ・マーフィーはいいかげんなカルトなんだけど、それでも、人を引きつける部分がある。みんな、「思えば現実する」と言って欲しいという気持ちがある。小難しいことはぬきにして「思っただけで現実します」と言って欲しい。「潜在意識にお願いすれば、すべてのことがかなう」と言って欲しい。「人間は、なりたいものになれる」「あなたは、なににだってなれる」と言って欲しい。

すでに!!!くるしい思いをしている人にとってみれば、「なにくそ」と思う、受け入れがたい思考法があるのだけど、普通の人は「潜在意識にお願いすれば、すべてのことがかなう」「あなたは、なににだってなれる」言って欲しいのだ。背中を押されたい。ジョゼフ・マーフィーの「潜在意識」はエセ科学、小規模カルトなんだけど、突きつめて考えることをしなければ、害はない。突きつめて考えると、案外ひどいことを言っている。けど、それは、すでに!!ひどい目に遭っているひとだけが感じることで、普通のひとは感じない。普通のひとだって、ひどい目に遭っているのだけど、それは、普通の範囲だ。ここで言う「普通のひと」というのは人生的な意味でひどい目に遭っているひとじゃない。普通のひとのほうが「あっとーーーてきに」多いから、ジョゼフ・マーフィーのほうが受ける。

話はそれたけど、ともかく、公開しない小さなドリームノートを作ろうかなという話しだ。で、公開しない小さなドリームノート」の場合、ふたてに分かれる。ひとつは手書き派、もうひとつはパソコン・スマホ派(ソフト・アプリ派)。これ、手で書く必要があるのかどうかわからないんだよな。手で書く場合、多少お金がかかる。一〇〇円でも、ずっとやっていれば、けっこうな出費になる。パソコン・スマホ派でも、電気代がかかるけどね。一〇〇円ショップでノートやメモパッドと色ボールペンを買うのがめんどうくさい人がいるわけ。ぼくなんだけど。あとは、ゴミになってしまうというのがけっこうきついんだよな。まあ、そこら辺は相性かな。ともかく、続けなければしかたがないわけだから、自分にとってやりやすいほうをやればいい……と思う。
これまた、ひとによって、違うんだよな。書き込むのが好きな人とそうじゃない人がいるから。できれば、目に見えるところに張り出しておくか、モニターのディスクトップに表示しておいた方がいいと思う。

手書き派 メリット(安い、貼り付けやすい) ディメリット(安くても紙と筆記用具が必要、ゴミになってしまう)

どうしてこういう気持ちになったかというと、本当に寿命というものを考えなければならないと思ったからだ。「いつかやろう」と思ったままやらずに死んでしまうというのは、さけたい気持ちもある……でしょ。でしょでしょ。金を使えばできることなら、やっておいた方がいいのかなと最近思うことがある。




頑固にやり切って、頑固に「認めない」

一度寝ようと思って横になったんだけど、きちがい兄貴のことで腹が立って、なんだか眠れなくなってしまった。眠れないまま時間がすぎたら、今度は腹が減ってきたので、いま、起きてご飯を食べた。セブンイレブンで買った穂先メンマを使った穂先メンマ丼だ。(多少のレタスをたした)。

寝ようと思ったときに思ったことというのはここに書いてあることだ。ここの、どこかに書いてあることだ。きちがい兄貴があ・れ・だ・け・こだわって、こだわって、こだわって鳴らしたのに、いまは「そんなつもりじゃなかった」ことになっているのが、腹立たしい。もちろん、兄貴が、よその家の人の前で、「そんなつもりじゃなかった」と嘘を言っているだけだ。よその家の人と言ったけど、新しい家族だ。新しい家族の前では、そういう、嘘ばかりを言っているのである。まさに、いいわけにならないいいわけをしている。でっち上げのいいわけ。頭がおかしいいいわけ。あれだけむきになって、頑固に鳴らしたのに、「そんなつもりじゃなかった」とかよく言うよ。何度も言うけど、きちがい兄貴が、最大限ゆずった音で、一日に三〇分でも鳴らしてみろ。ものすごいことになるから。一日で離婚だよ。「もう静かにしてくれ」と新しい家族の構成員が言っているのにそれを無視して三〇分鳴らしたら、ものすごいことになる。人間関係にひびが入って、離婚だよ。きちがい兄貴は、どれだけ「静かにしてくれ」と言われても、静かにしなかった。この静かにするというのは、普通に静かにするということだから。きちがい兄貴の基準で「静かにした」ということではないから。これ、本当に、やり方が親父なんだよな。やり口が親父そっくり。本当にゆずるのは、死んだって屋なんだよ。本当にゆずるのは一秒だろうが、死んだって嫌なんだよ。だから、やりきる。けど、まったく意味がない、腐りきった譲歩をして、ゆずってやったことにしてしまう。顔を真っ赤にしてやりきっているのに、本人は、「ゆずってやった」と思うことが可能なのだ。本当に腐っている。いつもいつも、そういうやり方で、やりきった。七時間鳴らせるなら七時間、一四時間鳴らせるなら一四時間鳴らして、一分一秒だって、本当には静かにしてくれなかった。そういう日が毎日毎日、準年間も続いていいわけがないだろ。実際には一〇年以上鳴っていたけど、一〇年でおしまいだよ。一〇年目だって、どれだけ言っても、一秒だって本当には静かにしてくれなかったというのが、真実だ。きちがい兄貴がこの世で実際にとった行動だ。いつもそういう態度で、ずっと鳴らしてた。だから、鳴らしてた。

きちがい兄貴よ、やり方が、親父とおなじ。親父の譲歩とおなじ。親父の「やってない」とおなじ。頑固にやり切って、「やってないやってない」と騒ぎ出す。本人が、認めたくないことは、絶対に、認めない。そういう頑固さがある。で、やっているときも、頑固にやり切るんだよ。だから、頑固にやり切って、頑固に「認めない」ということになる。で、これが、本当に毎日、毎分毎秒、そういう態度なんだよ。たまたま、そうなるとか、ときどき、意地を張るとか、そういうことじゃない。毎日の普通の態度がそういう態度。

きちがい兄貴よ、おまえのせいで本当に、人生全部がくるしくなった。いまもくるしい。きちがい兄貴よ、きちがい兄貴が、ちゃんと静かにしてくれたら……よそのうちで静かにするように、一日中鳴らさないで静かにしてくれたら……一日目からそういう普通の態度で静かにしてくれたら……ぼくの人生はまったく違ったものになった。きちがい兄貴は、鳴らしている最中から、まったく、関係がないと思っている。俺がどれだけ「勉強の邪魔だから、静かにしろ」「宿題をするから静かにしろ」と何回も何回も怒鳴り込んでも、まったく関係がないつもりで鳴らし切った。本人は本当に「勉強の邪魔をしているつもりがない」のである。けど、それは、つもりがないだけだから。「つもりがないからやってない」というようなきちがい回路が成立しているんだろうけど、そうじゃないから。「つもりがない」という形をとって、ずっとずっと、こだわってこだわってこだわって、頑固に頑固に絶対にゆずらないで鳴らした。全部の時間そういう態度で鳴らし切った。そうじゃないときがない。一日に一分だって、一秒だって、そうじゃないときがない。そういう毎日だ。しらばっくれるな!!!! きちがい兄貴!!しらばっくれるな!!!

兄貴のヘビメタ騒音で、死にたい。俺が死にたい原因は、きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音だから。で、これ、本当に人生の中で、何十年続いていると思っているんだよ。きちがい兄貴が鳴らしていた一四年間、俺は毎日、何回も何回も言ったからな!!!


2016年12月19日月曜日

俺の変な責任感

いやーー、腹痛でトイレに何回も行くのって、くるしいね。一晩、トイレから離れられなかったよ。俺の場合は、しんどいんだよな。精神的に、かなりまいっている。美少女じゃなくてもいいから誰かと一緒に暮らすべきかな?? 「おまえ、自分の年を考えろ」と誰かが思うかもしれないな。まあ、いいさ。

ともかく、腹痛からは解放された。

気分を変えればどうにかなるのかね?
考え方を変えればどうにかなるのかね?

みじめな思いはしたくないよ。だれだってみじめな思いはしたくない。

けど、みじめだと思うかどうかは、これまた、ひとによってちがうところもある。たとえば、ぼくは安アパートで生活保護をもらいながら生きるというのは、みじめな感じがする。けど、別の考え方をすれば、それはみじめじゃないと言いきれる。生活保護をもらわなくても、ひとりで、安アパートで暮らしていたら、みじめだと思わないかい? 歳をとってさ。そりゃ、就職して働いて、結婚して、子供を作ったというような「歴史」があればいいけどさ。俺なんてそんなのないんだからさ。

本当、全部がなくなっちゃったな。あれ以来、つらいだけだ。ヘビメタ騒音以来、つらいだけだ。

天使のような女に出会って、楽に楽しく暮らしていけるのかね? その人のカネで?

これ、ぼくは古い人間で洗脳されているところがあるから、「やっぱり男が稼ぐべきだよな」というような考えが、ある。といっても、それは、古い地層にある。それはやっぱり、この時代の日本という国の文化だよなという考えもある。(それは、「無職の現象学」に書いた。)

俺なんてへんにまじめだから、つきあうまえに、「この人と結婚してこの人とこどもの生活費を稼がなければならないんだろうな」と考えてしまう。つ、き、あ、う、まえに!!! 変な責任感がある。だから、なんていうのかな、それができない自分なので、告白されても、興味がないふりをしてしまった……ということがある。相手にしてみれば、つきあいもしないで、ふりやがって」という気持ちになったかもしれない。失礼な話しだよな。相手にしなかったように見える。この変な責任感さえなければ……。けど、きちがいヘビメタで普通に働く可能性をうばわれている。だから、ジレンマがしょうじる。

本当はバリバリ研究をしたかった。わかりやすくておもしろい授業をしたかった。


   *     *     *

今日は、冷凍野菜ミックスを買わなきゃいけない。ティシューも買っておくべきだな。
今日も、あんまり外に出たくない。けど、この間よりはましだ。この間はひどかったからな。ああいうきもちになっちっゃだめだ。ヘビメタ騒音やられていたときの「朝の気持ち」だ。おれ、本当に、寝不足でどうしても、動きたくなかった。どうしても、動きたくない朝ばかりだった。そりゃ、連続で毎日ヘビメタが何時間も何時間も鳴っているのだから、そうなる。他のひととは、ぜんぜん違うんだよな。普通に「学校に通ってた」としても。あの気持ちはない。ものすごく、外に出たくない。行動したくない。動きたくない。動くのと自殺するのと、どっちがいい?」って感じだよ。自殺したい気持ちをおさえて、……押さえ込んで……動いてた……。けど、七年が限界だった。そういうことだ。そのあとは、どれだけ、気力を振り絞っても、だめだ。不能。無理。死ぬほうを選ぶ。動かなければならないというのであれば、死ぬしかないという気持ちになった。そのくらいに、動きたくない。

   *     *     *

ちょっと外に出てくるよ~~~

今日は、なんとか出れそうだ。けど、自転車を漕いでいるあいだ、やっぱり、ヘビメタ騒音で不愉快になる。ヘビメタ騒音で焼き出されて、自転車を漕いでいたときとおなじだ。試験一瞬間前にヘビメタが鳴っていて、不安に駆られて自転車を漕いでいたときとおなじだ。ヘビメタ騒音にやられて、……午後八時に自転車を漕いでいた中学二年生のときとおなじだ。引きこもってだいぶ経ったときに、デパートに買い物に行くために自転車を漕いでいたときおなじだ。デパートに買い物に行くなら、楽しいかというとそうじゃないのだ。「このままではだめだ」という激しい不安に襲われて、試験数日前に自転車を漕いでいたときとおなじ気分になる。その時からそうだった。というか、ずっとそうだよ。連続で、そうだ。毎日そうだ。外に出るとき、ヘビメタ騒音の不安から解放されて、気持ちよく自転車を漕いだ記憶なんてない。記憶がないのはそういうことがないからだ。

まあ、電車賃を節約するために、一駅離れたデパートに行くときも自転車なんだけどな。三駅離れたデパートに行くときも自転車だ。デパートに行ったときって、あれ、正月なんだよな。肩身の狭い、粉砕しそうな、不安に満ちた正月だよ。他のひとの姿を見てどれだけ俺がさみしい気持ちになったか。きちがいヘビメタにやられている状態で、外に出てもおもしろくない。きちがいヘビメタにやられて、無職をぶら下げて、どこに行ってもおもしろくない。もちろん、ひとりだ。けど、気のいい友達がいて、その友達がいろいろと誘ってくれたことがある。けど、友達と一緒に行動しているときも、実はヘビメタ騒音で押しつぶされそうな気分なんだよ。元気がない状態なんだよ。憂鬱な状態なんだよ。死にたい気分なんだよ。その死にたい気分をおさえて、行動している。けど、身を切るようにつらい。冬は特にそうだ。夏もつらいんだけどね。夏も冬もヘビメタがずっと鳴ってたから、なんていうのか……それぞれに、つらいところがある。なんていうのかな? ともかく、切羽詰まっていて、不安でだるいんだよ。ヘビメタ騒音が一四年間も毎日続いたから。きちがい兄貴がやめてくれかなったから。どれだけ何回言っても、一日に一分間連続してやめてくれるということが、なかったから。


どこに行っても、本当は、憂鬱だ。


どうしても憂鬱だ。不安だ。ヘビメタ騒音で「たよりない自分」になってしまって、その「たよりない自分」が嫌で嫌でしかたがない。けど、どうにもできない。不愉快で不安で憂鬱で、どうしても、普通に仕事をするということができない。どうしても普通に、毎朝おなじ時間に起きるということができない。も、う、そういうレベルで、とうしてもだめだという状態になっている。こんなの、普通の人にしてみれば「なに、あまえてんだ。俺だってつらいけど起きている」ということになると思うけど、その人は別に、きちがい的なヘビメタ騒音を一四年間毎日浴びて生活してきたわけじゃない。スタートラインが違う。だから、六年間「で」ダメなんだといってる。

ヘビメタ騒音にやられている期間で、学校に通っていたのは六年と半年だ。これを六年間という場合もあるし、七年間という場合もあるのだけど、その六年と半年で、だめになった。そういう普通の能力を失った。もし、その六年と半年がなければ、ぼくにだって普通に朝起きて、会社に通うということができた。もちろん、つらいときもあるだろうけど。「朝、つらい」ときもあるだろうけど。その朝のつらさは、ヘビメタ騒音を六年以上浴びたときの「朝のつらさ」と違うんだよ。質的に違う。だから、話にならない。きちがいヘビメタをやらなければ、俺だってできたことができなくなる。で、「できない」と言うと、ヘビメタ騒音を一四年間……七年間でもいい……六年間でもいい……六年間経験しなかったやつから、「わかったようなこと」を言われる。そういう立場に追い込まれる。

考えてみればヘビメタ騒音がはじまってから、ずっとそういう状態だったな。遅刻とか宿題とか、そういうことで、ヘビメタ騒音にやられているわけではないやつから「わかったようなこと」
言われた。くやしい。死にたい。で、くやしいのでヘビメタ騒音にやられている状態で……ヘビメタ騒音の中で、がんばってしまった。それが、朝の憂鬱の正体だ。外に出れなくなる感覚の正体だ。本当に「もう、いやだ」「(いま外に出るなら)死んだ方がましだ」と強く、激しく思ってしまう。

限界を、乗り越えてきたけど、「もう、つかれたな」という気持ちがある。

ヘビメタ騒音から始まった迷路から抜け出られない

気持ちの持ちようだとも、思うけど、かなりやばいや。
無意味なことをしていてもしたがないなしな。
けど、有意義なことをしようにも、やる気が出ない。

ヘビメタで困っている。俺が日曜日の夜八時にどういう気持ちになると思っているんだ?
ヘビメタ騒音から始まった迷路から抜け出られない。どうしても、くるしい。どうしても、死にたい気分になる。まあ、これで死にたい気分になるなどと書いても、中学生から「おまえ、死にたいんだってなwww」とか書かれるだけだけどな。

きちがいヘビメタでくるしい。どうにもならない。

基地外兄貴の野郎、毎日あたりまえのようにずっと鳴らし続けやがって。本人がどういう意地で鳴らしたかおぼえてないのか?? どんだけの意地で一秒もゆずらずに、非常識なでかい音でな鳴らし続けたと思っているんだ? そういうことが、わかってないから、ずっとやり続けたんだろ。俺はさんざん言ったからな!!! いまだに、わかってないんだからな。よその人に言われたら「静かにしてやった」とかウソをつくつもりでなく、言う。「うち」にいるときは、全部そういう態度で、入試だろうがなんだろうが鳴らしたんだよ。だから、「俺の勉強の邪魔をした」と言っている。弟の勉強の邪魔をしたつもりなんてまったくないんだからな。入学試験の前に、一秒もゆずらずに鳴らし続けても。そういうメンタルなんだよ。最初から!!!

ヘビメタ騒音が続くと、すべてが、無理難題になってくる。だから、くるしい。普通に暮らすことがどうしてもできなくなる。普通に暮らすことの上に成り立っている、就職、結婚などは、到底できなくなる。だから、くるしい。きちがい兄貴は気がついてないけど!!!きちがい兄貴のヘビメタが続いたから、くるしい。


他の人にしてみれば、「ヘビメタ騒音、ヘビメタ騒音ってうるせぇな」ということになるだろう。けど、ほんとーーにそんなんじゃない。やられたら、だれもがそうなる。きちがい兄貴のしつこさで、やられたら誰もがそうなる。徹底しているからな。本当に、絶対に、有効な範囲では一秒もゆずらない。で、ゆずらなかったということになってないらしい。これは、きちがい兄貴じゃないからわからないけどさ。頭がおかしい。あれだけ悪意があることをやっておいて……維持になってやっておいて、まるで悪気がないとか、頭がおかしい!! そういう構造で、全部押し切って、六時間鳴らせるなら、六時間すべて、鳴らしつくした。一秒もゆずってくれなかった。それが毎日続くからくるしい。それが毎日続いたから、くるしい。俺の人生がなくてくるしい。

本当に、他の人にしてみれば、「そんな騒音気にするな」「そんな過去の騒音気にするな」ということになるんだろうけど、俺にしてみれば、ちがう!!! 断固ちがう。むしろ、俺は、そういうタテマエにしがみついて、愚痴や不満を言わないで、中学生活高校生活を送ってきた。……それなら、それでいいじゃないか」と他人は言うかもしれない。けど、ちがう。ちがうったら、ちがうんだよ!!! 全部、やぶけた。そういうタテマエが成り立たないところで、暮らしていた。最大限の努力をしても、無駄だった。やぶけた。塞ごうとする最大限の努力をしても、やぶけた。塞ごうとする最大限の努力が「騒音を気にない」ことなんだよ。生活が成り立たない!!!侮辱だ。死にたい!! ほかのまったく知らないやつから、わかったようなことを言われる立場においこまれた。死にたい。侮辱だ。不名誉だ。死にたい。

2016年12月18日日曜日

動画ファイルをつくろうかどうか迷っている 無職引きこもりタイムズ

実は、もう一年以上前に以下のような画像を作ったのだが、どうしようかと迷っている。
基本的には、コミポで作って書き出すということになるのだけど、縦横比が違うんだよ。コミポ横一ページの縦横比とyoutubeで推奨されている動画の縦横比が違う。

なので、一度、変換しなければならない。それか、コミポのjpeg画像に手を加えないで、書き出し、上下に線ができるということになると思う。jpeg画像に読み上げソフトで読み上げ音声をつけて、動画にする。動かないけど、動画ファイルにする。

で、まあ、テキスト入力のところに、タイトルが入るわけだけど、タイトルと実際のファイル名の対応表を作らないとやばいんだ。で、これがめんどう。

あとは、この画像の一部を背景抜きコピーして、ファイヤーワークスにペーストして、ファイヤーワークスで作業をするという方法がある。これだと、縦横比の問題はもちろん解決できる。けど、せっかく「無職引きこもりタイムズ」などと書いたところがむだになる。(これも、持ち出しできるのだけど、ちょっと問題がある)

もうひとつの問題は、かりに動画を作ったとして、それがなんだというような問題だ。たぶん、あんまり再生されないと思う。金にならないので、むだな行為なのではないかという疑念がわく。そうなるとやはり、モチベーションが下がる。

声は女の人の声だから、一応、アナウンサーが読み上げているということにしたい。ぼくの声を使ったファイルは、男の画像ファイルを用意して、それにくっつけたい。女の人の声になってしまったのは、音声が安かったから。なぜか、半額で売ってたんだよね。たぶん、その女性の声だけ売れなかったから、半額になってたんじゃないかなと思う。(女性と言っても人工音声だけど)。

「無職引きこもりタイムズ」と言っても、ぼくが「無職の現象学」「引きこもりの現象学」に書いたことを読み上げるだけである。あとは、連載小説?として、「騒音サイコパス」を読み上げさせる。もうすでに、アマゾンで電子出版(セレクト)しているので、10%以上は、内容を読み上げることができない。

縦横比が一致しないということが、なんかモチベーションを下げるのである。
余分な一手間がかかってしまうというのが、耐えられないんだよな。あとは、整理整頓ができないので、日本語のタイトルをつけたくないファイルと日本語の対応表を作るのがめんどう。

あとは、今日は日曜日なんだけど、ヘビメタ騒音の雰囲気が濃厚で、だめだ。






「やる気」VS「興味」

やる気よりも興味だということに気がついた。ぼくは、ずっと「やる気を出すために」いろいろな「やる気を出す本」を読んできた。これからも、読んでいくつもりだけど、昨日、ふっと気がついた。考えてみれば「やる気を出そう」としていたときは、けっきょくやる気が出ず、疲労困憊の末、休むことが多かった。「やる気を出すにはどうしたらよいのか」ということにこだわっているときよりも、「普通にやっている」ときのほうが、やる気は結果的には出ていたのだ。

ぼくの場合は、ヘビメタ騒音が大きく関わっている。ヘビメタ騒音は、重労働とおなじなのだ。いや、重労働よりもはるかにたちが悪い。「労働強度」が強烈に高い重労働よりも、はるかに「労働強度」が高かったのだ。一日のヘビメタ騒音だけで、一〇日分の労働強度に匹敵してしまうような強度がある。さらに、精神的な労働強度が高い。労働強度というのは、肉体労働に関して使う言葉なのだけど、精神的な労働強度が高いのだ! ヘビメタ騒音は!! ヘビメタ騒音にさらされているというとは!!! ヘビメタ騒音にさらされ続けるということでぼくのからだはボロボロになっていた。まあ、ここでぼくの特殊な条件について語るのはよそう。

やる気を出そうと必死にならなければならないこととはなんなのだろうか? やりたくないことに他ならない。一方、「興味」にしたがって、いろいろやっているときは、まるで、疲労を感じない……というと嘘になる。嘘になるけど、言いたいことは、やる気などということを考えないで、興味にしたがってやっているときはものすごく楽だということだ。効率も上がる。「労働強力」が低いのである。おなじことでも、楽にできる。作業内容は同じでも楽にできるのだ。

ならば、「興味を持てばいい」ということになるのだけど、興味をむりやり持とうとすると、「やる気」の話しと同じ話になってしまうのではないかと思う。ぼくはこれからも、「やる気を出すにはどうしたらよいのか」といったテーマを扱う本を読んでいく。けど、「やる気」なんてことは考えないで、興味があることを普通にやったほうが、はるかに効率が良いということに気がついてしまった。

2016年12月17日土曜日

本当、どーーすっかな????

どうしたらいいのかね? 俺は~~~

まあ、ぼくがそのうち勝つけどね。勝つことは決まっているんだ。ただ、みちすじがわからない。

人付き合いはどうするかなぁ??

自分が好きな時間に回転寿司屋に行こうとしただけで、あんな気持ちになってしまうんじゃ、だめだろうな。ドタキャンの連続になってしまう。

いつも、ヘビメタ騒音で憂鬱で不愉快なんだけど、それをこらえて、生きている。特に、「外に出る」とか「なにかをやらなければならない」ということになると、憂鬱さや不愉快さのレベルが上がってしまう。ぼくが、図書館に本を返しに行くとき、どういう気持ちになると思っているんだ?? 兄貴!!!


兄貴がやったことの結果だ。しかも、たとえば、一ヶ月でやめようと思えばやめられたことだ。一瞬の事故でこうなってしまったわけではない。兄貴がこだわって一四年間、毎日毎日、一秒もゆずらないで鳴らしたから、こうなっている。俺は、兄貴のヘビメタ騒音で日中、身ぐるみはがされたようなむなしい不安と怒りでいっぱいだ。どこにいても、なにをしていても、不安と怒りでいっぱいだ。しらばっくれやがって。シランプリで、鳴らしやがって。どれだけ、言ったと思っているんだよ。どれだけ交渉をしようと思ったと思っているんだよ。交渉のテーブルにつかなかっただろ。

自分のヘビメタがたとえ、一分だろうが、本当に制限されるのは、絶対に嫌だから、テーブルにつかなかった。それだけ。本当に、自分が我慢させられるということは、絶対に、一日に一秒だろうが、嫌なんだよ。嫌だから、どれだけ言われても、怒って鳴らしていたわけだし、嫌だから、「交渉のテーブルにつけ」と言われても、つかないで鳴らしてた。言っておくけど、「鳴らしてたんだから」な。鳴らさないで、我慢して、暮らしていたわけじゃない。「交渉のテーブルにつけ」と言っている期間中、ずっと鳴らしていたんだ。「交渉のテーブルにつけ」とこちら側が言っているあいだは、鳴らさないで暮らしたわけじゃない。

で、鳴らすとか鳴らさないとか言っているけど、きちがい兄貴の場合、鳴らすなら、全部の時間、絶対にゆずらないで鳴らすんだよ。きちがい兄貴が、本当にならすのを我慢して、一分という時間がすぎるということがない。かならず、全部の時間、好きなように鳴らしている。自分の行動が制限される……鳴らすことができる時間なのに、弟と約束したから鳴らさない……ということは、絶対に嫌だったんだよ。一日に一分でも、嫌だったんだよ。一日に一秒だって、一四年間のあいだ、毎日毎日、嫌だったんだよ。だから、知ってた。「弟がやめてくれ」とさけんでいるのを知っていた。弟が試験を受けるということを知っていた。

けど、自分がぁ!!!たとえ、一秒間でも本当に!我慢させられるというのは、耐えがたいことだったので、……我慢できないことだったので……親父的に!嫌で嫌でしかたがないことだったので、やってやらなかったということなんだよ。これ、兄貴の態度は全部そういう態度で、一四年間毎日、どれだけなにを言っても、そういう態度で暮らしてきたのに、当の兄貴が、わからない、なんてことはないだろ。けど、「知らなかった」とか「そんなになっているとは知らなかった」とか言いやがる。どれだけ俺の試験の邪魔をしても……一日中、ヘビメタを自分が満足できるでかい音で鳴らして、俺の邪魔をしても、本人は、まったく「つもりがないまま」なのである。

それは、何万回言われても、何万回「勉強するからやめろ」と言われても、ぜんぜん、あたかも親父のように!!わからない状態なのである。で、わからないとなったら、何千回何万回、言われてもわからないままなんだよ。そういうふざけた態度で、鳴らし続けやがって、しかも、「静かにしてやった」とか思っているんだから。どれだけ、腐っているんだよ。兄貴は本当に、全部、そういうところで、狂っている。自分がやりたいという気持ちだけで、狂っている。

自分がすべての時間、思ったとおりに鳴らしたいという気持ちで狂っている。その気持ちに反することは、どれだけ事実でも、認めない。親父のように、頑固に無視して認めない。認めないということも認めない。そういう構造で、認めない。だから、本人は、どこまでやっても、何千日やっても、「まったくやってないのおなじつもり」なのである。だ!か!ら!!!!!くるしいんだよ!!!!!!!

なに言ってんだよ?? それで、いまだに「自分にも言い分がある」なんて言っているんだからな。そういう態度で、ずっと、鳴らしやがったんだよ。きちがい兄貴が鳴らした音が普通に静かな音だというのなら、いま、兄貴が住んでいるところで、一日三〇分でもいいから鳴らしてみろ。新しい家族の前で、五分でもいいから鳴らしてみろ。わかるから。

きちがい的な言い分が成り立つのは「うち」だけなんだよ。きちがい兄貴は、静かにしたくないから、押し切った。全部自分が思ったとおりに!!!鳴らしている。我慢して、譲歩してくれた時間なんて、一日に1秒もない。全部、全部自分が思ったとおりに!!!鳴らして!!!……「静かにしてやった」と思ってただけ。親父とおなじなんだよ。とことん、おなじなんだよ。やり口が全部おなじなんだよ。認識が全部親父とおなじなんだよ。認識回路自体がおなじだ。自分にとって、不都合なことは、全部、無視して、絶対に認めない。で、認めないと言うことも認めない。で、やりきる。で、やったつもりが生じない……こういうきちがい回路を搭載している。

   *     *     *

もう、現実、どうだっていいや。

かりにいま、理想の彼女とデートする約束があるとしても、憂鬱だ。待ち合わせ場所に行きたくない。まあ、そんな約束はないからいいけどさ。もう、つかれた。


ほんとう、つまんない。
どうしても、くるしい。



ヘビメタ騒音でつらいだけの人生だったな

人生振り返ると、ヘビメタ騒音でつらいだけの人生だったな。
朝は特にそう思う。ともかく、くるしい。このまましんじゃうのかな。

タノシイコトなんてなかったな。ヘビメタ騒音でくそまみれ憂鬱まみれ逆上まみれだ。つねに不安だった。つねに、きちがい兄貴のことで怒っていた。鳴っている音と、きちがい兄貴の態度! あいつ、本当にあれだけでかい音でずっと鳴らしていて、「静かにしてやった」つもりがあったのかよ? 入学試験だろうが中間期末試験だろうが、マラソン大会だろうが体育祭だろうが、なんだろうが一秒も静かにしないで、ガンガン鳴らしてた。ヘビメタを鳴らして、エレキギターを弾くというのが、きちがい兄貴のスタンダードでずっとそうだった。あんな六畳和室に、でかいスピーカーを三つも持ち込んで、ドカスカ鳴らしたら、うるさいに決まっているだろ。スピーカーとオーディオで部屋の半分が埋まってしまうような状態だ。あんなの、六畳まで鳴らすようなスピーカーじゃないんだよ。だから、いま住んでいるうちに持ち込んでも、鳴らせないんだろ。スピーカーからは鳴らせなくて、ヘッドホンで聞いているんだろ。どれだけのこだわりで、鳴らしたと思っているんだよ。頭がおかしいよ。きちがい兄貴よ! きちがい兄貴のこだわりは、親父以上だ!! 絶対に、どれだけなにを言われても、一秒もゆずってくれなかった。ちゃんと一秒間静かにしてくれるということが、どれだけ頼んでも、どれだけ怒鳴り込んでも、毎日毎日、なかった。例外なく、ずっと1秒間以上鳴らさないで静かにするということがなかった。一日だけあるけど、その日をのぞいて、本当に一日に一秒間、我慢するということがなかった。我慢するというのは鳴らさないで我慢すると言うことだからな。きちがい兄貴が、よその家じゃ鳴らせないようなでかい音で鳴らしながら、我慢してやったつもりになったということではないからな。本当に、その一日をのぞいて、入試だろうがなんだろうが、一秒間だって、ちゃんと静かにしてくれなかったのが、きちがい兄貴だ!! これ、兄貴がこだわりつくして、頑固にやったことなのに、「つもりがない」ってことになっている。本当に、自分が我慢させられそうになったら、どれだけ顔を真っ赤にして怒ってたと思うんだよ。お母さんに、「静かにしてあげて」と言われたら、もう、むすーーっとして、顔を真っ赤にして、二階に行って、ドカスカ鳴らした。お母さんに言われたから一分間、鳴らさないで我慢してあげたということがない。一分間だけではなくて、一秒間だって我慢してくれたことがない。それが、普通の態度で入試だろうが、期末試験だろうが、全部、一秒も我慢しないで、鳴らした。その日自分が六時間四五分鳴らせるなら、六時間四五分鳴らして、絶対に、六時間四四分になると言うことがないという世界だ。それが、「うち」だ。それが、兄貴のやったことだ。それなのに、兄貴は、ぜんぜんそのつもりがないのである。それは、言われなかったからじゃない。どれだけ言われても、鳴らし続けた。いや、言われれば腹を立てて、頑固に鳴らし続けた。言わなければ、普通に全部の時間なしラテいるわけだから、どっちにしろ、全部の時間鳴らすことになる。ちょっとでも自分にとって不都合なことを言われれば、催眠術にかかったように、不機嫌になって、全部鳴らすことにこだわりきって、実際に全部鳴らした。全部というのは、可能な時間全部ということだ。本当に一秒だって、ゆずってやらなかったというのがきちがい兄貴の態度なのである。毎日の普通の態度なのである。だったら、そういうふうに認識していてい良いはずなのに、本人は、ぜんぜん、そういうふうに認識しない。おかしい!! 本人だけは、へのかっぱで、台風の中心で、晴れ晴れなんだよな。いつもそうだ。きちがい兄貴のまわりは、あらしだよ。騒音のあらし。重金属音のあらし。きちがい的にうるさいヘビメタのあらしだ。本人だけは気がつかない、本人だけは関係がないひとのつもりでいるということが、毎日毎日、普通に成り立つ。きちがい兄貴が鳴らしたすべての時間、そういう、きちがい原理にしたがって鳴らしている。きちがい的な意地で鳴らしているのに、きちがい的意地で鳴らしているということを無視しているのだ。きちがい的な意地で「静かにしてくれ」といわれたことを無視しているのだ。本人は、まったく関係がないひととして、き・ら・く・に、ガンガン、一分も、一秒もゆずらないで鳴らし切る。それで本当に、「静かにしてやったつもり」「ゆずってやったつもり」なんだからな。これ、親父原理! うちの場合、親父が、万力を締め付けるような意地で、やったんだよ。全部、しくみがおなじ。こだわった場所が違うだけ。きちがい親父の場合は、なんかへんな小さいことに全力でこだわって顔を真っ赤にして、きちがい的な意地でやるんだよ。修正は効かない。どれだけなにを言っても、そういうモードになってやり始めたら、絶対に聞かない。「そういうふうにされると困るからやめてくれ」なんてことは、はっきり言われても、全力で無視してやってしまう。きちがい兄貴よ!!そういうことが、どれだけはた迷惑なことか、おまえ知っているよな!!! 知っているはずだ!! けど、ヘビメタ騒音で全部、親父とおなじことをしている。親父とおなじ態度で、親父とおなじ原理で、親父とおなじ認識で、全部、自分が好きなようにやっている。まったくゆずらないで、自分の意地を通している。ゆずる、なんてことはないんだよ。本人がこだわりきって「やめろ」といわれたら、真っ赤な顔をして怒ってやることなのに、本人が知らないという、構造が、腹立たしい。強烈に腹立たしい。そして、これが、なんていうのかな、猛烈に冷えるんだよね。道を歩いているときは、きちがいヘビメタ騒音が鳴っている時間じゃない。けど、毎日六時間四五分から一四時間ガンガン鳴らされていると、外に出て、道を歩いているとき、きちがい兄貴のこういう態度のことを考えて、ものすごく、不安な、みじめな、切羽詰まった、いたたまれない気持ちになる。入試の前は特にそうだったけど、他の日だって……普段のなんでもない日だって……不安で憂鬱でたまらなかった。いま外に出れない直接理由は、それだ。「ヘビメタ騒音の雰囲気がする」……と言っているけど、「ヘビメタ騒音の雰囲気がする」というのはそういうことだ。これ、あまりにも長くやられたから、消しようがない。で、だからこそ、薬を飲まなきゃ鳴らなくなる。催眠療法なんてあやしげなものに期待をかけなければならなくなる。ヘビメタ騒音がなければ、そういうことはないんだよ。ぼくは、

2016年12月16日金曜日

俺が、外に出るのにあんなに憂鬱になるのは

なんとか、復活かな。いやーー、午前5時ぐらいはやばかった。昨日洗濯したものを、また、干している。昨日も干したんだけどね。洗剤よりは、太陽光線を頼りたい。


けど、動きたくないときのあの感じは、ないよ~~
あれはない。

いまも、動きたくないけど、昨日ほどではない。そんなにつかれてないつもりだったけどつかれていたのかな? 

まあ、俺がどうなっても誰も気にしないけど。これで、なんとか病になって、いろいろなことにますます制限がつくようになったら、どーーすんだよ。あとは、他のひとは、言ってみれば「ヘビメタ騒音一四年間」なしでリタイア生活に突入しているわけだけど、ぼくの場合は、そういうことじゃないんだよな。やっぱり、重い。「人生がない」感じがすごい。

今日もまだ、動けない感じが残っているけど、昨日ほどではない。昨日、はまってしまった。で、昨日の状態が毎年毎日続いたのが、俺のここ数十年なんだよな。

飢餓陣営のひとたちって、どうしているのかな? 

   *     *     *

昨日は、寿司屋に行くのに失敗したから、今日は行こうかな。けど、わからないな。仕事じゃなくて、寿司屋に行くのに、あれだけ落ち込んでいるんじゃだめだよな。けど、あれは、前日、ヘビメタ騒音を11時まで鳴らされて、眠れなかったときの朝の繰り返しなんだよな。俺が、外に出るのにあんなに憂鬱になるのは、ヘビメタ騒音生活をしていたから。だから、ヘビメタ騒音生活をしてない人・ヘビメタ騒音生活の経験がないひとにはぼくがどういう憂鬱に襲われているのか、ぜんぜん理解できないだろう。

信念と真実

これ、うまく書けるかどうか自信がないけど、ちょっと書いておく。ジョゼフ・マーフィーの言う「信念を持っているひと」の態度が、きちがい兄貴の態度と似ている部分があるのである。あくまでも「部分」ね。絶対に、ゆずらないで自分が思ったことをするという点で似ている。相手が言うことは、聞かない。

まあ、あんまりうまく話せるとは思わないし、ジョゼフ・マーフィーの言う「信念を持っているひと」の態度が、きちがい兄貴の態度と似ているとは思ってない。それは、違うことだ。ただ、部分だけを抜き出せば、そう言える。もちろん、正しいことを信念を持ってやるということと、迷惑行為を頑固に人がなんと言ってもやるということは、違う。違いすぎる。持つ意味が違いすぎる。けど、頑固さと、相手の言うことを聞かないということは、共通点なのである。そこだけが似ていて他は全部違うのだけど、それでも、頑固さと相手の言うことを聞かないということ、似ている。おなじだ。

何度も言うけど、ジョゼフ・マーフィーの言う「信念を持っているひと」の態度が、きちがい兄貴の態度と似ていると言いたいわけじゃない。本当に違う。けど、頑固さと相手の言うことを聞かないという点だけは、似ている。

なので、ぼくはジョゼフ・マーフィーの言う「信念を持っているひと」になりたくないという、半分無意識的な気持ちがある。だから、なんて言うのか、ある程度抵抗がある。ジョゼフ・マーフィーの言う「信念を持っているひと」は、ぼくにとって理想像じゃないのである。「やりたいことをやっている」というのは、似ているんだよ。親父や兄貴と似ている。

親父や兄貴だって、自分がやりたいことをやっている。どれだけ言われたって、相手が言っていることを絶対に認めないでやりきる。それは、悪いことをやりきるということだから、ジョゼフ・マーフィーの言う「信念を持っているひと」ととはまったく!!!!違うのだけど、それでも、「やりたいことを頑固にやる」という点と「相手が言ってることを聞かない」という点がおなじだ。その点だけはおなじだ。

あとは、信念を持っていれば、信念に反したことは現実化しないというのは、ちょっと眉唾物だと思う。たとえば、焼肉チェーンの社長は、絶対に食中毒なんて起こらないと、確信してたんだよ。これは、想像の話になってしまうのだけど、肉の担当者が、「このままでは、いつか食中毒事件が起こるかもしれない(から、もっと肉を切った方がいい)」と言ったとしても、「そんなことは絶対にないから、いい」と言って聞かなかったはずだ。社長・絶対体制のなかで、従業員が「こんなことをしているとまずいのでは」というような意見を言えたかどうかもわからない。従業員も洗脳されていて、そんなことは、まったく考えてもいなかったかもしれない。

けど、肉に関する常識がある人なら、あの切り方はまずいということが絶対にわかるはずなんだよ。長年の繰り返しで、どのくらい切り落とせば良いのかわかるはずなんだから。けど、普通の基準よりもずっと少ない量しか切り落とさなかった。それは、社長の命令でそうしていた。どうして、ちょっとしか切り落とさないかというと、これは、これはコストの問題だ。だから、食中毒が起こる可能性の消去よりも、利益のほうが優先していた。そういう社長だからこそ、短期間で、成功をおさめた。ジョゼフ・マーフィーの考え方に従えば、「食中毒なんて絶対に起こらない」という信念を持っていれば、「食中毒」なんてものは絶対に起こらないはずなのである。けど、起こった。


悪いことが起こるのは、そういうことを吹き込む人がいるからなのだ。そして、吹き込まれて、自分の考えがゆがむからなのだ。吹き込まれて心配になるからなのだ。もし、吹き込まれても……そういう不安になることを言う人がいたとしても、自分が信念を持っていれば、絶対に、そういうことは、起こらないのである。

水俣病の原因を作った会社の社長も、そういうところがある。水俣病は、工場の排水に問題があった。その工場の排水には有機水銀が含まれていた。これが、水俣病の原因だ。けど、最初は、なにが原因なのかわからなかったのだ。有機水銀を含む食べ物を猫に食べさせて、おなじ症状が出るということを確認して、有機水銀が原因で、いわゆる水俣病が発生したということがわかった。それまでは、伝染病だと思われて、たいへんな差別を受けたのだ。

水俣病に関しては、現場の従業員が「この排水をこのまま流すのは、良くないのではないか」ということを、上司に言っていた。けど、上司は無視した。上司の考えは「そんなの平気だ。問題がない。いいから、つべこべ言わないで働けというものだった。上司は、排水を垂れ流しても、大丈夫だという強い信念があったのだ。しかし、その排水には有機水銀が含まれていたので、汚染された魚を食べた人は水俣病になった。水俣病というのは、あとでできた病名(呼称)だけど、上司は、「魚を食べたひとは水俣病になる」ということは、絶対に考えなかった。考えなかったのに、実際に起こった。何度も言うけどジョセフ・マーフィーの教えにしたがえば、考えなかったことは起こるはずがないのである。

ジョセフ・マーフィーはすでにこの世にいないが、ジョセフ・マーフィーが一定量有機水銀を摂取した場合も、普通に水俣病になると思う。絶対に、水俣病にならないという信念を持って摂取したとしても、生体を通した物理法則によって、水俣病になると思う。

そして、一旦、水俣病になってしまったら、「どんな病気も治る」「潜在意識が我々の体を作っているのだから、時計製造者が時計を直せるように、私の病気も治る」と思っても、治らないと思う。ジョゼフ・マーフィーやジョセフ・マーフィーの信者は、実際に水俣病になってしまった人に、「この魚を食べると水俣病になると思って食べたから、水俣病になった」などと言うのだろうか? それは、失礼な話し。

   *     *     *

だから、一般論、普遍理論として、例外なくジョゼフ・マーフィーが言っていることが正しいというのは問題がある。例外があるのだから、例外的なひとに対して、失礼だ。だから、一般論、普遍理論としては、ジョゼフ・マーフィーが言っているようなことは言わない方がいい。

ただ単に、自分の場合は、こう信じる。自分の信念はこうだというのであれば問題はない。自分の場合のみに、ジョゼフ・マーフィーの考え方を適用し、それ以外のひとには、その考え方が成り立つわけではないということを明言しておいた方がいい。

けど、ジョゼフ・マーフィーもその信者も、普遍理論として自分たちが言っていることは正しいと主張する。なので、問題がある。


   *     *     *

しかし、これ、どれだけのひとが、この話についてこれるだろうか。
悪質な信者だと、めちゃくちゃに怒って、きたない言葉でののしってくる。潜在意識は主語を区別できないんだぞ。だいたい、悪質な信者は、意見に対して意見を言えない。こういう問題点があるということについて、「いや、そうじゃないんだ」ということを理論的に説明できない。感情にまかせて人格攻撃をしてくる。ぼくが使っている「きちがい」とその人らが使う「きちがい」にどれほどの差があるかわかってない。まあ、ひとによって理解の程度が違うということは理解できる。

ぼくは、信念を持って、この投稿をしているので、この投稿に書いてあることについて、理解度の低い人たちが的外れな誹謗中傷をどれだけ繰り返しても、少しも信念を曲げることはない。

2016年12月15日木曜日

「そんなことを言われてもこまる……」というもの

「お金が入ってくる」音声テープ(ファイル)を聞いてたら、本当にお金が入ってきたよーー。

けど、これは、時期的に同じだっただけ。ふたつの事柄が発生した時期が接近しているだけ。あるいは、重なっているだけ。けど、思いようによっては、「お金が入ってくる音声を聞いていたら、お金が入ってきた」と言える。それから、その音声を公開するとき「この音声聞いたら、本当にお金が入ってきた」と言える。これは、嘘じゃないからね。

けど、やっぱり、ヘビメタ騒音で憂鬱なんだよ。

俺がかりに京都に旅行に行っても、この気持ちで行くわけだから、自殺場所を見つけるような気持ちになってしまう。ヘビメタ騒音にたたられて、受験していた頃とおなじ気持ちになってしまうんだよな。スキーをやってもおなじ、ハングライダーをやってもおなじ。北海道、長崎、福岡、京都、ギリシャ、ハンガリーなどに行きたい。行きたいけどおなじなんだよなね。

本当に、成長期に一〇年以上毎日やられたものは、ぬけないな。本当、さまよっている感じになってしまう。くるしい。開放感がない。

昨日寝る前に、死ぬ前にやりたいことリストについて考えてみた。

だいたい、やりたいことリストはふたつに分かれる。ひとつは、お金があればできること。もうひとつは、相手がいなければできないこと。お金で愛は、買えない。まあ、あるにこしたことはないんだけどさ。

ものすごく不安でさみしい気持ちでさまよっているような状態になってしまって楽しくない。どうしてもぬけない。ヘビメタ騒音で全部を失った。楽しい気持ちを失った。楽しいと思える能力を失った。切羽詰まった気分しかない。切羽詰まった気分の中であがいている気持ちしかない。で、それが、「鳴っている限り」どうあがいても、むだなんだよ。

だから、本当に「鳴らさないで」静かにして欲しかった。一日中鳴らさないで静かにして欲しかった。一四年間で、一日だけだからね。その日をのぞいて、一分もゆずってくれなかった。一分間鳴らさないで静かにするということが、一日もなかった。全部の日、一分もゆずらないで、ガンガンドカスカ鳴らしていた。

で、生活が、不可避的にめちゃくちゃになる。けど、他のひとには「不可避的にめちゃくちゃになる」ということが、わからない。体験としてわからない。他のひとにとってみれば、どうでもいいことなんだよ。それはわかる。けど、どうしても、めちゃくちゃになる。どうしても、果てしなくつかれて、失敗して、憂鬱になる。ヘビメタが前日鳴っていた……(その前も、その前も、ずっと何年間も毎日鳴っている)……そう言ったって、他のひとには、関係がないことだし、「そんなことを言われてもこまる……」というものだ。

きちがい兄貴だけなのである。きちがい兄貴だけが、言うことを聞けば、それで済んだ話しなのである。これ、きちがい兄貴が、張本人で主役なのである。病原菌なのである。なのに、まったく関係がないつもりで、生きている。鳴らしているときから、鳴らしている、さいちゅうも、どれだけ言っても……きちがい兄貴本人は、「関係がないつもり」のまま鳴らしている。鳴らし終わったらもちろん、関係がないつもりしかない。関係があるかどうかということさえ、すっぽりぬけている。そういう関係なさが成り立っている。どれだけ言っても、いまだにそうなんだよ。これだけ、言って、全部送っても、きちがい兄貴にしてみれば、自分には関係がないことでせめらているような感じしかない。それは、親父もおなじなんだよ。

じゃ、あ、やっているときに、「やめてくれ」と言ったら、やめてくれるのかと言ったら、それはないんだよ。発狂してやる。で、その発狂して、意地になってやっている時間、やっているのに、「やっているつもり」がいんだよ。だから、「自分がそのことに関係しているつもり」がない。まったくわかない。兄貴に、兄貴の騒音のことで、「こまるからやめてくれ」と言っているのに、一切合切自分が関係ないつもりで、ガンガン鳴らして、それで、……おしまいだ。鳴らし切って……ずっと鳴らして、……一日が終わる。自動的にそういう毎日なんだよ。だから、くるしかった。

これ、本当に「俺が、兄貴に言わなかったから悪い」みたいに言われるんだよな。……なにも知らないやつに!!

2016年12月13日火曜日

死にたくないけど、死にたい。死にたくないけど、生きたくない

寝て起きた。どうしてもつらい。夢の中でもつらい。夢のこと考えているときもつらい。起きて、現実を直視したときもつらい。トイレに行くときもつらい。水を飲んでいるときもつらい。寝る前の食器を片付けて、洗って、今回使う食器にするときもつらい。全部つらい。どうしてもつらい。俺が相手に迷惑をかけたケースもつらい。俺が友達に迷惑をかけたケースもつらい。だいたい、ヘビメタ騒音が鳴ってなかったら、あの高校には行かなかった。これ、ヘビメタ騒音が鳴っていると、相手に迷惑をかけてしまうことがあるんだよ。で、なんとも言えない気分になる。まあ、アンチは「言い訳だ」というかもしれないけど、いいわけじゃないんだよ。だれでも、三年間、ああいう生活が続けば、そういう……いってみればふわっとしたミスがしょうじる。人付き合いとして、無理矢理明るくすると変な状態になる。で、変な状態で、もし、そういう生活をしていなかったら、言わなかったことを言ってしまう場合がある。ともかく、つらい。死にたくないけど、死にたい。死にたくないけど、生きたくない。きちがい兄貴! おまえ、静かにしてくれなかったじゃないか。一日に一分も静かにしてくれなかった。一日に鳴らさないで一時間我慢してくれるなんてことは、絶対にあり得ない状態だったんだよ。それが、一時間じゃなくて、一〇分でも一分でもおなじ。そういう意地で鳴らしてた。どの口で、「静かにしてやった」とか言ってるんだよ?? きちがい兄貴、いい加減、思い出せ! というか、そういう嘘つき、きちがい構造をやめろよな。これ、親父に対する意地なんだよ。自分が親父にやられたことを、全部俺にやり返している。親父にやられて、我慢ができなかったことを、全部、俺にやり返している。ヘビメタを通じてやり返している。ヘビメタに対する態度が、親父のすべてのものに対する態度とおなじ。頑固に全部やり切ったことは、「やったつもりがない」とか、全部、まね。コピー。やっているときの、血相を変えた状態も、全部おなじ。コピー! あれだけ意地になって、細部の細部まで絶対にゆずらないでやって、やったつもりがないとか、ゆずったと思っているとか、あほらしい。きちがい兄貴が、一日に一時間、ゆずってくれたら、それを書いている。たとえ、一四年間で一日だけでも、その日は、一時間だけど、午後八時から、午後九時までゆずってくれたとか、俺はちゃんと書く。きちがい兄貴がゆずってくれたのは、最初の高校入試前日だけ。それも、二日前まで、ずっと、ヘビメタ騒音が一〇〇%の時間鳴っている状態で、ずっとずっと、ヘビメタを騒音をやめてくれという、交渉していた。入試三日前だって、四日前だって、五日前だって、六日前だって、七日前だって、八日前だって、九日前だって、他の人は、ちゃんと勉強をしているのに、俺は、兄貴の騒音の中で死にたい気分でいた。入試三日前だって、四日前だって、五日前だって、六日前だって、七日前だって、八日前だって、九日前だって、ヘビメタ騒音の悩みにたたられて、ヘビメタ騒音をやめてくれといる交渉をしていたんだ。で、交渉をしていたと言ったって、きちがい兄貴が交渉のテーブルにつかなければ、それで、ずっと時間が流れてしまう状態だった。交渉のテーブルにつけと言っているあいだずっと、きちがいヘビメタがフルの音で、フルの時間鳴っている状態だ。他の人は、最後のラストパートで心置きなく、勉強しているのに、俺は、兄貴にヘビメタ騒音のことで、交渉のテーブルにつくように、説得していた。そもそも、鳴らすのをやめたくない兄貴は、交渉のテーブルにつくのも嫌だからつかなかった。入試二週間前から、入試二日前まで、ずっと、ヘビメタ騒音のことが心配で心配で、どうにかやめさせたいと、兄貴に交渉している時間はなんだと思っているんだよ? そして、交渉のテーブルにつけと言っているのに、それを無視して、鳴らしている兄貴はなんだ? 交渉のテーブルにつけと言っているあいだ、鳴ってたんだ。交渉のテーブルにつけと交渉しているあいだ、鳴ってたんだ。こんなバカらしいことはない。二週間前からと言ったけど、二週間前から、ヘビメタが鳴りだして、それで、二週間前から入試前々日まで交渉していたわけじゃないぞ。入学試験の三年前から毎日毎日、日曜祝日も夏休み冬休み春休みも含んで、ずっと鳴ってた。




どーしても、つらい。どうしても、つらい。


   *     *     *

おなじことばかり書いていると思う人もいるかもしれない。けど、たった三年だよ。ヘビメタ騒音が三年間で終われば、こんなことになってない。俺がしつこいのではなくて兄貴がしつこい。で、「あいつの無視!」は他のひとにはわからない。で、これがおかしなことなんだけど、きちがい兄貴にもわからないのだ。そういう、おかしなところがある。あれだけこだわってこだわって、毎日毎日やっておいて、本人は「やったつもりがまったくない」状態でいられるんだからな。

だいたい、さっき話したのは(書いたのは)高校入試の話しで、大学入試のときは、一日も静かにしてくれなかった。強情に、すべての時間鳴らした。一日に一分だって静かにしてくれなかった。それが、きちがい兄貴が頑固にやったことなのに、本人は「ゆずってやった」「静かにしてやった」と思ってるみたいなのである。こんなバカな話しはない。けど、それがいつもあたりまえなんだよ。で、俺がこだわってこだわってこだわって、「やるな」「やるな」「やるな」「鳴らすな」「鳴らすな」「鳴らすな」「鳴らすな」「鳴らすな」とガンガン兄貴に言っても、兄貴は、鳴らしているつもりがないまま???鳴らしまくる。あんなの、客観的に言ってどでかい音で鳴らしているのに決まっているのに、あれで、鳴らしてないつもりなのかよ? 本当にそういうところで、頭がおかしい。で、そういうところで頭がおかしいと、こまるのは、うちの人だけなんだよ。俺だけなんだよ。よそのうちが離れているから。……やってられない。

もちろん、鳴らしている最中は、鳴らしているつもりがあるんだろうけど、鳴らし終わったら、もう鳴らしたつもりがない状態か、鳴らしたつもりがない状態とおなじ状態になっている。だから、どれだけ怒鳴り込まれても、なんと思わないまま、寝ることができる。で、それの繰り返し。ずっとずっと、ずーーーっとずっーーと、中間期末試験だろうが入試だろうがまったくおなじ。

兄貴よ!!こういうところが、兄貴と親父はおなじなんだよ。まったくおなじ。で、こういうところが、他のひとには理解不能だから、俺が悪く言われるんだよ。けっきょく、俺が悪く言われる。「言わなかったから悪い」「どうにかならなかったのか?(俺だったらそんなのどうにかしているけどな)」というようなことを言われる。いまですら、「お兄さんと話し合えばいい」と言われる。一四年以上毎日、鳴らし切ったやつと、なにをいったい話せばいいのだ。いまさら?なにを話す。俺は、自分が二〇歳の時、本当に真剣に言ったんだからな。「ヘビメタを鳴らすな」「試験だからやめろ」って!! あの、二浪のときの崩壊はない。二浪とははずかしい。これも、他のひとからは、負け犬の遠吠えだと言われるけど、きちがいヘビメタが小学六年生のときからずっと鳴ってなかったら、ぼくは、ちゃんと現役で志望大学に入っている。小学生のときは、将来のことは考えてなかったけど、俺は、中学一年の時から、将来のことは考えていた。中学生になってやっと勉強がおもしろくなってきたのに、ずっときちがいヘビメタが鳴っていてつらかったよ。

門の前の道を歩くと、猛烈に、つらい思い出が復活してしまう。あそこ、願書を持って雪の日に走って、すっころんだ道だ。もちろん、きちがい兄貴は、ヘビメタを最大限の音で一秒もゆずらないで鳴らしてたよ。俺がどれだけ、しつこくしつこく、頼んでも、頑固に一秒もゆずらないで、うちで鳴らせる最大限の音で鳴らしてた。そういう気持ちが、去来する。これ、本当に生きているあいだずっと、あの気持ちが去来し続けている。楽しいわけがないだろ。楽しくすごせるわけがないだろ。


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魔法にかかったように頑固にやり続けて、催眠術にかかったように忘れてしまう。


2016年12月12日月曜日

悪意がなければできないことを、すんなりとやって、恩着せがましく「やってやった」と思う人

あんなに死にそうな毎日を繰り返していいわけがない。あんな不安な毎日を繰り返していいわけがない。ほんとうにすべて、無視してくれたな。きちがい兄貴!!! 鳴らしたって鳴らしてないのとおなじなのである。だから、ずっと、気兼ねなく、まったく悪気なく、ヘビメタを鳴らすことができる。

どうして、ぼくはこんなに力がないんだろう。どうして、ぼくはこんなにも憂鬱なんだろうと考えてきたけど、考えてみたらあたりまえだ。だれだって、あんな状態には耐えられない。ヘビメタ騒音が長すぎる。一日の中で長すぎる。破滅的な音すぎる。あんな空間に耐えられるはずがない。そういう一日が、毎日ずっと、何年間も続いて、いいはずがない。耐えられるはずがない。憂鬱にならないはずがない。不安にならないはずがない。「どうしても、開運できない」と思わないはずがない。どうして、ぼくは、違うのだろうと思ってきたけど、考えてみればあたりまえだ。他の人は、一四年間も毎日ヘビメタ騒音にさらされてない。まるまる荘(アパート)に出てからは、時間的には、さらされた時間は短いけど、もう、一〇年目でだめだったんだ。あの破滅感はない。

雰囲気が憂鬱だとか言っているけど、そうならざるを得ないのである。他の人は、体験してないからわからないだけだ。経験がないからわからないだけだ。そりゃ、そんな経験はないだろう。普通は、家の人なら、やめてくれる。うちは、「家の人だから」ずっとやり続けて、なにもしてないつもりでいられた。そういうやつが、いる。他のひとには本当に、ここがわかってないのである。

まあ、ヘビメタ騒音に平日七時間ぐらいたたられて、それで、次の日起きて、学校に行くという経験がないから、わからないということも言えるけど。「うちのひと」だから、容赦なく、全部鳴らす。「よそのひと」だから、気にして一日に一分も鳴らさない……鳴らすときはヘッドホンをする……こういうやつがいる。きちがい兄貴のことだけど……。きちがい兄貴は本人がそういう人間なのに、まったく、そのことについて考えてない。うち」でやったことに関しては、いまも!!!「まったくあたりまえ」のつもりでいる。じゃ、あたりまえのことなら、「よそのうち」でやってみろよ。一日だって、できないくせに。一日に一〇分だって、鳴らせないくせに!!!!

本人はまったくわかってないからな。親父が作った家……生まれ育った家のなかでやってことが、激しく、以上なのだと言うことについてまったくわかってない。自分は普通のつもり』でいる。そこらへんも頭にくる。自己催眠が強烈すぎ。自己暗示が強烈すぎ。『親父は無視する」『家族は無視する』……こういう気持ちがあった。で、この気持ちが、他のひとが想像できるようなものじゃないのである。本当にホネガラミ。きちがいのレベルで、そういう気持ちがある。

だから、よそのうちでは一分だってできないことを、一二時間やっても、まったく平気なんだよ。よそのうちでは、一分だって鳴らせないようなでかい音で、弟の入試前に、ずっと一日じゅう鳴らしても、まったく悪いと思えない。一分間、一デシベル下げてやれば、それで、全部済んだと思っている。だから、そのままずっと、一日中鳴らし続ける。それで、「協力してやった」とまじで思える人間なのだ。で、それは、親父もやっていたことなんだよな。ズレてるから。

けど、そこで蕩尽される「気持ち」が尋常じゃない。本当に、全部やりきること」に命がかかっている。兄貴の場合は「全部、自分が好きなように鳴らし切ること」に命がかかっている。「全部、自分が好きなように鳴らし切ること」に命がかかっているから、きちがい兄貴が最大限静かにしてやったつもりのときも、実は「全部、自分が好きなように鳴らし切ること」が成立している。

静かにしてやった時も、自分がやりたい音の中で静かにしたつもりになっていただけで、本当は、静かにしてない。普通の意味で静かにするとなると、「全部、自分が好きなように鳴らし切ること」ができなくなってしまうからだ。「全部、自分が好きなように鳴らし切ること」をまげないで、静かにしてやったつもりになっているだけ。

だから、くっそそそそそうるさい音で鳴らし続けて、「静かにしてやった」と思うことができる。こういう、自分にとってだけ、都合がいい強烈な誤解(自己暗示)は強烈に腹が立つことなのである。相手にとって強烈に腹が立つことなのである。そういう意味で、わざと相手の気持ちを蹂躙しているのとおなじなのである。わさわざ、(相手の)逆鱗に触れるような態度で鳴らし続ける。

本人は、「静かにしてやった」と思っているのだけど、それが、人を馬鹿にしている態度なのである。こんなのは、普通は、わざとやらなければできないことなんだけど、自己暗示で、切り抜けている。だから、本人は、本当に静かにしてやったつもり……なんだろう。これ、あれだけ鳴らしておいて、きちがい兄貴が静かにしてやったつもりがあるというのがどうしても、信じられないのだけど、……きちがい兄貴のいまの態度や、きちがい兄貴の当時の態度全部を考えると、やっぱり、恩着せがましく「静かにしてやった」と思っている……自分では思っている考えるのが妥当だ。だから!! そういうことを、平気で、やる人間なのである。

何年も何年も、毎日毎日、そういう態度で、ずっとやる人間なのである。「そういう態度」というのは、親父にやられてくやしくてくやしくて、たまらなかった態度なのである。親父もそういうところがあるんだよ。あいつの譲歩というのはいつもそういう譲歩だ。相手にとってまったく意味がない!!屈辱的な!!!譲歩しかしない。

けど、本人は、「譲歩してやった」と嘘でなく思っている……そういうところがある。あった。当てつけがましい意地悪を、親切のつもりでやってやるという態度なのである。「そんなんじゃ、意味がないだろ!!!」ということは、普通の人ならひとことでわかることなのだけど、そういう自己暗示にかかっているひとは、一生涯わからない。一〇年間やりたいことが続いているなら、一〇年間毎日、日曜だろうが祝日だろうが、そういう態度で、頑固にやり続けて、「ゆずってやったつもり」でいられるのである。本当は、まったくゆずってない。

『潜在意識の法則』に反するケースは一〇〇%無視されるので、『潜在意識の法則』は一〇〇%正しい

根拠があるかどうかというのがものすごく重要なんだよな。たとえば、『自分の会社は潰れてしまうだろう』と言っていた社長の会社が実際に潰れてしまったケースについて考えてみよう。『こんなにうまくいくはずがない』「こういう状態は長く続かない』「いつか、潰れるだろう』……こんな風に、根拠もなく考える社長がいるだろうか? まあ、いるとしよう。

その人は、どうやって、会社をはじめたのだろうか。会社の社長になっているということは、成功者だ。『自分は、会社なんておこせっこない」『自分は社長になんてなれるわけがない』と思って生活してきたのだろうか。そうじゃなくて、『自分は社長になれる』『自分は会社を始めることができる』『その会社はうまくいく』と思っていたから、うまくいってたわけだろ。『自分の会社は潰れてしまうだろう』と根拠なく、言っている人が、社長になれたということがまず、『思いは現実化する』『潜在意識の法則』という話からはずれるのである。

これは、ネガティブなことばかり言ってたから、それが現実化したケースとして語られるわけだけど、『自分の会社が潰れてしまう』と思う根拠がまったく話の中から抜けているんだよね。別に自分で起業しなくても、社長になれる。けど、たぶんだけど、この社長の場合は、自分で起業したんじゃないかな。そういった意味では、成功者なのである。いつもネガティブ思考をしていたら、起業して社長になるということができない。

ちなみに、扱っている期間が長いということについて注意しておいたほうがいい。『会社が潰れる』と思ってから、実際に潰れるまでの時間がけっこう長い……印象を受ける。まあ、実際にはどのくらい長く、『会社が潰れるだろう』と思っていたのかわからないけど、ある程度時間が長い。それから、そう思う根拠があったのかどうかについてはまったく触れてない。

ところで、O-157で亡くなった子供のケースについて考えたけど、O-157菌がついたユッケを出した焼肉チェーン店の社長について考えてみよう。この社長は、絶対に、ユッケで死者が出るとは考えてなかった。死ぬ人が出るなんて絶対に思ってない。どうしてなら、経済合理性から考えて、この人は、自分の会社が潰れるようなことを選択するわけがないからだ。

もし、この社長が、ユッケで死者が出て自分の会社は潰れるだろう、自分は社長ではいられなくなるだろうと考えていたら絶対に!!!ユッケなんて出さない。そういう危ないメニューは、絶対に取り入れない。ユッケで死ぬ人が出るなんてまったく考えることができなかったから、ユッケをメニューに入れた。

だから、これは、予期してなかったのに起こったことなのである。焼肉チェーンの社長が「いつか自分の焼肉店で、ユッケを食べた子供が死ぬだろう」と念じていたわけじゃないのである。そういうネガティブな考えにとらわれていたから、そういうことが、現実化したわけじゃないのである。だから、潜在意識の法則」に反している。

『潰れてしまうだろう』と思っていたから潰れてしまったケースと、『潰れてしまうだろう』なんてまったく考えていなかったのに、潰れてしまったケースがある。『潰れてしまうだろう』と思っていたから潰れてしまったケースだけを例にして、思いは現実化すると言っているので、それが一〇〇%成り立ってしまうような感じがするだけだ。説明のしかたが、うまいのである。

『潜在意識の法則』に反するケースは、一般論のあとに、かたられることがない。だから、一〇〇%そうなるような感じがする。けど、実際には、思いが現実化するケースと、現実化しないケースがある。

ところで、「よし、自分は倒産する会社を作るぞ』と思って、起業する人がどのくらいいるだろう? みんな、ずっと繁栄するような会社を作るぞと思って、起業しているのではないか?
あとは、『(自分の会社は)潰れるだろう』と思っていたにも関わらず、景気が良くなって、会社が潰れなかったというようなケースについても、語られない。




飛行機乗り?のケース。まあ、戦争をしているとする。で、空軍に属しているとする。で、パイロットで敵の飛行機と銃撃戦をするとする。で、敵の弾が自機のつばさにあたったとする。で、そのときに、「もうだめだ」と思うか、「緊急脱出ボタンを押せば大丈夫だ」と思うか、それが問題だ。で、緊急脱出ボタンを押したとする。で、助かったとする。けど、パラシュートで降下した地点がよくわからないとする。どっちの方向に進めばよいのか、まったくわからないとする。けど、『自分は大丈夫だ。きっと助かる』と思って、とりあえず、こっちに行けばいいんじゃないかなと思う方向にあるき出したとする。そうしたら、助かったとする。その場合、不安に打ち勝ち、ポジティブに考えたからこそ助かったのだということができるだろう。けど、それを話すことができるのは、帰還した人だけなのである。

たとえば、「緊急脱出ボタンを押せば大丈夫だ』と思って、パラシュートで無事降下して、『こっちの方向に進めば自分は絶対に助かる』と思って歩き始めたにもかかわらず、敵兵に見つかって、撃ち殺されてしまった人がいるかもしれない。

けど、その人は、帰還しなかったので、『自分はポジティブに考えて考動したけど、殺されちゃったよ』などとは言えないのだ。だから、本当のところは、わからない。常にポジティブに考えて考動したにも関わらず、殺されてしまった兵士がいるかもしれない。そういうパイロットがいてもおかしくない。けど、帰還した人だけが、口を利くことができるので、ここでも、ポジティブに考えたから、帰還できたという話しかでてこないということになる。

一〇〇%の話が、「ポジティブに考えたら、大丈夫だった」という話になる。たかしに、人間というのは、『大丈夫だ』と思って考動しなければならない時がある。そのときに、『自分はだめだろう』と考えて行動するよりも、『自分は絶対に助かる』と思って考動したほうが良いのではないかと言える。だから、背景の理論が一〇〇%成り立つということには疑いがあるが、そう思うことは良いのではないかなと思う。そう思うことというのは、『絶対に自分は助かる』と思って考動したほうが良いということだ。

けど、それと、背後の理論の整合性(正しさ)にまつわる話は違う。背後の理論が間違っていても、助かる場合も助からない場合もあるのだから、助かる場合の話だけをすれば、背後の理論が正しいと言えるというわけではないのだ。ちなみに、パイロットのケースは期間的に短い出来事だということについて注意しておこう。










2016年12月11日日曜日

「だめだと思うからだめになるんだ」というのは、本当に、「うまれの勝ち組」の無慈悲な言葉だ

俺の場合やはり、ヘビメタ騒音生活が長すぎたと思う。つかれた。本当につかれた。このだるさはなんだ。だいたい、寝る前にものすごい気分になる。あの、気分はない。起きたときも、破滅を感じる。「だめだと思うからだめなんだ」「だめだと思うからだめになるんだ」というのは、生まれの勝ち組がはなつ無慈悲な言葉だと思うよ。

ジョゼフ・マーフィーにしろ、渡部昇一にしろ、きちがい的な親兄弟にやられたわけじゃないのだ。両方とも両親がちゃんとしている。健常者だ。異常な親じゃない。これ、うちの父親のような異常な父親だと、長男も異常になってしまうのだ。父親にやられたことを、弟にやり返すみたいな状態になる。先輩にいじめられたから、後輩をいじめる……自分が目上の者にやられたから、自分も目下の者にやり返す(おなじことをする)……というのはよくある話しだろ。ひとことで言うと、ローシナジーを形成するということになる。

本当に、「だめだと思うからだめなんだ」「だめだと思うからだめになるんだ」というのは、本当に、「うまれの勝ち組」の無慈悲な言葉だと思うよ。そういうふうに言うと、「うまれの家が貧乏でも金持ちになった人はいる」とか「いじめられたのに、弁護士になって活躍している人がいる」とかいろいろと反論があるかもしれない。けど、人それぞれに状態が違う。貧乏でも両親は思いやりのある立派な人だったのかもしれない。いじめは三年間で終わったのかもしれない。ヘビメタ騒音の毎日はきつすぎる。長すぎる。無理。死にたい。本当にきつかった。

足がかりがなくなっちゃうんだよね。生活そのものだから。長すぎるんだよな。ぼくが、このブログにヘビメタ騒音のことを書いてから三年経つんだけど、三年間で、終わってくれたら……と思う。「三年間で、終わってくれたら」という言葉が寝る前に、ぐるぐると頭のなかを回る。本当に、容赦なく、自分の意地を通して、頑固に鳴らした。どれだけ、怒鳴り込んでも、一分もやめてくれなかった。それが、きちがい兄貴の態度だ。一四年間ずっと通してきた、兄貴の態度だ。そして、そういうふうに鳴らしたにもかかわらず、本人はつもりがないままなのである。

そういう態度で鳴らしてた。それも、一四年間毎日通した。一五歳から三〇歳までのあいだの一四年と数ヶ月毎日そういう態度で、まったく悪気がないまま、鳴らし続けた。入試だろうが、頑固に鳴らして、まったく悪いと思わない。日曜なら一二時間鳴らすし、入試の前の冬休みだって、自分が一三時間四〇分鳴らせるなら、かっきり一三時間四〇分鳴らして、一分も静かにしてくれなかっ。

それで、「静かにしてやった」「ゆずってやった」と恩着せがましく思っているきちがい野郎だ。どれだけ何万回言われても、悪気なく、固着して、すべて自分が思ったとおりに鳴らす。それで、「静かにしてやった」「ゆずってやった」だ。「そんなんじゃない」「言い分がある」だ。ふざけんな!! そういう態度全開で、入試だろうがなんだろうが、頑固に、やれる時間はすべて鳴らした。ゆずってない!!!


   *     *     *

たとえば、爆弾テロに巻き込まれて死んだ人がいるとする。その人は、「今日は、爆弾テロに巻き込まれて死ぬぞ」と思って、朝、家を出たのだろうか? そんなことは絶対にない。爆弾テロに巻き込まれることがわかっていたら、そんなところに行かない。その通りを歩こうと思わない。

しかし、マーフィー流「思いは現実化する」主義者だと、そういうふうに解釈する。彼らの解釈は「爆弾テロに巻き込まれて死ぬかもしれない」と考えたから「爆弾テロに巻き込まれて死んだんだ」ということにならざるをえない。彼らのなかでの理由はそういうことになる。地震で死んだ人は、みんな、「自分は地震で死ぬかもしれない」と生涯の中で一度でも考えたことがあるから地震を引き寄せて、地震で死んだのだということになる。

しかも、潜在意識は、主語を理解できないということを言う。そうなると、誰かが地震で死んだというニュースすら、聞くことができなくなる。「自分が地震で死ぬ」ということと「Aさんが地震で死んだ」と言うことの事実上の区別がつかないからだ。誰かが地震で死んだということを聞くということは、自分が地震で死ぬということを想起するということになってしまうのである。

なので、そういうニュースを、聞くつもりがなかったのに、聞いてしまった場合は、激しく動揺して怒る。さらに、神経症的な言霊主義者になると、もしかりに……ということを考えられなくなる。「もしかりに、地震が起こったら、あそこに逃げよう」という文の中には「地震が起こった」という文が含まれている。これは、ゆゆしき事態なのである。神経症的な「思いは現実化する」主義者も「もし、なんとかなんとかという病気になったら」と考えただけで「なんとかなんとかという病気になってしまう」というような考えが浮かぶようになってしまう。

「もし、なんとかなんとかという病気になったら」という文の中には「なんとかなんとかという病気になった」という文が含まれているし、潜在意識は主語の区別をしないと思っているからだ。「なんとかなんとか病になった」という文を含む文を考えただけで、顕在意識が、潜在意識に、その内容を送り込んでしまうと考えるからだ。「潜在意識に送り込まれた内容は、かならず実現化する」と強く思っているので、それは、まずいことなのである。

一方で、まったく想起してないのに、爆弾テロに巻き込まれてしまうことがある。悪質な信者だと「爆弾テロに巻き込まれると思ったから、爆弾テロに巻き込まれたんだ」と言ってしまう。ちょうど、いじめられて死んだ人に対して、「いじめられると思ったからいじめられたんだ」という言葉を投げかけるように。「だめだと思ったから、だめなんだ」「いじめられると思ったからいじめられたんだ」「病気になると思ったから、病気になったんだ」「事故に遭うと思ったから事故に遭ったんだ」「地震でけがをすると思ったから、地震でけがをしたんだ」「飢えると思ったから、飢えたんだ」「貧乏になると思ったから、貧乏になったんだ」……こういうことを断定的に言う。

たとえ、その人が思ってなくても、そういうふうに断定してしまう。その人って、たとえば病気になった人、いじめられた人、事故に遭った人、のことだ。結果から、「こういうふうに思った」ということを言っている。決め付けている。実際にそうなったら、「そう思ったに違いがない」と思ってしまう。理由付けとしてはそうなる。爆弾テロに巻き込まれて死んだ人は、いつか自分は爆弾テロに巻き込まれて死ぬのではないかと一度でも想起したことがあるから、それが現実化したのだと言い張ることになる。理論的必然として、そういうことを、言いたくなる。

本当は、別の理由があることでも、そういうふうに、結果から決め付けてしまう。

結果から、原因への流れがあって、原因は「思った」ということなのである。顕在意識が「思った」から潜在意識が実現化してしまう。これは、地震というような自然現象が関わることでも、個人の意識のみで現実化してしまうのであ~る。「地震でけがをする(かもしれない)」ということを考えると、地震でけがをしてしまうのである。地震でけがをした人は全員、どこかで「地震でけがをする」と考えたことがある人なのである。

だから、「地震でけがをした人」を見かけると「あなたが地震でけがをすると思ったから、地震でけがをしたんだ」というような無慈悲な言葉を言うことができるのであ~~る。結果と原因が逆になっている。さらに、原因は、本当の原因ではなくて、「思ったから」ということになっている。だから、自分で思うのはいいけど、他人のことについて思うのはよくないと思う。

これは、もうちょっと詳しく説明するとこうなる。たとえば、Aさんが地震でけがをしたとする。その場合、Aさんが「自分が地震でけがをしたのは、自分が地震でけがをすると思ったことがあるからだ」と思うのは勝手だということだ。けど、BさんがAさんに対して「あなたが地震でけがをしたのは、あなたが地震でけがをすると思ったからですよ」というのは、だめだということだ。けがをした人に向かって「けがをすると思ったから、けがをしたんだ」とせめるのはよくない。そういうことを言う人は、「別にせめてない」とか言うかもしれないけど、せめている。

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潜在意識は現実の話しと仮定の話を区別できるのだろうか? 主語ですら区別できないのだから、現実の話しと仮定の話を区別しているとは思えないのだが。潜在意識が現実の話しと仮定の話を区別できないとなると、行き過ぎた言霊主義者のような態度になると思う。


2016年12月10日土曜日

技術としてのコミュニケーションの前の段階の話しだ

ぼくはどうしようかなぁ~~~~~
あっちのほうに催眠療法について書いたけど、催眠療法はいろいろと問題がある。けど、そういうものにも、すがりたい人の気持ちは痛いほどわかる。わかる。すこしでも、きちがいヘビメタ騒音の記憶を和らげたいし、すこしでも、きちがいヘビメタ騒音から派生しためーーーんどーーーくさい問題を忘れたい。きちがいヘビメタ騒音以降、ずっときちがいヘビメタ騒音問題の「なか」を生きているわけで、ずっと続いている。ヘビメタ騒音は一四年間で鳴りやんだけど、いまもヘビメタ騒音の後遺症とたたかっている。とてもつらい。そして、人はなかなか理解しない。めんどうだ。

たとえば、人と会うということを考えても、めんどうさくいという気持ちがある。昔だったら……ヘビメタ騒音歴九年目までありだったら、ふつうに、「普通の人として」対応できた。けど、それ以降は、もう、無理なんだよね。どだい無理。端から無理。どういうふうに無理かというと、普通なら、笑えるところで笑えない。こころがさめて凍っている。ヘビメタ騒音疲れとヘビメタ騒音から派生した不安で、頭がいっぱいで、笑えない。主に、ヘビメタ騒音「つかれ」が問題なんだけど、ともかく、普通の反応ができなくなる。これは、技術としてのコミュニケーションの前の段階の話しだ。あんまりにもヘビメタ騒音が積み重なりすぎて、普通の反応ができなくなる。気を遣って、無理矢理笑うということもできない。そんな元気はない。ヘビメタ騒音疲れで、もう、疲れ果てているから、そんな元気はない。そんな元気がないのに無理矢理気を遣って、あわせるようにすると、たいていの場合、嫌われる。「いやいややっている」感が出てしまうからだ。そういうことに関しては、わりと人間は敏感で、自然にそういうふうに思ってやっているのか、それとも、無理矢理努力してやっているのか、わかる。だから、やらない。けど、やらないと、問題が生じる。無理矢理やろうとしても、あるいは、無理矢理やっても問題が生じる。

基本、俺、二〇歳の時の、ヘビメタ騒音問題、忘れてないから。二浪(自宅浪人)のときのきちがい兄貴態度を忘れてないから。本当に、自宅浪人とか、なにやってんだよ?と言いたくもなる。けど、全面的に全部の勉強時間をとられて、一年、二年、三年、四年、五年、六年、七年、八年、九年が経過すると、全部が無理なんだよね。ぼく、これ、どれだけ、言っても、むだだけど、ヘビメタ騒音がなければ……一日中ヘビメタ騒音が鳴ってない状態がずっと続けば、普通に親友とおなじ高校に入って、普通に希望していた大学には入れた。毎日けずられている」というのがでかくてでかくて、どうにもならない。全部、毎日やられてるんだもんな。日曜祝日なんて、やられる時間が倍に増える。くるしい時間がずっと続く。で、そういうので、疲弊してしまう。なにもしてなくても、ヘビメタ騒音対抗で、病人以上に疲弊してしまう。鳴らされているあいだの気分が尋常じゃないのである。で、尋常じゃない気分が一年、二年、三年、四年、五年、六年、七年、八年、九年とつもっていく。だから、一年目の、ヘビメタ騒音六時間は、一年目のそれよりも、つかれる。しんどさが一〇〇〇倍ぐらい違う。どうしょうもなさが一〇〇〇倍ぐらい違う。本当にくるしい。きちがい兄貴は、あれを、まったくやってないつもりでやってたのか? 俺は、九年目も一〇年目もさんざん言ったからな。何回も何回も怒鳴り込んだからな。それで、「つもりがなくて、まったく関係があるような感じがしてない」。これ、なんて言うのかな、親父とおなじでやると決めたものは、どれだけ文句を言われても、一回も文句を言われてない気持ちを維持できるんだよ。絶叫されても、やっちゃうし、それで、やってないつもりでいられる。そういう、ふざけた態度がずっと続く。で、本人は、本当にまったく迷惑をかけてないつもりなんだよ。どれだけ言っても通じない。で、頑固に一二時間やれるなら一二時間、四時間しかやれない場合も四時間、かっきり、全部の時間、頑固に鳴らし続ける。だから、鳴らしているのに、本人は、「まったく鳴らしてない」ときとおなじ気持ちなんだよ。そのくらいに関心がない。どれだけ、「静かにしてくれ」「勉強するから静かにしてくれ」「もうすぐ試験だから静かにしてくれ」と言われても、自分が「関係している」という気持ちが、一切合切わかないんだよ。で、一切合切わかないとなったら、もう、何万回言われようが、わかないんだよ。だから、そういうカタチで、本人はまったく気がつかないまま?頑固に全部やりきるということになる。これが、兄貴がうちでやったこと。これが、兄貴の普通の態度。変わらない態度。「うち」のなかでは、なにをどれだけ言われても、どれだけ怒鳴られても、そういう態度のままなんだよ。そういう態度のまま、まったく関係がない人として、入学試験前だろうが、全部の時間ヘビメタを九九・九%の音か一〇〇%の音で鳴らして、……ほんとーーーにまったく「関係がない人」のつもりでいる。どれだけ、「入学試験前だから、静かにしてくれ」と言われても、頑固にヘビメタを鳴らして、なにもしたつもりがないんだよ。そういうマインドセットなわけ。で、これは強烈で、どれだけ怒鳴り込んでも、喧嘩しても、お母さんに言ってもらっても、こわれない。だから、入学試験前の日曜日に一二時間近くヘビメタをガンガン鳴らしても、なにもしてないつもりのままなんだよ。どれだけ言っても、自分が弟の入学試験の邪魔をしているいうのが、思いつかない。そのまま、はっきりと言われても、「つうじない」。これは、ハンダゴテ事件の親父のように、「つうじない」んだよ。で、一旦通じないとなったら、もうどれだけいったって通じないし、そういうモードでやったことは、本人があずかり知らぬことで、まったくつもりがないままなのだ。じゃあ、やめてくれるのか、ゆずってくれるのかと言ったら、それは、もう、意地になって、胸くそ悪い気分になってゆずらない。ゆずらないのだからゆずらないのだけど、本人は、きちがい回路で、ゆずってやったつもりになっている。つねに毎日、毎分毎秒、そういう状態だ。どれだけ言っても、らちがあかない。あいつ(兄貴が)ならしたい文だけ鳴らすという状態になってしまっている。それがあたりまえだから、あたりまえのようにそうして、なにも疑問を感じない。悪いとも思わない。

ともかく、そういうことが積み重なって、ぼくの前にいる人には関係がないのだけど、ぼくはもう、話しにちゃんと反応してあげることができない状態になっている。

2016年12月9日金曜日

一億円おごってやることができないように、一時間ヘビメタ騒音を鳴らさずに我慢するということができない

きちがい兄貴にって、一時間我慢するというのは、空想の話しでしかない。ちゃんと考えることができない。「一億円おごってあげる」というとを考えた場合、ぜんぜんリアルな話しじゃないでしょ。一〇〇円おごってあげるとか、一〇〇〇円おごってあげるというのは、あり得る話しでしょ。リアルな話しでしょ。けど、一億円持ってないひとが、「一億円おごってあげる」と言ったってそれは、ぜんぜん、現実味がない話しでしょ。

本人が、一億円おごってあげられると思ってないので、一億円おごってあげるということを、現実味がある話しとして考えることができない。一億円持ってないひとが、一億円あげると言っても、それは、最初から無理な話だから、架空の話にしかならないでしょ。

きちがい兄貴にとって、自分が一時間鳴らさないで我慢するというのは、そう言った意味で、あり得ない話し、まったく現実味がない話しなんだよ。だから、実際、一日に一時間、ちゃんと我慢してくれるということが、一四年間のあいだ、毎日なかった。これが現実。

けど、きちがい兄貴は、親父流きちがい回路を装着しているので、実際にはやってやらなかったことでも、やってやったと思うことができる。実際には一万分の一しかゆずらないのだけど、一万分の一でもゆずってやったら、それは、すっっっごいことで、全部ゆずってやったのとおなじ気分になる。五分間だけ一デシベル下げて、ゆずってやったら、その五分間、どれだけでかい音で鳴らしていても「ゆずってやった」ということになってしまう。

それは、まったく意味がないことなんだけど、兄貴にとってみれば、ものすごいことなのである。これ、実は親父がやったことで、本当は、買ってやらずに我慢させるんだけど、本人は、「買ってやった買ってやった」と思うことができるのである。かならず、こどもにとって無意味なものを買ってやるということで、こういうことを実現化している。譲歩が譲歩になってないという特徴があるんだよ。「うち」の人間の「譲歩」というのは、「譲歩」が「譲歩」になってない。

むしろ、悪質な意地悪なのである。屈折したいじめというか、きかんぼうがわけのわからないことをいって荒れているのとおなじ状態なのだ。頭がおかしい。自分のことだけ。自分の気持ちだけを優先して、知覚、認識を書き換える。この認識の書き換えが完全だから本人は、気がつかない。本当に、「やってやったつもり」なのである。

たとえば、ハンダゴテ事件のことで説明すると、「そのハンダゴテじゃだめなんだ」ということを認めない。だから、「ハンダゴテが必要だと言っているからハンダゴテを出してやったのになんだ」ということで怒り狂う。「使えないハンダゴテを出してやった」ということが、親父にとって最大限の譲歩なのである。

で、その最大限の譲歩にとって都合が悪いことは、普通なら、だれでも理解できることなの(親父でも理解できることなのに)理解しないのである。理解すると、新しいハンダゴテを買ってやらなければならなくなるから、それは、いやなのである。

だから、本当なら親父でも理解できることが、理解できなくなる。もし理解してしまったら、自分が買ってやらなければならなくなるという「切羽詰まった状態」に追い込まれてしまう。だから、親父には、逆立ちしても理解できない状態になる。(理解したら自分が買ってやらなければならなくなる)という条件がない場合なら、親父でも、理解できるのである。

これは、知能に問題があるわけじゃないのだ。固定化した脳自体の機能障害じゃない。認知症とかそういう話しではないのだ。あるいは、幻覚、幻聴、妄想などが生じる統合失調症ではないのだ。そういう条件が成り立たなければ、理解できるのだから。(そういう条件というのは「やりたい」「やってやりたくない」という気持ちがもともとあるという条件のことだ。「やりたい」気持ちや「やってやりたくない」気持ちを押し通す。)

だから、本当に「こころ」の問題なんだよね。「無意識」が関わっている。認めてしまったら、やってやらなければならなくなる……だから、認めない……こういうパターンだ。で、無意識的にそういうことをしているので、自我はまったく気がつかないのである。だから、あとになると、「そんなんじゃない!そんなんじゃない!」「そんなことしてない!!そんなことしてない!!」とあらがえることができるのである。(事実とは反対のことを言って怒り狂う)。

だから、一五年間おなじことでもめていても、わからないままなのである。じゃあ、やめてくれるかというと絶対にやめてくれない。だからやっているのに、本人は、「やってない」つもりでいられる。
あとは、二値思考というべきものがあって、一万分の一でもゆずってやったら、それは、ゆずってやったことになってしまうのである。一秒でもゆずってやったら、ゆずってやったことになってしまう。〇・一ミリでもどけてやったら、どけてやったことになってしまう。

一度、二値思考になるんだよ。二値思考で置き換える。「ある」と「ない」。「やった」と「やってない」。一万分の一でもゆずってやったら、もうゆずってやったのだから、全部ゆずってやったのとおなじだという考え方をする。だから、「ゆずってやったのになんだ」と怒り狂って、心置きなく、非常識な、どでかい音で鳴らし続けることができるのである。時間的には、一三時間鳴らせるなら、一三時間絶対に鳴らすので、鳴らしっぱなしなんだけど、本人は「ゆずってやった!!ゆずってやった!!」「全部ゆずってやった」「全部ゆずってやった」と思うことができる。

一度、「やった」と「やってない」の二値に置き換えたあと、「全部やってやった」と「まったくやってない」に置き換えるのである。「なし」〇%、「ある」一〇〇%で、一度は置き換える。「やってやった」一〇〇%、「やってやらなかった」〇%で、「やってやった」のだから、一〇〇%やってやった(のとおなじ)なのだ。心的にはそういうことが成り立つ。一〇〇%やってやったのとおなじ気分になれる。だから、本人は、すべての時間だれもがうるさいと思う非常識な音で鳴らして、全部ゆずってやったのとおなじ気分を味わえる。

ゆずらずに、ゆずってやったということにすることができるのだ。だから、※これは、本人にとって都合がいい解決方法なのである※。(自分のやりたい気持ちを生かしながら、ちゃんと対応してやったという気分を得ることができる)。けど、やられたほうにしてみれば「ふざけんな!!!」と怒鳴りたくなるようなことなんだよ。実際、ふざけている。けど、本人は、ともかく、(ゆずりたくない)から、頑固にそうする。怒ってそうする。そうすると、怒った人間が二人できあがる。けど、これは、ケンカ両成敗なんてことが成り立つような話しじゃないんだよ。

   *     *     *

ちょっとでもゆずってやったら、全部ゆずってやったのとおなじことなのである。だから、まるで悪気がしょうじない。で、これは、親父がやり出したこと。で、兄貴が親父にやられて、くやしかったことだ。一回や二回の話しじゃないのである。そういうひとは、かならず、そういう場面ではそういうふうに振る舞うので、何回も何回もそういうことをすることになる。そして、言ってみれば人格としてそうなっているから、一〇年間でも二〇年間でも、そういうことをするのである。だから、「親のせいにするな」と怒るような人が持ち出す例とは、ぜんぜん違うのだ。そんなの、人間だから一回や二回は、そういうこともあるだろう。けど、人格としてそうなっているというのとは違う。だれだって、あせっていれば怒る。不愉快なことがあれば、やつありたしたくなる。けど、それとは、ちがうのである。最初から話しが違う。


催眠療法はどうして効かないか?

催眠療法があんまりはやらないかというと、もとにもどっちゃうからです。ベースの部分はあんまり変わらないので、そこに、事実とは関係がないプラスのイメージを植え込んでも、あんまり、続かないわけです。あとは、本人が混乱してしまうというのがあって、これは、かなりベースの書き換えに成功しているわけだけど、それでもやっぱり、ベースがかわらないので、躁鬱病のような、変な状態になってしまうわけです。やはり、ベースは大切にしなければならない。

前世療法の場合は、前世療法家と患者自身がつくりあげた「ものがたり」が、患者にとってどのくらい、親和性があるものかどうかで結果が違ってくる。要するに、納得がいけば、あたかも、精神分析のように症状が消失するし、納得がいかなければ、なにもかわらない。

普通に働いているひとが、開運方法として、言い聞かせをやるぶんにはよいのだけど、心的外傷後ストレス障害のひとや強迫神経症(強迫性障害)のひとがこれをやると、とてもとても、アンバランスなことになる。

だから、ベースは無視できない。そういうふうに感じる根拠と体験があるわけだから。どれだけネガティブと判断されることでも、そういうふうに感じる根拠と体験があるということは、消えはしない。それこそ、潜在意識に残ってしまう。

なので、普通に働いているひとが行う、アファメーションや開運のおまじない(言い聞かせ)は、普通の人には、うまく働くかもしれないけど、トラウマがありすぎる人や強迫神経症っぽい人には効かない。

なので、トラウマがありすぎる人や強迫神経症っぽい人は、やりたいときだけ適当にやるということが必要になる。けど、普通の人だと、そういうことがわからない。普通の人から精神世界の指導者?になったひとには、そこらへんが、わからない。だから、高速でたくさん宣言して、自分の不安をねじ伏せるのが必要だいうようなことを言う。そうなると、トラウマがありすぎる人や強迫神経症っぽい人はもう、お手上げだ。無理。だから、「高速でたくさん宣言して、自分の不安をねじ伏せる」という方法は、普通の人が普通の人にするアドバイスだ。

たとえ、効果がなくても、やりすぎはいけない。だから、やりたいときだけやるというカタチでいい。だいたい、言い聞かせの部分は、……そういうことにこだわりすぎている人は、あんまり、成果を出せない。言い聞かせに夢中になって、「主」たる作業には、力をむけなくなってしまう場合が多いからだ。

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2016年12月8日木曜日

アファメーション3 寝ている間に事態が好転しました~~

寝ている間に金が入る。金が入る。金が入る。金が入る。金が入る。金が入る。

寝ている間に、好転。寝ている間に、好転。寝ている間に、好転。寝ている間に、好転。寝ている間に、好転。寝ている間に、好転。

寝ている間に事態が好転しました~~。やったね。努力不要(入れるかどうか迷う)

いや、実際、寝ている間に問題が解けるんだよね。寝る前に考えていた問題の解法がわかる。ぴっかとわかる。自分で思いついたことなので忘れない。寝ている間にアイディアが浮かぶ。問題解決方法がわかる。ぴっかとわかる。

やりたいことをやる。ぼくにとってよいことをやる。ゆっくりやる。やりたいときだけやる。やりたくなったら、やる。やりたいことをやる。ひとにとってよいことをやる。ぼくにとってもひとにとってもよいことを、軽々とやる。たんさくやる。ぼくにとってもひとにとってもよいことは、簡単にひろまる。ぼくにとってもひとにとってもよいことを、やる。

みんなにとってよいことをやる。ぼくにとってよいことをやる。みんなにとって、そして、ぼくにとってよいことばかりをやる。がんがんやる。楽しくやる。実に興味深いことばかりが起こる。いろいろとやりたいことが、ひろがっていく。

休みはたのしい。風呂は楽しい。寝床でいろいろなことを考えるのは楽しい。寝床温泉でゆっくりしていると、自然につかれがとれてしまう。エネルギーがたまる。解けなかった問題が解けるようになる。アイディアいっぱい。きらめきいっぱい。あ~は~体験いっぱい。ぴっかぴかだぜ。

どうして俺は、こんなにも軽々とできるのだろう。まったく難しくない。ひとにとって難しいことが、ぼくにはなぜか、軽々とできる。どうして、こんなにできるのだろう。どうして、こんなにできるようになるのだろう。なんだかしらないけど、全部が簡単なことになっていく。あさめしまえ。ひるましまえ。よるごはんまえ。簡単に、労力を使わずにできる。(難しい」とか「労力」とか、ひとにとってとか、はずす必要があるかもしれない。あと、俺が主語だから、「わたし」バージョンも作らないと)

考えていたことが、するっと実現化する。考えていたことが、現実化してしまう。それらは、全部、よいこと。ひとによいことが現実化してしまう。みんなと自分によいことが、するっと現実化してしまう。本当に、するっと、楽に現実化してしまう。楽ちんすぎ。らくちんらくちん。

運最強。強運。ラッキーマン。強運強運強運マン。ラッキーすぎる。どうして俺はこんなにもラッキーなんだ? まあ、いいや。よいことを思うとよいことが次々に現実化する~~。ラッキーラッキー大ラッキー。強運すぎる。なんで、これほどまでに強運。

体調がいいな。心が軽い。なんでもできそうな感じがする。体調がいいな。心が軽い。なんでもできそうな感じがする。体調がいいな。心が軽い。なんでもできそうな感じがする。体調がいいな。心が軽い。なんでもできそうな感じがする。

素敵な人に出会うだろう。素敵なひとに出会う。会う人はみんな、素敵なひとだ。素敵な人に出会うだろう。素敵なひとに出会う。会う人はみんな、素敵なひとだ。素敵な人に出会うだろう。素敵なひとに出会う。会う人はみんな、素敵なひとだ。

寝ている間に問題解決。気持ちがいい。こころがはずむ。らくちんすぎる。楽ちんなのにぐんぐんすすむなぁ。寝ている間に問題解決。気持ちがいい。体が軽い。こころがはずむ。

書き出したことが次々と現実化していく。簡単なことはすでにいくつも現実化してしまった。この調子でいくとラスボス攻略もちかい。人生は楽しいゲームのようなもの。人生は楽しいゲームのようなもの。人生は楽しいゲームのようなもの。

いままで、どうして嫌だったのかわからない。やってみたら、おもしろい。興味深い。たのしい。簡単にことがはこぶ。すぐにうまくなる。うまくなった。やってみたら、おもしろい。興味深い。たのしい。簡単にことがはこぶ。すぐにうまくなる。うまくなった。

一つ一つのことが実に新鮮だ。楽だ。気持ちいい。みんなによくて自分によいことをしよう。人類進歩にこうけ~~~ん。なんでこんな簡単なことが難しいと思っていたのか、不思議。自分には、無限のパワーがある。宇宙が自分にパワーを送り込んでくれる。宇宙パワーきた~~。宇宙パワーきた~~。コズミックエナジー。コズミックエナジー。スーパーコズミックエナジーを身につけてしまった。

好転~~それは、ふれあいのこころ。ぼくがみた世界。好転!好転!好転!好転!好転! コウテンダーー コウテンダー誕生 スーパーパワーを身につけたコウテンダーにはできないことがない。(できないことがないは否定表現なので、どうにかするかも)



「静かにしなければならない」という気持ちが、一切合切ない

本当、どうしようかな。これ、どうしたもんだ。どうしても、ヘビメタ騒音で憂鬱だ。ヘビメタ騒音の記憶で憂鬱だ。ヘビメタ騒音の雰囲気で憂鬱だ。どうにもならない。つかれて横になったとき、どうしても、「ヘビメタ騒音時代のからだ」になる。どうしても、ヘビメタ騒音の毒素がぬけない。ぼくの努力に関係なくヘビメタ騒音の毒素が、いまもなお、ぼくのからだと精神をむしばんでいく。どうにもならない。どうしても、つらい。生きているのがつらい。この世に存在するのがつらい。けど、死ぬわけにもいかない。つらい。さみしい。どうにもならないな。本当に、どうしたらいいんだ。ヘビメタ騒音がなかったひとのアドバイスは参考にならない。ぼくを救わない。救ってくれない。本当に、つらい。ヘビメタ騒音がつらかった。ヘビメタ騒音がつらい。あいつは……兄貴は、あれを、たいしたつもりもなく、やったのか? 俺が、兄貴にどれだけ言ったと、兄貴は思ってるんだ? ひどすぎる。あれ、本当に、親父と同じように「ノー感じ」で、「やってない」つもりなんだよな。こだわりつくして、毎日毎日、頑固にやったことは、全部、やってないことになっている……らしい。やっているそばから、つもりがないんだよ。だれだけ言われても、「知らなかった」ことになっている……らしい。そういう態度全体が人間のものではない。頭がおかしい。で、うちでそういうモードでやったことは、本当に!本当に!!悪いと思ってないんだよな。あたりまえのことをしたまでだと思っている。別に悪いことをしたつもりがないのである。やっているそばから。それから、繰り返しになるけど、どれだけ、言われても、「そんなつもりがないまま」頑固にやり切る。で、これ、うそじゃないんだよな。頭がおかしいレベルで、「ノー感じ」。自分がおなじことを一〇分でもやられたら、発狂するほど頭にくるのに、自分がやるぶんには、一三時間やろうが、まったく悪いことじゃないのだ。で、まったく反省しない。そもそも、「やっている」と思っている態度じゃないんだよな。たぶん、「やっている」と思っている認識、認知ではないのだろう。知覚に関しては、そりゃ、起きてやっているのだから、やっているのはわかるのだろう。たとえば、エレキギターを弾いていれば、エレキギターを弾いているというのはわかるはずだ。けど、どれだけでかい音でエレキギターを弾いても、それが……都合が悪いことになると……そんなんじゃないということになる。そもそも、やっているときは、「静かにする必要性」を一切合切認めない。入試だろうが中間期末試験だろうが、なんだろうが、「静かにしなければならない」という気持ちが、一切合切ない。それは、言われなかったら、気がつかなかったのではなくて、何万回言われても、まったく気がつかないままなのである。どれだけ、「こまる」「やめてくれ」と言われても、相手が自分の音で困っていると言うことが、わからない」という状態だ。あくまでも、自分はやって良いし、やっていい音で鳴らしているという認知なんだよな。けど、爆発的にでかい音で鳴らしている。いま、きちがい兄貴が住んでいるところでは、一分どころか三〇秒だって鳴らせないような、でかい音で慣らしている。けど、「うち」では、それでいいのである。で、うちでは、〇・一デシベルでも静かにしてやれば、それで、一〇〇%、全部、全面的に静かにしてやったからいいのだという気持ちになってしまう。この、よその家では、一分だろうが鳴らせない音というのは、〇・一デシベル静かにしてやった」音だ。きちがい兄貴が、最大限静かにしてやった音で、鳴らすことができない……よそでは……三〇秒も……。そういうでかい音で、鳴らしてた。で、親父とおなじなんだよな。譲歩のしかたがおなじ。まったく意味がない譲歩をして、「全部譲歩してやった」と思っているところがある。で、「そうじゃないんだ」「それじゃこまるんだ」ということを、どれだけ言っても、認めないだよな。そして、認めないということも認めないということになっている。だから、二重、三重に無視している。で、本人は、本人のやりたいことをかならず、一〇〇%、全部やりきる。ゆずったとしても一〇〇%なんだよ。かならず、最大限の音で最大限の長さやる。本当には、絶対にゆずらない。ゆずらないことにいのちがかかっているわけで、「知らなかった」とか「気がつかなかった」とかそういうことじゃないんだよ。言われて知っているのだけど、自分がやりたいことが一〇〇%優先だから、相手の言うことは、聴いてやらないのである。それだけ。それだけのことなんだけど、無意識的な構造になっているから、本人は、「知らなかった」とか「気がつかなかった」とか平気で言う。じゃあ、やめてくれるのかというと、それは、絶対にないという構造なんだ。


2016年12月7日水曜日

聴く言葉は「よかった」というような短い言葉でよい

「あなたのいまの姿は、あなたの考えをあらわしている」というようなことを聴いたときに、感じた、なんらかの引っかかりを、やっと、言葉にすることができた。思いだけが、現実を構成しているわけではないのである。「思えば、かならず現実化する」ということだと、「思ったか」「思わなかったか」だけが!!重要なことになる。

そうなると、「思った」にもかかわらず、現実化しなかったものは、どうなのだということになる。その場合、「思い方がたりなかった」とか「思う方法が悪かったのだ」ということになる。で、要するに「思い方」が問題になる。「念じ方」が問題になる。けど、実際には、「思い」の力、「念じる」力というのは、いろいろな要素のうちのひとつの要素でしかない。

「あなたが貧乏なのは、あなたの考え方が悪いからだ」「あなたが貧乏になることを指向したので、あなたがいま現在、貧乏なのだ」「貧乏な考え方を持っているから、貧乏が現実化した(あなたのいまの状態がある)」というのは、なんとなく、あっているように思えるかもしれないけど、「生まれの差」というものを全部無視して、あなたをせめている。

そりゃ、もとは公平で平等なのに、「考え方」で、「貧乏な人」と「裕福な人」の差ができたという考え方だからだ。けど、もともと、人間は、平等じゃない。もともと、この世界は公平じゃない。……このふたつを完全に無視してしまっている。思いだけが、現実をつくるという考え方に立つと、理論的必然として、そういうふうに言わなければならないのだ。「指向した」は正しい漢字変換なのだけど「思考した」でもいいな。

ともかく、「思い」→「現実」ということを考えると、いま、あなたが不幸なら、それは、あなたが貧乏になることを考えたから、貧乏になったと考えるしかないのである。理論的必然として。けど、そういう逆立ちした理論は必要だろうか。貧乏だから、貧乏だと「思った」というのが普通の考え方だ。けど、普通の考え方では、だめなのである。

それこそ、だめなのである。普通じゃない考え方じゃないと、インパクトがない。ジョセフ・マーフィーの場合は、自分の体験から、催眠療法やイメージ療法に絶大な信頼ができたのだろうと思う。なので、特に、貧乏人をいやしめるつもりはないのだろう。貧乏人が貧乏なのは、貧乏な考え方をしたから貧乏なのだと、貧乏人をせめるつもりはないのだろう。

けど、これまた、理論的必然として実は、貧乏人の貧乏である部分をせめている。本当は、その人のせいではない部分があるんだけど、全部その人のせいだということを言っている。そりゃ、そうだろう。「いまのあなたは、あなたの思いがつくっている」のだから。

ジョセフ・マーフィーの死因ってなんなんだろうな。もう、この世を去る決意をしたから、この世を去ったということなんだろうけど。まあ、釈迦とおなじだね。「自分は永遠に生きる」と潜在意識にメッセージを送り込めば、それは、実現化するかというと、実現化しないだろう。

もし、現実化しているなら、二〇〇〇歳の人や三〇〇〇歳の人が、そこら辺にたくさんいなければならない。いつか、人間は、そういう永遠の生命体になるかもしれないけど、いまはちがう。けど、原理主義というか、ジョゼフ・マーフィーが言ってることを完全に信じるとすると、「自分は永遠に生きる」と言っただけで、永遠に生きることも可能だということになってしまうのである。生物も物理法則に対応して生きている。

だから、生物をかいした物理法則に反することは、どれだけ思っても、むだだということになる。自分がこの世にいるということはもっっっっのっっっのすすごごごごいことだ。だいたい、普通に細胞分裂をしているけど、これは、本当はものすごいことなんだよ。形態形成場というような考えを持ち出さないと、説明ができないようなパワーに満ちている。

けど、けど、けど、物理法則にしたがっている。なので、物理法則に反することは、現実化しない。マーフィーの場合は、潜在意識というのがマジックタームになっている。潜在意識は、そのまま、「宇宙意識」と呼ばれるもなのだ。なので、宇宙意識が、思ったことを現実化してしまうということになる。この場合、物理法則に反したことは宇宙意識には伝わらず、現実化しないというような補足説明がない。潜在意識に送り込まれたものは、宇宙意識に連動していて、かならず、実現化してしまうのである。

けど、いままで、説明してきたように物理法則に反することは、現実しない。どうしてなら、物理法則というのが、宇宙意識に他ならないからだ。宇宙意識という言い方をするなら。宇宙意識は「自分」の応援もしているのだけど、実は「自分」の体の中に入った細菌の応援もしている。細菌が増殖するのは、宇宙意識が応援しているからなのである。細菌が増殖できるというのは、生物の中で物理法則が成り立っているからなのだ。

そういうレベルでも物理法則が成り立っていなければ、増殖できない。だから、物理法則と言っているけど、無機的なものにかんする物理法則だけではなくて、生命を支えるような物理法則も成立している。細菌が増殖するときも、そこでいろいろな分子的なやりとりが行われていて、その分子的なやりとりは、物理法則に合致しているのである。これに関しては別に形態形成場というような考えを特に持ち出さなくても、実際に観察できることだから、それでよしとする。

だから、宇宙意識は物理法則そのものという解釈で話を進めていくことにする。無生物の場合も、生物の場合も物理法則は成り立っている。潜在意識が物理法則に反することを現実化しようとしても、現実化できない。これだけのことを言うために、「道具なしで空を自由に飛ぶ」とかそういう話をしなければならないのだからな。これ、本当にマーフィー流の説明をしている人の話を聴くと、物理法則に反したことだって可能な感じがしてくるんだよ。けど、そうじゃない。潜在意識の法則が成り立つのは、物理法則に反しない場合だけ。






けど、人間というのは、ことばの影響を受けやすい生き物なのである。だから、悪い言葉を「聴く」よりは、「よい言葉」を聴いた方がよい。で、この言葉には、「貧乏な考え方を持っているから、貧乏が現実化した(あなたのいくの状態がある)」というようなネガティブの言葉はのぞいておく必要がある。これ、事実ではないし、ネガティブな言葉なのである。

相手をせめる部分がある。すでに、貧乏な人を責める部分がある。いままで、「貧乏」で説明してきたけど、これは、たとえば「不幸」でもおなじだ。「貧乏」と書いたところを「不幸」と置き換えて読んで欲しい。不幸な人は、不幸な考え方をしたから、不幸になった(だから、だめなのだ)という責める部分がある。そういう説明は、不要で、意味がないのである。どうしてかというと、間違った考え方だからだ。

けど、人間というのはことばの影響を受けやすい生き物なのである。だから!!聴く言葉は「よかった。よかった」「よかったね。よかったね」「すごいなぁすごいなぁ」「立派だな立派だな」「あっぱれあっぱれ」というような短い言葉でよいのだ。「あなたの現実は、あなたの思いがつくっている」「いまのあなたは、あなたがこれまで考えてきたことをそのままあらわしている」というような説明は、むだなばかりか、むしろ害悪。だから、聞く言葉はこういう開運方法、信念にかんする考え方ではなくて、もっと単純な短い、絶対的に肯定的な言葉でよいのだ。

あとは、「私は・・」なのか「あなたは・・」なのかという問題がある。なるべく主語をぬかすべきだと思うけど、なかには、主語を入れなければならないことばというのがある。その場合は、「あなた」のほうがいいと思う。だって、スピーカーから聞くわけだから。まあヘッドホンで聞く場合もあるけど。その場合、誰かが自分に話しかけているという雰囲気ができているので、主語は「あなた」のほうが「わたし」よりも適切だと思う。





2016年12月6日火曜日

マーフィー流潜在意識について考える 想起しなかったことが現実化してしまうケースについて



ジョゼフ・マーフィーは全部、「病は気から」という言葉で、処理している部分がある。実は、悪性腫瘍というのは、比較的催眠療法やイメージ療法が効きやすい病気なのだ。小さなガンなら、普通に出てき、自然に消えていく。人間の体は、そういうふうにできている。

けど、一定量の放射線を浴びたら、やっぱり、いくら催眠療法やイメージ療法をやってもむだだというレベルがある。どのくらいの放射線量か知らないけど、一時間以内に死ぬというレベルもちゃんとある。その場合、どれだけ催眠療法やイメージ療法をやってもむだだ。

あとは、コレラのように比較的催眠療法やイメージ療法が効きにくい病気がある。その場合は、やはり、点滴などを使って抗生物質を体内に注入した方がいい。コレラにかかっているひとに向かって、コレラ菌が体内で死んでいくイメージ持ってくださいと言うよりも、抗生物質を注入した方がいい。

これは、ちゃんと、作用機序がわかっている薬なので、ちゃんと効く。すべて、病は気からと言うように、自己暗示でかかってしまうということではないのだ。しかし、すべての病気が自己暗示で治ってしまうということを言う。潜在意識が自分の体を作った。だから、潜在意識が自分の体を完全に治してくれるということを言う。潜在意識というのは、宇宙意識とおなじだ。宇宙意識が、自分の体を作った。

だから、宇宙意識は完全に自分の体を治すことができる。どうしてなら、時計を作ったひとは時計のしくみを知っているから、時計を直すことかできる……それと同じように、宇宙意識が自分の体を(人間の体を)作ったのだから、宇宙意識は、時計を作ったひとが時計を直せるように、自分の体を治せる……これが、ジョゼフ・マーフィー流の理論だ。けど、いまの普通の時計は、部品を手で作るということができなくなっている。これは、装置を使わないとできない。時計は、機械が組み立てていると言っていい。まあ、いいや。こういう風に例も、時代とともに変わっていくんだよなという話。

この「病は気から」ということですべての病を説明しようとする態度にはもうひとつ問題がある。それは、まったく病気になることを想起しなかったにもかかわらず、病気になってしまうことがあるからだ。

たとえば、焼肉レストランで、ユッケを食べたら、そのユッケにO-157という細菌がついていて、下痢になるという場合だ。これ、実は、五歳の子供が、そういうユッケを食べてしまって亡くなってしまったということがある。父親が食べているユッケをみて、「ちょうだい」と言ったそうだ。そして、父親がユッケをあげてしまった。父親のほうは、O-157を摂取したにもかかわらず、きわめて健康でなんともなかった。抵抗力がないこどもが亡くなってしまった。

父親は、「食べさせるんじゃなかった」とものすごく後悔していた。こういうことが起こってしまうのが、この世なんだ。食べた子供は絶対にO-157で死ぬとは思ってない。そんなことは絶対に想起しなかった。ユッケを子供にあげた父親だって、絶対にそんなことになるとは思ってなかったのだ。すべての病は自己暗示で発生するものではない。

なかには、心配することによって、からだの抵抗力が下がって、病気になってしまう場合もある。寒い思いをしたから、「俺、風邪引くかな」と思ったら、実際に「風邪を引いてしまった」という場合だ。けど、これも「風邪を引くかな」と思った原因がある。そして、気持ちの問題ではなく、その理由で風邪を引いたかもしれないのだ。これは、「想起したのでそうなった」と言うことができる例だ。

しかし、まったく考えていなかったことも起こってしまうのが、この世だ。「想起したことは、現実化する」の対偶は「想起しなかったことは、現実化しない」ということだ。マーフィーなど、潜在意識派は、想起したことは、かならず、現実化してしまうということ言う。そして、潜在意識派は「すべてそうだ」と言う。潜在意識は宇宙意識につながっていて、善いことも悪いことも、区別なく現実化してしまう……これが、潜在意識派の言っていることだからだ。

想起したことと書いたけど、思ったことでもいい。この、思ってなかったことが現実化してしまうということが説明できないのである。だから、悪いことが起こる場合は、悪いことの原因はすべて、「親や先生」にすりこまれたということになる。そういう悪い暗示を受けたからそれが現実化したという考え方なのだ。彼らの音声メッセージを聴いたときは、潜在意識のものすごい力で、現実化しそうな気持ちになるけど、実はいろいろなところで間違っている。それだけでは説明できないことがある。それで、説明できるところもあるんだけど、それでは説明できないところもある。だから、「すべて」ではないんだよ。

けど、「すべて」そうなると力説する。「そうなる場合もあるけど、そうならない場合もある」なんて、現実的なことを言ってしまってはだめなのだ。「かならず、すべて現実化する」こういう理論に立たないと、説得力がない。「かならず、すべて現実化する」……なぜなら、「宇宙意識があるからだ」というような論法にならざるを得ない。彼らの言っていることを聴いたときは、「その通りだな」と思うけど、実際には、こういうところで、誤謬がある。「すべてそうなる」と「そうなる場合もあるし、そうならない場合もある」ということを、ゴッチャにしている。これは、意図的にゴッチャにしていると思う。「そうなる場合もあるし、そうならない場合もある」と言ってしまっては、パワーがない。けど、これが、本当の話だ。この世の真実だ。




O-157菌はものすごい速度で増殖して、特別な毒を生成する。問題なのは、O-157菌を作ったのも宇宙意識だということだ。宇宙意識というのは神と言ってもいい。O-157菌を増殖させていたのも、宇宙意識なのである。同様に、神と言ってもいい。なので、ここで、一巡する。引き寄せの法則と言っている人も、実は、宇宙意識や神のようなものすごい存在について説明している。そして、そのものすごい存在に頼むと、ちょっと頼んだだけで、その頼みを現実化してくれるということを言う。けど、そのすごい存在が、菌を増殖させているということに、気がつかない。そのすごい存在が地震や津波を起こして、人々を殺したということに気がつかない。そもそも、そのすごい存在が人間を死ぬべきものとして作ったということに気がつかない。こういうところに、理論的な弱さがある。けど、「自己暗示」ということに限るなら、それでよいということになる。ただ、背後の理論は、それではだめなんだ。だから、背後の理論は考えなくていいということになる。


2016年12月5日月曜日

毎日鳴ってたから、二次災害、三次時災害がつねに生じていた

だいぶからだの調子がよくなった。この調子が続かないかなぁ~~。続けばいいのに。

からだの調子がいいと、失敗をしてもそんなに、こたえない。たとえば、さっきキムチが入った入れ物を机の上から落としてしまって、部屋のしきりに使っているシーツにキムチの汁がしみこんでしまったのだが、即座に洗濯して部屋干しをしている。キムチの本体は拾って捨てた。(まだ、ゴミ袋の中にある)。で、キムチが落ちた床の面を拭いておいた。シーツと床の両方にキムチが落ちた。シーツの一部が床の上にあったから、そういうことになる。

で、まあ、床を拭き掃除することができたからよかったとか、そう思えるわけだ。けど、これは、からだの調子がいいからできることだ。からだの調子が悪いときに、キムチを落っことしたら、かなりやりきれない状態になる。ヘビメタ騒音というのは、そういうもんなんだ。他の人にわからないだろうけど。ヘビメタ騒音で、体力が落ちて、調子が悪いときに、なんらかの不祥事が生じると、対処できなくなる。で、それを、言葉で言いまかす(プラス向きの言葉を、何回も何回も言って、元気を出す)ということができない。これ、もう、本論なんだけどさ。まあ、結論だ。

だから、そういうのは、からだ次第ということになる。だるくてだるくてしかたがないときは、やっぱり、ネガティブな考えに襲われるし、それが普通の人間としての反応だ。で、だるくてだるくてしょうがないときに、そういう「余計な用事」が増えると、破滅的な気分になる。いまはヘビメタ騒音が鳴ってないけど、ヘビメタ騒音が鳴っているときは、つねにそうだった。つねにつねにつねに。ヘビメタ騒音が一番の原因なんだけど、ヘビメタ騒音でつかれているということで、二次災害、三次時災害が生じてしまう。で、つねに毎日鳴ってたから、二次災害、三次時災害がつねに生じていた。それから、普通は、二次災害を避けるために、夜であってなおかつ猛吹雪である場合は、創作を延期するというような処置がとられる。けど、ヘビメタ騒音の場合、ヘビメタ騒音が猛吹雪だというのがある。ヘビメタ騒音が最初の原因をつくっている。だから、最初の原因が改善されてない状態で、二次災害、三次時災害に対処しなければならないということになる。で、他の人のうちではヘビメタが鳴ってないから、「おまえ、なにをやってんだ」「おまえ、なにサボっているんだ?」ということになる。これがつらいんだよな。「ヘビメタ騒音でできない」と言うことはよその人には認めがたいことなんだよ。それから、きちがい兄貴は、なんて言うのかな? ……どれだけ、真剣に言っても、シランプリで鳴らしている状態で、親父のようになにも通じない。言えば言うほど、意地になってやるところがある。それなのに、本人は「つもりがないまま」なんだよ。だから、無慈悲に、もとの原因の中で、二次災害、三次災害に対処しなければならなくなる。で、こういうことの繰り返しなんだよ。

体調がかなりまずい。だるい

体調がかなりまずい。だるい。だるさスケール10のうち8ぐらいまで来てるな。今日は、寝たままだった。実際には、小便とチャイムを押した人に対する対応で3回ぐらい起きた。けど、くるしい。起きたときに、水を飲んだよ。あとは幼稚園のこどもたちの騒ぎ声を聞きながら寝てた。9月以外は平気だ。9月の太鼓はこたえる。同じ騒音でもヘビメタと太鼓じゃ、こたえ方が違う。ヘビメタのほうが1000倍こたえる。

ヘビーメタルの重さはない。あれはない。空間がきちがいになってしまう。おもいよ~~。あれを学期中ならされて受ける期末テストとか、おもいよ。おもすぎる。期末テスト前日にどれだけ言っても一分もやめてくれなかった。これが事実。「静かにしてやった」とか言っているのは、親父と同じ原理が働いているだけ。時間がたっている場合と、人の前で言われた場合は、そく、否定なんだよな。それで、家に帰ってくれば、否定したことをやって、まったく平気。「おまえ、やっているだろ」と言われたって、無視して頑固にやりきる。「あれ? よそのうちで否定したことを、やっているよな」などとは思わない。そういう頑固さが波じゃないんだよ。あとは、無視してやりきるときの頑固さが並じゃない。ぜんぶおかしい。けど、そういうことを普通に、毎日やる。頑固にやる。で、14年間やり続けても、15年目には「やってないやってない」だよ。本気でそう思っている。そういう性格を他人の俺が治せるわけがないだろ。



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。